波乱のお茶会 (1)
清廉な朝の空気、やわらかい日差し、微笑むリリア──そして、死にかけの私。
「完璧な装いかと。本日のお嬢様は間違いなくパーティーの主役でございますね」
「──ありがとう」
情熱を全て注いだと言わんばかりの顔をしているリリアに何とかお礼を言う。
つい素っ気ないような澄ました声音になってしまったが、別に主役で当然だと驕っているわけでは決してない。──物理的な問題でまともな発声ができないだけなのだ。
「……お嬢様、苦しければやはりもう少し緩めてもよろしいかと」
「大丈夫よ。今日一日だけだもの、これぐらい当然だわ」
鏡の中にパステルブルーのドレスを着て背筋を伸ばした私の姿が映っている。
リリアの言うように頭からつま先まで完璧なフル装備だ。……少々完璧を目指しすぎて、限界以上に絞めたコルセットが若干の弊害ではあるが。
「では出発までもうしばらく時間がありますし、早速皆さまをお呼びしてお嬢様のドレスのお披露目会を──」
「リリア、私ちょっと喉が渇いてて。リリアが淹れてくれたコーヒーが飲みたいの。スペシャルブレンドの特別なあれが飲めたらとっっても嬉しいわ」
何とかリリアの気を逸らそうと畳み掛けるように願いごとを口に出してしまった。
私のお気に入りのコーヒーは少し離れた通り沿いの店で豆を購入しなければならないというのに。
「お任せください! すぐ行ってまいりますのでお披露目会は後程にしましょう」
私の急なわがままにもリリアは嫌な顔一つせず、それどころか少し嬉しそうに二つ返事で引き受けてくれる。あぁ、こんな優しい人に私はなんてことを……。
リリアが部屋から出たのと同時にソファに座り込んで息を吐いた。
少しだけ罪悪感に苛まれてはいるが正直安堵の気持ちの方が大きい。
今日に限ってなぜか家族全員が家にいるという異常事態。いつもなら休みの日でさえ仕事が舞い込んできて家を空けざるを得ない人たちなのに。
そんな状況でお披露目会など開かれては茶会の前に精神力が尽きてしまう。
何とかコーヒーの買い出しで時間切れになってほしい。お披露目会をうやむやにしてそのまま出発させてほしい──と、打算まみれの考え事をしていたその時。
「ベル、リリアが外出する前に教えてくれたのだけど入っていいかしら」
……してやられたようだ。「奥様には必ずご覧いただきましょうね」と昨晩から気合いが入っていたリリアの方が一枚上手だった。
返事をし終えるのとほぼ同時にお母様が扉を開ける。
おずおずと立ち上がってドレスのすそを摘まみながら軽く礼をすれば、母はとても満足そうに目を細めた。
「ベルアンナ、本当に素敵よ。そのドレスもあなた自身も」
皇后陛下に頼んで宮廷画家を呼んでもらおうかしら、と冗談めいて笑う母につられて私も軽く笑い声が漏れる。
すると母は一度ぱちりと瞬きして、先ほどよりもさらに嬉しそうに微笑んだ。
「ベルはやっぱりお父さん似ね」
「…? どういう意味でしょう?」
「笑う時に口元に手を当てる癖。エリオットと全く一緒だわ」
その言葉を聞いて今度は逆に私が瞬きをすることになった。
前世と合わせても両親に似ていると言われたことなど、ほとんどない。あっても社交の挨拶の中でのみぐらいだ。
「でもお父さんはあなたが私に似てるってよく言うのよ」
「……そう、なのですか…?」
「ええ、考え事してる時に髪を触る仕草とかね。兄妹の中であなたがちょうど私とエリオットの血を半々に受け継いだのかもしれないわ」
ねぇ、あなたもそう思わない? と母が扉の方を振り返りながら言う。
すると、もう誰もいないと思っていた扉がゆっくりと再び開かれた。
「そういうことを気にしたことがありません。が、母上がそう思うならきっとそうなのでしょう」
扉の先にいたのはまさかのロドヴィック兄様だった。
──何のためにリリアを買い出しに行かせたというのか。
今日一番避けたかった相手こそ、この人であるというのに。
父や母より、何と言ってもこの仕事中毒のような兄が家にいることが珍しすぎるのだ。また何か私の至らなさで叱られるのではないかと変に緊張してしまう。
兄の急な登場に驚きつつ、それでも何とかその感情を抑えながら挨拶をすれば、私の頭からつま先を一瞥した兄は軽く頷いた。
「……悪くない。フィアトラール家の第一公女として過不足ない装いだ」
その言葉にホッと胸をなでおろす。無難な感想で何よりだ。しかし母は逆に不満そうに口を尖らせた。
