パーティは喧騒の中で (2)
廊下を抜けると、美しい白いラナンキュラスの花々が出迎えてくれる。
リゼのために開花時期を遅らせたその花たちは、今が盛りとばかりに咲き誇っており、今日の宴にふさわしい華やかな光景だ。
さらに少し歩き、会場の入り口にたどり着いたところで、兄がエスコートするように差し出した手に、そっと自分の手を添えた。
「──覚悟しておけ。おそらくお前の想定以上だぞ」
入場直前に兄が呟いた言葉の意味を、その直後に嫌でも理解する。
────嘲笑、侮蔑、困惑、吟味、好奇。
あらゆる視線が当然のように私へと向けられていた。
(……やっぱりそうなるわよね)
先日リゼに忠告した通り、客人の服装は明るい色合いのものばかりだ。そんな中で黒一色のドレスを着た私が浮いて見えるのは当然のことである。
そうしてさらに厄介なことに。
今回の誕生日会は先日のシェアモンテの茶会のような同年代の子供の集まりではなく、フィアトラール公爵家と繋がりのある家の代表たちが集う場だ。
そんな帝国内外の有力貴族たちが私へ向ける視線の意味なんてただ一つ──第一公女をどう利用するか、その品定めでしかない。ここでしくじると苦労するのは後の自分なのだ。
「お集まりの皆さま。エリオット・フィアトラール公爵の娘、第一公女ベルアンナがご挨拶申し上げます。まずはこのような格好で驚かせてしまったことにお詫びを──」
平常心、平常心。と心で唱えながらなるべく堂々とした態度で顔を上げる。
「ですが、本日は我が妹シェリーゼのための舞台。可愛い妹の願いを叶えたいという姉心をご理解ください。そしてどうか彼女への盛大な祝福と共に主役の姿を深く記憶に留めていただければ幸いです」
詭弁なのは承知だ。妹に請われたなんて客にとっては真偽など分からないのだから。けれどそんな小手先の足掻きでも、堂々としていれば意外と他人は興味を失うということも知っている。
「それでは本日の主役の登場まで、今しばらくご歓談をお楽しみくださいませ」
案の定、挨拶の締めくくりに軽く礼をしたところで、形式的な拍手が起こると共に会場には表面上の穏やかさが戻っていた。
隣でふっと笑った気配を感じ「……及第点ですか」と顔を見ずに口に出す。
「まずまずだ」と珍しく機嫌の良さそうな声を返してきた兄は、そのまますぐに挨拶回りのためこの場から離れた。
私の方にも何人か挨拶に訪れる者はいたが、いずれも大人ばかりで令嬢や令息たちは遠巻きに私を眺めている。“癇癪令嬢”の印象が根強く残っているらしいことに、内心ため息をつくしかない。
(……ビュッフェでも覗いてみようかしら)
いたたまれない時間を過ごすよりはマシかと、色とりどりの食べ物が並んでいるテーブルへと足を運ぶ。けれど近くにいた人々の目が一斉にこちらに向いた瞬間──ほとんど空っぽのはずの胃から異物がせり上がってくる感覚がした。
──ダメだ。多分、食べたらすぐ吐き戻すだろう。
体が発する危険信号に従ってそっとその場を離れる。少人数であればそこまで酷い吐き気は感じないのだが、やはりこれだけ人目があっては無理なようだ。
……催し物さえ終われば私の体は普通になる。昨日はヴィードからもらったスープを飲めたのだから、きっと明日までは体ももつだろう。
食べ物をなるべく視界に入れないように元の場所へと戻ると、兄もちょうどその場に戻ってきたようで。「……顔色が悪いぞ」という兄からの言葉に「失礼ですね、いつも通りですよ」と笑顔で返せば、彼はそれ以上何も言ってはこなかった。
それから間もなく、楽団の音が一層華やぎ──ヴィードにエスコートされてシェリーゼが入場してくる。
リゼの純白のドレスと彼女自身の美しさに周囲の視線が釘付けとなり、ほぅ、と感嘆の息を漏らす者が多くいる中で、私はその隣に立つヴィードをまじまじと見つめてしまった。
(何で──)
彼の衣装はロングジャケットからパンツ、中に着たシャツに至るまで黒を基調としたもので、ジャケットには差し色として濃い赤があしらわれている。
──誰もが一目見て分かるほど、今の私の格好と対になっている装いだ。
