02
「着きました。ここが、琴の家です」
居心地悪そうにこちらをチラチラと見ながら運転していた陽菜を、大和が無視すること数分。二人は都内某所のマンションに到着した。
「随分とまあ……ご立派なとこだな」
車から降り、十階建てのマンションを見上げる大和はため息をこぼした。
「見た目は立派だけど、築年数が古いから家賃は他より安い、って琴は言ってました」
「築年数ねえ……」
「……何か問題ですか?」
「ひよっこにはわかんねえことだ。ほら、行くぞ」
大和は頭をガシガシと掻いて、エントランスへ足を踏み入れた。
――村井琴
二十五歳、女性。都内某所の銀行に勤める銀行員で一人暮らし。借金や派手なトラブルは特になし。
一見どこにでもいる一般女性のようだが、普通の人間は、ある日突然誰かの『手』を送りつけられたりしない。仕事柄、多くの人間から恨みを買っている大和ですらそんな経験はなかった。だからこそ、直接聞く必要がある。
「何度もすまねえが……本当に、心当たりはねえんだな?」
「だ、だから!……ありません、本当に」
テーブルを挟んで向かいに座る村井琴は、警察に散々聞かれたであろう質問に、溢れんばかりの涙を浮かべて応えた。
「……そうか。家族や友人とも、全員連絡は取れてんだな?」
口をギュッと結び、村井はゆっくりと頷く。
――本物だな。
赤く腫らした目に、小刻みに揺れる体。対面する村井の全身からは、両手を受け取った時の衝撃と恐怖が今も生々しく漂っている。
たまに自作自演のクソ野郎もいるため、警察は村井自身も容疑者の一人としてみている。だが、これまで数々の被害者と関わってきた大和は自分の直感を信じ、その可能性を排除した。
「志賀さん、これ以上は……」
村井の隣に座り、その背中を撫でている陽菜から向けられる視線は、ひどく弱々しい。
「黙れひよっこ。それか出て行け、仕事に私情を挟む奴は邪魔だ」
「っ!でも――」
「俺はなあ、一刻も早くクソったれな犯人を捕まえてえんだ。じゃねえと……前を向いて歩けねえだろ」
溢れた涙を隠すようにうつむいた村井から、大和はそっと顔を逸らした。鼻をすする音も聞こえないふりをして、部屋の所々に積まれたダンボールを眺める。
引越し業者のロゴが印刷されたそれらは、彼女がここから立ち去り、再出発しようとしている意志の表れだ。その後押しをするためにも、大和は己の仕事を全うしなければならない。
「連絡が取れねえ奴は、本当に一人もいねえんだな?」
「はい。い、いません」
「わかった。……ほかに何か問題はねえか?住人トラブルとか、交際関係とか」
村井は数秒、考えるような素振りをしてから首を左右に振った。
「なら次は……思い出したくねえだろうが、"アレ"を受け取ったときのこと、話してくれ」
「……」
身を縮め、唇を噛む村井の瞳から、ようやく止まったはずの涙が再び溢れ出す。
「すまねえな。でも、お前さんだけが頼りなんだ」
人間の手を受け取った時の記憶など、今すぐ消し去りたいのは百も承知だ。だが、当事者である彼女からの情報は、事件解決の糸口になる可能性が最も高い。
「……い、インターホンが、鳴って……た、宅配、便です、って」
「受け取るとき、相手の顔は見たか?」
「ど、ドアを、開けたら……に、に……荷物っ、だ、け、で……っ」
過呼吸気味になった村井の背中を、陽菜は必死に擦る。その顔はひどく歪んでいるが、何も言わなかった。
その後もいくつか質問を重ねたが、どれも捜査資料にある内容の範疇で、新たな情報は得られなかった。
どんな些細なことでもいいから思い出したら連絡してほしいと名刺を渡し、大和と陽菜は部屋を後にした。
