一難去ってまた一難 (4)
あっという間に日々は過ぎて、気づけばリゼの誕生日会は明日へと迫っていた。
今日は明日に備えてゆっくりしようと、何の予定も入れないように前々から調整を行ったおかげで静かに過ごせる貴重な一日だ。──……そのはずだったのだ。
「あー…ヴェルトレス王国の地理って10年間でだいぶ変わったの忘れてた。ベル、あの辺りの辺境地方地図ってここにある?」
「残念ながらございませんね。皇宮図書室の第二区画にお望みの物がそろっておりますよ殿下」
読んでいた小説本をパタリとたたみ、“大人しく帰れ”を何十ものオブラートに包み込んで、目の前のぶー垂れている子供に言い放つ。
笑顔を返したつもりでいるが、口の端がそろそろ言うことを聞いてくれないかもしれない。
「えー、君が一緒に来てくれるなら皇宮に帰ってもいいけど」
「遠慮します。どうぞご自由にお好きなだけここにいてくださって構いません」
「じゃあ今日は夕餉をご馳走になるね」
「ま、また食事を一緒にとるの……!?」
あまりの図太さに驚愕し、嫌味のつもりで徹底してた敬語がとれてしまう。が、“皇太子ってそんなに暇ではなかったはずだけど”という言葉だけは何とかぎりぎり飲み込んだ。
──数日ほど前から、なぜかヴィードが頻繫に我が家に入り浸っている。
時間帯はバラバラで、とある日は朝食だけを共に食べ、またとある日は昼食だけを共に食べ、そうして挙句の果てには夕食ときた。全くもって意図が分からない。
(単純に好みの食事だった……なんてわけでもなさそうだし)
ただでさえロレッタの婚約解消の件やリゼの誕生日会の件でも頭を悩ませているというのに。ヴィードの突飛な行いも合わさっているせいで、ゆっくり過ごすような時間も取れず仕舞いだ。
「……やっぱり何か目的があるんでしょう?」
「目的は“君と一緒に食事すること”だって始めから言ってるでしょ」
尋ねたところでこうやって躱されるのだから、私の方はもうお手上げ状態である。
(……深く考えるの自体やめた方がいいわね。無駄に変な考察をしてしまいそうだし)
気分転換に少し外の空気でも吸ってこようと、本を置いて立ち上がる。
長く座った状態から急に立ち上がったせいか一瞬だけ立ちくらみのような症状が出たが、軽くこめかみを押さえればすぐにそれは治まった。
「庭を少し散歩してくるわ」
「なら僕も一緒に行くよ」
「──あなた、最近移動に時間を取られて課題が進んでないらしいわね?」
「…………僕の先生たちがいよいよ君に泣きついたかな」
「ええ、それはもう見事な号泣だったわ。だからしっかり終わらせてあげなさい」
まだ何か言いたげなヴィードに「四半刻ぐらいですぐ戻るわよ」と言い残し、肩掛け用の軽いショールを持って中庭に続く道を歩いていく。
最近は暖かい陽気に包まれて過ごしやすい季節だと感じていたが、今日は少しだけ肌寒い。もう少し厚手の羽織を持ってくれば良かったなと思いつつ、戻ると色々面倒そうなのでそのまま足を進めることにした。
中庭に到着すれば綺麗に整えられた花たちが風に揺られ、ふわりと良い香りが鼻をくすぐる。主にお母様が花の種類を選定しているらしいが、私の好みと似てることが多いのでその点はかなり助かっていると言えよう。
──っくしゅ、と。息を吸い込んだついでに花粉まで思いきり吸い込んでしまったようで派手にくしゃみが出てしまった。
「今日は少し寒いからね。もう少し羽織っておかないと風邪を引いてしまうよ」
突然の声と共に私の肩に男性物の上着が掛けられる。驚いてパッと振り返った先には白いシャツ姿のお父様がにこやかな笑顔で立っていた。
「申し訳ありません。公務のお邪魔をしてしまいましたか」
「まさか。ちょうど休憩中にベルを見かけたんだ」
「……先ほど血眼でお父様を探している執事のロベルトを見たのですが」
私の言葉に「あー…はは」と誤魔化したように笑うその姿がもはや答えそのものだ。優しい人であるが故に、薄着でうろうろしている私を心配して公務から抜け出してきたのだろう。
(やってしまった……)
今までだったら人目につかない場所をちゃんと選べていたのに。最近は気が緩んで自分の好きな場所でくつろぐようになってしまった私のせいだ。
今後は父の執務室付近に近寄るのをやめよう。と反省していると、ぽんと軽く頭に手を乗せられる。
「じゃあ、ベルは今から僕の共犯者だ」
「きょ…共犯…?」
「そう、だからロベルトから全力で逃げなきゃ──ね!」
キャッ!? と声を出すのと同時に浮遊感に襲われ、思わず父の服を力いっぱい握りしめる。そのまま抱き上げられた状態で父が急に走り出したかと思えば、「旦那様ぁーー!!!」とロベルトの雷のような声が後ろから風に乗って聞こえてきた。
「歳なんだからそろそろ体いたわりなよー! 少ししたらすぐ戻るから!」
「ぐぬぬぬ、まだまだ私は現役ですぞ!! お待ちなさい旦那様ー!!」
ぐんぐんとスピードを上げる父に、老齢に近いロベルトが追いつけるはずもなく。
そうして父が速度を落として歩き出した頃には、すっかり彼の姿は見えなくなっていた。
「ごめん、楽しくてつい本気で走っちゃった。酔ってないかい?」
「は…はい、大丈夫です」
