波乱のお茶会 (4)
「ここが当家自慢の白薔薇園でございます」
ほぅ、と自然に感嘆の息が漏れる。まず目につくのは白い石を土台とした大きな噴水。そしてそれを軸として、様々な種類の白薔薇が円環上に咲き誇っている庭園はさすがの美しさであった。これはロレッタ嬢が自信満々になるのも頷ける。
「素晴らしいわ。薔薇の花はもちろんだけれど空間デザインも素敵ね」
「お褒めに預かり光栄です──ここだけは全て私が統括したので」
少しだけ目元を赤らめ、はにかんでいる様子の彼女は本当に嬉しそうだ。
「ベルアンナ様。実はあまり公にはしていないのですが、もう一つだけ自慢の庭園があるのです」
「“公にはしていない”…?」
「手入れを行っておらず、自然の花畑に近いのでいつでも美しいというわけではない状態でして……ただ、運が良ければ広大な白い海のように見えるんですよ」
“海”という単語に心の中で反応を示す。前世の幼い頃に本で知ってから、裸足で波打ち際を走るのが一つの夢であった。ずっと憧れていたのに、結局前世では見ることが叶わなかったものだ。
「もしよろしければそちらも案内いたしましょうか。ここから少々歩くことにはなってしまうのですが……」
おずおずとこちらの様子を伺ってくる彼女に「ぜひ拝見したいわ」と即答する。
前世では逃げ隠れする生活で景色を楽しむ余裕などなかったため是非とも目に焼き付けておきたい。いつか本物の海と景色を比べてみたいものだ。
そう胸を躍らせていたところで近くにいた取り巻き令嬢の一人──シエラ嬢が突如「あの、お時間は大丈夫でしょうか」と少し焦ったように聞いてきた。
「ええ、まだ大丈夫よ。ここから長く歩くとなると難しそうだけど」
「そこまでは離れておりませんので時間には間に合うかと」
であれば問題ないだろう。正直ヴィードと約束した時間のことなど半分忘れかけていたので、忠告してくれたシエラ嬢には感謝せねばとお礼を伝える。すると彼女は何故か少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「でも、戻る時間のことも考えると今から折り返した方が良いのではないかしら……フロルもそう思わない?」
「そうよね、マリア。殿下があれだけ念押しされていらっしゃったもの」
三人の視線が自然と私の方に集まる。別に多少時間が遅くなったところでヴィードが拗ねたフリをして終わるだけだろう。が、この三人にとっては自分たちがヴィードに嫌われる一因になると考えたのかもしれない。
しかしこんな貴重な機会がまた訪れる可能性はとても低いだろう。“白い海”は今のうちに見ておきたいところだ。はてさて、どうしたものか──と考えているとロレッタ嬢が私の腕をとり一歩前に進み出た。
「心配であれば貴女たちだけで先にお戻りになっても構いませんよ。ベルアンナ様は私が責任を持ってお連れしますので」
「い、いえ、私たちは…その……」
歯切れ悪く返したマリア嬢をロレッタ嬢は一瞥し、「行きましょう、ベルアンナ様」とそのまま歩き出す。
半ば軽く引っ張られるような形で足を踏み出せば、三人の令嬢たちは慌てたように後ろをついてきた。
先ほどまではあんなに賑やかであったのに、今話しかけてくるのはロレッタ嬢のみで。後ろにいる三人は時折相づちを打っては話に少し混ざるだけで、明らかに口数が少なくなっている。
その状況が続いたまま歩いていると、周りが段々と森のように木々が茂っている場所になってきた。涼しげな風が吹き木漏れ日が揺らめいている様は、まさに森林浴という言葉がピッタリと言えるだろう。
「あ、そういえばこっちにも珍しい花が咲いて──」
不意にロレッタ嬢の言葉が途切れ、冷ややかな視線が目の前の人物──シエラ嬢へと向けられる。
