Ⅹ事件への入口
朝。
ソラたちは、グランディア支部の受付前に集まっていた。
全員が揃うと、受付の女性が奥の廊下を示す。
「会議室で担当の捜査員が待っています。こちらへどうぞ」
黒いゲートを抜け、会議室へ入る。
前方には六人の捜査員がいた。
見覚えのあるリアナとネア。その隣に、知らない四人が並んでいる。
「全員、席についてくれ」
くすんだ金髪を六四に分けた長身の男が、学生たちの前へ出た。
「二級員のレナードだ。今回の現場同行実習では、全体の指揮を任されている」
ソラたちが席につく。
「今回決めた班は、一年生の間、原則として変更しない。地区外へ出る場合や、実習への同行が難しい事件では、改めて指示を出す」
机の上には、いくつもの黒いケースが置かれていた。
「中には標準装備一式が入っている。現場へ持っていくことは認めるが、武器の起動には同行する捜査員の許可が必要だ」
ライゼルが手を上げる。
「襲われた時もか?」
「捜査員から指示を受けられる状況なら、先に指示を待て。近くに捜査員がおらず、自分や周囲の人間に危険が迫っている場合は使っていい」
「分かった!」
「装備は犯人を捕まえるためではなく、自分たちの身を守るために貸し出す。そこを間違えるな」
「知らない者もいるだろう。順番に紹介しよう」
耳にかかる灰金色の髪を横へ流した、小柄な男が前へ出た。
「三級員のハインだ。現場では俺の指示を優先してくれ。以上」
「冷たっ」
明るい茶髪を左右の高い位置で小さな団子にまとめた女性が口を挟む。
「四級員のリノです。危ないことは好きじゃないんで、勝手に仕事を増やさないでくださいね」
リノが下がると、リアナが前へ出た。
「三級員のリアナです。何か分からないことがあったら、遠慮なく聞いてね」
ソラと目が合い、リアナが小さく手を振る。
続いてネアが前へ出た。
「四級員のネアっす。皆さん、よろしくっす!」
最後に、短い緑髪の青年が片手を上げる。
「三級員のクラネスだ。実習だからって、そんなに固くなる必要はない。分からないことはなんでも聞いてくれ。無理だけはするなよ」
レナードが班分けの書かれた紙を手に取る。
「まず、ハインとリノの班。ソラ、ライゼル」
「クラネスと俺の班。リーゼ、ヴェイン、レオン」
「最後に、リアナとネアの班。ミレア、ルーナ、エリオ。以上だ」
捜査員たちが、机に用意されていた黒いケースを学生へ渡していく。
「捜査の仕事は、犯人を追うことだけではない。話を聞き、記録を調べ、事件かどうかを確かめる。それも含めて学んでもらう」
ケースを受け取ったライゼルが尋ねる。
「それで、最初は街の巡回か?」
「巡回は、治安維持を担当する部署の仕事だ」
ハインが答える。
「俺たちは、持ち込まれた相談や事件を調べる」
リノが手元の資料をめくる。
「今日は、商店から『届くはずの荷物が一箱足りない』って相談ですね」
「盗難とは限らない。確認してからだ」
ハインが立ち上がる。
「行くぞ」
◇
商店街の一角。
生活用品を扱う店の前に、空になった木箱が積まれていた。
「昨日、商品が七箱届くはずだったんだ」
店主が注文書と納品書を机へ広げる。
「書類には七箱とあるのに、店にあるのは六箱だけだ。誰かが持っていったに決まってる」
「受け取りに立ち会ったのは?」
ハインが尋ねる。
「店の者だ。今日は休んでる」
リノが二枚の書類を確認する。
「注文書も納品書も七箱。受領印も押されていますね」
「数を確認してから押したんですか?」
「本人に聞いたら、急いでたから数えてないってよ」
「では、七箱すべて届いたかも分からないですね」
「だが、納品書には七箱と書いてある」
ハインが店内を見る。
「届いた箱はどこだ」
「裏だ。開けた箱も残してある」
四人は店の裏へ回った。
搬入口には、開封済みの空箱が四つと、まだ開けられていない箱が二つ置かれている。
近くの台には、箱から外した荷札がまとめられていた。
「ソラとライゼルは、箱と荷札を照合しろ。別の店の荷が混じっていないかも確認してくれ」
「はい」
「おう!」
二人は箱に残った番号と、荷札を一枚ずつ見比べていく。
「一番から四番まで合ってる」
ソラが確認した荷札を並べる。
「こっちは五番と六番だな」
ライゼルが残りの二枚を置いた。
六枚。
どれも、この店へ届けられた荷物で間違いない。
