07
十七時三十分。
警視庁本庁舎内の『身元不明女性一部遺体遺棄事件捜査本部』。
その緊迫した会議室には、緊急の招集を受けた一課の担当刑事たちが再び一斉に集結していた。
「――全員揃ったな。では、緊急の合同会議を始める」
一課長である富津頭の重々しい一言で、室内の騒がしいざわつきは一瞬にして静まり返り、冷徹な空気がフロアを満たしていく。
「つい先ほど、一連の事件の重要容疑者の一人としてマークしていた神楽星那の端末から、倉本のスマホ宛てに、一本の動画ファイルが送りつけられてきた」
富津頭が窓際に設置された大型モニターへと鋭い視線を向けると、居並ぶ刑事たちも弾かれたように、画面に映し出された星那の不気味な姿へと釘付けになった。
「倉本、動画が届いた経緯と当時の状況を、今すぐ全員に説明しろ」
「は、はい!」
陽菜は即座にその場に起立し、周囲のベテラン刑事たちから放たれる射抜くような視線の重圧に耐えながら、張り詰めた声で報告を開始した。
「本日、十五時頃のことです。私は大和刑事と共に、被害者である木谷漣さんと生前に密な親交があったと噂されている、裏の『反社会的組織』の関与を洗うため、木谷さんが頻繁に出入りしていたとされる都内のスポーツバーへと聞き込みに赴いておりました」
茶谷の元へ送りつけられてきた、あの冷凍された無残な『両足』。
その後の迅速な指紋およびDNA鑑定の結果、それらは元プロサッカー選手・木谷漣本人の肉体であると判明していた。
大和と陽菜は直ちに木谷の直近の足取りを追跡し、彼が華々しい現役を引退した後、サッカーの解説業の傍らで自らプロデュースした足首のサポーター商品の販売ビジネスに熱を入れていた事実を掴んだ。
同時に、ライト層にも分かりやすい彼の解説や手がけた商品の市場での評判は上々だったものの、裏での一部の知人からの彼に対する悪評はすこぶる高く、「多額の金銭を巡る黒い噂」が業界の暗がりに急速に広まっていた事実をも突き止めていたのだ。
だからこそ陽菜と大和は、木谷が生前最も贔屓にしており、かつ彼が最後に公に目撃されたという、その都内の問題のスポーツバーでの情報収集を強行していたのだった――。
『おい、お前。この前、こいつが店に来てただろ?誰か別の奴と一緒だったか?』
ぬっと警察手帳を提示するや否や、大和はカウンターの奥にいる店長らしき男の鼻先へ、木谷漣の顔写真を力任せに突きつけた。
『ああ、来てたよお。確か……派手な身なりの女の子を連れて、二人で楽しそうに飲んでたねえ』
『その時、こいつに妙な絡み方をしてきた客とか、トラブルを起こしそうな不審な奴はいなかったか?』
『どうだったかなあ。……お宅の頼もしい刑事さんが、何かうちの自慢のメニューでも一品注文してくれたら、僕の記憶も鮮やかに思い出すかもしれないけれど?』
カウンターの奥で下俗ににやつく店長に対し、大和は心底面倒くさそうにガシガシと頭を掻きむしった。
『ちゃっかりしてやがるな、ったく……。後でなんか買ってやるから、さっさと思い出しやがれ、クソが』
『まいどあり。ご注文、誠にありがとうございます。――ええと、それで、当日のトラブルだったよね?確か……小難しい面倒ごとなんて、何一つ起きていなかったと思うよ。その日は人気チームの大事な試合の放映があって店は超満員だったけれど、いたって平和そのものだったね』
『じゃあ、客の中に妙に周囲を気にしてるような不審な動きをしてる奴や、見慣れない顔はいなかったか?』
『記憶にないねえ。だから、そんな怪しい人間はいなかったんじゃないかな。第一、うちに来た客の顔を全員いちいち覚えているわけないでしょ?木谷選手はうちの有名なお得意様だから、特別に覚えていただけさ』
平日の午後だというのに、薄暗い店内にはすでに数人の男たちが居座っており、海外で行われているらしいサッカーの試合中継を熱心に観戦していた。
店内に飛び交う野次は日本語以外の言語も多く、男の言う通り、多国籍の客が入り乱れるこの混沌とした空間で、客の素顔を全員正確に把握しろというのは、確かに一般論としては酷な話だった。
