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ルイ・ヴィトン物語  作者: はまゆう


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第二話 箱の中の秩序

パリは、少年を歓迎しなかった。

だが、拒みもしなかった。

それがルイには都合よく思えた。歓迎される者には名がいる。拒まれる者には理由がいる。どちらも持たぬ者にとって、大都市の無関心は、せめて追い返されないという意味で救いだった。


彼が初めてパリの通りに立った日、空は低く曇っていた。石畳は雨を含み、馬車の車輪が泥を跳ね上げ、通りには人と声と匂いが溢れていた。焼きたてのパンの匂い。馬糞の匂い。濡れた羊毛の匂い。香水。汗。煤。村では一日かけても出会わぬほどの人間が、ここでは一刻のうちに彼の前を通り過ぎていく。誰もが急いでいた。誰もが何かを持っていた。包み、籠、鞄、箱。パリは人間だけでなく、人間の持ち物まで忙しそうに見えた。


ルイは三日、まともな仕事にありつけなかった。

荷運びを申し出れば、痩せすぎていると笑われた。店先の掃除を願い出れば、字が読めるかと訊かれ、黙るしかなかった。宿代はすぐに尽き、夜は橋の下や軒先で明かした。腹が減ると、旅の途中で覚えた通り、井戸水でごまかした。だが村からパリまで歩いてきた少年にとって、空腹は新しい敵ではない。新しかったのは、ここでは空腹より先に、役に立たぬ者が消えていくということだった。


四日目の朝、彼はある店の前で足を止めた。

表通りから一本入った、やや静かな通りだった。店先には、木箱や革張りの旅行鞄が並んでいた。どれも泥にまみれた旅人の荷とは違い、磨かれ、角が揃い、持ち手の革まで丁寧に手入れされている。窓越しに見える店の奥では、男が一人、長いテーブルの上で女物のドレスを畳んでいた。布を折る手つきが妙に静かで、無駄がなかった。レースを指先で持ち上げ、皺を逃がし、薄紙を挟み、箱へ収める。その一連の動きは、荷造りというより儀式に見えた。

ルイは見入った。

「何を見てる」

声が飛んできた。店の奥にいた男が顔を上げていた。四十を過ぎたくらいだろうか。肩幅が広く、髭は短く刈り込まれ、目だけが鋭かった。職人の目だった。物を見る目であり、人を値踏みする目でもあった。

「仕事を」

ルイは言った。

男は鼻で笑った。

「仕事は見るものじゃない。やるものだ」

「やらせてくれ」

「字は読めるか」

ルイは黙った。

「計算は」

黙ったままだった。

男は肩をすくめた。追い払われる、とルイは思った。だが男はすぐにはそうしなかった。代わりに、テーブルの端に積まれた木屑を顎で示した。

「それを片づけろ。床も掃け。終わったら水を汲んでこい」

ルイはすぐに動いた。

それが雇われたということなのか、ただの気まぐれなのかはわからなかった。だが彼は訊かなかった。訊けば、答えの代わりに戸口を指される気がしたからだ。木屑を集め、床を掃き、裏庭の井戸から水を汲んだ。腕はすぐにだるくなったが、顔には出さなかった。男はそのあいだ、黙って仕事を続けていた。


夕方になって、男はようやく言った。

「名は」

「ルイ」

「姓は」

「ヴィトン」

男は一度だけその名を口の中で転がした。

「ジュラか」

ルイは驚いて顔を上げた。

「訛りでわかる」

男はそれだけ言った。


その日から、ルイは店に出入りするようになった。正式に雇われたわけではない。住み込みでもない。だが朝になれば店へ行き、掃除をし、水を汲み、紐を切り、木箱を運び、夜になれば隅で余り物を食べた。男の名はマレシャルといった。荷造り職人だった。旅支度を整え、上流階級の顧客の衣装や小物を箱に収め、長旅に耐えるよう仕立てる仕事をしていた。

ルイは最初、その仕事をただの裏方だと思った。

だがすぐに違うと知った。


ある日、若い貴婦人が店へ来た。夏の旅行に出るのだという。召使いが運び込んだ荷は、ドレスだけで三着、帽子箱が二つ、靴が四足、手袋、扇、化粧道具、手紙の束、香水瓶、刺繍道具、日傘、そして旅先で読むための本まであった。ルイには、そのどれもが贅沢に見えた。だがマレシャルは品物の多さに眉ひとつ動かさず、ひとつひとつを見ていった。

