波乱のお茶会 (2)
フィアトラール邸から馬車に揺られてしばらく、白い薔薇に包まれた美しい門の前でゆっくりと馬車が停止した。
「お嬢様、どうかご無事にお戻りください」
まるで今生の別れかのような顔つきのリリアが今にも泣いてしまいそうだ。
しんみりした空気を吹き飛ばすために「大丈夫よ」と笑って返したが、リリアがおもむろに懐から護身用のナイフを取り出したのを見て、「大丈夫よ」と真顔でそのナイフを押し戻した。
「無暗に近づいて来る輩は先にやりましょう。お嬢様の立場であれば許されます」
「許・さ・れ・ま・せ・ん。あなたそれヴィードと同じレベルの思考回路よ」
ヴィードと同じ思考=論外であると、そうハッキリと伝えたもののリリアは真剣な面持ちで私の手にナイフを握らせてきた。……ダメだ、この様子だと折れてくれる気配がしない。と仕方なくしぶしぶ受け取る。リリアを安心させるためにドレスの裾にでも隠し持っておくことにしよう。
「お嬢様、見知らぬ者と二人きりになってはいけませんよ。……はぁ、せめて護衛一人ぐらい同行を許してくれれば良いものを」
馬車から降りてもリリアはまだ不安げな様子であった。
元気づけるように「お土産話を期待してね」と伝えて手をそっと握れば、思った以上にぎゅうっと力強く握り返される。
「なるべくヴィードリッヒ殿下のお側から離れないでくださいね」
「珍しいわね、あなたがそんなことを言うなんて」
「背に腹は代えられません。いざとなったら──」
さすがに不敬すぎる言葉を口にするのは憚られたのか、口ごもるリリアに苦笑したところで「“皇子を盾にしてでも逃げろ”って言うつもりだった?」と後ろから声がした。
「……随分とお早いご到着のようで」
「うん、君に会うのが待ち遠しくて」
いつの間にか気配もなく近寄ってきたヴィードが私の隣に立ち、流れるように手を取られて彼の腕に置かれる──はずが、握ったままのリリアの手が離れず一瞬だけ空気が固まる。
「──ご苦労だったね、バロンズ嬢。君も朝から準備で疲れただろう? 今すぐ帰って休んだらどうだい」
「お気遣い痛み入ります。ですがお嬢様と毎日共に過ごせることは喜びであり苦労などありませんので」
「へぇ、そうなんだ。将来的にベルと共に過ごすのは僕なんだから、限りある今を大事にしておくといいよ」
相変わらず地獄の空気を作り出す二人である。両者一歩も引かない状況の中で、どちらの味方になっても絶対にこのあと尾を引くに違いない。けれど放っておくとそろそろ不審者扱いされそうだ。
──少々恥ずかしいがここは奥の手を使うことにしよう。
「……あのね、リリア。お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「もちろんです。何なりと」
即答のうえあまりにもキラキラした笑顔を向けられて一瞬たじろいでしまったが「ご、ご褒美のデザートがね」と何とか絞りだす。
「ええっと、その……リリアが作ってくれるお菓子ってすごく美味しいでしょう? だからそれがご褒美としてあったら今日一日がんばれるのになぁって」
「ふふ、かしこまりました。ではお嬢様の大好きなリンゴたっぷりのアップルパイを焼いてお帰りをお待ちしておりますね」
「それはすごく楽しみにしておくわ」
これぞ秘技、対リリア用の“ワガママお嬢様”戦法である。
リリアは私に頼み事をされると嬉しくなる、かつ難易度が高い要求ほどやる気が出るという変わった性格の持ち主だ。
最初は主人を立てるための方便だと思っていたのだが、あまりにも本人が何度も力説するので今や受け入れてしまった。気は引けるがこれを利用しない手はない。
一瞬で上機嫌になったリリアはあれだけ頑なに握っていた手をあっさりと離し一礼して馬車へと歩き出す。
そうして名残惜しそうに何度か振り返りながらも「どうかお気をつけくださいね」と言葉を残し、彼女を乗せた馬車は再び走っていった。
