4.明日の予定
西へ行くことにした。
と言っても、仕事を辞めたわけではない。
三日休みをもらった。
親方には嫌な顔をされた。
「この前も休んだだろ」
「すみません」
「何しに行くんだ」
「人を探しに」
「女か?」
「まあ」
「そうか」
なぜか納得された。
訂正するのも面倒だった。
*
ヒカリが次に向かった町の名前は、意外と簡単に分かった。
前の町で何人かに話を聞いた。
五十年ほど前。
黒い髪。
東から来た女。
西へ向かった。
それだけ伝えると、古くから住んでいる男が、
「それならルデンじゃないか」
と言った。
理由を聞くと、
「西に行くなら普通はそこを通る」
と言われた。
大した手掛かりではなかった。
でも、他にはなかった。
馬車で二日。
途中で一泊した。
この世界に来てから、町の外へ出るのは初めてだった。
道の両側には畑が続いていた。
その向こうに森があった。
遠くに山が見えた。
途中、大きな獣の群れを見た。
牛に似ていた。
背中に長い毛が生えていた。
同じ馬車に乗っていた子供が喜んでいた。
俺も見た。
すごいな、と思った。
*
ルデンは、今まで暮らしていた町より小さかった。
石造りの家と木造の家が半分ずつくらい。
町の中央に井戸がある。
市場がある。
宿が三軒。
そのうち一番古い宿へ行った。
「五十年くらい前に、ここで働いていた人のことを知りたいんですけど」
受付の男は露骨に嫌な顔をした。
「五十年前?」
「はい」
「俺、生まれてないよ」
「ですよね」
当然だった。
「昔からいる人って、誰かいます?」
「何で?」
「人を探してて」
「誰?」
「ヒカリっていう、黒い髪の女の人です」
男の顔が少し変わった。
「ヒカリ?」
「知ってます?」
「俺は知らない」
そう言って、奥を見る。
「ロイ爺なら知ってるかもな」
*
ロイは宿の裏にいた。
薪を割っていた。
七十をかなり過ぎているように見えた。
俺が近づいても、薪を割る手を止めなかった。
「あの」
「客なら表」
「ロイさんですか」
「違ったらどうする」
「謝ります」
「じゃあ俺だ」
斧が振り下ろされた。
薪が割れた。
「ヒカリという人を知ってますか」
斧が止まった。
ロイが俺を見る。
「誰だ、お前」
「相沢直人です」
「それは聞いてない」
「……ヒカリの知り合いです」
「嘘つけ」
即答だった。
「何でですか」
「お前、いくつだ」
「三十二です」
「じゃあ無理だ」
「そうなんですけど」
「何なんだ、お前」
説明に困った。
「遠いところで、知ってました」
「どこだ」
「ものすごく遠いところです」
「怪しいな」
「自分でもそう思います」
ロイはしばらく俺を見た。
それから斧を置いた。
「まあいい」
近くにあった椅子に座る。
「何が聞きたい」
「ヒカリを知ってるんですか」
「知ってる」
「どんな人でした?」
ロイは少し考えた。
「仕事のできない人だったな」
「……はい?」
「仕事ができなかった」
聞き間違いではなかった。
「ヒカリが?」
「他に誰がいる」
「いや」
俺は少し考えた。
「結構、頑張る人だったと思うんですけど」
「あいつが?」
ロイが笑った。
声を出して笑った。
「何ですか」
「いや。頑張るねえ」
「違います?」
「朝起きないやつだったぞ」
「朝?」
「とにかく起きない」
ロイは指を折った。
「一回呼ぶ。起きない。二回呼ぶ。返事だけする。三回目で毛布を剥がす」
「毎日?」
「ほぼ毎日」
「……そうなんですか」
知らなかった。
アイドル時代のヒカリは、朝の番組にも何度か出ていた。
早朝の生放送で笑っていた。
「皿も割る」
「それは」
「料理は焦がす」
「料理もしてたんですか」
「やらせた。すぐやらせなくなった」
「何でです?」
「焦がすからだ」
「なるほど」
「掃除も雑」
「結構駄目ですね」
「だから言っただろ」
ロイは楽しそうだった。
「一番ひどかったのは洗濯だな」
「何したんです?」
「石鹸を入れすぎた」
「それだけ?」
「泡だらけにした」
「どれくらい」
「床まで」
想像した。
少し笑った。
「笑うな。片付けたの俺だからな」
「すみません」
「しかも本人は笑ってた」
「それは駄目ですね」
「だろ」
俺はまた笑った。
変な感じだった。
俺の知らないヒカリの話を聞いている。
なのに、嫌ではなかった。
むしろ、もっと聞きたかった。
*
「言葉も変だったな」
ロイが言った。
「最初から喋れたんじゃないんですか」
「喋れたよ。ただ、妙な言い方をする」
「例えば?」
「覚えてない」
「そこは覚えてないんですね」
「五十年前だぞ」
「そうですよね」
「汚い言葉だけは覚えるのが早かった」
「誰が教えたんです?」
「俺」
「あなたじゃないですか」
「若かったからな」
ロイが笑う。
「女将に怒られてたよ。変な言葉教えるなって」
「ヒカリも使った?」
「使う使う」
「どんなときに」
「俺と喧嘩したとき」
「喧嘩したんですか」
「しょっちゅう」
「仲悪かった?」
「いや」
ロイは少し考えた。
「普通だったな」
普通。
その言葉が妙に残った。
仲が良かったでもない。
大切な友達だったでもない。
普通。
五十年前。
ヒカリはここで、普通に誰かと喧嘩していた。
*
「でも」
俺は聞いた。
「仕事、ずっとできなかったんですか」
「いや」
ロイは答えた。
「そのうちできるようになった」
「どれくらいで?」
「知らん」
「知らない?」
「気づいたら割らなくなってた」
ロイは地面に落ちていた薪を拾った。
「料理も?」
「料理は最後まで駄目だった」
「そうですか」
「ただ、他はまあ」
薪を積み直す。
「朝も?」
「朝は最後まで弱かった」
「結構残ってますね」
「人間そんなもんだろ」
それはそうかもしれない。
「でも、怒られると次の日は早く起きるんだよ」
「次の日だけ?」
「だいたいな」
「駄目じゃないですか」
「三日続くこともあった」
「微妙ですね」
ロイが笑った。
「ただ」
薪を一本持ったまま、少し黙った。
「あいつ、諦めは悪かったな」
俺はロイを見る。
「何がです?」
「何でも」
「何でも?」
「できないと、またやるんだよ」
薪を置く。
「皿を割ったら、次の日また運ぶ」
「はい」
「字が書けなきゃ、夜に練習する」
「はい」
「怒られてむくれて、もうやらないって言う」
「はい」
「次の日にはやる」
ロイが肩をすくめた。
「面倒なやつだった」
俺は何も言わなかった。
「どうした」
「いや」
少し下を向いた。
笑いそうになった。
たぶん、笑っていた。
「ああ」
と思った。
ヒカリだ。
*
その日の夜。
ロイに教えてもらった食堂で飯を食べた。
肉を焼いたものと、芋。
この町ではそれが名物らしい。
うまかった。
宿へ戻る途中、市場はもう片付けを始めていた。
店の前に果物が少し残っていた。
知らない果物だった。
一つ買った。
宿の部屋で食べた。
酸っぱかった。
でも、悪くなかった。
明日はロイが、ヒカリがこの町を出たときの話をしてくれることになっている。
西へ行った理由も、少しなら知っているらしい。
ベッドに横になった。
朝になったら、続きを聞く。
そう思った。
久しぶりに、明日の予定があった。




