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ルイ・ヴィトン物語  作者: はまゆう


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第三話 皇后の旅支度

第三話 皇后の旅支度

評判というものは、足音を立てずに広がる。

ある日突然、誰もが知っているように見えても、その実、最初はごく小さな囁きにすぎない。あの店の若い職人は手がいい。あの男に任せると、旅先で皺が寄らない。瓶が割れない。帽子が潰れない。開けたとき、まるで家の箪笥を開けたように整っている。そうした言葉が、召使いの口から女主人へ、女主人から友人へ、友人からまた別の家へと渡っていく。


ルイは、その広がりを自分の耳で知るより先に、仕事の量で知った。

店へ運び込まれる荷が増えた。客の身なりが変わった。以前は地方の富裕層や商人が多かったが、やがて宮廷に近い家の紋章が箱に刻まれるようになった。召使いたちの態度も違った。彼らは横柄で、細かく、そして恐ろしく神経質だった。主人の機嫌を損ねれば、自分の首が飛ぶ。だから荷造りひとつにも、戦場のような緊張があった。


マレシャルは年を取り、以前ほど長く立ち働けなくなっていた。自然と、難しい仕事はルイに回るようになった。彼はもう少年ではなかった。背は伸び、肩も広くなり、手つきには迷いがなくなっていた。だが目だけは昔のままだった。静かで、飢えを忘れていない目だった。


ある午後、店にひとりの女が現れた。年のころは三十前後、黒いドレスを着て、顔立ちは整っていたが、召使いではないとすぐにわかった。立ち方に、命令される側ではなく、命令を運ぶ側の硬さがあった。

「旅支度を頼みたい」

女は言った。

「どなたの」

マレシャルが訊くと、女は一瞬だけためらい、それから低く答えた。

「テュイルリー宮殿からです」

工房の空気が変わった。

マレシャルの手が止まり、他の職人たちも顔を上げた。テュイルリー宮殿。皇帝と皇后の住まう場所。その名が持つ重みは、パリの職人なら誰でも知っている。女は続けた。

「皇后陛下の旅支度に関わる品です。丁寧に、そして迅速に」

マレシャルは咳払いをした。

「もちろんです」

だが女の視線は、彼ではなくルイに向いていた。

「若い方が、ルイ・ヴィトン?」

ルイは一瞬、答えるのが遅れた。

「そうです」

「お名前を聞いています」

それだけ言って、女は持参した目録を差し出した。ルイは字を読めない。だがそれを受け取る手は揺れなかった。マレシャルが横から受け取り、内容を確認する。ドレス数着、外出用の帽子、手袋、靴、化粧道具、香水瓶、裁縫道具、書簡箱、そして旅先で必要となる細々した品々。量そのものは驚くほどではない。だが問題は、それが皇后のものであるという一点に尽きた。


女が去ったあと、工房はしばらく静まり返っていた。

最初に口を開いたのはマレシャルだった。

「失敗は許されん」

誰に向けた言葉かは明らかだった。ルイはうなずいた。

「わかっている」

「わかっている、で済む相手じゃない」

「だからやる」

マレシャルはルイを見た。昔なら、その言い方を生意気だと叱ったかもしれない。だが今は違った。男はただ深く息を吐き、低く言った。

「なら、最初から最後までおまえが見ろ」

その日から、ルイは工房の中でほとんど眠らなくなった。

品が運び込まれるたびに、自分の手で確かめた。布の重さ。レースの繊細さ。靴の革の柔らかさ。香水瓶の栓の締まり具合。皇后の持ち物は、贅沢であるだけでなく、驚くほどよく選ばれていた。無駄に多いわけではない。必要なものが、必要なだけ、しかも最上の質で揃えられている。ルイはそこに、単なる浪費ではない洗練を見た。権力とは、何でも持つことではなく、持つべきものを間違えないことなのかもしれない、と彼は思った。


だが感心している暇はなかった。

ひとつでも皺を作れば終わりだ。ひとつでも瓶を割れば終わりだ。ひとつでも順番を誤れば、旅先で皇后の機嫌を損ねる。そうなれば責めを負うのは、宮殿の侍女ではなく、名もない職人の側だ。

ルイは品を並べ、順を決めた。旅先で最初に必要になるものを上へ。湿気に弱いものは中央へ。揺れに弱い瓶は布で幾重にも包み、箱の中で動かぬよう木枠を工夫した。帽子の羽根は角度を変え、ドレスの裾は折り目が残らぬよう薄紙を挟んだ。彼の手は速く、そして静かだった。工房の他の職人たちは、いつしか口を閉ざし、その動きを見ていた。

「まるで手術だな」

誰かが小さく言った。

ルイは聞こえないふりをした。


夜更け、工房に残るのは彼とマレシャルだけになることが多かった。蝋燭の火が揺れ、箱の金具が鈍く光る。外では馬車の音が遠ざかり、パリの喧騒も少しだけ薄くなる。そんな時間に、マレシャルがぽつりと言った。

「おまえは、怖くないのか」

ルイは手を止めなかった。

「怖い」

「そうは見えん」

「見せても役に立たない」

マレシャルは少し笑った。

「そうだな」

それからしばらくして、男は続けた。

「だが覚えておけ。宮殿の仕事は、腕だけでは足りん。相手は品物を見ているようで、実は人間を見ている。手つき、黙り方、目の上げ方。すべてだ」

ルイはうなずいた。

「わかっている」

本当にわかっていたかどうかは、自分でも怪しかった。だが彼は、旅の途中で殴られた市場裏からここまで来るあいだに、ひとつだけ確かなことを学んでいた。人は持ち物で身分を運ぶ。ならば、その持ち物に触れる者もまた、見られているのだ。