彼女は話の途中で急に走りだし、まるで通せんぼでもするかのように私たちの前に立ちはだかっていた。
「や…やっぱり止めよう」
少しだけ声を震わせながらもシエラ嬢の視線は真っ直ぐロレッタ嬢へと向いている。
「……なんの真似かしら」
「今ならまだ無かったことにできるわ。引き返そう、ロレッタ」
シエラ嬢の言葉を聞いて他の二人も同意するかのように彼女の側に寄り添う。
それを見たロレッタ嬢の表情からさらに温度が無くなった。
「今さら怖気づいたの? 貴女たちも乗り気だったくせに?」
「それは、その……嫌な子だと思ってたんだもの。そうじゃないって分かったし、もういいかなって」
「偽善者ね。可愛い人形に絆された? 自分の利益になるから損したくないってハッキリ言えばいいのに」
「そ、そんな言い方しなくたって──」
──この四人が何で揉めているかは分からない。けれど、きっと私にとって良くないことだろうということは容易に見当がつく。
(逃げる準備はしておいた方がいいかしら)
何となく、ドレスの裾に隠してある護身ナイフの所在を服の上から確かめる。さすがにこれを使うことはないと信じたいが。
「──まあ、所詮、お金をあげてるから私の友達やってくれてるだけだものね。後でもっといっぱいあげるから邪魔しないでくれる?」
そう言い終えるのと同時にロレッタ嬢が勢いよく私の手を掴んで引っ張る。
彼女の急な行動に対処できず、前につんのめりそうになったところで逆の手をシエラ嬢に引っ張られ、バランスを崩したロレッタ嬢の手が離れた。
「なっ──!? キャァァァ」
その瞬間にマリア嬢とフロル嬢がロレッタ嬢を思いきり突き飛ばし、目の前の地面が派手な音を立てて崩れ、ロレッタ嬢の姿は見えなくなってしまった。
突然の出来事に一瞬だけ呆けるも慌てて地面の下を覗き込む。そこにあるのは大人でも這い上がれるかどうかぐらいの落とし穴であった。
「だ、大丈夫…?」
「どう見たって大丈夫なわけないでしょう!!」
髪はぐしゃぐしゃ、ドレスはドロドロだが声は元気そうな彼女に一先ずホッと胸をなでおろす。とりあえず緊急性の高い危険な状況ではないだろうと判断して後ろを振り返れば、気まずそうな三人と視線が合った。
「……まずは“助けてくれてありがとう”とお礼を言うべきかしら」
誰も何も言葉を発さないため軽く冗談混じりに言ってみるが、葬儀のような静けさである。というか、三人とも本当に泣き出してしまいそうな雰囲気だ。
「とりあえずロレッタ嬢を引き上げましょう。温室に戻って使用人を呼んできてもらえる?」
「ええっと……ベルアンナ様はお戻りにならないのですか。それこそ殿下に叱られてしまうのでは」
「私は──……」
言いかけた言葉を区切り、もう一度ロレッタ嬢の方を横目に見る。
膝を抱えて体を小さくしたまま座り込んでいる彼女の姿に、はぁ、と小さくため息がこぼれた。
「あなた達が誰かここに残るのは気まずいでしょう?」
「それは……はい」
「彼女を一人で残すのも危ないし私が残るわ。殿下に状況説明もお願いできるかしら」
その問いに頷いた三人は足早に駆けて行く。
そうして三人の姿が見えなくなったところで再び穴を覗き込めば、ロレッタ嬢は鼻をすすりながら袖で目をこすっていた。
友人(一応は)から落とし穴に突き落とされてドロドロぐちゃぐちゃのどん底にいる相手に何と声をかければいいのか。頭を捻ってみるが上手い言葉は思いつかず、只々ロレッタ嬢に視線を向けていたところで、彼女の顔がゆっくりとこちらへ向いた。
「……黙って見つめられるより、責められる方がまだマシですよ」
先ほどとは打って変わって覇気は一切感じられない。けれど、どこかスッキリしたような、何となくホッとしているようにも感じられる声音だ。
「怪我はない?」
「ありません。下にクッションを敷いてますから」
