7.旅の続き
祭りの翌朝。
少し寝坊した。
カイも寝坊した。
「お前のせいだ」
「何で」
「最後に酒飲むって言っただろ」
「頼んだのはそっちだろ」
「勧めたのはお前だ」
「一杯だけだよ」
「二杯飲んだ」
「それは知らない」
宿を出たのは、昼前だった。
*
それからも西へ進んだ。
カイが行くから、ついていった。
たまに別れた。
カイが商売で別の町へ行くときは、一人で何日か過ごした。
またどこかで合流した。
待ち合わせをすることもあった。
「十日後にノルン」
「十日?」
「遅い?」
「いや」
「じゃあ十日後」
「分かった」
予定が決まる。
それだけだった。
*
ヒカリのことは、前ほど聞かなくなった。
黒い髪の女を知りませんか。
ヒカリという人を知りませんか。
昔は町に着くたび聞いていた。
今は、思い出したときだけだった。
市場を歩く。
飯を食う。
面白そうなものがあれば見る。
カイが仕事をしている間、一人で町の外まで歩くこともあった。
ある町には、大きな塔があった。
上まで登れるらしい。
金がかかった。
登った。
高かった。
それだけだった。
でも、悪くなかった。
*
「来月なら、ラダの祭りがある」
カイが言った。
「どこ?」
「南」
「逆じゃん」
「そうだな」
「どれくらい?」
「ここからなら五日」
「結構あるな」
「行かなくていいぞ」
「何があるの」
「酒」
「それだけ?」
「あと魚」
「魚か」
「川に灯り流すらしい」
「へえ」
少し考えた。
「来月なら行けるな」
「何で?」
「特に予定ないし」
「じゃあ行く?」
「行こう」
カイが頷いた。
来月。
口にしてから、少しだけ変な感じがした。
何が変なのかは分からなかった。
*
ノルンで、古い歌を聞いた。
酒場だった。
客が歌っていた。
ヒカリの歌ではなかった。
俺は普通に聞いた。
その次の町でも歌を聞いた。
知らない歌だった。
その次も。
知らなかった。
ヒカリの歌がない町の方が多かった。
当たり前だった。
*
カイと別れて、一人で小さな町に寄った。
名前はセラ。
宿を探して歩いていると、壁に絵が描いてあった。
何人かの人が並んでいる。
祭りの絵らしい。
楽器を持っている男。
踊っている女。
子供。
その端に、黒い髪の女がいた。
足が止まった。
顔はよく分からない。
絵も上手くない。
でも、この辺りでは黒い髪は珍しい。
近くで店を出していた女に聞いた。
「あの絵って、何ですか」
「昔の祭り」
「いつ頃?」
「さあ」
「描いてある人って、実在した人ですか」
「たぶん」
「黒い髪の人」
「ああ」
女が絵を見る。
「歌の人じゃない?」
「歌の人?」
「昔、祭りで歌ってた人がいたらしいよ」
「名前は?」
「知らない」
まただった。
でも、少しだけ期待した。
「誰なら知ってます?」
「町長」
「どこにいます?」
「向こう」
*
町長は、六十代くらいの男だった。
「あの壁の絵?」
「はい」
「古いぞ」
「黒い髪の女性について知りたいんです」
「ヒカリか」
名前が出た。
もう驚かなかった。
「そうです」
「知り合い?」
「昔、応援してました」
「何を?」
「歌を」
「じゃあ同じだな」
「同じ?」
「俺も聞いたよ」
俺は町長を見る。
「直接?」
「ああ」
「いつですか」
「俺が子供のころ」
「今、おいくつですか」
「六十三」
「何歳くらいのとき?」
「二十くらいだったかな」
四十年以上前。
エドが亡くなったころと、それほど離れていない。
「そのあとも、ヒカリはここに?」
「いや。すぐ出ていったよ」
「どこへ?」
「知らん」
「そうですか」
「でも、また来たぞ」
「え?」
「十二年くらい前だったかな」
十二年前。
一気に近づいた。
「ここに?」
「ああ」
「何しに?」
「祭り」
「歌ったんですか」
「歌ったよ」
そのころ、ヒカリは六十代半ばになる。
「どんな感じでした?」
「どんなって」
「歌ってるとき」
町長が少し考えた。
「楽しそうだったよ」
それだけだった。
「そうですか」
*
「その後は?」
「その後?」
「どこへ行ったか知ってます?」
「北」
