Ⅰ西へ向かう二人
――最初の猟奇殺人事件から、数日後。
◇
コンコン。
「入りたまえ」
「失礼します」
イネスが部屋へ入る。
「お呼びでしょうか、捜査員長」
「ああ。忙しいところ悪かったな、イネス一級員」
「いえ。任務ですか」
「室長はあいにく不在でな。代わりに、私から説明する」
捜査員長は机の上から一枚の書類を差し出した。
「本部からの要請だ」
イネスが書類へ目を通す。
「……ロスト体の排除任務ですか」
記載された地名に目を止める。
「クレイアンダール……」
西部の山岳都市。
「オクシリアの管轄ですね」
「本来ならな」
「それで、グランディアにも応援要請が?」
「先に派遣された八名のうち、二級員一名、三級員三名が死亡。指揮を執っていた一級員は行方不明だ」
「帰還したのは三名だけだ」
「……」
「生還者三名は、いずれも複数のロスト体を同一地点で確認したと証言している」
「同一地点で、複数のロスト体が確認された前例は?」
「私の知る限りではない。だが、本部はこの件を最重要案件に指定し、各地区へ応援を要請した」
「グランディアからは、お前を出す」
「この書類以上の情報は?」
「残念ながらない」
「出発はいつですか」
「今日中だ」
捜査員長がもう一枚、書類を差し出す。
「オクシリアまでの公務乗車証だ」
「ありがとうございます」
「鉄道はオクシリアまでしか通っていない。そこから先は馬車になる」
「それと、同行者を一人つける。ノルク三級員だ」
「クレイアンダール出身で土地勘がある。現場での判断も悪くない」
「ただ、勤務態度に少々難があるがな」
「任務に支障は?」
「そこは問題ない」
「分かりました」
「すでに受付で待たせてある」
「承知しました」
「下がってよい」
「失礼します」
イネスは扉に手をかけたところで、足を止めた。
「一点、よろしいですか」
「なんだ」
「数日前に起きた殺人事件ですが」
「報告書なら読んだ」
「リアナ三級員を、あの件の捜査班に加えてください」
「理由は?」
「最初の現場を直接見ています。それに、捜査員としての力も私が保証します」
「まだ三級員になったばかりだぞ」
「承知しています。それでも、あの件を任せられる人材です」
「……分かった。担当班には私から話す」
「ありがとうございます」
「どこまで行っても教官だな、イネス」
「では、失礼します」
イネスは扉を閉めた。
廊下では、隊員たちが慌ただしく行き交っていた。
「イネスさん!」
栗色の髪をツインテールに結んだリアナと、短く切った金髪のネアがこちらへ歩いてくる。
「お疲れ様です!」
「お、お疲れ様っす!」
「お疲れ様。捜査の帰りか」
「はい!」
「イネスさんはどちらへ?」
「これから西へ長期任務だ」
「西……」
ネアが背筋を伸ばす。
「お、お身体には気をつけてくださいっす!」
「ああ」
「ちゃんと帰ってきてくださいね」
リアナの言葉に、イネスがうなずく。
「お前も無茶はするな」
「はい!」
イネスは二人の横を通り過ぎる。
五年前、ホンスーンの街を案内してくれた少女は、今ではグランディアの捜査員になっている。
黒いゲートを抜け、受付へ向かう。
「すまない」
受付の女性が顔を上げる。
「はい」
「ノルク三級員はどこだ」
「あ……」
待合用の椅子で、一人の男が足を組んだまま居眠りしていた。
灰色の髪は少し長く、前髪が目元にかかっている。
毛先はあちこち好き勝手に跳ねていた。
イネスが男の前に立つ。
「おい」
返事はない。
「起きろ」
「……」
靴先で、すねを軽く小突く。
「んぁぁああ……」
男がゆっくり顔を上げた。
「……イネスさんですか?」
「ああ」
男が立ち上がる。
「今回、同行させてもらいます。ノルクです」
「よろしく頼む」
「よろしくお願いします。あんまり気乗りはしませんが……」
「正直な奴だな」
「では、行きましょうか」
二人は駅へ向かう。
「それにしても、クレイアンダールって、どう考えてもグランディアの管轄外ですよね」
「任務だ」
「そんなふうに割り切れたら楽なんですけどねぇ」
「慣れろ」
「慣れたくないですね」
◇
グランディア駅。
ホームに黒い車体が滑り込んでくる。
側面には一本の赤いライン。
低い駆動音を響かせ、重厚な列車が停車した。
「長旅ですねぇ」
ノルクが荷物を確認する。
「弁当よし。新聞よし」
続いて乗車証を確かめる。
「しかも個室。捜査員長、気が利きますねぇ」
「私はどこでも構わん」
