05
今季の全公演が幕を閉じてから、一週間後。
星那は、まとまった休みを取らせていた団員たちに向けて、もう一度だけこのサーカステントへ集まるように声をかけた。
具体的な用件は一切伝えていなかった。しかし、天幕の下に集まった団員たちの顔は一様に暗く、誰もがこの後に語られるであろう残酷な『現実』を、すでに静かに悟っているようだった。
「集まっていただき、本当にありがとうございます。まずは……みなさんへのお給料の支払いが大幅に遅れてしまっていること、心からお詫び申し上げます。資金の用意ができ次第、すぐに全額お支払いいたしますので、どうか、もう少しだけお時間をください」
予定していたすべてのスケジュールをどうにか完走することはできた。しかし、会場の確保や機材の維持費など、各方面への未払金を清算すると、手元に残った収益は目も当てられないほど微々たるものだった。
給与遅延に対する不満や焦燥は当然あるはずだった。しかし、団員たちはただ重苦しく口をつぐみ、気まずそうに星那から視線を逸らすばかりだった。
「それから……今後の、公演予定についてですが。……次の目処が立ち次第、僕から改めてご連絡させていただきます」
「分かった。……連絡、待ってるね」
星那が都内のあらゆる銀行に足を運び、そのすべての窓口で融資を冷酷に断られ続けていた事実を、団員たちも裏で知っていた。だからこそ、次の公演は未定だと告げられても、誰一人として驚く者はいなかった。
幸いなことに、腕の確かな団員たちは、これまで仕事を通じてお世話になってきた全国の動物園や遊園地、大型テーマパークなどから個別にスカウトの声をかけられていた。そのため、劇団が解散したとしても彼らが路頭に迷う心配はほとんどない。
むしろ――神楽サーカスに縛られているよりも、そちらの安定した環境へ移った方が、彼ら自身の大切な家族をきちんと養っていくことができるだろう。頭では、それが最善だと分かっていた。
星那の短い演説が終わると、団員たちは各々、テントの片隅に残されていた私物の整理を黙々と始めた。
――ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……。
淡々と荷物を段ボールに詰めていく団員たちの後ろ姿を見つめながら、星那の胸はやるせない無力感で押しつぶされそうだった。
これまではいつも、「次の街ではどんな演目をやろうか」と楽しげに笑い合いながら片付けをしていたのに。これからもずっと、この温かい家族と一緒にいられると信じて疑っていなかったのに。
ただうつむき、言葉もなく立ち尽くすことしかできない若き新団長の元へ、荷物を抱えた団員たちが一人、また一人と歩み寄り、静かに別れの挨拶を告げていく。
「星那君、本当に楽しかったよ。またいつでも連絡してね」
「あまり一人で無理すんなよ?どうしても困ったことがあったら、いつでも俺たちを頼っていいんだからな」
「どうか、体だけは壊さないようにね」
「……残された動物たちのこと、よろしく頼んだぞ」
それぞれが最後の言葉を残し、慣れ親しんだ巨大な天幕を後にしていった。
新たな、そして平穏な未来へと進んでいく彼らの後ろ姿は、夕暮れの街並みのなかへどんどん小さくなっていき、やがて完全に視界から消え失せた。
「どうにか……どうにか、しなきゃいけないのに……っ」
完全に一人きりになり、張り詰めていた団長としての虚勢を維持する必要がなくなった瞬間、星那は耐えきれずにテントの入り口の地面へと、へたり込むように崩れ落ちた。
そんな主人の異変を心配してか、暗闇の奥から一匹の猫がそっと近づき、星那のすぐ隣へと寄り添うように座った。
大丈夫だよ、と応援してくれているかのように、小さく優しく鳴き声を漏らす相棒。その全身に白髪が混じり始めた老猫の『ニャトラ』は、愛おしそうに自身の小さな頭を、星那の膝へとそっと擦り付けてくれた。
その小さな体温の温もりに触れた瞬間、星那の目頭が烈しく熱くなった。しかし、彼はぐっと奥歯を噛み締め、涙が溢れ出るのを必死に堪えた。
――……僕が、絶対にみんなを守ってみせるから。
かつて自分の精神を支えてくれた絶対の相棒、犬のワワンと猿のウキキが寿命で旅立ってから、まだ一年弱。彼らの後を追うようにして、このニャトラとの最期のお別れの時も、そう遠くない未来に迫っていることを、星那は痛いほど理解していた。
けれど、神楽サーカスの『家族』は、いつだってずっと一緒だ。たとえ二度と肉体に触れられず、言葉を交わすことができなくなったとしても、星那の心の真ん中には、あの日亡くなった両親も、ワワンもウキキも、常に生きて傍にいてくれている。彼らだけは、世界でただ一人、星那を本当の独りぼっちにはしないのだから。
