03
株式会社白亜の本社から車を飛ばすこと、数十分。
大和と陽菜は、つい数日前に訪れたばかりのあの場所へと、再び足を踏み入れた。
「いらっしゃい……ませ」
「お忙しいところすんませんねえ。またちょっと、お話を伺いに来ましたよ――長須賀さん」
突然銀行に現れた大和たちの姿に、長須賀の顔に張り付いていた営業スマイルが一瞬だけ不自然に曇った。だが、彼はすぐに機械的な動作で口角だけを元の位置へと吊り上げる。
「お久しぶりです。……ここでは他のお客様のご迷惑になりますので、あちらの部屋へご案内させていただきます」
大和の背中にそっと手を添えるようにして、長須賀は二人を奥の応接室へと静かに誘導した。まるで、何事かと色めき立ち始めている周囲の行員たちの視線から、警察の存在を隠蔽するかのように。
「――それで、本日は一体どのようなご用件でしょうか?」
部屋に入り、背後の重い扉がカチリと閉まった瞬間。長須賀の顔からビジネス用の仮面が完全に剥がれ落ち、そこから敵意を剥き出しにした冷ややかな眼光が覗いた。
「いやあ、今日はある人物について、ちょーっとお聞きしたいことがありましてねえ。まあ、立ち話もなんですし、座らせてもらいますよ」
「私も、失礼します」
連日の訪問によって長須賀との距離は良くも悪くも縮まり、お互いに表面上の好感度を取り繕う必要すらなくなっていた。大和と陽菜は、彼の許可を待たずに手慣れた様子で定位置のソファへと腰掛けた。
「……この後、お客様と大切なお約束がございますので、手短にお願いします」
「ご協力、どーも」
あからさまに深い不快の溜息を吐き出し、窮屈そうにネクタイの結び目を少しだけ緩めながら、長須賀は大和たちの対面へとドサリと腰掛けた。
「んじゃあ、さっそく本題に。――三木坂麗雅さん。知ってますよねえ?株式会社白亜の、あの美しい女社長様です」
「……当然、存じ上げておりますよ。テレビCMでも頻繁にお見かけしますからね」
「へえ。CMの画面越し、だけですか?」
「――なるほど。残念ですが、あくまで純粋なビジネス上の関わりだけですよ。私と三木坂社長は、刑事さんが下世話に勘繰るような『特別な関係』ではありません」
大和が本当に聞き出したい意図をあらかじめ察知していたかのように、長須賀は口元だけでニヤリと不敵に笑った。
そんな余裕たっぷりの鉄面皮に対し、大和もまた、底の知れない笑みを静かに返し、揺さぶりをかける。
「わかってますって、んなこと。大手企業とメガ銀行っつったら、十中八九、動くのはデカい金の話ですからねえ。あ、でもさ、そんな大企業のトップとお偉い支店長様の密会っつったら……ねえ?世間的にはいろいろと勘違いを産んじゃうわけですよ」
「ふっ……密会、ですか。どうやら捜査一課ともあろう方々の事前調査が、随分と不十分なようですね。もう少し事実をお調べになってから、出直してきてはいかがですか?」
長須賀はソファの背もたれに傲慢に寄りかかりながら、綺麗に指先を揃えた手でドアの方向を指し示した。慇懃無礼な態度で、暗に退室を促している。
しかし、大和はその挑発をさらりと受け流すと、懐から使い古された手帳とペンを抜き出し、不気味なほど穏やかに応じた。
「いやあ、やっぱりそうっすよね?俺も圧倒的に情報が足りないって思ってたところなんですよ。だから――あなたが三木坂社長に最後に会った『日時』と『場所』を、正確に教えてもらえませんかね。掴んでいる情報と一致するか、確認させてください」
「……はあ。三木坂社長に最後にお会いしたのは、先週の水曜日です。私一人で、十九時に白亜本社の社長室へと伺いました」
「へえ、先週の水曜、十九時……。そんな遅い時間に、お一人で一体何を?」
「ただの、定期的なご挨拶ですよ」
「挨拶ねえ……。――で、それから?」
大和はこれ以上の嘘やはぐらかしを許さないと言わんばかりの、鋭い眼光を長須賀の顔面へと真っ直ぐに突き刺した。
企業同士の水面下の話し合いの内容など、本来であれば第三者の警察にペラペラと開示できるわけがない。しかし、社長が実際に行方不明となり、自身の名前が白亜の訪問者リストに刻まれているという決定的な事実を知られた今、下らぬ疑いをかけられたくないのであれば、長須賀にはもう、素直に口を開く以外の選択肢は残されていなかった。
「まったく……。三木坂社長が近く海外へ向かうと耳にしましたので、出張先で当行が懇意にさせていただいている大口のお客様を、何人かご紹介したんですよ」
「客の紹介?ああ、仲介……ってよりは、ただの『ご機嫌伺い』か」
「どうとでも言ってください」
長須賀はつまらなそうに深く腕を組み、大和からふいと顔を逸らした。
――見返りはまだか、ってところか。
相手が大企業ともなれば、営業のために支店長自らが足を運ぶのは決して珍しいことではない。