「全部合ってるな」
「うん。でも……」
ソラは並んだ荷札を見る。
「七番だけない」
ハインが六枚の荷札へ目を向ける。
「箱が入れ替わった形跡もないか」
「ありません」
「なら、ここに届いてからなくなったとは限らない」
「どういうことだ?」
「配送前を確認する」
ハインが納品書を手に取った。
「この荷物を運んだ業者は?」
「東通りの配送所だ。いつもそこを使ってる」
「行くぞ」
◇
東通りの配送所。
建物の前には荷車が並び、作業員たちが次々と木箱を積み込んでいた。
事情を説明すると、責任者が昨日の配送記録を持ってくる。
「確かに、この店宛てで七箱預かっています」
リノが記録へ目を落とす。
「こちらも七箱ですね」
「やっぱり七箱あったんじゃねえか?」
ライゼルが覗き込む。
「預かった数だ」
「実際に積んだ数は?」
責任者が奥から一冊の帳簿を持ってきた。
「積み込みの記録なら、こちらです」
責任者が帳簿を机の上へ開く。
ソラも横から覗き込んだ。
一番。
二番。
三番。
順番に確認の印が並んでいる。
「……六番までしか印がない」
ソラが指を止める。
七番の欄だけが空白になっていた。
「本当だな」
ライゼルが顔を上げる。
「じゃあ七番は積んでないのか?」
「少々お待ちください」
責任者が別の記録を確認する。
ページをめくっていた手が止まった。
「あ……」
「何かありましたか?」
リノが尋ねる。
「七番の箱、昨日の積み込み前に破損しています」
「破損?」
「側板が割れていたので、一度配送から外したようです」
責任者が記録を指す。
「中身に問題がないか確認するまで、保管することになっています」
「箱は?」
「倉庫にあるはずです」
◇
配送所の倉庫。
壁際に、一つの木箱が置かれていた。
側面の板にひびが入り、補修用の縄が巻かれている。
ソラが荷札を見る。
「七番」
「あったな!」
リノが配送記録と荷札を照らし合わせる。
「依頼元も届け先も一致しています。間違いありません」
ハインが責任者を見る。
「なぜ納品書は七箱のままだった?」
「破損の報告が、配送担当まで伝わっていなかったようです」
責任者が頭を下げる。
「こちらの確認不足です。申し訳ありません」
◇
箱を商店へ届ける。
店主は中身を確認し、息を吐いた。
「最初から届いてなかったのか」
「今回は盗難ではありませんでした」
ハインが納品書を返す。
「受け取りの時に数を確認するよう、店の者にも伝えてください」
「ああ。悪かったな」
店を出る。
「見つかってよかったな!」
「一箱見つけただけで、随分うれしそうですね」
「困ってたんだから、見つかってよかっただろ」
「まあ、報告書が短く済むのは助かりますけど」
ハインは前を歩いたまま、二人へ声をかける。
「依頼人の話だけで決めつけるな。書類に書いてあることも同じだ。確認して、初めて事実になる」
「はい」
「おう!」
◇
支部へ戻る途中。
広場に長い列ができていた。
同じ印の入った服を着た者たちが、大きな鍋から食事をよそっている。
「あれ、教会か?」
ライゼルが広場を見る。
「違う。ネグラ教会だよ」
ソラが答える。
「ああ。前に演説してた連中か」
「正規教会とは別の宗教団体だ」
ハインが続ける。
「服装も似てるし、知らない人間なら教会の者だと思うだろうな」
ライゼルは食事を受け取る人々を見る。
「腹減ってるやつに飯を配ってるなら、悪いことじゃないだろ」
「炊き出しも勧誘も、それだけなら問題ありませんよ」
リノが列の先を見る。
「無理に入信させたり、お金を取ったりしてなければ、ですけど」
食事を受け取った老人が、信徒へ頭を下げる。
信徒は次の椀へ、食事をよそった。
「行くぞ」
ハインに呼ばれ、三人は広場を離れた。
◇
翌日。
クラネスたちは、集合住宅の一室を訪れていた。
数日前から、住人の男が姿を見せていない。
クラネスが調査資料の顔写真と、部屋の表札を確認する。
家主が扉を開け、先に中へ入った。
「今月分の家賃は払われてる。仕事場にも来てないらしい」
室内には衣服や工具が残されていた。
机の上には、開封されていない郵便物。
食器にも薄く埃が積もっている。
「最後に男を見た者はおらぬのか?」
リーゼが家主へ尋ねる。
「え?」
「最後に会った日を聞いておる」
