一難去ってまた一難 (3)
しばらくしてリゼの部屋の前に到着し、装飾が施された扉を開けて中へと入る。
「お戻りになったのですね、シェリーゼお嬢様……と、ベルアンナお嬢様…?」
「レーネ、あのドレスを出して! 黒くてキラキラがついたやつ!」
テーブルの上を片付けていたオリーブブラウンの髪の女性──リゼの侍女であるレーネは、アンバー色の瞳を困惑させながらもクローゼットの方へと足を向かわせた。
繋がれたままの手を軽く引かれソファへと腰を下ろしたところで、リゼが「あ!」と何かを思い出したように口元に手を当てた。
「あのネックレスも出してもらわなくちゃ。ちょっと待っててねお姉様」
そう言って彼女もクローゼット部屋の方へと駆け出してしまった。
ぽつりと一人取り残された私は特に何もすることがないため、とりあえず辺りをぐるりと見渡す。
久しぶりに訪れたが、この屋敷で最も豪華絢爛な内装は相変わらずだ。
金貨数十枚でも到底足りないであろう宝石の数々、世界に二つとないこだわりの装飾品、名匠の骨董品から絵画まで端から端にズラリと──世界でも有数の貴重な物品がそこら中に転がっている。
一部の者が見れば熱狂して倒れるほどの価値がある物たちばかりだが、生憎とリゼにとっては全てガラクタ同然だ。
テーブルの上で転がして遊んでいたのであろう、無造作にばらまかれた宝石たちに何となく虚しさを覚えてそっと手に取る。
あまりにも手持ち無沙汰すぎて、元の宝石箱の中にそれらを綺麗に詰め直していたところでリゼとレーネがいくつかのドレスを抱えて戻ってきた。
「お姉様、それ気に入ったの? なら全部あげるわ」
「……これはあなたのために贈られた物でしょう。誰かにあげてはダメよ」
確か隣国の公子からの贈り物だったか。リゼの綺麗な薄紫の瞳をモチーフとして特別に作られたものだと聞いたことがある。言うなれば、彼女の気を引くためだけに生み出された世界に一つしかない逸品だ。
「でも私、そんな石いらないもの。いらないものは欲しい人にあげた方が有意義って先生に習ったわ」
お勉強がんばってて私えらいでしょう? と得意げになるリゼに少しだけ頭が痛くなる。家庭教師もまさかそのように受け取られるとは思ってもみなかっただろう。
「ねえ、リゼ。それは──」
「そんなことより、お姉様! これ、これ着てみて。レーネも早く手伝って」
珍しく興奮したようにまくし立てるリゼに話を遮られ、衝立の奥へとレーネと共に押し込まれる。
困ったように眉を下げるレーネの手元には艶のある漆黒のドレスがあり、散りばめられた黒いダイヤモンドがキラキラと静かに輝いていた。
「ど、どういたしましょうベルアンナ様……」
「……とりあえず着てみるわ。じゃないとリゼが納得しなさそうだし」
「かしこまりました。では僭越ながらお手伝いさせていただきますね」
ずっとおどおどとしていた様子のレーネが少しだけ安堵の表情を見せる。そんなに緊張させるような態度をとってきたつもりはないが、16歳とまだ若い彼女にとっては主以外をそう感じるのかもしれない。
リゼがどうしても着てほしいと言ってきたドレスは普段着ではなく、茶会などで着るようなベルスリーブ型のドレスであった。
光沢のあるベルベット生地が使用されており、黒ダイヤがふんだんにあしらわれているそれは、奇跡的に私の体のサイズにピッタリと合っている。
「着替え終わりましたよ、シェリーゼ様」
レーネの言葉を聞いてリゼが衝立の奥から顔を覗かせる。彼女は「わぁ…!」と感嘆の声を漏らして、今度は私をドレッサーの前に座らせた。
「ネックレスはこれにしましょう。あと、髪にリボンもつけるの。赤がいいわ」
私の髪を丁寧に櫛でときながら、リゼは「レーネ、イヤリングも持ってきて」とあれこれ指示を出す。
そうして飾り立てられていった私の姿はとても見覚えのあるもので──前世と同じ姿の自分と目が合い少しだけ気分が憂鬱になる。
「……リゼ。これ、楽しい?」
「ええ、とっても!」
今からどこぞのパーティにでも出かけるのかといった装いで、ただソファに腰掛けてリゼの宿題を見るという訳の分からない時間。しかしリゼは今までにないほど分かりやすく喜んでいた。……私で着せ替え人形遊びでもしたかったのだろうか。