来たときとは違い、エレベーターではなく階段で一階のエントランスまで降りると、陽菜は大和の前へと回り込んで深く頭を下げた。
「すみませんでした」
「……なにがだ?」
「先ほど……琴の感情を優先して、聴取の邪魔をしてしまいました」
「はあ……。わかってねえな、ひよっこ。悪いのはそこじゃねえよ」
「……?」
首を傾げる陽菜を無視して、大和は管理室の方へと歩き出す。
「あ、待ってください!」
慌ててついてくる陽菜は、本当に親鳥の後を追うひよこのようだった。大和は内心で面倒くさがりつつも、ぽつりと言葉を零す。
「……他人に共感できるのは悪いことじゃねえ。むしろ生活安全課でガキ相手なら、そっちの方が信頼される。だが、今ひよっこがいるのは一課だ。友達だろうが仲間だろうが家族だろうが、誰が相手でも客観的かつ冷静に取り調べなきゃいけねえ。そうじゃねえと大事なことを見落として、後悔する。……後悔、したくねえんだろ?」
「……はい。もう嫌なんです。大切な人を守れないなんて」
「なら、踏ん張れ。ひよっこ」
管理室のドアの前で、大和は足を止めて振り返った。
それ以上は何も言わなかったが、言いたいことは伝わったらしく、陽菜は小さく頷いて再び大和の前に出た。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」
「あーはいはい、いるよ。えっと、ちょっと待ってね……」
陽菜が声をかけると、すぐに管理室の中から返事があった。ドアがゆっくりと、ほんの少しだけ開く。
「……なんか用かい」
顔だけを覗かせた中年男性は、陽菜の姿を見るなり露骨に眉をひそめた。
「お忙しいところ恐れ入ります。管理人の管西さん、ですか?」
「そうだけど、なに?廊下の電球でも切れた?」
「いえ、そうではなくて……少しお話を聞かせていただけますか?」
陽菜と大和が警察手帳を差し出すと、管西はこれ見よがしに大きなため息をこぼした。
「……あんたら警察は、なんっかい同じことを話させれば気が済むんだ?何か思い出したら連絡するって言ってんだろ。ほら、帰った帰った」
しっし、と手を払って追い返そうとする管西に、陽菜は深く頭を下げて懇願する。
「お願いします!少しでも情報がほしいんです!」
「しつこいなあ。だからもう話すことは――」
「お願いします!」
腰を九十度に曲げる陽菜を、管西は迷惑そうに頭を掻きながら見下ろした。
――嫌われても仕方ねえよな。
素直な陽菜に対し、管西の態度は冷淡そのものだ。だが、幾度となく同じことを聞かれれば誰だって嫌気がさすだろう。まして協力しているにもかかわらず、疑いの目を向けられれば不快感は増すばかりだ。
しかし、それが大和たちの仕事だった。事件解決のためならば、嫌われ役だろうが悪役だろうと喜んで引き受ける。
「すいませんねえ、何度も来ちゃって。でも、今回改めて伺いたいのは住人の村井琴さんに関してでして……。――ああ、"偽物"の防犯カメラのことは、つつきませんから」
「ちょ、ちょっと! ……わかったよ、話すよ。話せばいいんだろ。……ほら、入りな」
「ご協力、どーも」
ドアを押し開いた管西の目は鋭く冷ややかだったが、大和はペコペコと調子よく頭を下げ、陽菜を促して中へと入った。
「で、村井さんに関して話せばいいんだよね?聞いたら、とっとと帰ってくれよ」
管西は受付の椅子にふんぞり返り、二人を忌々しげに睨みつけた。
「わかってますよ。んじゃあひよっこ、さっさと始めろ」
「は、はい!まずは、村井琴さんの普段の印象を教えてください」
「……普通にいい子だよ。会えば挨拶もきちんとするし、他の住人とのトラブルだって聞いたことがないね」
懸命にメモを取る陽菜の横で、大和はそれとなく管理室の内部に視線を巡らせた。