「言い方が偉そうなんだよ」
レオンが間へ入る。
「すみません。最後に会った日を覚えてませんか?」
「四日前だ。その日の夜までは、部屋にいたと思う」
「訪ねてきた人は?」
クラネスが引き取る。
「何人か来てたな。男ばかりだった」
「知り合いか?」
「そこまでは知らんよ」
レナードは、玄関脇に置かれた靴を確認する。
「遠出に使いそうな鞄は?」
「奥にある。服もほとんど残ってるよ」
ヴェインは机の周囲を調べていた。
椅子の下に、細い紐が落ちている。
途中で切れており、先には小さな飾りが残っていた。
「クラネスさん」
「何かあったか?」
ヴェインが飾りを渡す。
表面には、ネグラの印が刻まれている。
続いて、机と壁の隙間から折れた紙を抜き取った。
途中まで文章が書かれていた。
『明日の話し合いが終われば、もう関わらない』
その先は空白だった。
「童にも見せよ」
リーゼが横から覗き込む。
「今、渡したばかりだ」
「なら、そなたが寄ればよい」
「自分で動け」
「何じゃと?」
「二人とも、あとにしろよ……」
レオンが止める。
クラネスは家主へ飾りを見せた。
「これに見覚えは?」
「この部屋の男が首から下げてた物だ。訪ねてきた連中も、似た飾りをつけてた気がする」
「訪ねてきた連中は、この印の入った服を着ていたか?」
「いや。服は普通だったよ」
レナードが紙を記録袋へ入れる。
「訪ねてきた人数は?」
「三人だったと思う」
「男が一緒に出ていくところは見たか?」
「いや。そこまでは」
「分かった。何か思い出したら、支部へ連絡してくれ」
見つけた飾りも記録袋へ収め、部屋を出た。
◇
同じ頃。
リアナたちは、捜査室で古い報告書を仕分けていた。
ルーナが机の上に積まれた書類へ目をやる。
「思ってたより、事務的な仕事も多いんですね」
「私も、他の班みたいに捜査するのかと思ってました」
ミレアが報告書を一枚手に取る。
「意外と事務処理も大変なんすよ」
ネアが手元の書類を束にまとめた。
その隣で、ルーナの視線がリアナの首元で止まる。
「リアナさん」
「ん?」
「入院していたとお聞きしましたが……もう大丈夫なんですか?」
「うん。もう大丈夫だよ」
リアナは襟元へ指を掛け、少しだけずらす。
「傷は残っちゃったけどね」
首元から、薄く残った傷痕が覗く。
「リアナ先輩の肌に傷をつけるとは、許せないっすね」
「そこ?」
「捜査中に負った傷なんですよね?」
ルーナが尋ねる。
「うん。正体も分からない相手と戦うことになってね」
「まだ捕まってないんですか?」
「うん。結局、手掛かりもほとんど見つかってないんだ」
エリオはリアナの傷痕から、手元の報告書へ視線を戻した。
「あ、あの、ネア先輩。この報告書は?」
「ん?」
ネアが差し出された報告書を受け取る。
「路地に荷車が何日も放置されてるって相談っすね」
ミレアが手元の書類から顔を上げた。
「そんなことまでAEGISに相談が来るんですか?」
「来るっすよ。事件かどうか分からないものも多いっすから」
「大変なんですね……」
「だから、こうやってあとから整理する仕事もあるんすよ」
ネアが報告書を束の上へ置いた。
次の書類へ手を伸ばした時、捜査室の扉が開く。
「リアナ三級員。現地確認をお願いしたい相談があります」
職員が一枚の書類を差し出した。
リアナが受け取る。
「南地区にある共同浴場です。数年前に廃業していますが、最近になって夜間に人が出入りしていると近隣から相談がありました」
「人が?」
「はい。夜になると建物に灯りがつくことがあるそうです。それと、水を使っているような音も聞こえると」
リアナが書類へ目を落とす。
「管理している人は?」
「建物の所有者が定期的に点検しています。水道も管理用に残してありますが、夜間に使用することはないそうです」
「じゃあ、不法侵入の可能性があるんですね」
「その確認をお願いします」
「分かりました」
職員が一礼して捜査室を出ていく。
ネアが椅子から立ち上がった。
「ちょうどいいっすね。書類整理より現場の方が実習っぽいっす」
「行ってみようか」
リアナは学生三人を見る。
「はい!」
三人の声が重なった。
◇
南地区。
古い住宅や商店が並ぶ通りを抜けた先に、その建物はあった。
二階建ての共同浴場。