効果が覿面すぎて逆に心配になるが、とりあえず一難去ってホッと一息つく。
しかし今度は隣のヴィードがにっこりと嫌な笑顔を浮かべた。
「知らなかったなぁ~君ってあんなに可愛くお強請りできるんだね」
「可愛いかは置いといて必要に差し迫られた時以外は絶対にしないわよ」
「侍女だけ特別扱いは不平等だよ。僕にも強請られる権利はあるよね?」
自信満々に訳の分からない理論を聞かされて頭痛がしてきた。
何故こうも突飛なのだろうかこの男は。あぁ面倒くさい…。と張り倒したい気持ちを抑えて一度深呼吸する。
大体、ヴィードの場合は極端すぎるのだ。うっかり欲しい物を口に出せば買い占め・独占契約まで持ち出してくるような人物においそれと物を強請れるはずもない。無難かつヴィードが変な行動を起こさずに済む物となると──
「──……花でも贈ってもらおうかしら」
ヴィードが意外だとばかりに「花?」と聞き返してきたのでやっぱり無しにしようかと口を閉じる。
すると彼は慌てたように「昔は避けてたでしょ。だから興味ないのかなって」と自分の言葉をフォローした。
「普通に好きよ。でも私には似合わないって言われたから、茶々入れられるのが面倒で近寄らなくなったの」
「──…何、それ。誰から言われたの。学院関係? 皇宮? まさか教会…いや、神殿の」
「別に、そこら辺にいるただの赤の他人よ。だから深くは気にしてないわ」
そういえばそんなこともあったなと今思い出したぐらいだ。取り立てて特別なことでもない。
「でも君が咄嗟に思い出すくらいには記憶に残ってるってことでしょ。……具体的にそいつに何て言われたの」
話のついでに出た程度の話題なのですぐに流れるかと思いきや深掘りされてしまい「あー……」と、思わず濁した音が口から出た。
「“毒花女に愛でられる花が可哀想”なんですって。難癖すぎて笑っちゃうわよね」
近くに咲いている白薔薇に視線が移る。言葉自体はどうでもいいが、あれのせいでぐちゃぐちゃになった花束は確かに可哀想だった。
ふと、静かになったヴィードの方を振り向けば、無感情な目と視線が合い内心ギクリとする。余計な話をしてしまっただろうか。本当にただの笑い話のつもりだったのに。
さっさとこの話題を切り上げた方が良いかもしれない。と話の本題に戻そうとしたところでヴィードが、ぐっ、と距離を詰めてきた。
「君がそういう濁した言い方をする相手ってことは昔の家族の関係者だろうね」
「……それ、は」
「“毒花女”なんて頭の悪い表現を好むのは──ボリッツの賭博仲間かな」
久しぶりに耳にした名前に無意識でヒュッと息を飲んでいた。
頭の奥で霞みのように遠い記憶だったものが生々しく甦る。
──ボリッツ・フィアトラール。前世の私の兄でフィアトラール家の小公爵。
賭博で借金を抱えては酒に溺れて暴れていた人だ。普段は気弱でも私や妹に優しくて、決して根が悪いわけではないのだけれど。
「当たったようだね。その中でもやらかしそうな奴といえば──……」
何やら思案し始めたヴィードだったが「……やーめた、楽しくない話はここまでにしよっか」と、すぐにいつもの顔に戻り私の手を引いた。
「後でとっておきの花を贈るよ。君を驚かせたくて品種改良したものがあるんだ」
「……また突然の思いつきで周りを泣かせてないわよね」
「まあ、うん。彼らも給金もらって仕事してるんだから色々あるよね~」
可哀想に。おそらく過労で倒れた者たちがいそうだ。見知らぬ彼らにそっと心の中で合掌した。
あまり門前で長居するわけにもいかないと、ようやくシェアモンテ家の従者に声をかけて温室まで彼らの馬車で送迎される。
馬車の中でも私たちの会話が途切れることはない。けれど、普段なら聞きたいことは根掘り葉掘り聞くヴィードが、先ほどの前世の関連話にだけは絶対に触れてこないことが少しだけ違和感だった。……まあボリッツ兄様の件は度々ヴィードにも迷惑をかけてたので、追求されずに済んだことは正直助かりはするのだけど。