『だったら、お前が今でも覚えているような不自然な奴の特徴を教えろ。この店に定期的に集まるのは、一体どんな連中が多いんだ?おい、裏であんまり評判の良くない危ねえ連中も、日常的に出入りしてるんじゃねえのか?』
『見れば分かるでしょ?うちには本当に、多種多様な人間が来る。仕事帰りっぽい真面目なスーツ姿の男から、平日の真昼間からふらふらと遊んでいそうな、薄汚いTシャツ姿の男までねえ』
『――で、その雑多な客の中に、警察には名前を言えねえような後ろ暗い連中が、何食わぬ顔で混じってるってわけか』
大和のジトッとした、すべてを見透かすような眼光を前にして、店長は一瞬だけバツが悪そうに視線を逸らした。しかし、逸らした先には陽菜が完璧な位置取りで逃げ道を塞いで立っており、男に退路はなかった。
『……どうかな。俺はね、わざわざ店に来てくれた客全員に対して、あなたは良い客ですか、なんて下らない質問はしない主義なんだよ』
『とぼけてんじゃねえぞ。どうせその不審な連中から、警察の耳には入れられねえような美味しい『見返り』でもたっぷり貰って、この場所を提供してやってるんだろ?』
『あのさあ、刑事さん。うちは健全なスポーツバーだよ?俺が貰っているのは、真っ当な席料と飲食代。それだけさ。それとも何か?俺が他に何か別の不当なものを貰っているっていう、確定的な『証拠』でも握ってここに乗り込んできたわけ?』
大和の容赦のない追及を、のらりくらりとした巧みな話術でいなし続ける店長。この男は間違いなく、何らかの闇を知っている――大和の勘が、そう激しく警鐘を鳴らしていた。しかし男は、その真実を一ミリたりとも警察に漏らすつもりはないようで、これ以上の会話を完全にシャットアウトする構えを見せた。
『証拠なら、これから――っ!』
大和に代わって、陽菜が生活安全課仕込みの鋭い追及でさらに聴取を畳み掛けようとした、まさにその瞬間だった。
陽菜の上着のポケットから、静寂を引き裂くような不穏な着信音がけたたましく鳴り響き、二人の捜査を無残に邪魔した。
『テイクアウトで、バーガーセットを二つ。すぐにご用意しますので、少々お待ちくださいね』
『あ、おい、ちょっと待て!』
大和の制止の声など聞く耳を持たないといった様子で、スポーツバーの店長は飄々と店の奥の厨房へと引っ込んでしまった。
『……大和さん、すみません。私のせいで』
『いや、気にするな。どのみちあいつのガードは固かった、潮時だったから問題ねえよ。それより、急ぎの連絡か?』
『あ、ええと……。大和さん、これ、見てください』
受信した新着メッセージの画面を恐る恐る確認し、陽菜は震える手で大和にスマホの液晶を差し出した。
『あぁ?……なんだよ、これ』
『動画ファイルです。神楽――あの、神楽星那さん本人からの動画です』
陽菜の元へダイレクトに送りつけられてきたのは、今回の猟奇事件の重要容疑者である神楽星那からのメッセージだった。二人は店員から押し付けられたハンバーガーの紙袋を片手に提げて大急ぎで覆面パトカーへと戻り、車内でその動画を即座に再生した。
『大和さん、これって――』
『今すぐ本庁の捜査本部に戻るぞ!!一課長へは俺から直接連絡を入れておく!』
『は、はい!』
陽菜が心臓をバクバクと高鳴らせながら必死にアクセルを踏み込んでいる間、大和は富津頭へ直接内線をつなぎ、手短に動画の要件を伝えた。二人が本庁の会議室へと滑り込み、富津頭の目の前で動画を提示すると、一課長はその中身を一瞥した直後、すぐさま全班への『緊急招集』の号令をかけたのだった――。
「――以上が、我々が聞き込みの最中に神楽容疑者から動画が送られてきた経緯です。内容を確認し、これは単なる悪戯ではなく、本物の『自白動画』であると直感し、一課長へ即座にご連絡いたしました」
陽菜の緊迫した報告が終わった途端、室内には蜂の巣をつついたような激しいざわつきが沸き起こった。しかし、富津頭が「これより動画を再生する」と低い声を響かせると、室内のすべての雑音は一瞬にして掻き消え、巨大なモニターに映し出された星那の穏やかな笑顔が、ゆっくりと動き出した。
