↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/37

波乱のお茶会 (6)《ヴィードリッヒ視点》

 ──心臓が凍るとは、まさにこのことを言うのだろう。


  黒いヘドロ──迷い魔に飲み込まれそうになっているベルの姿が目に入った瞬間、全身の血の気が引いた。


 魔物を消滅させた今でも冷や汗が止まらない。意識を失っているベルを抱き寄せ、息があるかを何度も確認してしまう。あと少しでも僕の到着が遅かったらと思うと恐怖で頭がおかしくなりそうだ。


(おかしい、何で……今はまだ彼女に死の危険はないはずなのに──)


 ベルアンナに本格的な災難が訪れるのは、彼女が16歳になり貴族学院に入って聖女と出会ってからだ。

 それが“物語”の始まりであり彼女の運命でもあるのだから、彼女は必(・)ず(・)1(・)6(・)歳(・)を(・)迎(・)え(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)。それなのに──


(ありえないだろ。だって僕が間に合わなかったら彼女は間違いなく死んでた)


 根底として定められたはずの流れまでもが捻じれ始めていることに一抹の不安が過る──上書きしようとした運命が絶対的な力で新しく書き直されているような、そんな気持ち悪さが増していく。


『ベルアンナ・フィアトラールは20歳までに死ぬの。そういう運命なの』


 あの女の言葉が自然と頭に浮かんだ。自分を主人公だと宣い、ベルアンナが得るはずだったものを根こそぎ奪った憎い女の顔が。

 そうして同時に、何も知らずに衛兵に引きずられていったベルアンナの──…生きている間に最後に見た姿が頭に浮かんで消えない。


 腕の中にいるベルを早く安全なところに運ばなければならないのに。目の前の彼女が消えてしまいそうで、縋(すが)るように抱きしめた──その時。


「……殿下、あの、屋敷に聖水がございますので早くベルアンナ様の浄化、作業…を────」


 全てを言い終える前に固まって動かなくなったロレッタ・シェアモンテへ、申し訳程度の笑みを添える。


 「痛いのは嫌でしょ?」と問えば、彼女の目がゆっくりと首元に添えられた剣の刃先へと向けられ、息をするのさえ憚(はばか)られるほどの緊張感で首を縦に動かした。


「今から余計なことは言わず事実のみを簡潔に述べよ」

「──っ、はい」

「まず、最優先は君も言う通りベルの浄化作業だ。僕一人であればこの穴を出られるけど、意識のないベルを運ぶには時間がかかる。ここに君たちがいることを知っている人は?」

「……共にいた令嬢たちが使用人を呼びに行きました。時間的にはもう間もなく到着するかと──」


 タイミング良く……いや、ある意味タイミング悪くその使用人と思しき人物と複数人の令嬢たちの声が聞こえてくる。「ここよ!」と大声を上げたシェアモンテ嬢を一瞥し剣を鞘に収めれば、どことなく彼女から安堵の息が漏れた気がした。


 ──そんな簡単に許されると思っているのなら大間違いだ。


「ロレッタ・シェアモンテ、ベルが起きるまで同じ部屋で待機するように。──君の首と胴体を繋げておきたいなら、早く目が覚めるよう神に祈っておきなよ」


 青ざめた顔で俯いた少女は、ただ深く頭を下げるのみであった。



◆


 シェアモンテ家の一等客室で、横になっているベルアンナの手を握りながらベッド横の椅子に腰掛ける。


 前世のあの日──ベルアンナが20歳の誕生日を迎えた日。街中に鳴り響いた鐘は祝うためのものではなく貴人の死を知らせるもので。雨の中、質素な黒い棺を乗せた台車が大通りから城へと運ばれてきた景色を鮮明に思い出した。