しかし、彼らが行っているのはあくまで非情なビジネスであり、ただの仲良しこよしではないのだ。これといった見返りもなしに、大企業側へ美味しい手土産ばかりを持参することなどあり得ない。必死に貢ぐのは、その先に明確なメリットがあるからだ。他行に奪われた『メガバンク』の座へと再び返り咲くという、自身のキャリアにおける最高峰の花を咲かせるために。
「だが、そのご機嫌伺いの成果はイマイチだったみたいだな。――で、三木坂と別れたのは何時だ?」
「お気遣いどうも。私が社長室を退席したのは二十時ちょうどです。出張の準備があるから一時間だけ、とあらかじめ先方から念を押されておりましたので」
「そいつは残念だったな。お前が退室するとき、入れ違いで入ってきた奴とか、廊下ですれ違った奴なんかはいなかったか?」
「ええ、特には……。私が部屋を出ると、すぐに室内から音楽を流す音が聞こえてきましたから。きっと、その後に他の方との約束は入っていなかったのだと思います」
「なるほど。それで、その後は?」
「まっすぐ帰路につきましたよ。外はちょうど雨も降り始めていましたし、翌日も朝一番から別のお客様とのお約束がありましたからね」
長須賀が口にした入退館の時刻は、白亜本社で入手した訪問者リストの記録と正確に合致していた。話の整合性も、今のところ綺麗に辻褄が通っているように思える。
「長須賀さんって、ほんっと真面目っすよねえ。仕事帰りにちょっと一杯、どこかに寄ったりもしないんすか?このままだと今度は――自分が別の地方に飛ばされる、なんて愚痴の一つでも零したくなりそうなもんですけどねえ」
「もちろん飲みに行くことだってありますし、愚痴を零すこともありますよ。私は機械じゃありませんのでね」
「ああ、だから『胃薬』が手放せないわけだ。……ご自宅の奥様、えらく心配してましたよ?最近のあなたは夜もあまり眠れていないみたいだって」
「っ……!――それが、私の仕事ですから」
長須賀は一瞬だけ表情を強張らせ、すぐに逃げるように視線を斜め下へと落とした。
――精神的に、ギリギリってところだな。
うつむいた長須賀の顔は、濃い疲労と焦燥で酷く曇っている。しかし、その指先が、自身の左薬指に輝く結婚指輪をそっと愛おしむように触っている姿は、どこまでも穏やかだった。
だからこそ、何としてでも目に見える成果を上げなければ会社から見限られ、自宅で待つ大切な家族に苦労を背負わせることになる。その過酷なプレッシャーに押しつぶされそうになっていたとしても、何ら不思議ではなかった。
「水曜日の夜以降、三木坂と連絡は取ったか?」
「いいえ。……お調べになればすぐに分かると思いますが、三木坂社長からは、当行のような立場からの連絡は『月に一度で十分だ。それ以上は時間を無駄にしたくない』と冷たく言い渡されておりますので」
「んなクソみたいな理不尽な約束……お前は律儀に守らなきゃいけねえのかよ」
「約束は守るものですから。当然、刑事さんもルールは守ってくれますよね?そろそろ、次の業務の準備をしたいのですが」
わざとらしく腕時計の文字盤を見せつけながら、慇懃無礼に退室を促してくる長須賀。その顔には、いつの間にか、いつもの完璧に計算されたビジネススマイルが隙なく張り付いていた。
「へいへい。お邪魔虫はさっさと退散しますよ。ああ、でもまた何か気になることが出てきたらすぐに来ますからね。そん時はどうぞ、よろしく頼みます」
大和がパチンと手帳を閉じると、待ってましたとばかりに長須賀はスッと立ち上がり、応接室のドアを開け放った。
「どうぞ、お気をつけてお帰りください」
ドアの前で、極めて丁寧に行儀よく腰を折る長須賀。その異様な光景に気がついた周囲の行員たちからも、「お気をつけて」と営業用の綺麗な笑みを一斉に送られながら、大和と陽菜は重苦しい銀行の店舗を後にした。
「そんじゃあ、陽菜っこ。お前なりの考えを話してみろ」
「はい!まず長須賀の証言ですが――」
車を止めたパーキングへと戻る道すがら。 重苦しい聴取の間、大和の隣で必死にノートにペンを走らせていた陽菜と、さっそく互いの思考の共有を始めようとした。
しかし、二人の即席の作戦会議は――大和の上着のポケットでけたたましく鳴り響いた、スマホの着信音によって無残に遮られることとなった。
「ったく、どこのどいつ――おい!本部か、なんか分かったのか!?」
画面に表示された相手の名前を確認するや否や、大和はいつものぶっきらぼうな態度を一変させ、食い入るように受話口へと声を張り上げた。
何十年と聞き流してきた相手の声に新鮮味など毛頭なく、着信相手としても全く嬉しくない男からの連絡。しかし、この男からの電話の後はいつも、大和の刑事としての血が激しく滾るのを自覚していた。
「――一致したぞ、陽菜っこ」
短い通話を終えてスマホをポケットへと滑り込ませた大和は、弾かれたように顔を上げた。その瞳には、獲物を完全に捉えた捕食者のような、鋭く、ギラギラとした光が宿っている。
「えっ……大和さん、一体何がですか?」
「あの『両手』だ!三木坂本人のものと完全に一致した。指紋も、DNAもな!」