「このドレスは下に。こっちは上だ。レースを潰すな。帽子は箱を分ける。香水瓶は布で巻け。手紙は湿気を吸う、端に寄せるな」

命じられるままに手を動かしながら、ルイは不思議な感覚を覚えた。これは単に物を詰めているのではない。持ち主が旅先で困らぬよう、開けた瞬間に機嫌を損ねぬよう、その人間の暮らしを順番ごと箱に収めているのだ。どのドレスを先に着るか。どの帽子を潰してはならぬか。どの瓶が割れれば騒ぎになるか。荷造りとは、持ち主の癖と虚栄と不安を先回りして整える仕事だった。


「見ろ」

マレシャルが言った。

ルイは手を止めた。

「物を見るな。持ち主を見ろ」

男はドレスを持ち上げ、光に透かした。

「この布を選ぶ女は、皺を嫌う。帽子を二つ持つ女は、人に見られることを恐れていない。香水瓶を三本も持つ女は、旅先でも自分の匂いを変えたくない。荷物には、その人間が出る」

ルイは黙って聞いた。

「だから箱に入れるのは物じゃない。人間だ」

その言葉は、彼の中に深く残った。


ルイは字を読めなかったが、物の並びを覚えるのは早かった。どの布が湿気に弱いか。どの革が擦れやすいか。どの金具が旅の揺れで外れやすいか。帽子の羽根はどの角度なら折れないか。香水瓶はどの布で巻けば割れにくいか。彼は見たものを忘れず、手で覚えた。失敗もした。レースを引っかけて叱られたこともある。瓶を一本割って、半日匂いにむせたこともある。だが同じ失敗は二度しなかった。


店にはさまざまな客が来た。

年老いた伯爵夫人。新婚の若い妻。地方へ赴任する役人。舞台へ向かう女優。彼らは皆、旅に出る前だけ少し不安そうな顔をした。どれほど金があっても、旅は人を落ち着かなくさせるらしかった。家を離れ、見慣れぬ土地へ行き、自分の持ち物を他人の手に預ける。その不安を和らげるのが、マレシャルの仕事であり、やがてルイの仕事にもなっていった。


ルイは客の顔より先に、その手を見るようになった。

指輪の数。爪の手入れ。手袋の質。箱の持ち手を自分で握るか、召使いに任せるか。そうした細部が、その人間の階級だけでなく、性格まで語っていた。彼はそれを面白いと思った。村では、人はほとんど同じものを持ち、同じように生きていた。だがパリでは、持ち物が人間を飾り、隠し、時には嘘までついていた。

ある雨の日、店にひとつの大きな旅行用トランクが運び込まれた。蓋は丸く盛り上がり、革は上等で、金具も重かった。地方の富豪の持ち物だという。マレシャルはその上に別の箱を置こうとして、舌打ちした。

「またこれだ」

ルイは見た。

丸い蓋のせいで、上に物が安定しない。少しでも揺れれば滑り落ちる。見栄えはいい。雨も流れやすい。だが積み重ねるには向かない。馬車の荷台でも、倉庫でも、場所を食う。マレシャルは慣れた手つきで布を噛ませ、木枠を当て、どうにか安定させたが、顔には露骨な苛立ちが浮かんでいた。

「不便だと思うか」

不意に訊かれ、ルイは答えた。

「思う」

「なぜ」

「上に積めない」

マレシャルは鼻を鳴らした。

「見た目ばかり気にした形だ。旅を知らん者が考える」


そのときルイは、胸のどこかで小さな音がするのを聞いた気がした。旅を知らん者が考える。では、旅を知る者が考えれば、違う形になるのだろうか。問いはまだぼんやりしていた。だがパリに向かう時に彼の中へ残ったあの箱の疑問が、ここで別の輪郭を持ちはじめた。


季節が巡るころには、ルイは店に欠かせぬ手になっていた。

マレシャルは相変わらず褒めなかった。だが以前のように、いちいち見張りはしなくなった。任せる仕事が増えた。客の前で箱を開け閉めする役も、時にはルイに回ってきた。彼は緊張しながらも、手を震わせなかった。箱を開けたとき、持ち主の顔がほころぶ瞬間を見るのが好きだった。中身が無事であることに安堵し、自分の暮らしが崩れていないことに満足する、その一瞬。荷造りとは、旅先で人間に「自分はまだ自分のままだ」と思わせる技術なのだと、彼は少しずつ理解していった。

ある晩、店じまいのあとで、マレシャルが珍しく酒を飲んでいた。雨が降っていた。窓を打つ音が、工房の静けさをいっそう深くしていた。ルイは床に落ちた紐を拾い集めていた。