数日後、宮殿から再び使いが来た。今度は品を受け取るだけではなかった。最終確認のため、ルイ自身が同行するよう命じられたのである。

工房の空気がまた変わった。

マレシャルは何も言わず、ルイの上着の襟を直した。糸くずを払い、袖口を見た。まるで父親のような仕草だったが、二人ともそれには触れなかった。

「余計なことは言うな」

男は言った。

「訊かれたことだけ答えろ」

「わかっている」

「それから」

マレシャルは一瞬ためらい、低く付け加えた。

「おまえの仕事をしろ」

ルイはうなずいた。


テュイルリー宮殿は、彼がこれまで見たどの建物とも違っていた。大きいだけではない。そこにあるすべてが、自分のような者を最初から想定していない造りだった。広い廊下。高い天井。磨かれた床。壁の装飾。召使いたちの足音までが、どこか訓練されているように聞こえた。ルイは自分の靴が床を汚すのではないかと一瞬思ったが、すぐにその考えを追い払った。汚さぬために来たのだ。


案内された部屋で、彼は箱を開けた。

侍女たちが見守る中、ひとつひとつ品を取り出し、状態を確認する。ドレスは皺なく、帽子の羽根も崩れていない。香水瓶も無事だった。侍女のひとりが小さく息をついた。安堵なのか感心なのか、ルイにはわからなかった。

「見事です」

黒衣の女が言った。最初に工房へ来たあの女だった。

ルイは頭を下げた。

そのとき、部屋の奥の扉が開いた。

空気が変わる、というのはこういうことかと彼は思った。誰も大声を出したわけではない。だがそこにいる全員の背筋が、同時にわずかに伸びた。入ってきたのは、華やかな衣装をまとったひとりの女性だった。顔立ちは柔らかく、だが目には人を選ぶ者の冷たさがあった。ウジェニー皇后だった。

ルイは視線を上げすぎぬよう気をつけた。だが見ないわけにもいかなかった。皇后は箱の前で立ち止まり、取り出されたドレスに手を触れた。指先は白く、動きは軽かった。

「この方が?」

皇后が訊いた。

黒衣の女が答える。

「ルイ・ヴィトンです」

皇后はルイを見た。ほんの一瞬だった。だがその一瞬で、自分が値踏みされていることをルイは知った。腕だけではない。黙り方も、立ち方も、目の伏せ方も。

「若いのね」

皇后は言った。

ルイは答えた。

「まだ学ぶことが多くあります」

それは用意した言葉ではなかった。だが嘘でもなかった。皇后はわずかに口元を動かした。笑ったのかどうか、判然としないほど小さな変化だった。

「それでも、よく整っているわ」

その一言で、部屋の空気がほどけた。

侍女たちの肩から力が抜け、黒衣の女も目を伏せた。ルイは頭を下げたまま、胸の奥で何かが静かに鳴るのを感じていた。歓喜ではない。安堵でもない。もっと硬いものだった。自分の手が、ついにここまで届いたのだという実感だった。


宮殿を出たあと、彼はしばらく歩けなかった。

広場の端に立ち、冷たい空気を吸った。空は晴れていた。馬車が行き交い、人々はいつも通り急いでいる。だが彼の中では、何かが確かに変わっていた。市場裏で殴られていた少年が、今しがた皇后の旅支度に手を触れた。その距離を思うと、眩暈がした。


工房へ戻ると、マレシャルは何も訊かなかった。ルイも多くを語らなかった。ただ箱を置き、上着を脱ぎ、いつものように手を洗った。しばらくしてから、マレシャルがぽつりと言った。

「どうだった」

「仕事だった」

ルイは答えた。

男は鼻を鳴らした。

「そうか」

だがその夜、工房には祝いの酒が出た。職人たちは珍しく声を上げ、ルイの肩を叩いた。誰も露骨には言わなかったが、皆わかっていた。これで店の名はさらに上がる。ルイ・ヴィトンという若い職人の名もまた、上流階級のあいだで囁かれるようになるだろう。


宮殿の仕事のあと、依頼は増えた。より難しい荷。より気難しい顧客。より遠い旅。ルイはそれらをこなしながら、以前よりも強く感じるようになった。自分は他人の旅を整えている。だが旅そのものの形は、まだ誰か別の者が決めている。丸い蓋のトランク。積みにくい箱。見栄えばかりで不便な造り。どれほど中を美しく整えても、外側の不便は残ったままだ。

ある晩、工房に積まれたトランクを見上げながら、ルイはひとりで立っていた。丸い蓋が並び、上に物を置けず、無駄な空間を作っている。旅は増えている。鉄道も、蒸気船も、人をもっと遠くへ運ぶようになるだろう。なのに旅の道具は、まだ古いままだ。

「これでは、足りない」

気づくと、声に出していた。

誰もいない工房で、その言葉だけが小さく響いた。


ルイは丸蓋のトランクに手を置いた。冷たい革の下に、時代遅れの形が眠っている。彼は初めてはっきりと、自分が欲しいものを知った。他人の旅を支えるだけでは足りない。旅の形そのものを変えたい。そう思った。

その欲望は、野心というより、長く見てきた不便への怒りに近かった。

そして怒りは、彼のような男の中では、たいてい発明の種になるのだった。

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