「楽できる方がいいじゃないですか」
二人は列車へ乗り込む。
個室の扉を開けた。
壁際には向かい合うソファ。
奥にはベッドが二つ。
中央には厚い木製のテーブルが置かれている。
「おぉ。これは快適そうですね」
荷物を置いたところで、列車がゆっくり動き出した。
イネスは鞄から報告書を取り出す。
向かいでは、ノルクが早速弁当を開いていた。
「セントリアを越えて、オクシリアまで丸一日ですか」
「一度オクシリア支部へ寄る。そこで他の隊員と合流する予定だ」
「難しいことはお任せします」
「お前も聞け」
「食べ終わったら聞きます」
列車はグランディアを離れ、西へ走り続ける。
弁当を食べ終えたノルクが、腰のホルスターから銃を抜いた。
続いてAEGIS Bladeの柄をテーブルへ置き、工具を取り出す。
「何をしている」
「定期メンテナンスですよ」
「整備班がやっているだろう」
「あんなやつらに任せられないですね」
「……」
銃には小さな折り畳み式のサイト。
Blade柄には、握りやすいようグリップが取り付けられている。
「改造しているじゃないか」
「改造じゃありません。追加です」
「本体には手を入れてません。規約上は問題ないと思いますけどね」
「整備班のやつら、毎回全部外しやがるんですよ」
「それは普通だと思うが」
「分かってないですねぇ」
ノルクは工具を動かしながら、イネスの腰を見る。
「そういえば、イネスさん」
「なんだ」
「ガレリア持ってますよね」
「ああ」
ノルクの手が止まる。
「見せてもらえませんか」
「……」
「ぜひ」
イネスは腰から白い鍔を持つ柄を外し、テーブルへ置いた。
「起動するなよ」
「もちろんです」
ノルクが身を乗り出す。
「ほぉおお……」
ガレリアを手に取る。
「支給品のAEGIS Bladeに近い形ですけど……」
セルの投入口を開き、中を覗き込む。
「中は全然違いますね」
「悪いが、私はまったく分からん」
「ガレリアは面白いんですよ。作った人間の癖が、そのまま出ますから」
「これはこれは……」
ノルクはガレリアをテーブルへ戻した。
「ありがとうございました」
「満足したか」
「かなり」
「無駄がない。相当腕のある人が作ってますね」
「お前も変わった奴だな」
「よく言われます」
ノルクは新聞を広げた。
「では、満足したので寝ます」
そのままベッドへ倒れ込み、新聞を顔へ乗せる。
「……そのために買ったのか」
返事はない。
すでに寝ていた。
イネスは報告書を一通り読み終えると、鞄へしまった。
やがて、車窓の外が暗くなる。
イネスは髪をほどき、空いているベッドへ横になった。
列車とは思えないほど揺れは少ない。
「……確かに、快適ではあるな」
◇
窓から朝の光が差し込んでいた。
向かいでは、ノルクがまだ新聞を顔に乗せたまま眠っている。
「……こいつ」
窓の外は、いつの間にか景色が変わっていた。
乾いた赤茶色の地面。
低い木々。
遠くには緩やかな山並みが続いている。
すでにセントリアも越えたらしい。
車内へアナウンスが流れる。
『おはようございます』
『本列車は、あと三十分ほどでオクシリアへ到着いたします』
『皆様の旅に、幸運が訪れますように』
イネスは身支度を済ませ、鏡の前で髪を結い上げる。
「起きろ、ノルク」
「ふぁぁああ……」
新聞がずれる。
「おはようございます」
「もうすぐオクシリアだぞ」
「もうですか」
ノルクが身体を起こす。
「列車は早いですねぇ。もっと一般に普及すれば楽なのに」
「簡単に言うな。線路を通すのに、どれだけ金と人が要ると思っている」
「分かってますよ。だから、乗れるところまでは列車で行きたいんです」
◇
列車がゆっくりとホームへ入る。
扉が開いた。
ノルクが大きく背伸びをしながら降りる。
「久しぶりのオクシリアだなぁ」
イネスもホームへ降りた。
「私は初めてだ」
駅を出る。
大通りには何台もの荷馬車が行き交っていた。
荷台には木箱や鉱石。
大きな荷物を背負った商人も歩いている。
道沿いには職人の工房や商店が並び、建物は赤茶色のレンガや灰色の石で造られていた。
グランディアと比べ、背の高い建物は少ない。
代わりに道が広い。
「同じ大都市でも、随分雰囲気が違うな」
「そうですね」
「山岳地方へ向かう荷物も人も、一度ここに集まるんですよ」
「西の玄関口ってやつです」
駅前には馬車が何台も並んでいる。
「そこのAEGISさん!」
御者の男が手を上げた。