「ねえ、お姉様。私のお誕生日会にその格好で参加して」
「……変に目立つからやめておいた方がいいと思うわよ」
リゼの誕生日会は本人のイメージカラーに合わせて主に白を基調とした会場作りが行われている。そこに出席する参加者たちも当然明るい色のドレスを着てくる者がほとんどだろう。
そんなところに、こんな全身ダークカラーの黒づくめ女が現れたら確実に主役より悪目立ちすること必至である。
「──お誕生日プレゼント。おそろいのドレスじゃなくてそれでいいから、ね?」
ニッコリと。リゼが無邪気な笑みを浮かべた。
──さすがのリゼも母の態度を見てドレスは諦めたのだろう、と普段なら素直にそう思えたはずだ。けれども、悪意なんて微塵も感じられないその笑顔に、何となく嫌な予感を覚えてしまうのは私が自意識過剰だからなのだろうか。
「主役を差し置いて目立つような格好をするのはマナー違反よ」
「でもその主役の私がお願いしてるんだもの、何も問題はないわ」
「パーティの話題の中心があなたじゃなくなってもいいの?」
その問いに「それはちょっと嫌だけど…」と少しだけ目を伏せて考え込んでリゼであったが、すぐに「でも我慢するわ」と顔を上げた。
「特別な日だから。綺麗なお姉様を皆にも特別に見せてあげるの」
リゼの瞳の奥に仄暗いものを見つけた気がして、そんなものは気のせいだと自分に言い聞かせる。だって、この子がそうならないように私はずっと──。
「……分かったわ。あなたが望むなら」
「ふふふ、お姉様はリゼのお願い何でも聞いてくれるものね。だーいすき!」
そう言って私の腕に抱きつきながら嬉しそうに笑っている彼女の顔が、本当にその感情なのか段々と分からなくなっていく。──昔の妹と、同じように。
「何ともまあ楽しそうでいいね。廊下まで聞こえてきたよ」
不意に扉の方からヴィードの声が聞こえてきてそちらに顔を向ければ、少し大きめの真っ白なシャツを着たヴィードと目が合った。
「義兄上の昔のものを借りたんだ。意外とあの人鍛えてたんだね、何かちょっと悔しいなぁ」
「お兄様は子供の時から身長が高かったもの。あなたもすぐに追いつくわよ」
「だといいけど。頭の出来じゃ絶対勝てないもん。せめて力は負けないようにしないと」
余った袖を不満そうに摘まんだヴィードを見て思わずくすりと笑ってしまう。
さっきまで変に緊張していたものが解けて、ようやく息がしやすくなった気がした。
「君の方は随分と綺麗に飾られたね。義妹殿のおかげかな?」
「ええ、お姉様にとても似合っているでしょう? ──あのエスポワーネの青いドレスよりもずっと」
リゼの言葉に、ぎくりと心臓が少しだけ跳ね上がる。
シェアモンテで遭遇した魔物の件について、国事の極秘事項に関わるため両親──特に元聖女の母には詳細な事情説明をしたが、リゼにはもちろん何も伝えてない。
本来であれば帝都にはまだ出現しないはずのものだ。魔物が初めて帝都で確認されたのは私が16歳の時、混乱する人々をなだめながら聖女が跡形もなく浄化してみせたのをはっきりと覚えている。それをきっかけに聖女への信仰が一気に広まったのだから。
「私のお誕生日会でお姉様にこれを着てもらうんですよ」
「……へぇ、そうなんだ。それはとても楽しみだね」
含みを持たせた笑顔のままヴィードが私とリゼの真向い側へと座る。
そんな顔をしているこの男にも私の嫌な予感が働くが、彼に限って言えば常に悪い予感がつきまとってるようなものなのであまり当てにならないかもしれない。
「そういえばヴィードリッヒ様からもプレゼントはいただけるのかしら」
「一応用意はしてあるよ。君の期待に沿ったものかは分からないけれどね」
「いただけるなら何でも嬉しいわ。でももう一つだけお願いがあるのですが」
「何かな。あまり難しいことは叶えてあげられないけど」
「とっても簡単ですよ。当日、私のエスコートをしてくださらない?」
リゼのその願いの内容に何となく居心地が悪くなり、視線をそらしたところで「ねえ、ベル」とヴィードに名前を呼ばれてしまった。
「君はどう思う?」
「……一日だけの特別な日だもの。出来るだけリゼのお願いごとを聞いてくれると嬉しいわ」