『……倉本陽菜さん。あなたは僕の胸の奥にある本当の話が、どうしても聞きたいと仰っていましたよね。ですから、今からすべてを、お話しします――村井琴さんに『両手』を贈り、茶谷輝愛君に『両足』をプレゼントしたのは。僕です』
画面の向こうで、完璧に美しいにこやかな笑顔を一切崩すことなく淡々と自白する星那の姿に、居並ぶ刑事たちは一斉にヒッと息を呑んだ。
『あの日、僕に〇月✕日の夜のアリバイを尋ねてきたり、僕と"ちゃき君"がどういう関係なのかを詳しく聞いてきたりしたのは……。すべては、僕が送り主であるかどうかを確認したかったからですよね?あの時、あなたの前で素直に本当のことをお話しできなくて、ごめんなさい。でも、刑事さんが頭のなかで想像している通りですよ。……僕はどうしても、僕たち家族を救ってくれた、あの心優しいお二人に、最高の感謝の気持ちを伝えたかったんです。だから――お二人にプレゼントしました』
少し照れくさそうに、少年のような純粋な笑みを浮かべて語る星那。その異様な姿に対し、会議室の刑事たちからは「狂ってやがる」「完全にイカれてるぞ、こいつは……」と、畏怖の混じった呻き声が口々に漏れ出していった。
『商品の入手経路に関しては、仕事上の厳格な守秘義務がありますのでお答えできませんが、昔、演出の一環で使用していた昔、演出の一環で使用していた液体窒素用の特殊な保冷設備が僕たちの古い倉庫に残っていましたので、それでカチコチに凍らせてから配送しました。今の世のなか、ネットで頑張って調べれば、一般人の住所くらい簡単に特定できますからね。これが、僕が行った犯行の『理由』と『方法』です。あとは……あぁ、ちょっと待っていてくださいね』
星那はそう言うと、一度画面の外へとフイに姿を消した。数秒の後、彼は再び元の位置へと戻ってくる。――その細い右手の中に、よく研ぎ澄まされた『包丁』を静かに握りしめて。
『刑事から、特別なナイフの写真を見せられたことを失礼ながら忘れていました。処理に使用したのは、この包丁です。あの刑事さんが見せてくれた写真に写っていたものとは、少し形状が違いますよね。これは我が神楽家に代々受け継がれてきた大切な物なので、どこで販売されているものかは分かりませんが……僕たちの家族のご飯を用意するには、昔からこれが一番いいと決まっているんです。だから僕は、どんな道具よりもこれを上手く扱えます。物心ついた頃から、ずっと使い込んできましたから……』
包丁の刃先を、まるで愛おしい恋人でも見つめるかのようにうっとりと眺める星那の瞳。そこからは、彼にとってその刃物がどれほど神聖で大事な家族の宝物であるかが痛いほどに伝わってきた。刑事たちは吐き気を催すように顔を歪め、ただ絶望的に首を振る。
『これが、僕が警察のあなたに話せるすべてです。……でもきっと、他にも色々と知りたいことがありますよね。ただ、残念ながら僕はこれから、最愛の家族と一緒に遠くへ行く予定がありますので、これ以上直接お話しすることはできません。なので、どうぞ僕たちの神楽サーカスの家を、あなたの目で直接調べてみてください。場所の詳細は……今日の十八時ちょうどに、あなたのスマホへ正確な位置情報を送信します。――倉本陽菜さん。ご来場、心よりお待ちしておりますね』
星那がカメラの向こうの陽菜に向けて、完璧な角度で恭しく深く頭を下げた瞬間、動画はプツリと暗転して終了した。
「――以上が、送られてきた自白動画の全容だ。神楽本人は全面的に犯行を認めているが、事件の背景には依然として多くの不可解な疑問点が残されている。よって今回は、逮捕状の請求ではなく、まずは任意同行で身柄を本庁へ引っ張る方針とする。位置情報が送られてき次第、一班と二班は、志賀および倉本を同行させて直ちに現地へと急行せよ。その他の班は、引き続き神楽星那の周辺を徹底的に洗え。……質問は?」
富津頭の鋭い問いかけに、捜査員たちは無言で首を横に振った。室内の全員が、時計の針をじっと睨みつける。
そして――運命の、十八時ちょうど。
「――一課長!正確な位置情報が着信しました!」
陽菜の手の中にあるスマホが、静寂の会議室に、終わりの始まりを告げる不穏な電子音をけたたましく響かせた。
「――志賀と倉本を先頭に、全班直ちに現場へ急行せよ!!」