「なぁーにー? そのお堅い評論家みたいな言葉は」
「別に、見たままの感想を述べただけですが……」
「素直に可愛いって褒めてあげればいいじゃない。あなた、リゼにはちゃんとそういうこと言えてたのに」
「……っ! あれはシェリーゼが泣きだすから仕方なく──!」
賑やかな言い合いをし始めた二人に、自然と足が後ろに下がった。何となく、その親子の空気感に割って入ることが憚られたから。……私がそこに混ざると異物が紛れ込んだように感じてしまうから。
仲の良い親子が軽口を言い合う光景は平和な映画の一場面のようで。それを観客みたいに観賞しながらふと思う。──私には無理ね、と。
前世でも今世でも、私は両親に反抗したことがない。
口答えでもしてもし万が一、母様と父様に嫌われてしまったらなんて考えたくもないからだ。それなら一方的に怒られる方がまだマシとさえ言い切れる。
──婚約破棄騒動で追放された時もそうだった。
表ではフィアトラール家の当主の提案で処分したとされたが実際は逆だ。
両親から失望され、怒鳴られはしたけれど僅かな愛情だけはまだ残っていた。それを失いたくなくて私自身が言い放ったのだ──ベルアンナとの縁を切って処刑を嘆願すればいい。そうすれば残った家族は助かる、と。
……本音を言えば多少の期待はした。もしかしたら私を信じて手を差し伸べてくれるかもしれないと。
けれど、縁切り宣言をして心の底から安堵した表情を見せた両親や兄妹にそれ以上何かを言えるはずもなく。
彼らの心の中にまだあるはずの、残りかすのような愛情までも失うのが怖くて全てを飲み込むことにしたのだ。
あの時は家族からの愛だけが唯一縋れるもので。何もかもを失って空っぽになった私の、心を守る最後のお守りだったから……──。
「──もう! そういう変に頑固なところは直しなさい! じゃないと将来のお嫁さんから嫌われるわよ……って、あら、ベル?」
「は、はい」
「顔色がちょっと悪いわね、熱でもあるのかしら」
「いえ、大丈夫です」
口喧嘩を突如切り上げた母がこちらに駆け寄ってきて、手をピタリと額に当ててくる。今世の母は事あるごとに距離が近くてびっくりすることが多いが、さすがにもう慣れなくては。
「もしかして心配しちゃった? 私たち別に本当に喧嘩してたわけじゃないのよ。ちょっと…そう、ほんの少ーしだけ熱くなっちゃっただけで」
「……はぁ、それぐらいベルアンナも分かっているでしょう。母上の猪突猛進さはこの家の誇りなのですから」
「なんですってぇ…!」
いけない、第二ラウンドが始まってしまう。
口達者でこういう言い合いの場で折れることは絶対しない二人だ。
この二人をなだめるのはいつも父の役割のため、こういう時に私はどうすればいいのか分からない。
だがこれ以上は長引かないよう阻止せねば、こちらに飛び火されても対処に困ってしまう。
そんな風に焦っていたせいか咄嗟に目の前のお母様の腕にしがみついてしまった。
「……! あらあら、体調が悪いなら今日はシェアモンテの茶会なんてやめて母様と庭園でお昼寝に変更しましょうか~」
「認めませんよ、絶っ対にやめてください──ベルアンナ、先に下に降りてろ。どうやら母上には説教が必要らしい」
残念ながら余計に場を悪化させてしまったようだ。少し迷いはしたものの、ここにいたところで何も出来はしないので、素直に兄に従うことにした。
言われた通りそそくさと兄の横を通り過ぎようとした時、軽く咳払いされて自然と足が止まる。……最後の最後で私がまた何かやらかしてしまったのだろうか。
そろりと兄の方に顔を向ければ、引き止めた当人である彼の方が何故か歯切れ悪そうに目を逸らし、一呼吸置いてから意を決したように視線を私へと戻した。
「……似合っている。だから自信を持て」
突然の褒め言葉に嬉しさより驚きの方が勝ってしまい一瞬ぽかんとしてしまう。
兄自身も相当珍しいことを言った自覚はあるのか、すぐさま「家の恥になることはするなよ」といつもの調子に戻ってはいたが。
「ええ、もちろん。私はフィアトラール家の第一公女ですもの」
狼狽える兄、という珍しい光景のおかげで気持ちが少しほぐれたからか、自然と笑顔がこぼれる。
「行ってまいります」という言葉に満面の笑みを返してくれる母と、これまた珍しく軽い微笑みを浮かべた兄に見送られ、私は部屋を後にしたのだった。




