一難去ってまた一難 (1)
シェアモンテの茶会が終わって一週間ほど経った今。
私の身の回りの環境は大きく変化していた。特に顕著なのが──
「ベルアンナ様、こちらが指示いただいた調査の結果をまとめたものになります」
「ありがとう…………そんなに熱心に見られるとやりにくいのだけど」
「あぁ、申し訳ありません。あまりにも器用に手を動かされているのでつい」
縫いかけていた人形を机に置くと彼女の目線もそれを追いかける。「やはり販売ルートの確保を…」とブツブツ言い出したところでジトリとした視線を送れば、目の前の少女──ロレッタ・シェアモンテは「冗談ですよ、冗談」と慌てて笑顔を貼り付けた。
そう、なんとあのロレッタが今や私の“友人”として我が家に出入りしているのである。人生何がどうなるか分からないものだ。
と言っても、本当の友人のように歓談をするためなどでは決してないのだが。
単にシェアモンテ家の事業を乗っ取ろうと婚約を持ちかけている侯爵家との縁をどう切るか、その作戦会議を行っているだけである。
代々続く名門でありながら財政難に陥っているロエンタ侯爵家。だけれども、そんな破綻が見えだしたのは現在の侯爵に代替わりしてからであった。
原因は単純明快、現侯爵が借金を返済してはまたすぐに新たな借金を作るせいだ。
お金を返せなければ担保の土地は取られる。そんな中で次の返済期限が差し迫っており、いよいよロレッタと侯爵家の次男の婚約を急いでいるという状況であった。
婚約を断れば取引先に影響するぞという遠回しな脅しと共に、シェアモンテの事業を侯爵家が支援──という名の共同名義とする旨が書かれたあまりにも分かりやすい契約書が送られてきているらしい。
先代の評判が良かっただけに、シェアモンテ家が侯爵家の内情を調査するのが遅れたのは痛手だが、万策尽きたわけではない──というのが現状である。
「借金の理由が“女性への貢ぎ物”、ねぇ」
「ええ、週に一度は必ず会員制の個室カフェで逢瀬しているという証言をロエンタの使用人から得られました。そうして毎回必ず大量の贈り物も携えて行くと」
「なるほど、相手は……“セレイア・ハーミルト”ですって?」
懐かしい名前に思わず調査書へ顔を近づけた。あまりの偶然に同名の他人かとも思ったが特徴が完全に一致している……間違いなく私の知っている女性だ。
「ハーミルト子爵夫人とはお知り合いですか」
「……いえ、面識はないわ。別件で少しだけ知ってるぐらいよ。話を続けて」
言葉を濁しながら、頭の中では遠い記憶が甦る。
前世の幼少時、私がヒーロー気取りで助けて両親から酷く叱責される要因となった少女の名はフィオナ・ハーミルト──セレイア夫人は彼女の母親だ。
「では続きを。つまりロエンタ侯爵はハーミルト子爵夫人と秘密の関係──だけでは弱いのですが、そこに“今は亡き弟の奥方相手”という事実が加わればとんでもない醜聞ですね」
「……教会裁判で訴えたら婚約話なんて吹き飛ぶほどの騒ぎになるでしょうね」
私の言葉に頷いたロレッタは、あとは確実な物的証拠と買収した証人を揃えて裁判で訴えるだけなのだとホクホク顔で伝えてくる。そんな彼女に少し待ったをかければ不思議そうに首を傾げた。
「──作戦を変えてもいいかしら」
「えっ、あともう一歩詰めるだけで終わりますのに」
あからさまに不満な表情を見せたロレッタに「上手くいけばもっと交易ルートが広がるわよ」と伝えれば表情が一転して瞳が輝きだす。
……これほど分かりやすく現金な性格だと、いっそ可愛いとまで思えてきたかもしれない。
「私も確証が欲しいから、もう一度詳しく調べてほしいことがあるのだけど」
「侯爵家との次の顔合わせ日がもうすぐなので長期調査は厳しそうですが…」
「大丈夫。やってほしいのはハーミルト子爵邸で“開かずの間”があるかどうかの確認だけだから」
「開かずの間…?」と復唱したロレッタが怪訝そうに眉をひそめる。
「ハーミルト家に新しく入った使用人が“絶対に入ってはいけない部屋”があるか、改めて古株の使用人に確かめてほしいの」
