6.もう一度
朝六時。
カイは本当に出発した。
俺も起きた。
「意外だな」
「何が」
「起きた」
「子供じゃないんだから」
「昨日、朝弱そうだったから」
「普通だよ」
「そうか」
荷物を馬車に積む。
雨は上がっていた。
道には水たまりが残っている。
俺たちは西へ向かった。
*
ヒカリの手掛かりはなかった。
一つ目の町。
何もない。
二つ目の村。
何もない。
三つ目。
やっぱり何もない。
そもそも、ヒカリが西へ行ったという根拠すらなかった。
俺がカイについて西へ進んでいるだけだ。
「何探してるんだ?」
宿でカイに聞かれた。
「分からない」
「分からないもの探してるの?」
「そうなるな」
「見つかるわけないだろ」
「俺もそう思う」
「じゃあ何で探すんだ」
「別に探してない」
カイが俺を見る。
「探してないの?」
「最近は」
「じゃあ何してるんだ」
「旅?」
「俺についてきてるだけだろ」
「そうとも言う」
「金取るぞ」
「何代?」
「案内代」
「頼んでない」
カイが笑った。
*
旅には慣れた。
馬車。
徒歩。
宿。
食堂。
また馬車。
同じことの繰り返しだった。
それでも町ごとに少し違った。
パンが硬いところ。
スープが辛いところ。
宿のベッドがやたら柔らかいところ。
朝になると鐘が鳴る町。
夜になると門を閉める町。
カイは食事だけは妥協しなかった。
「次の町、魚がうまい」
「海ないだろ」
「川魚」
「昨日も魚だった」
「あれはまずかった」
「全部食べてたじゃん」
「金払ったからな」
次の町でも魚を食べた。
昨日よりうまかった。
「どうだ」
「昨日よりは」
「だろ」
カイが満足そうに頷いた。
俺が作ったわけでもないのに。
*
ある日。
道が二つに分かれていた。
「右」
カイが言った。
「左は?」
「遠回り」
「何がある?」
「滝」
「滝?」
「でかいらしい」
「見たことある?」
「ない」
「どれくらい遠回り?」
「一日」
「結構だな」
「だから右」
カイは迷わず右へ進もうとした。
「左でよくない?」
足を止めた。
カイが振り返る。
「一日だぞ」
「急いでる?」
「別に」
「俺も」
「滝見たいの?」
「せっかくだし」
カイが変な顔をした。
「何」
「いや」
「行かない?」
「行くけど」
俺たちは左へ行った。
*
滝は、本当に大きかった。
山の間から大量の水が落ちていた。
音が腹に響いた。
細かな水が風に乗って飛んでくる。
近くまで行くと服が濡れた。
「でかいな」
俺が言った。
「でかいな」
カイも言った。
二人でしばらく見た。
それだけだった。
翌日、一日余計に歩いた。
「疲れた」
「お前が行くって言ったんだろ」
「そうだった」
「二度と寄り道しないからな」
「次も寄る」
「聞いてない」
夜。
宿で食べた鳥の煮込みがうまかった。
滝より覚えているかもしれない。
*
その町には三日いた。
カイの商売が終わらなかったからだ。
俺は暇だった。
市場を歩いた。
昼飯を食べた。
知らない店に入った。
昼過ぎ。
広場で子供たちが遊んでいた。
縄を回している。
その横で、女の子が歌っていた。
俺は足を止めなかった。
最初は。
三歩くらい進んだ。
止まった。
振り返った。
知らない歌だった。
いや。
知っていた。
リゼルで聞いた歌とは違う。
もっと後の曲。
ヒカリがアイドルになって四年目。
アルバムに入っていた曲だった。
ライブの最後の方でよく歌われていた。
ヒカリのパートも多かった。
俺は広場へ戻った。
女の子たちは俺を気にせず歌っている。
最後まで聞いた。
間違いなかった。
*
「その歌、誰に教えてもらったの?」
女の子に聞いた。
「先生」
「先生?」
「歌の先生」
「どこにいる?」
「あそこ」
指さした先に、小さな建物があった。
子供たちが文字や計算を習う場所らしい。
中にいたのは、中年の女性だった。
「この歌ですか?」
「はい」
俺が鼻歌で歌う。
「ああ」
女性はすぐに分かった。
「子供たちによく教えていますよ」
「誰に教わったんですか」
「私?」
「はい」
「母です」
「お母さんは?」
「生きていますよ」
思わず、
「会えますか」
と言った。
*
女性の母親は五十歳前後だった。
この町でずっと暮らしているらしい。
「その歌なら覚えてるよ」
「誰から教わりました?」
「ヒカリっていう女の人」
名前が出るまでが早くなった。
「いつ頃ですか」
「私が十五くらいだったかな」
「今、おいくつですか」
「四十八」
三十三年前。
リゼルでヒカリの名前を聞いたときは、五十年以上前だった。
ルデンも、それに近い。
アルムでエドが亡くなったのが、およそ四十年前。
