5.知らない顔
翌朝、ロイは昨日と同じ場所にいた。
薪を割っていた。
「おはようございます」
「遅い」
「まだ八時ですよ」
「仕事なら遅刻だ」
「今日は仕事じゃないです」
「そういうところが駄目なんだ」
何が駄目なのかは分からなかった。
「ヒカリもよく言われてた」
「朝弱かったんですよね」
「お前も同じだな」
「一緒にしないでください」
ロイは笑った。
*
ヒカリは、この町に二年ほどいたらしい。
宿で働いた。
最初は何もできなかった。
少しずつ仕事を覚えた。
それから、出ていった。
「何でですか」
「知らん」
「昨日、西へ行った理由を知ってるって」
「少しなら、って言っただろ」
「少しをお願いします」
ロイは面倒そうに斧を置いた。
「探し物をしてた」
「探し物?」
「帰る方法」
俺は黙った。
「詳しくは知らんぞ」
「はい」
「自分のいた場所に戻りたいって言ってた」
「……そうですか」
「お前、やっぱり何か知ってるな」
「たぶん、ヒカリと同じところから来ました」
ロイが俺を見る。
少しの間、何も言わなかった。
「そうか」
それだけだった。
「驚かないんですか」
「今さらな」
薪を一本拾う。
「あいつも突然現れた。お前も変な服で来たんだろ」
「服はもう普通です」
「顔が変だ」
「それは元からです」
「そうか」
斧が振り下ろされた。
「西の大きな町に、古い魔法を調べてるやつがいるって聞いてな」
「それで?」
「出ていった」
「町の名前は?」
「バルネ」
初めて、はっきりした行き先が分かった。
「ありがとうございます」
「行くのか」
「行ってみます」
「そうか」
ロイはまた薪を割った。
それで話は終わった。
*
バルネまでは遠かった。
馬車で六日。
休みでは足りない。
町へ戻って、親方に話した。
「辞めます」
「そうか」
驚かれなかった。
「すみません」
「別にいい」
「急で」
「人は足りてる」
「そうですか」
少し寂しかった。
「戻ってきたら、また雇ってください」
「人が足りなかったらな」
「お願いします」
それで仕事を辞めた。
部屋を引き払った。
荷物は少なかった。
服。
水筒。
金。
スマートフォン。
スマートフォンは少し迷って、持っていくことにした。
使えない。
重い。
それでも捨てなかった。
*
カイと会ったのは、バルネへ向かう馬車だった。
俺より少し若い男だった。
荷物が多かった。
大きな鞄が三つ。
木箱が二つ。
俺の隣に座るなり、
「悪い、これ持って」
と言って、小さな袋を渡してきた。
「何で?」
「落ちる」
「知らないよ」
「もう持ってるだろ」
確かに持っていた。
仕方なく膝に置いた。
「ありがとう」
「何入ってるの」
「売り物」
「だから何」
「香辛料」
「高い?」
「落としたら殺すくらい」
袋を返した。
「冗談だよ」
「持ちたくない」
「冷たいな」
それが最初だった。
*
カイは商人だった。
町から町へ商品を運んでいる。
「バルネまで?」
「その先」
「どこまで?」
「決めてない」
「商売ってそんな感じなの?」
「売れるところまで行く」
適当だった。
でも、金には細かかった。
宿を選ぶときは三軒回った。
食事の値段も確認した。
そのくせ、飯にはうるさかった。
「ここはやめよう」
「何で?」
「まずい」
「食べたことあるの?」
「去年」
「一年経ってるよ」
「まずい店は一年じゃ変わらない」
結局、少し高い店に入った。
「金に細かいんじゃなかった?」
「まずい飯に金を払う方がもったいない」
よく分からない理屈だった。
料理はうまかった。
*
バルネに着いた。
大きな町だった。
人も多い。
俺はロイから聞いた、古い魔法を研究していた家を探した。
もうなかった。
正確には、建物はあった。
別の家族が住んでいた。
「昔ここにいた学者?」
住人の男が考える。
「祖父から聞いたことはあるな」
「ヒカリという女の人が訪ねてきませんでしたか」
「知らない」
それ以上は分からなかった。
二日調べた。
何も出なかった。
ヒカリがここへ来たのかさえ分からない。
手掛かりが切れた。
*
「で、どうするんだ?」
カイが言った。
偶然、同じ食堂にいた。
「分からない」
「帰る?」
「どこに?」
「ああ」
カイはパンを食べた。
「帰るところないのか」
「一応あるけど」
「じゃあ帰れば」
「戻る理由もない」
「面倒だな」
「自分でもそう思う」
カイはスープを飲んだ。
「俺、明日南へ行くけど」
「うん」
「途中まで来る?」
「何で?」
「暇なんだろ」
「暇だけど」
「ならいいじゃん」
「どこ行くの」
「アルムって村」
聞いたことがなかった。
「何があるの?」
「木工品」
「興味ない」
「俺もない。売れるから行く」
「そう」
「あと、肉がうまい」
「肉?」
「焼いただけなのにうまい」
「それはちょっと気になる」
「だろ」
次の日。
俺はカイと南へ向かった。
*
アルムは小さな村だった。
木工品で有名らしい。
家の前に椅子や棚が並んでいる。
カイは着くなり商人の顔になった。
値段を聞く。
木を見る。
何か細かい話をする。
俺には分からない。
暇だったので村を歩いた。
広場の端に、小さな石碑があった。