その事実に意識を向けすぎて、気づけば両親の挨拶もリゼの挨拶もとうに終わっており、隣にいる兄から私の名前を呼ばれるまで放心してしまった。
「父上と共にまた挨拶回りをしてくる。お前も出来るだけ一人には──」
兄の言葉の途中で「ベル!」と馴染みのある声が聞こえてきたかと思えば、背中から腕を回され、ぴたりと体を寄せられた。振り返るまでもなくヴィードだ。
そんな彼に私が物申す前に、こちらを見ていた兄の眉が不愉快そうに跳ね上がる。
「殿下、人目も多いのです。節度をお守りください」
「婚約者同士、親密なのは良いことでしょう?」
「公には婚約どころかパレハのことすら発表されておりませんので。我が家の──いえ、ベルアンナの評判を下げたいのですか」
その言葉にヴィードは軽くため息をつきながら少し離れるも、私の手を彼の腕に添えるように位置を変えた。
「ではこの形で。義兄上は挨拶回りで忙しそうなのでベルの傍には僕がついてますね」
「貴方は今日、シェリーゼのパートナーのはずですが?」
「ええ、ですから必要な時は戻りますよ──それ以外の時間を大切な人に割いて何が悪いのですか。貴方に不都合でも?」
笑顔のヴィードとは対照的に、しかめっ面の兄は「……いえ、特には」と告げ、苛立ったように眼鏡のブリッジを押し上げる。
「ほら、向こうで公爵閣下がこちらの様子を伺ってますよ、小公爵」
「──……では、少し離れる間だけベルアンナのことを頼みます」
凍えるような視線を最後に寄こし、父のもとへ向かう兄の背中が小さくなってから、ようやくまともに息をつけるようになった。
「あはは、話してない君が一番緊張してたね」
「ええ、あなたたちの会話ほど聞いてて冷や冷やするものはないわ……って、そうじゃなくて!」
何事もなく接してくるヴィードに危うく流されかけたが、彼の衣装に視線を向けて「これ、どういうつもり?」と尋ねる。すると彼は至極当然とばかりに「周りの男への牽制って大事だからね」と笑顔で返してきた。
「私は真面目に聞いてるの。──この場で私がどういう目で見られるかなんて簡単に予想できたでしょ? あなた、わざわざ自分から泥を被ったのよ」
──妹の誕生日会で堂々と目立とうとする不遜な女。噂の無教養な第一公女らしい。
客人たちが今日の私を見て最初に抱いた感想は概ねそんな感じだろう。焼け石に水程度の挨拶でその印象が完全にくつがえるはずもない。
そんな私に合わせた衣装で登場なんて、ヴィードだって白い目で見られるに決まっている。揚げ足取りの得意な彼らは“ああ何ということだ、皇太子までもが酔狂なことを”なんて、きっと彼さえも笑い者にするのだろう。……昔から呆れるほど散々見てきた光景だ。
それが分かっていて何故──と、怒りたい気持ちを彼にぶつけるように睨み付ける。しかしそんな私とは正反対に、ヴィードは口元を少し緩め、私の手を握って人気が少ない休憩席の方へと歩き出した。
「大丈夫、もう君が全部背負わなくてもいいんだよ」
「なに言って……」
「昔からずっと僕の前に立ってくれてたでしょ。──僕への悪意に一番敏感だったのは君だもの」
その言葉で不意に足が止まる。彼はゆっくりと振り向き、私の頬にそっと手を添えた。
「ありがとうベル、僕の心を守ろうとしてくれて。でも、僕だって君を守りたいから──この服は君への決意表明。大変なことは二人で半分にしよう?」
そう言って穏やかな微笑みを浮かべている彼は、まるで昔の彼そのもので。
世界で一番嫌いなはずのその顔を見て酷く安心してしまう自分がいることに、私は気づかないふりをした。
「……物好きね、あなた。自分から苦労したいだなんて」
「君が無限に苦労を集めてくるからね。僕も慣れておかないと」
くだらない彼の冗談に、気兼ねなく笑う。何も気を遣わないことがこんなに楽だと知れたのも彼のおかげだ。
「──その格好、よく似合ってるわ、ヴィード」
一度瞬きをして、とびきり嬉しそうに笑った彼が本当の子供のようで。
久しぶりに年相応の顔を見せた彼にまた少しだけ笑ってしまった。
そんな穏やかな時間が流れていた、その時。
「もー、やっと見つけた! 二人ともこんなところにいたのね」
鈴が転がるような声が聞こえ、平穏な時は終わりを告げたのである。