地面に降ろされてからも少し足元がふわふわしている。が、それよりも驚きで心臓がドキドキしてる感覚の方が強くて、心を落ち着けるために上着の裾をぎゅっと握った。普段はのんびりとしている父にまさかこんな一面があったとは。
「あ、えっと、普段はちゃんとしてるんだよ。ただあまりにも仕事が煮詰まってきちゃうと、体を思い切り動かしたいなーって。ほ、ほんとに普段はちゃんとしてるから…っ!」
何故だか焦ったように怒涛の言い訳らしきものを並べ立てる父を見て思わず軽く吹き出してしまう。彼の仕事ぶりについては、この屋敷の皆が──いや、国民がとてもよく知っているというのに。
「お父様の政策提案によって救われた民が大勢いると、殿下からもお聞きしておりますよ。私はそれがとても誇らしくて、このフィアトラールの家に生まれて良かったと心から思えるのです」
──アストリア帝国に暮らす人々が自慢の祖国であると胸を張って言えるように。
前世の私には夢見ることさえ出来なくなってしまった理想を、叶えたかった願いを、父は見事に実現している尊敬すべき人だ。
「ですから心配なさらずとも────お父様?」
石のように固まっている父に声をかけた、瞬間──ポトリと。一粒の涙がこぼれたかと思えば、その雫が今度は両方の目から溢れだしてきて、ぎょっとする。
「お、お父様、どこかお加減でも」
「ああ、いや、うん…ビックリさせちゃったね、ごめんね。でも」
──何だかすごく幸せで。
ふわりと。大きな腕でそっと抱きしめられ、くぐもった声が耳元から聞こえる。
「ベル、僕らのもとに生まれてきてくれてありがとう」
その言葉が耳に届いた瞬間、目頭が熱くなり、鼻の奥がツンと痛くなった。
────私が生まれたことに意味はあったのだろうか。私は本当に生きていていいのだろうか。
暗い牢獄の中でぼんやりと天井を見上げながら
処刑から逃げ出した日の冷たい雨の空を見上げながら
路地裏で漁った残飯を手に通行人を眺めながら
明かりのない夜の森の木の洞で縮こまりながら
何度も、何度も、何度も。
頭の中で浮かび上がるその疑問に答えてくれる人なんているはずもなくて。
助けてくれた夫婦の「生きろ」という言葉に生かされただけの私に、生まれたことを感謝する余裕なんて欠片もなかった。
そんな私でも。
「わた、し…は…望まれて、生まれましたか」
前世でずっと、両親に聞きたくても聞けなかった問いがぽつりと口からこぼれる。
「もちろん、僕が望んでシャノンも望んで、あの仏頂面のロドヴィックまでソワソワしてさ。ロベルトやこの屋敷の皆が早く君に会いたくて、ずっと首を長くして待ってたんだから」
じわり、じわりと熱い雫が頬を伝っていく。それを優しく拭ってくれるお父様の涙も止まっていなくて。そんなおかしな状況に二人して笑ってしまう。
「あぁ~~よかったぁ……僕、てっきりベルに嫌われてると思ってた」
「え…えっ…!? な、なぜそんな思い込みを」
思ってもみなかった衝撃告白に驚き涙が引っ込む。気まずそうに視線をそらした父は「あ~…嫌われてる、だとちょっと違うか」と考え込むように口元に手を当てた。
「“苦手”とかの方がニュアンスが近いかな。僕たちと一緒にいるといつも緊張してるようだったから。あんまり人と接するのが好きじゃないのかなって」
「それ…は……」
「あっ、全然悪いとかは思ってないよ。得手不得手なんて人それぞれだしね。君がそうなら僕たちは少し離れて見守ろうってシャノンとも話してたし」
(ああ、だからいつも──)
この屋敷の誰も、私に興味がないのだろうと思っていた。私の上と下の兄妹が話題に事欠かないということもあり、手がかからない私はきっと影が薄くて放っておかれているのだろう、と。
(……とんだ勘違いだわ)
私が彼らの愛情を何一つ知ろうとしなかったのだ。……いや、知らない方がいいと思って無意識に拒絶してしまっていたのだ。
──“愛してる”という言葉は、いつしか私の中で呪いの言葉となっていたから。
「……ごめんなさい、傷つけてしまって」
「ベル、それは悪いことじゃないから謝らなくていいんだよ──と言っても、君は真面目だから謝りたいんだろうね」
だから君の謝罪を受け取るよ。と笑って言ってくれたお父様の胸に勇気をだして抱きつくと、すぐにぽんぽんと優しく背中を擦ってくれた。
「さて、体も冷えてきたしそろそろ戻ろ──ふぇっくしゅ」
最後の最後で盛大にくしゃみをこぼした父と目が合えば、彼は決まりが悪そうに視線をそらした。
そんな姿に少しだけ笑ってしまいながらも、元々羽織っていたショールを外し、父の首元に巻いていく。
「何もないよりかはマシだと思いますから」
「ううん、すごくあったかいよ。何と言っても可愛い娘の愛情入りだしね」
締まりのない顔で突然ヴィードみたいなことを言い出した父に呆れながらも、何だか今は悪い気がしない。
もしかしなくても、私はすごく親バカな両親の元に生まれたのではなかろうかと今更ながらに思う。
「そうですね、私の愛情をたっぷり込めてますから。これでもう、寒く──」
──何の前触れもなく、それは突然だった。
ぐわん、と大きな耳鳴りがしたかと思えば、視界の天地がひっくり返ったかのようにぐるぐると回りだす。次いで呼吸がまともに出来なくなり、立つことさえままならず膝から崩れ落ちた。
焦ったように私の名前を呼ぶ父の声が耳の奥で聞こえて──それを最後に私の意識はふつりと途絶えたのだった。