「おまえは、なぜパリへ来た」

唐突に訊かれた。

ルイは手を止めた。

「村にいたくなかった」

「それだけか」

「それで十分だろ」

マレシャルは杯を置いた。

「村を出た者は、たいてい二種類だ。何かを追ってきた者と、何かから逃げてきた者だ」

「俺は」

ルイは言いかけて、やめた。どちらなのか、自分でもわからなかった。

マレシャルは少し笑った。

「まあいい。どちらでも、手が動けば食える」

それからしばらく沈黙があった。雨音だけが続いた。やがてマレシャルは、テーブルの上に置かれた箱を指で叩いた。

「覚えておけ。荷造りは、物を詰める仕事じゃない。秩序を作る仕事だ」


ルイはその言葉を胸に刻んだ。

秩序。村にはなかったものだ。旅の途中にもなかったものだ。空腹にも、暴力にも、偶然の親切にもなかったもの。だが箱の中には、それを作ることができる。布を折り、瓶を包み、靴を並べ、手紙を湿気から守る。そうして人の暮らしを崩れぬ形に整える。ルイはその仕事に、奇妙な救いを感じていた。自分の人生はまだ乱雑なままだったが、せめて他人の旅だけは整えてやれる。そのことが、彼には誇らしかった。


数日後、ひとりの顧客が店へ怒鳴り込んできた。地方から戻った商人だった。箱の中でシャツに皺が寄ったと騒ぎ立てた。マレシャルは不在で、店にはルイしかいなかった。商人は顔を真っ赤にし、若造では話にならぬと怒鳴った。ルイは黙って箱を開けた。中を見た。皺の寄ったシャツは一枚だけだった。原因は、商人が旅先で自分で詰め直したせいだとすぐにわかった。だがそれを言えば、相手はさらに怒るだろう。

ルイはシャツを取り出し、静かに言った。

「次は、戻す順を変えていただきたいです」

商人は怒鳴るのをやめた。

「何だと」

「この布は、下に置くと重みを吸います。上に置けば皺は寄りません」

嘘ではなかった。だが本当の原因も言わなかった。商人はしばらくルイを睨み、それから鼻を鳴らした。

「最初からそうしろ」

そう言って帰っていった。

その夜、戻ってきたマレシャルは話を聞き、しばらく黙っていた。ルイは叱られると思った。勝手なことを言った、と。だが男は箱の金具をいじりながら、ぼそりと言った。

「客は、自分の失敗を見せられるのを嫌う」

ルイは答えなかった。

「覚えたな」

それだけだった。


さらに季節がひとつ巡ったころ、ある大きな仕事が入った。地方の名家の一族が長旅に出るという。箱の数は十を超え、衣装も小物も膨大だった。マレシャルは朝から機嫌が悪く、職人たちは皆ぴりついていた。ルイも休む暇なく動いた。布を畳み、紐を切り、木箱を運び、帳面の代わりに頭の中で順番を覚えた。

最後のひと箱を閉める直前、マレシャルが手を止めた。

「この帽子はどこだ」

誰も答えられなかった。召使いが青ざめた。顧客の機嫌を損ねれば、仕事は飛ぶ。店の信用にも傷がつく。工房の空気が一瞬で冷えた。

ルイはすぐに動いた。奥の棚へ行き、布の束の陰から小さな帽子箱を引き出した。朝、召使いが別の箱と取り違えかけたのを見て、彼が避けておいたものだった。

マレシャルはそれを受け取り、何も言わずに箱へ収めた。蓋が閉まり、金具が鳴った。工房の誰もが息をついた。

客が去ったあと、マレシャルはルイを見た。

「おまえ、見ていたな」

「見ていた」

「覚えていたか」

「覚えていた」

男はしばらく黙っていた。やがて、初めて少しだけ口元を緩めた。

「おまえは、ただの小僧では終わらん」

その一言で、ルイの胸の奥に何かが灯った。

褒められたかったわけではない。だが、自分の手と目が、この街で役に立つのだと初めて他人に認められた気がした。村を出た朝からずっと、自分はただ生き延びるために歩いてきた。だがここでは、生き延びるだけではない何かが始まるのかもしれない。


その夜、店じまいのあとで、ルイはひとり工房に残った。並んだ箱を見た。革張りの鞄。帽子箱。丸い蓋のトランク。どれも持ち主の暮らしを運ぶためのものだ。だが同時に、どれもまだ不完全に見えた。もっと整えられるのではないか。もっと無駄なく、美しく、旅に耐える形があるのではないか。

彼はひとつの丸蓋のトランクに手を置いた。

革は冷たかった。だがその冷たさの奥に、まだ誰も言葉にしていない不便が潜んでいる気がした。

ルイはその感触を覚えた。

後に彼が変えることになるのは、箱の中の秩序だけではない。旅そのものの形だ。だがその始まりは、まだ誰にも見えない工房の片隅で、ひとりの若い職人が、ひとつの不便に手を置いた、その静かな瞬間にあった。


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