 生きることに意味を感じなくなったあの日と同じく、安らかな顔で眠っている彼女の手が、あの日とは違ってしっかりと熱を持っていることだけが今は救いだ。


「ベルアンナ。病める時も健やかなる時も──死ぬ時も、今度は一緒にいさせてね」


 祈るように両手で彼女の手を包み、自分の額を押し当てる。

 その瞬間、彼女の指先が僅かに動いたかと思えば「…勝手に私を死なせないでよ」と、弱々しいながらもベルの声が返ってきた。


「ベル、痛いところは? 気持ち悪かったり、眩暈とかはない?」

「少し首が痛いけど命が助かったのだから御の字ね。私、昔から悪運続きだけど意外と何とかなってる気がするわ」


 首を包帯で巻かれているベルの姿はとても痛々しいが、最悪の状態ではなさそうなことに一先(ひとま)ずは胸をなでおろした。

 ベッドボードを背もたれにしてゆっくりと体を起こした彼女が頬を少し緩める。


「さすがに一番にお礼を伝えないとね。助けてくれてありがとう、ヴィード」


 はにかみながらそう伝えてくれた彼女への愛しさと、生きていてくれて本当に良かったという安堵感とが混ざって心臓の奥がギュッと痛くなる。

 その勢いのままに抱きしめたくなったが、さすがに寝起きの彼女に負担をかけるわけにもいかず、ベッドの縁に腰掛けて軽く抱擁するのみに留めた。


「そういえば、ここはどこ? 私、どれくらい眠ってたのかしら──」


 辺りを見回したベルがとある一点を目にした途端に一瞬だけ絶句し、次いですぐに「な、何してるの!」と慌てて飛び起きようとしたがそれを制止した。

 止められたベルは困惑したように僕とその一点──床に跪いているロレッタ・シェアモンテの顔を交互に見つめてくる。


「肝心なことをまだ聞けてなかったから、関係者には残ってもらったんだ」

「残ってもらうって……酷い有り様よ。せめて着替えを待つぐらいの配慮はしてあげて。泥が付いたままだと冷えて風邪を引くわ」


 そう言うとベルは毛布を手に取り、僕の制止を振り切ってシェアモンテ嬢の元へ駆け寄った。

 「だ、大丈夫です、このままで」と頑(かたく)なに断るシェアモンテ嬢を何とか立ち上がらせるも、長時間床に座っていたせいか軽くよろめいてしまい咄嗟にベルが支える。


 そのやり取りを無言で眺めていればシェアモンテ嬢と視線が合い、彼女はビクリと肩を震わせ「ご、ごめんなさい」と慌ててベルから離れた。


「……ロレッタ嬢、とりあえず着替えてきて。話はそれからよ。──殿下もそれでよろしいですね?」

「いいよ、君がそう言うなら──って言ってあげたいけど今は無理かな」


 そう伝えて立ち上がった瞬間に、ベルはまるでロレッタ嬢を自身の後ろに隠すかのようにして前に立った。……長年共に過ごしてきてお互いの癖をよく知っているがゆえに、こういう時は本当に厄介だ。


「何で君が“僕を”止めようとしてるのか分からないんだけど」

「──……本当に、お分かりにならないと?」

「正確に言うと分かりたくない、かな。だって元凶は全部その後ろの女でしょ。ちゃんと消さなきゃ、また君の邪魔になるよ」


 ほぼ名指しされたせいで分かりやすく肩を震わせたシェアモンテ嬢にベルの視線が一瞬向けられる。そうして再び僕の方に向けられた時にはベルの瞳に明確な意志が宿っていた。


「殿下、そういう冗(・)談(・)は好きではありません。ずっと前から言っていますよね?」


 ニッコリと、あの頃の令嬢らしい微笑み方をしている姿を久しぶりに見た気がする。

 ロレッタ・シェアモンテなんかのために本気で僕と対立するらしい。──どうでもいい存在の少女(モブ)が今は本気で嫌いになりそうだ。


「冗談、ね…まあいいや、今はそういうことにしてあげる。だけど、どう足搔いたって彼女が犯した罪は消えないよね?」

「……魔物の出現は意図して行えるものではありません。その点はシェアモンテ家の落ち度ではありません」


 声の固さから少しだけ彼女の緊張感が伝わってきた。──彼女も自身の論点のすり替えがお粗末だと分かっているからこそ緊張しているのだろう。


「ベルアンナ。君は常々、罪は法の下にしっかりと裁かれるべきだと僕に説いてきたね。──気に入らないからといって簡単に殺してはいけないと。今もその考えは変わっていないんだろう?」