入口の上には、色褪せた看板が残っている。
窓は閉められ、正面の扉には鎖が掛けられていた。
「ここですね」
ルーナが建物を見上げる。
「思ったより大きいっすね」
ネアが入口へ近づいた。
建物の前では、管理人の男が待っていた。
「AEGISの方ですか?」
「はい。相談を受けて確認に来ました」
リアナが身分証を見せる。
管理人はポケットから鍵を取り出した。
「閉めてから三年くらいになります。月に一度、中を確認するくらいで」
「水はまだ使えるんですよね?」
「ああ。掃除や点検で必要になるから、止めてはいないよ」
「最近、水を使いました?」
「いや。最後に使ったのは二週間ほど前だ」
管理人が鎖を外す。
「近所の人から聞いて、わしも一度夜に見に来たんだが……その時は何もなかった」
「中を確認させてもらいます」
「好きに見てくれ」
扉が開く。
閉め切られていた空気が外へ流れた。
リアナを先頭に五人が中へ入る。
受付を抜けると、左右に脱衣所がある。
床には薄く埃が積もり、壁際には使われなくなった籠が重ねられていた。
ネアが足元を見る。
「誰か住んでる感じはないっすね」
「食べ物とか寝具もないね」
リアナが周囲を確認する。
「手分けはしないで、このまま一緒に見よう」
浴場へ入る。
大きな浴槽には水がなく、底には乾いた汚れが残っていた。
「普通のお風呂ですね」
エリオが辺りを見回す。
「共同浴場なんだから普通でしょ」
「いや、そうなんですけど……」
蛇口が何列も並んでいる。
ミレアが洗い場へ進み、その一つへ手を伸ばす。
「本当に水出るのかしら」
「まだ触らないでね」
リアナが止める。
「はい」
ミレアが手を引っ込めた。
その横でルーナが足を止める。
「リアナさん」
「どうしたの?」
「ここだけ、少し違いませんか?」
ルーナが床を指す。
洗い場の奥。
周囲には薄く埃が残っているのに、そこだけ床が妙に綺麗だった。
リアナがしゃがみ込む。
水垢まで完全に落ちているわけではない。
ただ、周囲と比べれば明らかに最近水を流したように見える。
「ネアちゃん」
「はいっす」
ネアも隣へしゃがむ。
「確かに、ここだけ洗った感じがするっすね」
エリオが排水口へ目を向ける。
「こっちもです」
金属製の蓋の周囲だけ、埃がほとんど残っていない。
リアナは立ち上がる。
「管理人さん」
入口近くにいた男が顔を出す。
「ここ、前に点検した時に掃除しました?」
「いや。浴場までは掃除しとらんよ。漏水がないか見ただけだ」
「この辺りだけ綺麗なんです」
管理人が近づいてくる。
「……本当だな」
「わしじゃないぞ」
ネアが排水口を覗き込む。
「誰か水を使ったのは間違いなさそうっすね」
「そうみたいだね」
リアナは奥へ視線を向けた。
「もう少し見よう」
浴場を抜け、従業員用の通路へ入る。
備品室。
機械室。
どこにも人はいない。
最後に裏口を確認する。
リアナが扉の鍵へ目を向けた。
「……ここ」
金具の周囲に、細い傷がいくつか残っている。
ネアが覗き込む。
「新しいっすね」
「鍵を無理に開けた?」
ミレアが尋ねる。
「その可能性はあるかな」
扉を開ける。
裏手には細い路地が続いていた。
地面は乾いている。
荷物も、人がいた形跡も残っていない。
「裏から入ってたってことですか?」
ルーナが尋ねる。
「まだ決めつけられないけどね」
リアナが答える。
「でも、誰かがここを使ってた可能性は高そう」
建物の中をもう一度確認した。
持ち込まれた荷物もない。
寝泊まりした跡もない。
何のために入ったのかまでは分からなかった。
◇
調査を終え、五人は共同浴場の前へ出た。
管理人が鎖を扉へ掛け直している。
「結局、何に使ってたんですかね」
エリオが建物を振り返る。
「勝手に風呂に入りに来たとか?」
ミレアが言う。
「わざわざ閉まってるところに?」
「じゃあ何よ」
「それが分かったら苦労しないっすよ」
リアナは閉じられた扉を見る。
「今の段階だと、不法侵入以上のことは分からないね」
リアナが端末を取り出す。
「ただ、何かに使われてる可能性はあるから、支部には報告しておく」
「どうするんすか?」
「この辺りを巡回ルートに加えてもらおうかな」
リアナは建物を見上げる。
「また人が出入りするなら、その時に確認できるかもしれない」