「「「はいっ!!」」」
富津頭の烈しい号令を受け、会議室の椅子を蹴立てて刑事たちが一斉に外へと飛び出していった。
「……まさか、こんな誰も見つけられないような場所に潜んでいたとはな」
激しい雨がフロントガラスを叩く夜のバイパス。覆面パトカーの助手席に深く腰掛け、陽菜のスマホの画面に表示されたナビを見つめる大和の横顔は、いつになく厳しく、険しく強張っていた。
「本庁のデータベースに登録されていた彼の住民票の住所からは、だいぶ離れた郊外です。……これでは、いくら周辺をローラー捜査したところで、見つからないわけです」
星那の端末から送られてきた正確な位置情報は、都市部の喧騒から隔絶された、郊外の広大な空き地の一角を冷酷に指し示していた。
これまでの身辺調査で、彼の名義にある住所や拠点は当然すべて洗い出していたが、星那はその場所に実際には生活していなかったのだ。おそらく、全国を移動しながら公演を繰り返す移動型サーカスの性質上、住民票を置くためだけのダミーの住所に過ぎなかったのだろう。
「全国のすべての空き地や野原の網羅なんて、本庁のマンパワーでも物理的に不可能だからな。おまけにそこは、過去にあいつらが実際にサーカスのイベント公演を行っていた土地だ。大型の特殊車両やトラックが何日も停まっていたところで、近隣の住民も『また何かのお祭りか』としか思わねえ。怪しまれねえから、通報すら上がらない。――だがな、陽菜っこ。ここから先は、本当に覚悟だけは決めておけよ」
「……はい」
これから自分たちが踏み込む場所に潜んでいるのは、人間の四肢をプロの技術で滑らかに切断し、それをカチコチに冷凍して誰かへ送りつけるという、常軌を逸した猟奇殺人犯だ。たとえ外見はあの穏やかな好青年であろうとも、その天幕の内部には、陽菜のこれまでの人生の常識では到底計り知れない『おぞましい地獄』が待ち構えている可能性が極めて高かった。
「分かっているとは思うが、現場に到着してからの単独行動は一切禁止だ。何があっても、絶対に俺の視界の入る範囲にいろ」
「はい。大和さんこそ、この前みたいにふらっと一人でどこかへ消えたりしないでくださいね」
「行かねえよ。今回のヤマは、お前ひとりじゃ肉体的にも精神的にも荷が重すぎるからな。……それと、最悪の事態に直面したとき、最優先すべきは『自分自身の命』だ。腰のモンを使ってでも、自分だけは絶対に守り抜け。いいな?」
「……はい。でも、それは本当に最後の、最後の手段です。私は……あのお守りを使わずに、平和的に解決してみせます」
警察学校を卒業して以来、腰の頑丈なホルダーに収まっている黒く重たい”それ”を陽菜が実際に手にしたのは、特定の射撃訓練や定期検定のときだけだ。
銃器の使い方も、それが持つ殺傷能力の恐ろしさも、撃つべき引き金のタイミングも頭では完璧に理解している。しかし、陽菜はできることなら、お互いに血を流すことなく言葉の対話で事件を終わらせたかった。たとえそれが、大和のようなベテランから「青臭い子供の綺麗事だ」と鼻で笑われるような傲慢な理想だったとしても。
それから激しい雨のなか、赤色灯を点滅させて車を限界まで飛ばすこと、およそ一時間――。
「気い引き締めろよ」
「はい!」
陽菜と大和の乗る車両は、闇夜のなかに佇む、青と白のストライプ柄のサーカステントが設置された、広大な空き地の最果てへとたどり着いた。
道中で見かけた巨大なアウトレットモールの周辺は休日直前の買い物客で大混雑していたが、この土地の天幕の周囲には不気味なほど人気がなく、ただ、星那の移動用と思われる大きな青いコンテナが一つ、横たわっているだけだった。
「一班と二班が周囲の退路を完全に塞いだ。……俺たちは、正面の入り口から突入するぞ」
後続の刑事たちの配置完了の合図を受け、陽菜と大和はそれぞれの腰から重厚な拳銃を引き抜き、両手でしっかりと構えながら、テントの薄暗い入り口へと足早に向かった。
大和の短いハンドサインの指示に従い、陽菜は入り口の幕を挟んで両サイドへと別れ、壁に背を預けて内部の様子にじっと聞き耳を立てた。
――……え?これは……音楽……?