「……とりあえず内容については承知しました。ですが一体それに何の意味が?」
至極当然な問いかけをしてくる彼女にどう伝えたものかと一瞬思案する。
「──侯爵と夫人が頻繫に会っている理由と、借金の理由の真実が分かるかもしれないわ」
本当に私の前世の記憶が今世とも繋がっているのであれば。このシェアモンテの婚約騒動を終結させる鍵を握るのは亡きハーミルト子爵の一人娘、フィオナ・ハーミルトだ。
今の彼女がどういう状況に置かれているかによって、この後の結末が大きく変わることになるだろう。
(……今世は最善の選択ができるかしら)
前世でフィオナを助けた後、彼女が本当に救われたのか私は知らない。その日からあの子に会うことは二度となかったから。
そんな当時の私が知れたのは、たった一つだけ。
──本当の悪人は裁かれなかった、という不条理な現実のみだ。
「ベルアンナ様? 難しいお顔をされてますがいかがしましたか」
「……昔の、少し嫌なことを思い出しただけだから気にしないで」
頭痛をやわらげるようにこめかみを押さえたところで──なぜかロレッタが俊敏な動きで私の前に色とりどりのお菓子を並べ出した。
あまりにも無駄のない動きにぽかんとしてると、最後に彼女は紅茶のおかわりを注いでニコリと微笑む。
「糖分を取って頭を休めましょう。悩み事は体に良くありませんので」
「……その献身さが怖いのだけど。何か企んでる?」
もしかして食べ物に何か盛ったのではないかという疑念のせいで菓子に手をつけることすらできない。そんな私に彼女はすかさず「まさか! 純粋な心配りですよ」と言って菓子皿を差し出してきた。
「ベルアンナ様にはずっと健やかでいてもらわねばなりませんからね」
「婚約の件は別に私が倒れても滞りなく進むように手配するわよ」
「いえ、そちらは心配しておりません。私個人の事情によるものです」
返答の意味が分からずますます怖い。と胡乱な視線を向ければ、ロレッタは辺りを注意深く見渡し、ドアの前にも誰もいないことを徹底的に確認してから私にぐっと近づいた。
「ベルアンナ様、貴女はもう少し私の命綱という自覚をお持ちください。もし貴女が倒れたりでもして、そのことがあの方に知られたら? 確実に私の息の根を止めにきますよあの人格異常…あ、いえ、何も言ってないです。
ともかく! 私は既にあの方の抹殺リストに名が載ってしまったのです。ただでさえ刺客をいつか放ってくるのではないかと日夜恐々としているのに、これ以上貴女に何かあれば!! 私の未来は──!!」
息も絶え絶えに熱弁し始めたロレッタの勢いに押され、とりあえずなだめるように紅茶のカップを渡せば彼女はそれを勢いよく一口で飲み切った。
「というわけでベルアンナ様にはずっとご健勝でお過ごしいただき、永遠にあの方の手綱を握ってもらわねば私に安寧は訪れないということをご理解いただけましたか」
死んだ魚のように目を淀ませている彼女の言葉を茶化せるはずもなく、こくこくと黙って頷く。
そんな私を見て幾分かスッキリとした表情を浮かべたロレッタは「この茶葉とても香りが良いですね」と、何事もなかったかのように淑女の笑顔を浮かべた。
まさかそれほどのトラウマとなっていたとは。……このあと家にヴィードが訪問してくることを言うべきか、言わずに早々に帰してあげるべきか。
ちらりと時間を確認すれば、訪問予定時間までまだ余裕はある。が、この調子だと万が一鉢合わせした時にとてつもなくマズい状況になりそうだ。
本当はシエラ嬢たちの様子も聞いておきたかったが仕方ない、ここで切り上げよう──としたところで扉からノック音が響いた。いつもの癖で咄嗟に「どうぞ」と返したが、何だかとても嫌な予感がする。
「ベル、少し早く着いちゃったからここで過ごしていいかな──あ」
噂をすれば影が差す。嫌な予感は見事に当たりヴィード本人が登場してしまったことで、目の前のロレッタから「みぎゃっ!?」と叫び声が発せられた。かと思えば、即座に私の真後ろに隠れるように移動してくる。
「……いい度胸だねシェアモンテ嬢。僕の前でベルの隣を独占する気かい?」
