一難去ってまた一難 (2)
ロレッタを見送り、少しふわふわした気持ちのまま自分の部屋の前へと戻る。
そうして部屋のドアを開けてまず目に入ってきたのは──シルクのように滑らかに輝く白銀の髪であった。
「お姉様、おかえりなさい」
真っ先に笑顔でそう言って出迎えてくれたのは妹のシェリーゼだ。
「ただいま」と返してヴィードと真向いのソファに座れば、彼の隣に腰掛けていたリゼもこちら側へそそくさと移動してきた。
「珍しいわね。あなたがこの部屋に遊びに来るのは」
「ふふ、ヴィードリッヒ様がいらっしゃったからお話ししようと思って」
そのままリゼは再びヴィードと先ほど話していたであろう会話の続きをし始めた。
久しぶりにヴィードと話せたからか上機嫌な様子のリゼに、内心ホッと息をつく。これならしばらくは彼女の機嫌がもつだろう。
──リゼの誕生日会までもう少し。だと言うのに、私はまだ彼女の願いを叶えられていなかった。
『お姉様とおそろいのドレスがいいわ』
その願いを口に出されてから翌日。それとなく母に自分のドレス意匠を、先に出来上がるリゼのものに合わせることを提案してみたのだ。……が、しかし。
『ベル、妹想いなのは美徳なことね。でもそれとこれとは話が別よ。皇后陛下から賜ったドレスの意味、あなたはきちんと理解してるでしょう?』
と一蹴されてしまった。正論である、正論ではあるのだが……。
今世の母は公明正大を良しとしている人だ。“あわよくば娘二人どちらも皇族の強い後ろ盾を得たい”などという私欲で動かないことは、この10年接してきただけでもよく分かることであった。
(まさかそれがこんな厄介なことになるなんて)
母がこの件で折れることはきっと無いだろう。それに、私だってこれ以上わがままを重ねてお母様の機嫌を損ねたくはない。が、そうすれば今度は妹が機嫌を損ねてしまう。
(……それだけは避けないと)
家庭内に不和を起こしてはならない。前世の私が最も身に染みたことだ。
実際の時間にすればきっと短い間ではあったのだろう。けれど安寧であるべきはずの場所が地獄に変わり、夜も眠れず気が休まる暇が一瞬もない日々なんて二度と経験したくない。
何もかもを壊そうとした前世の妹を見て、ある種の恐怖を覚えたあの日々を私は永遠に忘れることはないだろう。
そのせいもあって、リゼをたまにそういう目で見てしまう自分がいた。
彼女と前世の妹は似ても似つかないと言うのに。リゼがストレスを受けないよう自然と立ち回る癖がついてしまっている。
──いつかこの子もあの子のようになるかもしれない。
そんな風に勝手に決めつけてる少しの罪悪感のせいで、ますますリゼの言うことを聞いてしまうという悪循環だ。良くないことだと分かってはいるのだが……。
「キャッ!? ごめんなさいお姉様!!」
突如、リゼの悲鳴が上がったことにより自分の意識がようやく目の前の現実を認識し始める。
私の服にはベッタリと茶色い染みが広がっていて、床には割れたカップが転がっていた。何のことはない、リゼが飲んでいたホットチョコレートを滑り落としてしまっただけだ。私にとってはよくあることの一つである。
「大丈夫よ、すぐ片付けてもらうわ──」と言いかけたところで、ヴィードが焦ったように駆け寄り私の手を掴んだ。
「火傷は……っ、してなさそうだね。でも念のため冷やしに行こう」
「そうね。でもその前にメイドを呼んで掃除を言付けないと」
「何で君がそんなことするのさ」
ヴィードの問いに眉をひそめる。何でも何も、私が言わなければ誰がここを片付けるというのか。
「零した本人がやればいいでしょ──ねえ、レディ・シェリーゼ?」
視線を向けられたリゼはきょとんとした表情で、そして私も彼女と同様にパチパチと瞬きをする。
リゼに後始末をさせる? この家で? ありえないだろう、そんなこと。
「……? お姉様がいるのに何で私がやるのですか」
ヴィードの言葉がまるで理解できないとでも言うようにリゼは首を傾げた。それはそうである。
我が家で最も大切にされている宝物なのだ。正真正銘の箱入り娘であり、何もせずとも誰かがやってくれることを当然とした生き方をしてきた子なのだから。
「ベルはずっと君の傍にはいられないよ、僕の婚約者なんだから。一人で全く何一つもできないなんて将来的に困るのは君でしょ」
「それなら私もヴィードリッヒ様の婚約者になればよいのでは? そうすれば──」
ぶわり、と冷や汗が流れ咄嗟に「シェリーゼ!!」と鋭く叫び彼女の言葉を途中で制す。それと同時にすぐに膝を追って床につけた。