名前が並んでいた。
十人くらい。
古い。
何となく見ていた。
「昔、魔物が来たんだよ」
後ろから声がした。
老人だった。
「この村に?」
「ああ」
「この人たちは?」
「死んだ人だ」
そのままだった。
「村の人ですか」
「ほとんどな」
老人が名前を一つずつ指さす。
猟師。
農夫。
自警団。
木工職人。
最後の言葉で、少し引っかかった。
「木工職人?」
「エドだよ」
老人が一つの名前を指した。
他と同じ大きさだった。
エド。
「若かったんですか」
「三十七だったかな」
「家族は?」
「嫁がいた」
老人は少し考えた。
「変わった名前の女だったな」
嫌な予感がした。
「何て名前です?」
「ヒカリ」
風が吹いた。
広場の土が少し舞った。
「……ヒカリ?」
「ああ」
「黒い髪?」
「そうだった」
俺は石碑を見た。
エド。
もう一度読んだ。
「二人は、夫婦だったんですか」
「そうだよ」
そうですか。
と言おうとした。
少し遅れた。
「……そうですか」
*
何を期待していたんだろう。
五十年以上前の話だ。
ヒカリは二十三歳でいなくなった。
こっちへ来て。
生きて。
誰かを好きになって。
結婚した。
当たり前のことだった。
俺とは関係がない。
分かっている。
それでも、少しだけ変な感じがした。
「エドって、どんな人だったんですか」
老人に聞いた。
「エド?」
「はい」
「無口だったな」
「強い人?」
「全然」
老人は笑った。
「喧嘩も弱かった」
「じゃあ、何で石碑に」
「逃げなかったからだよ」
「逃げなかった?」
老人は石碑を見た。
「魔物が来たとき、橋を落とす必要があった」
村の外にある古い橋。
そこを越えれば、森から村へ直接入れる。
住民が逃げる時間を作るため、何人かが残った。
エドもその一人だった。
「戦ったんですか」
「戦えるほど強くないよ」
「じゃあ」
「橋を壊した」
「一人で?」
「まさか」
老人が石碑を指す。
「こいつらで」
十人ほどの名前。
エドだけではない。
「橋は落ちた」
「村の人は?」
「ほとんど逃げた」
「この人たちは」
聞く必要はなかった。
石碑が答えていた。
*
「エドは、そういうやつだった」
老人が言った。
「どういう?」
「できることしかやらない」
少し意外だった。
「それ、褒めてます?」
「褒めてるよ」
老人は笑う。
「できないことをできるって言うやつより、ずっといい」
「なるほど」
「強くないから戦わない。足も速くないから伝令にもならない」
「はい」
「木を扱えるから橋を落とす」
老人が石碑を軽く叩いた。
「そういうやつ」
俺は名前を見る。
エド。
特別な人には思えなかった。
英雄でもない。
強くもない。
自分にできることを知っていた。
それをやった。
「ああ」
声が出た。
「この人なら、好きになるだろうな」
「何?」
「いえ」
俺は首を振った。
*
ヒカリは、エドが死んだあとも村に残ったらしい。
どれくらいかは分からない。
「歌の上手い人だったんですよね」
俺が聞くと、老人は首を傾げた。
「歌?」
「ヒカリです」
「ああ」
少し考える。
「昔は歌ってたな」
「昔?」
「エドが生きてたころは」
「その後は?」
「聞いてない」
「一度も?」
「たぶんな」
老人はそれを大したことではないように言った。
俺は何も言えなかった。
ヒカリが歌わない。
その姿を想像できなかった。
俺が知っているヒカリは、いつも歌っていた。
上手くなくても。
緊張していても。
息を切らしていても。
歌っていた。
「いつまで?」
「何が」
「歌わなかったの」
「知らないよ」
老人は言った。
「そのうち村を出たからな」
「どこへ?」
「さあ」
まただった。
*
夕方から雨が降った。
カイと宿の食堂にいた。
「肉、うまいだろ」
「うん」
「言っただろ」
「言ってた」
確かにうまかった。
カイは満足そうに食べている。
「で、人探しは?」
「いた」
「いたの?」
「昔ここにいた」
「死んでた?」
「分からない」
「何だそれ」
「夫は死んでた」
カイの手が止まった。
「夫?」
「うん」
「お前、人妻追いかけてるの?」
「違う」
「かなり危ない話になってきたな」
「そういうのじゃない」
「じゃあ何」
少し考えた。
「昔、応援してた人」
「何を?」
「歌ったり、踊ったり」
「知り合い?」
「向こうは俺を知らない」
カイが肉を置いた。
「もっと危ないじゃん」
「違うって」
久しぶりに少し大きな声が出た。
カイが笑った。
「冗談だよ」
「やめてくれ」
俺も肉を食べた。
雨の音がしていた。
「明日どうする?」
カイが聞いた。
「まだ決めてない」
「俺は西」
「また?」
「仕事だからな」
「どこまで?」
「二日くらい」
「飯は?」
「途中の宿がまあまあ」
「まあまあか」
「ここの肉よりは落ちる」
「じゃあ微妙だな」
「来なくていいぞ」
俺は窓の外を見た。
雨が降っていた。
ヒカリがどこへ行ったのかは分からない。
西へ行ったという話もない。
手掛かりは、またなくなった。
「朝、何時?」
俺は聞いた。
「六時」
「早いな」
「置いてくぞ」
「起きるよ」
「どうだか」
カイが笑った。
俺はもう一切れ、肉を取った。