 その言葉に頷いたベルに、なるべく優しげな微笑みを向ける。


「じゃあ本題だ。上位の、それも特別な三公の嫡女に意図的に危害を加えようとした愚か者が受けるべき罰は何だろうね。あの高さの穴だって落ち方が悪ければ怪我のリスクは充分にある。しかも今回の魔物のことは下手に公表できないから、君の今の姿が結果的にロレッタ・シェアモンテの仕業となるわけだけど」


 ぐっと息をのんだベルが、再びシェアモンテ嬢の方に視線を向けた。

 ──あぁ、また彼女の悪い癖が出ている。弱者を切り捨てられない、彼女の根っからの性分が。


 それを食い物にしてきた奴らのことまで思い出し、ベルの前だというのに思わず表情が抜け落ちてしまいそうになる。


「ねぇベルアンナ、僕、分からないんだ。そうやって情けをかけたところで何にも報われないと──それどころか裏切る者が多いことを君が一番よく知っているはずなのに何で他人を助けるの」


 軽く目を見開いたベルが次いで自嘲のような笑みを浮かべる。……“お前がそれを言うのか”と直接言われている気がして咄嗟に「っ…ごめん」と謝罪の言葉が口を突いて出た。


「……殿下が謝ることなどございませんよ。あなたはそうやっていつも“正しい選択”をされてきたのですから」


 力なく笑うベルを見て急速に頭が冷えていく。

 ──分かっているのに繰り返すのはいつも僕の方で。一番傷つけたくない人を、僕が一番傷つけてからやっと過ちに気づくのだ。


 そうして彼女が諦めたように笑って、頷いて、僕に何も言わなくなって。

気づけば僕の手が届かないところに行ってしまった昔を思い出し、無意識に彼女の側に駆け寄って手を掴んでいた。


「殿下…?」

「違うんだ、ごめん。言っちゃダメだった。本当に、君を傷つけるつもりは、なくて…ごめん……」


 謝罪の言葉と言い訳を並べ立てる言葉しか出てこなくて。まともにベルの顔を見ることすら怖くなってしまい、彼女の手を握る力がどんどん強くなってしまう。


「……ロレッタ嬢。少し殿下と二人で話をさせてくれる?」


 しばらく無言が続いた後に、ぽつりとベルが言葉をこぼす。

 ぎこちなく頷いたシェアモンテ嬢が部屋から退出したところで「ヴィード、ちゃんと話をしましょう」と、手を引かれてソファに座り込んだ。


「まず第一に、ロレッタ嬢を庇うのはそれ相応の利益を私が得られるからよ。決して慈悲の心なんてものはないわ」

「……それは君の将来の安全を脅かす可能性を残してでも得たいもの?」


 ベルはその問いに迷いなく「そうね、今の私が一番やりたいことだから」と軽く微笑みながら答える。


「……僕ではその支えにはなれないってこと?」


 次いで聞いた問いに、彼女は少しだけ躊躇うような素振りは見せたが結局黙り込んでしまった。……彼女に信用されてないことはもちろん分かっている。それでも面と向かって突きつけられると、心の奥にぐちゃぐちゃの泥みたいなものが湧いてくるのを止められない。