そうしていよいよ茶会が開かれる温室の前に到着する。従者が報告のために少し離れたタイミングでヴィードが見計らったように小さな箱を差し出してきた。
「迷ったけど、やっぱりこれを渡しておいた方が良さそうな気がして」
何の脈絡もなく渡されたそれを開けると、中には薔薇をモチーフとしたブラックオパールのネックレスが輝きを放っていた。精工に作られたそれは非常に美しく上品で個人的には好みの装飾品だ──が。
「何でよりにもよって薔薇モチーフの物を今渡してくるのよ。シェアモンテのご令嬢に喧嘩売れってこと?」
最初に通った門にも、ここに来るまでの道にも、埋め尽くすほどに咲き誇っている白薔薇を散々見ただろうに。そもそもシェアモンテの令嬢が白薔薇好きなのは割と有名な話だ。何と言っても“白薔薇姫”という呼称を本人自ら定着させたがってるくらいなのだから。
それなのに私がわざわざ薔薇のネックレスを着けて出席なんてしようものなら、もはや完全な当てつけ女として受けとられること間違いなしだろう。
そう視線で訴えればヴィードはそれを正しく読み取り「うん、喧嘩してきて♡」とニッコリ笑った。誰か今すぐ悪魔退治者を連れてきてほしい。
「と、まあそれは半分冗談だけど。少なくとも“本物の薔薇姫”を見せつけて欲しいかな。僕がシェアモンテ嬢と秘密の恋仲だって噂されるのは普通に腹立たしいし」
後半で急に話が飛躍したせいで思わず首を傾げてしまった。何なのだそのロマンス小説みたいな状況は。接点がほぼ無い二人なのにそこまで噂されているのは逆に面白いとさえ思えてくるが。
「君って本当に僕に興味ないよね。結構有名な噂なのにぃ──……」
少しいじけながらもヴィードが話してくれた内容を要約すると、事の発端はとある茶会での彼の一言であった。
『僕の好きな女の子のタイプ? うーん、薔薇の花が似合う子かなぁ』
意味深に笑いながら放たれたその言葉を真に受けた令嬢たちは、真っ先に三公の薔薇姫たちの存在に思い当たったのだ。そうして自分たちもその称号を手にするほど注目を集める存在となればヴィードの目に留まると思い込んだらしい。
もちろんシェアモンテのご令嬢もその一人であり、最有力候補と噂されている。
「──ほんと、いろんなところで厄災の種を振りまく天才よね、あなた」
「そこはベルの名前を直接出さなかったことを褒めてほしいな」
何をいけしゃあしゃあと……とは思えど。まあ、一理はある。婚約者候補が山のようにいたあの頃に私の名前を出されていたら今頃は平穏とかけ離れていただろうし。
その恩恵分は譲歩しようと「えらいえらい」と雑にヴィードの頭を撫でれば、彼にとっては想定外だったのか分かりやすく耳が赤くなった。
「褒めてほしいって言ったのはあなたでしょう、何照れてるのよ」
「や…うん、そうなんだけど。こんな形でもらえるとは思ってなかったから」
そう言って気恥ずかしそうに笑う彼のせいで、全然何とも思っていなかった私までも顔が少し熱くなる。そのまますぐ手を引っ込めるも、彼は上機嫌な顔のまま「これ着けるから後ろ向いて」とネックレスを取り出した。
「そもそも君だってこの薔薇の香水は喧嘩を吹っ掛ける気でいたんじゃないの?」
「私のは下に見られないための威嚇程度よ。面倒は最低限にしたいもの」
「派手な面倒が起こった方があの子と面会謝絶の理由作れて助かるんだけどなぁ」
「……あなたって本当に」
性格悪いわね。と、首元のネックレスに触れながら呆れ気味に言葉を返せば、ヴィードは楽しそうに「そう言うのは君だけさ」と小さく笑った。
「さあ行こうか──今日も君が一番綺麗だよ、僕の愛しい黒薔薇姫」
前世ではよく聞いたお決まりの言葉に、思わず顔をしかめてしまう。
正直この愉快犯を適当にあしらって無視したい気持ちは山々だが、差し出された彼の手を仕方なく取るしかない。
トラブル不可避であろうこの後を思い少しだけため息を吐いて、いよいよ魔境へと足を一歩踏み出した。