「ま、まままさか! 殿下を差し置いてそのようなこと微塵も考えておりませんよ。ただ何となく本能的に安全圏を求めてしまったというか何というか」
ごにょごにょと言葉を濁したロレッタがさらに後ろに下がりそうになったところで彼女の手を掴み、ドアの入り口へと引っ張って歩きだす。
その途中で「殿下、悪趣味ですよその遊び」と釘を差せば、「無罪放免の代償だから仕方ないね」と悪気なく返されてしまった。……これは当分、ロレッタのトラウマが刺激されてしまいそうだなと思わず軽いため息がこぼれる。
「彼女を玄関まで見送るので殿下は好きにお寛ぎください」
「え、僕を置いていくの」
「私のお友達に意地悪したのでお返しです」
ドアから振り向きざまに軽くベッと舌を出せば、ヴィードは一瞬だけ目を丸くさせてから口元に手を当てて小さく笑い声を漏らした。
「ごめん、ごめん。もう意地悪しないから早く戻ってきてね、お姫様」
何が彼のツボに入ったかは分からない。が、とりあえずロレッタのトラウマ刺激が今後は回避できそうなら何よりである。
適当に返事をしてそのままロレッタを部屋の外へと連れ出し、さすがにもう大丈夫かと手を離せば、彼女は何か恐ろしいものでも見たかのように自分の肩を擦りだした。
「砂糖を…吐きそうです……」
「え!? そんなにお菓子は食べてなかったじゃない! トイレまで歩けそう?」
慌ててロレッタを支えようとしたが彼女はスンとした表情で「大丈夫です、今治りました」とそれを止めた。
「ベルアンナ様、まさか“アレ”に何も思っていらっしゃらないのですか」
「アレってどれよ。殿下のツボが謎なとこ? 気にしてたらキリがないわ」
「………」
啞然としたように口を開けてこちらを見つめてくるが、それ以外に答えようがないのだから仕方ない。と、気にせず玄関口まで足を進めようとしたのだが、ものすごい勢いでロレッタに両肩を掴まれてしまった。
「あのデロデロに溶けきった顔と声に! 本当に! 何も思わないと???」
「か、顔も声もいつも通りだもの。特に感想なんてないわよ」
「人類皆平等、博愛主義みたいな能面笑顔しかしてこなかったあの皇子の“アレ”がいつも通り???」
後ずさるようによろめいたかと思えば、遠い目をして笑い出すロレッタが本格的に大丈夫か心配になってくる。が、深いため息を一度だけ吐き「行きましょう。遅くなったら殿下にまた嫌がらせされそうなので」と歩き出した彼女は一応は通常の情緒に戻ったようだった。
「本当に大丈夫なの……」
「ええ、清々しいほどの負け戦すぎて何もかも無駄だったなと笑えてきただけなので」
「それはどうかしら。こうやって悪巧みできる間柄になれたのだから無駄ではなかったと思うけれど?」
私の皮肉めいた言葉に彼女の目が少しだけ丸くなり、
「たしかに、貴女と出会えたので全部が無駄ではなかったですね」
そう言って照れくさそうにしながら、目元を緩やかに細めて笑ったロレッタの姿に少しだけ面を食らう。
……冗談も程々にしてと受け流されるつもりでいたのに。予想は外れて真っ直ぐ返された言葉にちょっとだけドギマギしてしまった。自分でもよく分からない温かなものが胸の奥を包み込んでいるような感覚だ。
そうして、ふと、今のロレッタの顔に一瞬だけ前世の彼女の顔が重なる。
もしかしたら前の彼女も、ただ家を守りたくて必死だったのだろうか──と誰にも答えが分からない疑問がよぎった。
「……次に会う時はジャスミン茶を用意しておくわ。あなた、意外とさっぱり系の方が好きでしょ?」
ぱちりと一度瞬きをした彼女がふわりと微笑む。
「ええ、実は一番好きなんです。ベルアンナ様のおすすめ楽しみにしてますね」
嬉しそうな彼女の姿に、また私の胸の奥でパチパチと何かが光った気がした。
……今は本当の友人ではないけれど、いつか。
何のしがらみもなく二人でお茶を楽しめる関係になれたらいい。
他愛のない話をしながら、それこそ普通の友人のように──。
そんな淡い夢を見ながら、再び玄関口に向けて普段よりも足取り軽く歩きだしたのだった。