「殿下、申し訳ございません。妹はまだ幼く物事の分別が未熟でございます。どうか寛大なお心で子供の戯れとお聞き流しください」
(私が迂闊すぎたわ)
今世の妹は母にきつく言い聞かせられていた。だから軽率なことはしないだろう、なんて甘く見てしまったのだ。
つい昨日のことのようにあの景色が──前世の妹がヴィードに同様の話を告げた日のことがフラッシュバックされる。
私の代わりにヴィードの婚約者になりたいと妹が言い出したあの日、私は軽い気持ちでそれを受け流してしまった。
ただの子供の冗談なのだからヴィードだって笑って受け流すだろう、と。
その後、彼が徹底的に妹の存在を無き者として、彼女が自死寸前になるほど追い詰められるまでになるとは夢にも思わなかったのだ──。
(まさか、また同じことが起こるなんて)
頭の中の考えがまとまらず、止まらない冷や汗は流れたまま。頭もを下げて只々謝罪の言葉を述べる──が、そんな私をヴィードはすぐに引っ張り上げた。
「……約束したでしょ。もう君の家族は傷つけないように努力するって。ちゃんと守ってるよ、昔も今も。それだけは信じてほしいな」
寂しそうに笑うヴィードに、ズキリとした痛みが胸を刺す。
……そうだ、そうだった。前世で彼と初めて交わした約束。半ば強制的に彼に課したそれを私だけは疑ってはいけなかったのに──。
「……ごめんなさい、私が過剰だったわ。あなたが頑張ってくれてたこと、昔からずっと知ってるのに」
ぽつりと呟くようにこぼしたその謝罪にヴィードが一度だけ瞬きをして。
そのまますぐにやわらかい笑みを浮かべたかと思えば私の方に腕を広げてきた。
「お詫びのハグしてくれたら妹君の発言も含めて全部帳消しにしてあげる」
………それは話が違うのではないだろうか、とは思えど。
今回の非はほぼ全てこちら側だという後ろめたさもあり、おずおずと手を伸ばす。
せめてもの救いは汚れた服のおかげで抱擁未満で済むところだろう──などと、高を括っていたのがいけなかったのだ。
不意に腕を引かれたことに抵抗できず、ヴィードの方に倒れ込む形でぎゅうっと力いっぱい抱きしめられる。
「何してるの!? あなたまで汚れるじゃない!」
慌ててヴィードから体をはがしたものの、もう手遅れで。彼の服にはベットリとチョコの染みが広がってしまっていた。
「これは洗って乾くまで──夜まで一緒にいるしかないね」
まるで悪戯が成功した子供のように笑っているヴィードに呆れてため息をこぼす。
メイドたちにまた面倒な仕事を増やしてしまったではないか……と頭を抱えかけたところで、突如ガランガランと呼び鈴の大きな音が鳴り響いた。その急な大音量に思わずビクッと背中が揺れる。
「これでいいのでしょう?」
音の先にはニコリと微笑んでいるリゼがいて。普段と変わらない姿のはずなのに、いつも以上に綺麗な人形のような笑顔を浮かべる彼女に少しだけ気圧されてしまう。
「お姉様、ちゃんとできたわ。私、今はいい子? もう怒ってない?」
「え? ええ…そうね。リゼはいい子ね」
私の背中から抱きつくように腕を回してきたリゼの問いに、つい反射的に口から答えが出る。
そのままいつもの癖で自然と頭を撫でれば彼女は、ふっ、と口元を緩めた。
「お嬢様、お呼びで────またですか、シェリーゼ様」
扉の方からリリアの芯が冷えたような声が聞こえてきたかと思えば、スッと目を細めた彼女の姿が目に入る。と、ほぼ同時にメイドたちもバタバタと部屋に入ってきて手慣れたように掃除に取り掛かりだした。
「とりあえずお二人は着替えを。シェリーゼ様はお付きの侍女を呼びますのでご自身のお部屋に早急にお戻りくださ──」
「お姉様、私の部屋でお着替えしましょう」
「え」と声に出した時にはもう手を掴まれており、半ば強引に引っ張られるように歩き出されたせいで自然と私も足が前に出る。
困惑しながらリゼの名前を呼ぶも彼女は全く気に留めず、私の手を引いたまま歩みを止めることはない。
「ちょうどお姉様に似合いそうなドレスがあるの。早く行きましょう」
嬉しそうに顔をほころばせるリゼの考えが何も読めないが抵抗するほどでもないかと、ため息交じりに素直について行くことにした。リゼの思いつきで振り回されるなんて今に始まったことでもないのだし、と諦めながら。
──だから私は気付かなかったのだ。
「……いよいよ厄介な存在になりそうかな、シェリーゼ・フィアトラール」
小走りで廊下を渡る私たちの背を、感情のない目でジッと見ていたヴィードが呟いた言葉に。