 そうしていつものように仄暗い自己嫌悪に陥りかけたところで、「…ねぇ、ヴィード」と彼女が静かに僕の名前を呼んだ。


「私も分からないことがあるの。──あなたは、何であの時…私を信じてくれなかったの」


 予想だにしなかった問いに思わず息をのむ。“あの時”が何を指すかなんて僕たちにとっては一つしかない。


 僕が──ヴィードリッヒ・フォン・アストリアが、ベルアンナ・フィアトラールに罪人という烙印を押した日だ。


「──…信じていたよ、君のこと。君に何の罪もないと分かっていた。……いや、始めから全部知っていたんだ」

「…………私が陥れられることも、陥れた相手も、何もかも?」


 ベルの言葉にゆっくりと頷く。一瞬だけ覗き見た彼女の瞳には明らかに怒りの感情が露わになっていて──けれどすぐに、それを押し殺すかのように深く息を吐いた。


「今、あの時のあの瞬間に戻っても、あなたは同じようにするのかしら」

「……誤った選択でしかなかったよ。けれど僕は同じことをするだろうね」

「そうでもしないと私の身に何か起こるから?」


 あまり気づいて欲しくないところに彼女が気づいてしまい、だんまりを決め込む。


「……今の私にすら何も言わないつもりなの」

「そうだね。出来れば一生知らないままであってほしいと思ってる」


 嫌なことは知らなくていい。怖いことも知らなくていい。

 今度こそ僕が全部の悪いものから守ってあげる。


 全ての罪を知っているのは僕だけで、全ての罰を背負うのも僕だけだ。


 何も知らない彼女がただ安寧に笑っていてくれるなら、それでいい。


 そうして、この話はこれで終わりだと切り上げようとした時、突如ベルの手が僕の頬を挟み、合わせずにいた視線を無理やり合わせられた。


「知らなかったわ。あなた、臆病なところがあったのね」


 あまりにも急に言われたそれに、ただ目を瞬かせるばかりで言葉が出てこない。


「ヴィード、私だって臆病よ。肝心なことはいつもあなたに言えなかったの。でも今はなるべくあなたに伝えようと思ってるわ。


 ……だからもう少しだけ待って。私だけでやってみたいの──昔の私が諦めたものを私の力で取り戻したい。それが終わったら今隠してることも、きちんとあなたに話すわ」


 ──そうしたら、あなたの話も聞かせてくれないかしら。と、ベルの若草色の目が真っ直ぐ僕を射貫いた。


 小さな鳥籠に閉じ込められていた少女が、外に出ようとしている。

 ダメだ、外は危険なことばかりだ。餌を与えてくれる者は決して善人ではないし、どれだけ愛玩していても飽きればゴミのように捨てる者がいる。


 綺麗な羽をもぎ取って、コレクションのように並べ立てる悪辣な者たちだって掃いて捨てるほどいるのに──。


「……ヴィード。私ね、今もあの仕打ちをされた事実は許してないわ。だってまるで意味が分からないもの。でもあなたが昔も今も私のことを考えてくれていることは少し分かったつもりよ。


 ──だから、これからは私も一緒に考えたいの。何をすれば良い未来になるのか、私だって考えたい」


 そう言い終えて僕の頬から離れていくベルの手を咄嗟に掴んで引っ張り、彼女にしがみつくように力強く抱きしめる。

 ……そうして、ようやく気づいた。過去に取り残されているのは自分だけで、彼女は過去を乗り越えようとしていたのだと。


 ──そんな彼女をまた閉じ込めるなんて、してはならなかったのだ。


「ベル、ごめんね、今すぐに全ての真実を君には伝えられない。でも、全部が終わったら──君が20歳の誕生日を迎えたら、ちゃんと言うよ。今まで言えなかったことも全部、全部、君だけには必ず────」


 顔は見えないけれど、ベルが笑ってくれたような気がして。そっと頭を撫でてくれる手の心地よさに触れながらゆっくりと抱擁を解く。


 その流れのままベルの頬に手を添え、きょとんとした表情を見せる彼女に顔を寄せて──……




「殿下!! 火急の用件が──ああ、いえ用件は今なくなりましたので失礼いたします」


 ノックもなしに部屋にすっ飛んできては何事も無かったかのように扉を閉めようとしている愚者を「待ちなよ」と呼び止める。指を曲げるジェスチャーのみで手招きすれば彼は自主的に床へと正座した。


「さて、とりあえず言い訳を聞こうか──ロルフ・ヴィンセント」


 名を呼ばれた彼は「不可抗力です」と悪びれたような様子など一切なく、妙に堂々として背筋がいいのがさらに腹立たしい。


「……それで、君の用件は何」

「公子たちから事情は伺いました。ですが、殿下から何の連絡もないうえにお戻りにならないためこちらに赴いたところ、そこのご令嬢がずっと邪魔立てしてきたので何か良からぬことを企んでいるのかと思い──」