「了解っす」
ネアが答える。
五人は共同浴場を離れた。
◇
現場同行実習、三日目。
相談者から話を聞き、関係する場所を回る。
支部へ戻れば、聞いた内容を報告書へまとめる。
捜査は、ソラが想像していたよりずっと地道だった。
それでも、聞き取りと記録を重ねる意味が少しずつ分かり始めていた。
四日目。
ハインたちは聞き取りを終え、支部へ戻る途中だった。
「すみません」
振り返ると、一人の男が周囲を気にしながら立っていた。
「AEGISの方ですよね」
「そうだ」
ハインが答える。
「相談したいことがあります」
「ここで話せることか?」
男は周囲へ目をやり、首を横に振った。
「分かった。支部まで来られるか」
男はすぐには答えなかった。
それでも、ハインたちが歩き出すと、黙ってその後をついてきた。
◇
グランディア支部。
相談室の前まで来ると、ハインが学生たちを振り返った。
「お前たちはここで待っていろ」
「俺たちは入れないのか?」
「相談内容によっては、他人に聞かれたくない話もある」
「分かりました」
学生たちを廊下に残し、ハインとリノは男を相談室へ案内した。
部屋の中央には、小さな机を挟んで椅子が向かい合っている。
男が奥の椅子へ腰を下ろす。
ハインが正面に座り、リノも隣へ席を取った。
「まず、お名前を」
リノが尋ねる。
「トーマです」
「トーマさん。相談したいことというのは?」
ハインが尋ねる。
トーマは膝の上で手を組んだ。
「……ネグラ教会のことなんですが」
「あなたは信徒なんですか?」
リノが尋ねる。
「……でした」
「でした?」
トーマが顔を上げる。
「三日前、ネグラを抜けました」
「ほかに一緒に抜けた人は?」
「……いや。妻のエリンは残るって」
「何を言っても聞かなかったんだ」
「それで、トーマさんだけ先に抜けたと」
「……はい」
「妻を、あそこから連れ出してほしいんです」
「本人が残ると言っているなら、こちらから無理に連れ出すことはできない」
「でも、このままじゃ妻も殺される」
「そう思う理由を聞かせてください」
トーマはすぐには答えなかった。
「俺は以前、ネグラ教会を抜けたいと言った人を、話し合いの場まで連れていったことがあります」
「場所は?」
「南地区にある、もう使われていない共同浴場です。俺は、そこで説得するだけだと聞いていました」
「その人は、その後どうなりました?」
「戻ってきませんでした」
トーマの声がかすれる。
「上の人間に聞いても、『あの人は救われた』としか言わなかった」
「救われた……それがどういう意味かは?」
「分かりません。……分からないふりをしてました」
トーマは組んだ手へ力を込めた。
「そのあと、別の信徒が『次の粛清』と話しているのを聞いたんです。それで……俺が連れていった人も、殺されたんじゃないかって」
「奥さんには、そのことも話したんですか?」
「話しました。でも、信じてくれません」
トーマがうつむく。
「粛清されるのは、裏切った人だけだって。自分は何も悪いことをしていないから、大丈夫だって」
少し間を置いて、トーマが続ける。
「でも、脱退を伝えた夜から、家の近くに男が立つようになりました」
「あなたを見張っていた?」
「俺も、そう思ってました。でも昨夜、その男がエリンの後をつけているのを見たんです」
「顔は見ましたか?」
「暗くて、はっきりとは……」
聞き取りを終えたハインが相談室を出ると、行方不明者の捜査に出ていたクラネスたちが支部へ戻ってきた。
クラネスがハインに気づき、足を止める。
「クラネス、少しいいか」
「どうしたんです?」
「ネグラを抜けた男から相談が入った。お前たちが追ってる件と関係があるかもしれない」
「……話、聞かせてもらえます?」
ハインはクラネスたちを相談室へ入れた。
「ネグラを抜けようとした信徒を、南地区の共同浴場まで連れていったらしい。その後、その男は戻っていない」
「……ちょっと待ってください」
クラネスが手にしていた調査資料を開く。
一枚の顔写真を取り出し、トーマへ差し出した。
「トーマさん。この男、知ってますか?」
トーマが写真を受け取る。
写っていたのは、集合住宅から姿を消した男だった。
写真を持つ手が震えた。
「俺が話し合いの場へ連れていったのは、この人です」