入ってすぐ左手にはロッカーと書類棚。その奥に受付カウンターと、電話の置かれた事務机。そして右手には、備品が入っているのだろう段ボールの山と、脚立などの清掃用具。
必要最低限の物しか置かれていないはずだが、部屋自体が狭いため、どこか雑然とした印象を受ける。
――報告通りか……クソが。
べつに期待していたわけではない。捜査会議で『証拠なし』と報告されたのだから、何もなくて当然だ。
だが大和は、自分の目で確かめたかった。エントランスやエレベーター、廊下に設置されている防犯カメラが、すべてただのダミーだという冷厳な事実を。
「ありがとうございました。……えっと、志賀さん。ほかに聞いておくことはありますか?」
「あー、そうだな……」
聴取を終えたらしい陽菜のメモを覗き込むと、細かい文字がびっしりと書き込まれていた。ただ、どれもすでに本部に報告されている内容の範疇で、新たな手がかりになりそうなものは見当たらない。
「いや、十分だ。最後に俺から一つだけ。管西さん、住んでる奴らは本当に誰も知らねえんだな?入り口やエレベーターに付いてるあのカメラが、全部ニセモノだってことをよ」
「……だから、俺はただの雇われ管理人なんだよ。オーナーの考えることなんか知らないね。もういいだろ、ほら、さっさと帰った帰った!」
これ以上話すつもりはないらしく、管西はしっしと手を払って陽菜ににじり寄ってきた。
容赦なく迫ってくる管西の圧力に、陽菜はなす術もなく後退する。大和も押し出されるような形で、管理室から閉め出された。
「ご、ご協力ありがとうございました……」
乱暴に閉められたドアに向かって一礼する陽菜の姿は、どこまでも教科書通りだった。唯一、教科書と違っていたのは、彼女の持つメモ帳がぐしゃりと力任せに握りしめられていることだけだ。
「……そんじゃあ、一旦署に戻るぞ」
「はい……」
うつむきながらトボトボと後をついてくる陽菜は、誰が見ても分かりやすく気落ちしていた。
――ったく、面倒くせえな。
感情すら上手に隠せない陽菜は、あきらかに一課の空気に馴染んでいない。今すぐにでも生活安全課へ戻ったほうが本人のためだろう。
しかし、陽菜はあの捜査会議に単身乗り込み、必死に叫んだのだ。
『大切な人を守るために警察官になったんです!守れずに後悔するのは、もう嫌なんです!』
事件が発生してからしか動けない一課への皮肉にも聞こえる言葉だったが、陽菜はただ、本気で捜査に加わりたい一心だったのだろう。
浅はかで無鉄砲な行動だ。だが、大和はそんな彼女の泥臭さを嫌いになれなかった。頭のなかでこねくり回すだけで動かない奴や、口しか出さない綺麗事ばかりの人間が、大嫌いだからだ。
「おいひよっこ!まさか、無駄足だったとか思ってんじゃねえよな?」
車内に戻ってきても、まだ暗い顔を引きずっている陽菜の肩を、大和は軽く叩いた。
「あ、いえ。そんなことは……」
「だよな。じゃあ、署に戻る前に考えの共有だ。まず俺から話すから、ひよっこはその考えに意見しろ」
「わかり、ました」
運転席に座る陽菜は、ポケットから鍵ではなく、先ほどぐしゃりと握りしめたメモ帳とペンを取り出した。
「犯人はカタギ……一般人じゃねえ。ひよっこ的に言えば、その道のプロって奴だ」
「そう、ですね。手首とはいえ、その……人体の切断には専門的な知識や道具がないと難しいと思います」
「それもそうだが、ここに来てさらに確信できただろ?」
「え!?えっと……」
陽菜は自分のメモ帳や捜査資料をアワアワと見比べるが、それ以上の言葉は出てこない。
「ひよっこ、お前あのマンションの防犯カメラ、どう思った?」
「……普通の、ドーム型カメラに見えましたけれど」