静寂の天幕の奥から小さく漏れ聞こえてきたのは、耳を疑うほどに軽快で、どこまでも陽気なサーカスの開演BGMだった。それは聴く者すべての心を無条件に弾ませ、この奥には明るく楽しい夢の世界が広がっているのだと錯覚させるような、極上のメロディ。
しかし、陽菜の心臓の鼓動は、警鐘のように激しく跳ね上がっていた。なぜなら、その楽しげな音の演出の裏に隠された現実が、どれほど冷酷でおぞましいものであるかを、自らの魂がすでに理解していたからだ。
対面にいる大和と短く目配せを交わし、陽菜は呼吸を合わせると、意を決して勢いよくテントの入り口の重い幕を引き上げた。
――その、瞬間だった。
ブジュブジュッ、ブチッ、――……ドサリ。
分厚い布を肉ごと引きちぎったかのような生々しい破壊音と、何かが床の上へと重々しく落下する、鈍い衝撃音が室内に虚しく響き渡った。
――い、今のは……一体、何の音……っ!?
サーカステントの内部は光を遮断する特殊な二重構造になっており、ここからではまだ最奥の様子は見えなかった。しかし、陽菜は何の根拠もない目に見えない巨大な力に強く引き寄せられるようにして、大和の制止よりも早く、内幕に向かって全力で走り出していた。
「おい、倉本!待て、勝手に突っ走るな!!」
背後から響く大和の烈しい怒号すら完全に無視して、陽菜は自らの両手で、最深部を隔てる最後の内幕を力任せに引き開けた。
そして――。
「――っ!?!?あ……、ああ……っ」
眩いスポットライトに照らされた舞台の中央。
陽菜の瞳のなかに、一面をどろりとした鮮血で染め上げられた、あまりに真っ赤な『テーブル』の光景が、鮮烈に飛び込んできた。
――嫌だ、嫌だ、嫌だ、こんなの絶対に嘘だッ!!
陽菜の顔は恐怖と絶望に歪み、脳内の思考はぐちゃぐちゃに決壊していた。しかし、警察官としての本能が宿った足だけは決して止まることなく、彼女の身体をライトに照らされた舞台の真ん中へと猛然と向かわせた。
目に見えるその台の上には、ぽつんと一つきりの白い発泡スチロールの箱が置かれていた。そして、その箱を中心にして、どろりとした赤黒い液体が、四方八方へと蛇がのたうち回るように飛び散り、巨大な血溜まりを形成している。
舞台へ近づくにつれて、鼻腔を狂ったように衝くのは、生温かい強烈な肉の生臭さと、錆びた鉄のような鋭い刺激臭。
と同時に――テントを囲む四方の暗闇に設置された、いくつもの頑丈な檻の奥から、骨をごりごりと噛み砕き、肉を「グチャグチャ、グチャグチャ」と貪り喰らう、凄まじい咀嚼音が重低音のように響き渡り、陽菜の顔をこれ以上ないほどに青ざめさせた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
ついに舞台の最前列までたどり着いた陽菜の足が、ガチリと凍りついたように止まる。彼女の脳は、目の前にある地獄の情報を処理することを、完全に拒絶しようとしていた。
――……すべて、血だ。
スポットライトの下に広がっている真っ赤な海。それは、あの箱を中心に四方へ烈しく激突した凄まじい血しぶきと、床を埋め尽くす底なしの血溜まりだった。
そして。
中央に鎮座するその呪わしい発泡スチロールの横には、血に汚れないよう、透明なビニールに丁寧に包まれた一枚のメッセージカードが、律儀に貼り付けられていた。
『倉本陽菜様へ
本日は僕たちの最後の天幕へご来場くださり、誠にありがとうございます。
また、路上パフォーマンスもご観覧くださり本当にありがとうございました。
これはささやかなお礼の品です。
本当に、本当にありがとうございました。』
陽菜は血塗られた舞台に上がり、失神しそうになる精神をどうにか繋ぎ止めながら、そっと、その発泡スチロールの中をのぞく。
すると陽菜の瞳に映った。
――陽菜の“大好きなあの優しい笑顔”が。