私の言葉にヴィードは口元に手を当て一瞬だけ思案すると「ん、分かった」とその願いを聞き入れてくれた。
(…………何だかちょっとだけモヤモヤする、かも)
リゼの願いを聞き入れろと言ったのは自分なのに。隣で喜んでいるリゼを見てホッとしている自分と、何となく二人が並んで歩く姿を見るのは嫌かもしれないと思う自分がいる。
そんな矛盾する気持ちに無理やり蓋をして「良かったわね、リゼ」といつも通り頭を撫でれば朗らかな笑顔が返ってきた。
それを見てやはり自分は間違っていないのだと言い聞かせたところで、唐突にヴィードが「おや、もうこんな時間か」と芝居がかった声で懐中時計をこちらに見せてくる。
「義妹殿はそろそろ勉学の時間だろう? 僕とベルは邪魔しないように退散しないと」
「えー、もうちょっとお話ししたいのに」
拗ねたように頬をふくらませたリゼは、全然納得できないとばかりにギュッと私の腕に抱きついてきた。
「先生よりお姉様やヴィードリッヒ様に教えてもらう方が分かりやすいわ。今日だけ特別授業はダメ?」
「それは──」
「それはちょっと難しいね」
言葉を被せるように言い放ったヴィードが立ち上がり、私の腕を引いて立たせる。
そのまま自然な流れでリゼから彼の傍へと立ち位置を変えられた。
「僕たちこれから観劇デートの時間だから。──君が見たかった劇だもんね、ベル?」
ここを乗り切るための方便だと分かったうえで頷く。よくそんな噓がスラスラと出るものだとある意味感心した。
「今度また殿下に時間を作ってもらうわ。あなたがしっかりお勉強を頑張れたらね」
その言葉に渋々ながらも頷いたリゼは、足取りは重そうながらもレーネを伴って学習室へとようやく歩きだしてくれた。
もう少しごねられるかと思ったがこれで一安心だ。と、ソファに座り込もうとしたところでヴィードに腰に手を回され彼の方に急に引き寄せられる。
「じゃあ行こうか、観劇デート。今の時間帯なら何かは上演してるだろうし」
「え、リゼに納得してもらうための噓でしょう?」
「そんな綺麗な格好で家にいるのもったいないよ。ダークカラードレスの君だって素敵なんだから、もっといろんな人に見てもらおう、ね?」
恥ずかし気もなくそんなことを言う彼を見て逆にこちらが恥ずかしくなってくる。
いつも言われ慣れている褒め言葉のはずなのに、何だか今日の私は変だ。
「あ…あなたの服はどうするのよ。まだ洗濯中だろうし、ドレスコード的にその服では無理でしょ」
「ああ、それなら大丈夫。予備の正装を表の馬車の中に置いてるから──」
──ちょっと待ちなさい、今なんて言ったの。と、ヴィードに睨むような視線を向ければ、彼はのほほんと笑いながら「予備服ぐらいあるよ、僕皇子だもん」とあっけらかんと言い放った。この男、いつもいつも肝心なことは黙って……ッ!!
「あなたの服一着洗うために我が家のメイドがどれだけ肝を冷やしたと? 彼女たちに無駄な心労をかけた罰として、正当な品を要求するわ。反省しなさい!」
皇太子のものに手を触れてもし破損でもさせようものなら首が飛ぶとばかりに押し付け合い、さめざめと泣いているメイドの光景を以前も見たのだ。そんな彼女たちに何という仕打ちを──!
と憤慨しているのに「そうだね、お詫びに何を与えるべきか馬車の中で相談に乗ってね」と軽く受け流され、腰に手を回されたまま普通に歩き出す始末である。
踏ん張って抵抗しようとしたが、横抱きで運ばれそうになったのですぐに諦めた。
「今度あなたの使用人を私が振り回してみようかしら。同じ苦労を味わえば理解できるでしょ」
無駄な足搔きと分かりつつそんなことを言ってみれば、「ああ、それは……」と少し表情を曇らせた彼にようやく少しだけ溜飲が下がった。
「先に馬車に向かってて。行く前にメイドたちに一言伝えてくるから。命削りながら洗濯してそうだもの」
そのままヴィードと別れて洗濯室へと向かう。彼が何か言いたそうに口を開いたが、私の足は既にもう目的地へと向いてしまっていた。
「──我が家の使用人は君に振り回されたらきっと喜ぶだろうけどね」
苦笑気味に呟かれたその言葉を聞き取れなかったのは幸か不幸か、それは後々の私しか知らないことだ。