 “そこのご令嬢”と指をさされたシェアモンテ嬢は扉の前でガタガタと震えながら「わ、私はお二人の邪魔にならないように良かれと思って…っ!」と必死に訴えてくる。


「……つまり、君はあのご令嬢に僕が閉じ込められたと思って強行突破してきた?」


 「はい。ですから不可抗力なのです」と、同じ言葉を繰り返しハッキリと頷いてみせるロルフに思わず頭を抱えたくなった。バカ真面目なのは一応彼の長所でもあったのだが、今世ではあまり褒められたものではないかもしれない。


「ま、まあ要は殿下を助けるつもりで単独突破したということでしょう? 優秀な護衛が側にいて良かったわね」


 ベルのその言葉を聞いてロルフの顔が少し誇らしげになったのが憎たらしい。

 彼女も彼女で何でこの男には態度が甘いんだ、まさか──という視線があまりにもあからさますぎたせいか「変な勘ぐりしないで」と頬を軽く摘ままれた。


「とりあえず、ロレッタ嬢のことは私に任せてもらえますね殿下?」

「……分かったよ。お姫様のお好きなように」


 本当はもっと文句を言おうとしたけれど、嬉しそうに笑うベルのせいで何も言えなくなってしまった。

 実質的には無罪放免を僕から引き出せたからか、ベルは上機嫌のままシェアモンテ嬢の手を引いて退出し、この場に僕とロルフのみが残される。


「──君、本当にタイミング図ったりしてないだろうね」

「ええ、もちろん。誓って偶然でした。まさかこんな陽の高い時間からあのような事をされてるとは夢にも思わず」


 いけしゃあしゃあと、どの口が言ってるんだか。

 ベルの付き添いを頼んだあの夜に少し脅しをかけてから、何だか一層小生意気な性格になった気がする。これなら前世の無口なロルフ・ヴィンセントの方がよっぽど扱いやすい。


「それで、本当の用件は何」


 十中八九“魔物”のことだろうと思って尋ねたその問いであったが、ロルフは一瞬だけ口を引き結ぶと、おもむろに懐から赤い小瓶を取り出した。


「……ジェレス公子より、禁術の解毒薬だと」


 ああ、そっちか。と、瓶を手に取り一通り眺め──すぐさまロルフに向かって乱雑に放り投げた。慌ててそれを受け止めた彼は、信じられないものを見ているかのような目でこちらに視線を投げかけてくる。


「今回のことで分かった。彼女に危険が迫ってると知る術(すべ)は必須だ──だからこのままでいい」

「…っ、ですがそれでは呪いに蝕まれて貴方の精神がおかしく──!」

「それなら大丈夫だよ」


 まるで息の仕方を忘れたかのように「は…?」と擦れた声を零したロルフに、満面の笑みを送る。


「最初から壊れてるものは、いくら壊れても変わんないでしょ」

「な、にを言って……」


 ──今目の前にいるロルフ・ヴィンセントは何も知らない。だから彼が僕をまだ正(・)常(・)な(・)人(・)間(・)として扱っていることに、少しだけ可笑しさが生まれた。それが幸か不幸かは、前世の彼にも聞いてみないと分からないけれど。


「皇宮に戻ろうか。ジェレスに薬はもういらないって言っておいて」


 椅子から立ち上がり歩き出せば、ロルフは無言のまま後ろをついてくる。

 こういう時に余計なことを聞いてこない彼の性分は昔も今も重宝ものだ。


「あーあ、ベルも一緒に帰ろうって伝えておけばよかったなぁ」


 窓の外を眺めながら普段のようにわざとらしく呟く。当然、ロルフからの返事などは期待していないため、一方的に言葉を吐き続ける羽目になってしまったが。


 その途中で窓から差し込む陽の光に手をかざせば、指先が透けて赤い血が流れている様子がよく見えた。──壊れていても、ベルと同じ、人間の血の色だ。


 そうして何度透かしたところで代わり映えない色に満足して、ようやくいつもと変わらない日常の中へと戻っていったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。