今度は、三十三年前。
少しずつ、時間が近づいていた。
「ヒカリは、ここに住んでたんですか」
「少しだけね」
「どれくらい?」
「一年はいなかったと思う」
「何してたんです?」
「働いたり、子供の面倒を見たり。いろいろ」
「歌ってた?」
「歌ってたよ」
「最初から?」
「いや」
女性は首を振った。
「最初は歌わなかった」
「全然?」
「私は聞いたことなかったね」
「じゃあ、どうして」
「ある日、子供に歌ってやったんだよ」
「この歌を?」
「最初は別の歌だったと思う」
女性は少し笑った。
「一回歌ったら、みんながまた歌ってってうるさくてね」
リゼルでも似た話を聞いた。
「本人は嫌がってませんでした?」
「ああ、嫌がってた」
「やっぱり」
「また? って」
思わず笑った。
「そう言いそうです」
「知り合いなの?」
「昔、知ってました」
「そう」
「夫がいたことは?」
女性の表情が少し変わった。
「エド?」
「はい」
「知ってるんですか」
「アルムで聞きました」
「ああ」
女性は頷いた。
「ヒカリから聞いたんですか」
「一度だけね」
「何て?」
「死んだって」
「それだけ?」
「それだけ」
「いつ亡くなったかは?」
「そこまでは聞いてない」
俺はアルムの石碑を思い出した。
エドが死んだのは、およそ四十年前。
ここでヒカリが歌ったのは、三十三年前。
間には何年かある。
「ヒカリがここに来る前、どこにいたか知ってます?」
「知らない」
「アルムにいたとは?」
「それも知らなかった」
「そうですか」
ヒカリがアルムを出たのがいつなのかは分からない。
すぐだったのか。
何年か残ったのか。
そのあと、どこか別の場所を通ったのか。
分からない。
ただ。
順番だけは分かった。
エドが死んだ。
ヒカリは歌わなくなった。
アルムを出た。
それから何年か経って。
ここにいた。
「この歌」
「うん?」
「ヒカリが歌ったんですよね」
「そうだよ」
「本人が?」
女性が笑った。
「変なこと聞くね」
「すみません」
「本人だよ。何度も聞いたもの」
そうか。
俺は俯いた。
*
歌わなくなった。
エドが死んでから。
アルムにいる間、一度も。
それから村を出た。
どこを歩いたのかは知らない。
何をしていたのかも知らない。
三十三年前。
この町に来た。
最初は、まだ歌わなかった。
でも。
ある日、子供に歌った。
一曲。
それから、また頼まれた。
もう一曲。
俺の知っている歌を。
「……また、歌ったんだ」
声に出ていた。
「何?」
「いえ」
目の奥が熱くなった。
顔を上げた。
窓の外で、子供たちが走っていた。
さっきの歌が聞こえる。
少し音が違う。
歌詞も違う。
ヒカリが歌っていたものとは、もうかなり変わっている。
それでも残っていた。
俺は目を擦った。
「大丈夫?」
「はい」
声が少し変だった。
「すみません」
「ヒカリの知り合い?」
少し迷った。
「ファンでした」
「ふぁん?」
「応援してたんです」
「そう」
女性はそれ以上聞かなかった。
ありがたかった。
*
外へ出た。
広場を通った。
子供たちはまだ遊んでいた。
さっき歌っていた女の子が、今度は別の歌を歌っている。
知らない歌だった。
俺はしばらく聞いた。
知らないままだった。
それでよかった。
*
「遅い」
宿へ戻ると、カイがいた。
「悪い」
「何してた」
「歌を聞いてた」
「歌?」
「うん」
「お前、歌好きなの?」
考えた。
「たぶん」
「ふうん」
カイは興味を失った。
「祭り行くぞ」
「祭り?」
「今日らしい」
「何の?」
「知らない」
「知らないのに行くの?」
「屋台が出る」
「飯か」
「飯だ」
外へ出た。
*
広場には人が集まっていた。
昼とは別の場所みたいだった。
家々の軒先に灯りが吊られている。
赤。
黄。
緑。
青。
細い紐に、小さな灯りがいくつも並んでいた。
屋台から煙が上がる。
肉の焼ける匂い。
甘い菓子。
果物。
酒。
「これ」
カイが串焼きを渡してきた。
「いくら?」
「いい」
「珍しいな」
「さっき儲かった」
「じゃあ遠慮なく」
食べた。
辛かった。
「辛い」
「うまいだろ」
「辛い」
「うまいか聞いてる」
「うまい」
「だろ」
人の間を歩いた。
どこかで音楽が鳴っている。
知らない曲だった。
誰かが笑っている。
子供が走っている。
上を見る。
灯りが風に揺れていた。
赤。
黄。
緑。
青。
少しだけ、昔の客席を思い出した。
でも。
似ているだけだった。
「次、あれ食うぞ」
カイが言った。
「まだ食うの?」
「祭りだぞ」
「明日も移動だろ」
「明日は明日」
「そうだな」
俺はカイについていった。