「どこまでだい?」
「オクシリア支部まで」
「任せな。すぐ着くよ」
「いくらですか」
ノルクが聞く。
御者が値段を告げる。
「高いですね」
「いやいや、駅前じゃこれくらいだよ」
「その値段なら歩きます」
「ちょ、ちょっと待ちな。じゃあ、これでどうだ」
「まだ高い」
「まいったなぁ……なら、これで」
ノルクがうなずく。
「それなら。行きましょう、イネスさん」
「……随分下がったな」
「これで適正くらいです」
二人は馬車へ乗り込む。
「オクシリア支部、駅から遠いんですよ」
「だから馬車は必要なんですけど、何も知らないと倍近く取られます」
「面倒な街だな」
「商売の街ですからねぇ」
馬車が大通りを進む。
広い倉庫を備えた建物が見えてきた。
その上には巨大な看板が掲げられている。
――グランメル商会。
「あれは?」
「グランメル商会ですよ。この辺じゃ一番でかい物流商会です」
「山側じゃ、あそこの荷が止まれば、食料も薬も届かなくなる街があります」
「それほどか」
「ええ」
馬車が大きな建物の前で止まった。
オクシリア支部。
二人が中へ入ると、受付の女性が待っていた。
「お疲れ様です。遠方からの応援、ありがとうございます」
「イネス一級員ですね」
「ああ」
「こちらへどうぞ」
ゲートで検査を受け、一階の奥へ進む。
案内されたのは会議室だった。
会議室へ入ると、すでに多くの隊員が席についていた。
一級員や二級員の姿も混じっている。
イネスとノルクも空いている席についた。
会議室前方の扉が開き、資料を抱えた男が入ってきた。
痩せた体つきの、四十代後半ほどの男。
細い縁の眼鏡をかけている。
「お待たせしました」
男は資料を机へ置いた。
「オクシリア地区室長のウラヌです」
「遠方よりお集まりいただき、感謝します」
ウラヌが壁際の職員へ合図する。
会議室の扉が閉まり、鍵がかけられた。
「ここから先は、任務秘匿規定の対象です。この場で知り得た情報は、許可なく外部へ口外しないようお願いします」
「まずは今回の事件について、現在確認できている情報を共有します」
「報告書に追記できるほど確定した情報はありません。ただ、生還者三名から得られた証言があります」
ウラヌが一枚目の資料を開く。
「まず、現在までの状況です」
「報告書にある通り、先遣隊八名のうち四名が死亡。一級員一名が行方不明、三名が帰還しています」
「先遣隊は、最初に遭遇したロスト体一体の排除に成功しました」
「しかし、その直後に新たな二体と遭遇しています」
「ここまでで質問は?」
イネスが手を上げた。
「そちらの方」
「排除した個体は、どの程度人の形を残していましたか」
「生還者の証言では、身体の半分ほどは人間の外形を残していたそうです」
「元となった人間のCodeは特定できていますか」
「できていません。ただ、変異部位の状態から、物質系の可能性が高いと見ています」
ウラヌが地図の一点を示した。
「残る二体が最後に確認されたのは、この付近です。それ以降の足取りは掴めていません」
「まずは捜索から、ということですね」
「そうなります」
「生還した三名から、直接話を聞くことは?」
「三名とも現地にいます。到着後に話せるよう手配します」
「分かりました」
説明は、クレイアンダールまでの経路や各班の編成、現地での連絡方法へ移った。
途中で経由する二つの街についても説明があった。
オクシリアからクレイアンダールまでは馬車で、天候に恵まれても六日。
山道の状態によっては、一週間以上かかる。
出発は翌朝に決まり、会議は終了した。
会議室を出る。
「明日は早朝だ。遅れるなよ」
「それは努力します」
「努力じゃなく起きろ」
◇
用意されていた宿は、オクシリア支部から近い場所にあった。
部屋には広いベッドと手入れされた家具が置かれ、窓からはオクシリアの街並みが見える。
「……随分いい宿だな」
荷物を置き、髪をほどく。
イネスは着替えを手に、大浴場へ向かった。
身体を洗い、湯船へつかる。
「ふぅ……」
肩まで沈め、凝った肩をゆっくり回した。
身体が温まったところで隣の寝湯へ移り、頭を大理石の縁へ預けた。
背中に、温められた大理石の熱が伝わる。
天井は一面のガラス張り。
その向こうに、オクシリアの夜空が広がっていた。
イネスはしばらく夜空を眺める。
「……これはいいな」
明日から、少なくとも六日。
「……街に被害が出ていなければいいが」