「町の名前は?」
「フィル」
紙を出した。
「フィル」
「そう」
「そこに、いつ頃までいたかは?」
「知らん」
紙をしまおうとした。
「でも」
町長が言った。
「フィルにはもういないぞ」
手が止まった。
「どこへ?」
「さらに北」
「どこです?」
「リノって村」
聞いたことがない。
「いつ頃の話ですか」
「いつ頃って?」
「ヒカリがそこへ行ったのは」
町長が少し考えた。
「七、八年前かな」
七、八年前。
また近い。
「そのあと、どこへ?」
「知らん」
「リノを出たかどうかは?」
「知らん」
「そうですか」
紙に、
リノ。
と書いた。
「行くのか?」
「たぶん」
「なら聞けばいい」
「誰に?」
「ヒカリに」
ペンが止まった。
「……誰に?」
「だから、ヒカリ」
町長は不思議そうに俺を見た。
「いるよ。今も」
*
しばらく意味が分からなかった。
「生きてるんですか」
「何だと思ってたんだ」
「いや」
何だと思っていたんだろう。
死んだとは聞いていない。
五十年以上前。
四十年前。
三十三年前。
十二年前。
七、八年前。
少しずつ近づいていた。
それでも、どこかで昔の人だと思っていた。
「リノに?」
「少なくとも去年はいたぞ」
「去年?」
「リノのやつが祭りに来たとき聞いた」
「ヒカリのことを?」
「ああ」
去年。
その言葉だけが残った。
「元気ですか」
「知らん」
「そうですよね」
「でも死んだとは聞いてない」
「……そうですか」
*
町長の家を出た。
紙を開いた。
リノ。
その下は空いている。
もう、次の町を書く必要がないかもしれない。
ヒカリがいる。
今も。
会えるかもしれない。
そう思うと、急に足が重くなった。
今までとは違った。
歌なら聞けた。
話なら聞けた。
知らないヒカリのことを、知らない人から聞くことができた。
本人は違う。
聞きたいことはいくらでもあった。
こっちへ来てから、どんなふうに暮らしたのか。
エドとは、どうやって出会ったのか。
歌わなかった間、何をしていたのか。
どうして、また歌ったのか。
それから。
もっと昔のことも。
アイドルだったころ。
歌うのは楽しかったのか。
ライブは好きだったのか。
俺たちが客席から見ていたヒカリは、ヒカリにとってどんな時間だったのか。
あの四小節をもらったとき、嬉しかったのか。
聞いてみたかった。
たぶん、会えば聞ける。
五十年以上、誰にも聞けなかった答えを、本人は持っている。
紙を折った。
でも。
それを聞くために会いたいわけではない気がした。
*
宿に戻った。
カイはいなかった。
次に会うのは五日後だった。
机の上に紙を置く。
リノ。
そこまで馬車で三日。
歩けばもう少しかかる。
すぐ行くこともできた。
行かなければならない理由はない。
しばらく紙を見た。
窓の外では、夕飯の支度をしている匂いがした。
腹が減った。
下へ降りた。
*
五日後。
カイと合流した。
「遅い」
「時間通りだろ」
「俺が早かった」
「知らないよ」
カイは荷物を置いた。
「で、どうする?」
「何が」
「次」
「ああ」
俺は言った。
「会いたい人が見つかった」
「生きてた?」
「生きてた」
「よかったな」
「うん」
「どこ?」
「北。リノって村」
「遠い?」
「ここからなら四日くらい」
「行くの?」
「行く」
「そうか」
カイはそれ以上聞かなかった。
「じゃあ俺は南だな」
「逆だな」
「逆だな」
少し黙った。
「ラダの祭りは?」
俺が聞いた。
「来月」
「知ってる」
「来る?」
「たぶん」
「じゃあ宿取っとく」
「まだ行くって決めてない」
「さっきたぶんって言っただろ」
「予定が変わるかもしれない」
「じゃあ一人で行く」
「それは困る」
「何で」
「魚のうまい店知らない」
カイが笑った。
「じゃあ来い」
「分かった」
来月。
予定は、まだ残っていた。
*
翌朝。
カイは南へ。
俺は北へ。
分かれ道で別れた。
「じゃあな」
「うん」
「死ぬなよ」
「そっちも」
それだけだった。
俺は北へ歩いた。
ヒカリに会うために。
でも。
それが旅の終わりだとは、思わなかった。