「俺もだ。ご丁寧に作動ランプの赤まで点滅させてやがった。つまり、アレをニセモノだと外見で見抜くのは一般人には無理だ。住人の奴らにも、当然そんな説明はしてねえようだしな」
管理人の管西は、住人たちがダミーカメラの存在を知っているかどうか明言を避けた。しかし、その「はぐらかす態度」自体が、秘密を隠そうとしている証拠であり、真実を大和に教えてしまっているようなものだった。
「次に、あの『手』だ。ひよっこ、お前は家に荷物が送られてきたら、どうやって受け取る?」
「どう、やって……。えっと、玄関のドアを開けて、サインか捺印をして、受け取ります」
「だよな。でも村井の時はどうだった?」
「琴――じゃなくて、村井さんは……置き配でした」
「……」
真っ直ぐな目で大真面目に答えた陽菜に、大和は思わず頭を抱えそうになった。ぐっとこらえ、深呼吸をひとつ。
「詳しくねえが、置き配っつーのは基本、客が希望した場合にやるもんだろ。村井は希望したか?」
「いえ、していません。村井さんは直接受け取ろうとしました。でも、インターホンに応答して玄関を開けたらもう配達員の姿はなくて、床に荷物だけが置いてあって……」
「つまり村井が置き配を希望してねえのに、配達員は荷物だけ置いて消えた。そんな不自然な配送、普通の業者ならやらねえだろ」
「はい……あ、それって!?」
「配達員は、変装した犯人。もしくは、その共犯者だと俺は踏んでる」
それっぽいキャップとロゴ入りの制服さえ揃えれば、配達員に変装することなど造作もない。事実、宅配業者になりすまして強盗や詐欺を働く輩は、ごまんといるのだから。
「目撃されるリスクは、考えなかったんでしょうか?」
「見られようと、問題なかったんだろ」
「どうしてですか?目撃者がいれば――」
「ひよっこ、お前は今朝すれ違った奴の顔を全員覚えてるか?」
「……」
一歩外に出れば、誰かしらとすれ違う。だが、いったいどれだけの人間が、赤の他人の服装や顔を熟視し、記憶に留めるだろうか。まして荷物を持った配達員の顔など、大半の人間はまじまじと見ることもしないし、脳裏に焼き付けようとも思わない。
「ここの防犯カメラがニセモノだって知ってたからこそ、直接届けに来たんだよ」
マンション内で住人と遭遇する可能性はある。だが、ネット通販が完全に生活の一部となったこの時代、業者の制服を着た配達員とすれ違ったところで、誰も気にとめはしないのだ。
「つまり犯人は、カメラがニセモノだと見抜ける知識を持ってるか、最初からその情報を知っていたってことだ。その上で、切断した『手』を抱えながら、堂々と日常に溶け込める狡猾なクソ野郎ってことだ。そんな奴が、カタギのわけねえだろ」
「……」
陽菜は口をぎゅっと真一文字に結び、視線を落として深く頷いた。
「意見は一致したな。はい、作戦会議は終了だ。さっさと行くぞ」
「は、はい!……ええと、近隣住民や職場への聞き込み、でしょうか?」
「違う。そんな地道な真似は他の連中がやってるはずだ。俺たちは、送られてきたあの『手』そのものについて調べる」
「わ、わかりました!」
陽菜はメモ帳とペンを上着のポケットに突っ込み、代わりに車の鍵を取り出してイグニッションを回した。エンジンが静かに回り出す。
バックミラーに映る彼女の横顔は相変わらず曇ったままであったが、大和はそれを見透かしたようにつぶやいた。
「安全運転で頼むぞ。それから……俺はいちいち手取り足取り教えねえし、お前を励ましもしない。全部自分で見て、盗んで、頭を働かせろ」
「――はいっ!」
フロントガラスの向こう、どんよりと垂れ込めていた雲が、心なしか次第に晴れていくように見えた。