「ふーん、じゃあ最初から私に怪我をさせるつもりはなかったのね」
その問いに彼女は俯いて黙り込む。
改めて穴の中を観察してみれば元は布団であったようなものが敷き詰められていた。表面は泥で覆われているので落下者が確実に汚れる仕様ではあるけれど。
「私に恥をかかせたうえでこの茶会から退場させたかった、という目論見かしら」
「……噂通りの性格なら貴女は憤慨して殿下にも当たり散らすと思ったのです。そうすれば私にもチャンスが回ってくると──」
「そこまでするほどヴィードリッヒ様のことを慕っているの?」
再び彼女は黙り込む。しかし程なくして顔を上げたロレッタ嬢は、まるで憑き物が落ちたかのように軽く笑みを浮かべた。
「別に、地位が高い人であれば誰でも良かったのです。残された時間が多くないから、分かりやすいヴィードリッヒ様を狙っただけなので」
その言い回しに疑問を覚え詳しく尋ねると、彼女はぽつりぽつりと自分の身の上話を語ってくれた。
事の発端はシェアモンテの織物事業が軌道に乗り、事業拡大の話が出た数ヶ月前。
とある侯爵家から縁談の申し入れがあったという。その家は財政状況が厳しいが古くから続く名門であった──分かりやすいほどの政略的な婚姻話だ。
始めはシェアモンテ伯爵もロレッタ嬢も納得していた。貴族の世界は持ちつ持たれつ、シェアモンテの方も人脈を欲していたからだ。けれど交流を重ねていくうちに段々と向こうの化けの皮が剝がれてきたのである。
彼らの目的は事業の乗っ取りであり、シェアモンテ領の土地と人員が本当の狙いであった。
それを暴いたまでは良かったものの、侯爵家に表面上の落ち度はない。
そんな中で婚約の話を無かったことにしたいと家格の低いシェアモンテ伯爵の方から切り出せるはずもなく。
悪あがきで正式な婚約成立まで引き延ばしているが、それもそろそろ限界だというのが今のロレッタ嬢の置かれている状況らしい。
「──だから皇子のパレハに入って侯爵家を諦めさせようと?」
「はい、それが一番手っ取り早かったので」
「…まあ、もう無理ですけど」と、自嘲気味の笑顔を浮かべたロレッタ嬢に思わず押し黙る。
可哀想──とは、思わない。貴族の子女であればそんな程度はよくある話だ。しかも彼女は明確に私を害そうという意思があったのだから。──そうは思えど。
「諦めるにはまだ早いのではないかしら」
私の言葉にロレッタ嬢が怪訝な表情でこちらを見上げた。
「ロレッタ・シェアモンテ、あなた少しお利口すぎるわ。この世に弱みを持たない貴族なんて存在しないのよ」
「な、にを仰って……」
「────その婚約解消、私が手伝ってあげる」
言葉の意味がまるで理解できないとでも言うかのような顔の彼女に、私は最高の笑顔を贈る。
「私、好きじゃないの。他人の功績を掠め取ろうとする人間が。何の努力もなしに成功だけを欲しがる者が。だから──
これは貴女のためじゃなくて、私が気に入らない者を失墜させたいだけの単純なお話よ」
そう伝え終えた瞬間に分かりやすく彼女の目が揺らいだ。希望を見出したような、疑念が渦巻いているような、そんな目だ。
「……貴女を蹴落とそうとした私を、本当に手伝うと?」
「ええ、私を助けてくれた貴女のお友達に免じて。それに、どんな手段を使ってでも理不尽に抗おうとする人は意外と嫌いではないの」
──だって昔の私は足掻くのを止めてしまったから。
だから諦めたように笑う目の前の少女を見ていたくない。理不尽に屈した自分自身を思い出して酷く気分が悪くなる。
「それと、今回の件が解決したらついでに人脈作りの手伝いもしてあげるわ。協力できるのはフィアトラール公爵への口添えまでだけど」
「……! 正直、こちらに都合が良いことばかりですね──貴女が求める見返りは何ですか」
「──そうね。そこは分かりやすくしておいた方がいいわよね」
普段であればこの程度、別に見返りを求めることはしない。先ほども言った通り、私が私のために気に入らない相手を追い落とすだけだからだ。
けれどロレッタ嬢にとって信用ゼロの私が、相手に何も求めなければ彼女の警戒心が増すのは当然のことだろう。
それに、これは私にとっても大きなチャンスだ。
「全てが丸く収まったら、私に“資金投資”をしてくれないかしら」
「投資…? であればご両親に頼んだ方がよほど……」
「フィアトラール公爵令嬢の私ではなく、ベルアンナという私個人が使えるお金が必要なの──貧民街に救済院を建てるためにね」
最後の言葉を聞いてロレッタ嬢の目が大きく見開かれる。突拍子もないことを言い出した私をまじまじと見つめた後、彼女は口元に手を当て、しばらく無言で考え込んでいた。
「……分かりました、父を説得してみます。我が父ながら義理に厚い人なので、全ての事柄が解決できたなら、きっと貴女の力、に──」
不自然に言葉を途切れさせたロレッタ嬢が一瞬だけ固まったかと思えば、彼女はすぐに立ち上がり、そろりそろりと後退るように穴の端へ足を動かした。
「ロレッタ嬢、いったい何が」
「黒い…蛇が……赤い目の黒蛇が…っ!!」
彼女の言葉にぶわりと冷や汗が流れる。目を凝らして見れば、彼女の視線の先には黒いヘドロがうごめいていた。
(まさか、アレが何でこんなところに……!?)
などと考え込んでいる暇はない。とりあえずロレッタ嬢に意識が向かないようにしなければ……──!
急いで護身ナイフを取り出し、左の手のひらで刃先を思いきり握る。滴り落ちる血を穴の中に落とせばヘドロはすぐさま反応してズルズルとこちらへ移動してきた。
「ベ、ベルアンナ様、わ…私は、どうすれば」
「動かないで! 死にたくなかったら絶対少しの怪我もしないで。血が流れた瞬間にそっちに行くわよ」
震えながら必死に頷くロレッタ嬢を横目に、黒いヘドロへと意識を戻す。アレにはまだ私が視えていない、やれるとしたら今だけだ。
(こんな普通の剣の一振りで仕留められるのかしら……いや、何が何でもやるしか、ロレッタ嬢は助からない)
自分の震えを無理やり抑えて一度だけ深呼吸し……意を決して、剣を構えながら穴の中へと飛び降りる。
振り下ろした剣はきちんとヘドロの中心に突き立てた──けれど、何の感触もない。
(マズい、外した。もう一度──!)
間髪入れずに再び突き立てようと剣を振り上げたその時。
ヘドロから黒い煙が発生し視界が覆われ何も見えなくなる。しかしすぐにその煙は晴れ、私の目に映ったものは──記憶のままの前世のお母様であった。
【ベルアンナ、ベルアンナ、可愛い私の娘。どうしてお母様の言うことが聞けないの】
これは幻覚と幻聴だ。それを分かっているのに手足が固まってしまい反応が一拍遅れた。その一瞬の遅れのせいで目の前の母が私の喉を掴んで押さえつけてくる。
「……っ! ……!!」
声が出ない。息が出来ない。それでも、綺麗に笑っているお母様だけはハッキリと私の目に映っていた。やはり機嫌が良いお母様を見ている時が一番安心する。
【ベルアンナ、貴女が一番可愛い私の娘よ。だから厳しくするの、分かってくれるわよね?】
(分かってるわ、お母様。大丈夫よ。私、絶対完璧な子になるの)
意識が半分遠くなり、視界が段々と薄暗くなっていく。
目の前の光景が夢か現実か分からなくなってきたところで、ぐちゃり、という不快な音が聞こえたかと思えば急に喉の圧迫感から解放された。
「ベル! ベルアンナ──!!」
──ああ、ヴィードの声だ。
聞き馴染みのある声に張り詰めていた気が抜けて体が一気に脱力する。
そのまま眠るように目を閉じれば、私の意識はもう暗闇の中であった。