それは、今も暗い檻の奥からじっと自分を見つめてくれている、残されたサーカスの猛獣たちも全く同じだった。星那にとっては、自らの人生や何を犠牲にしてでも絶対に守り抜かなければならない、最後の、最愛の家族そのものだった。
だからこそ、星那は明日もまた、ボロボロのスーツに身を包んで足を動かし続ける。一度は融資を無情に断られた銀行の、今度は別の支店の窓口へ。
格好いい団長としてのプライドなどとうに捨てた。ただ、明日を生きる家族たちの、一食分の食事だけでも確実に確保するために。
――しかし。
冷酷な現実というものは、星那が想像していたよりも、遥かに残酷な牙を剥いて突進してきたのだった。
事実上の休業に追い込まれてから、一人で様々な銀行の窓口を回り続けること、数週間。
この日もどこの金融機関からも温かい手を差し伸べてもらうことはできず、星那は心身ともにボロボロの状態で、ふらふらと誰もいない寂しいテントへと戻ってきた。
「ただいま。……ごめんね、今すぐご飯の用意をするからね」
泥だらけのビジネスバッグを床へ置き、すっかり手慣れた手つきで肉を切り分けると、星那は残された最愛の家族たちの元へと歩み寄った。
「お待たせ。……遅くなって、本当にごめんね」
頑丈な檻の前にそっと食事の皿を置くと、暗闇の奥から、ゆっくりと一頭の美しいトラ――『スピカ』が姿を現した。
スピカは差し出された皿に大きな鼻を近づけてフンと匂いを嗅いだが、なぜか肉には一切口をつけようとせず、座り込んだままじっと星那の顔を見つめてくる。
その悲しげな眼差しは、まるで、日に日に目に見えて痩せ細っていく星那の身体と、自分たちのために彼の食事量が少しずつ減らされている事実を、深く心配しているかのようだった。
「――気にしなくていいんだよ、スピカ。お前、ずっとお腹が空いていたんだろ?さあ、遠慮しないで食べな?」
星那は檻の隙間からスピカの大きな頭を優しく撫でてやると、皿を少しだけ彼女の方へと押し出した。
皿と星那の顔を交互に見比べたあと、スピカはようやく、愛おしそうにゆっくりと肉を食み始めた。――その健気な姿にそっと微笑みを浮かべてから、星那は隣の檻で待っている他の家族たちの元へと移動した。そうして、スピカの時と全く同じような労わりのやり取りを重ねながら、すべての家族の檻を回っていく。
――みんな、いつもお腹いっぱい食べさせてあげられなくて、本当にごめんなさい。
自分自身の食事を限界まで削ってでも、家族たちの食事だけは最優先で確保してきた。しかし、かつては滑らかだった彼らの毛並みはパサつき、天幕を揺らしていた力強かった手足からも筋肉が落ち、一回りも二回りも細くなってしまっている。
命よりも大切な、僕の家族なのに。
何があっても守りたいのに。
誰よりも幸せにしてあげたいのに。
大好きなみんなをこうして不幸に陥れている元凶は、他でもない、不甲斐ない自分自身なのだという残酷な現実が、容赦なく星那の心を激しく締め付けた。
――翌日。
「いって……きます」
静まり返るテントで留守番をする家族たちにそっと声をかけ、この日も星那は、よろよろと頼りない足取りで銀行へ向かうために外へ出た。
ここ数日の間、水で薄めたわずかな牛乳しか摂取していない星那の肉体は、すでに限界をとうに迎えていた。気を抜けば、その瞬間に意識を失ってアスファルトへ倒れ込んでしまいそうになる。
それでも、拠点の食料の底はもう完全に見え始めていた。休むことなど、一秒たりとも許されない。ガタガタと拒絶反応で震える自らの身体を強く擦りながら、前へ、前へと足を進める。一日でも、いや一分でも早く融資を勝ち取り、家族の命を繋ぐためのお金を得るために。
「あれ……。あぁ、あは、あははははっ……!」
本当に小さな、一縷の希望だけを支えにしてようやくたどり着いた目的の銀行の建物を前にして、星那は突然、壊れたように大声で笑いだした。
と同時に、糸が切れたように両膝から地面へと崩れ落ち、堪え切れない涙が次から次へと溢れ出ていく。
「僕……一体、何をしてるんだろうな……」
行き交う大勢の通行人たちから奇異の目で見られようと、白い目を向けられようと、涙は一滴も止まらず、自らの足にはもう立ち上がるための力がどこにも入らなかった。融資を無情に断られた昨日は、どうにか尊厳を保って倒れることなく帰路につけたというのに。
「――お客様っ!?大丈夫ですか、しっかりしてください!」
反射的に声のした方へと顔を向けると、その銀行の制服を身に纏った一人の若い女性が、取り乱した様子でこちらに駆け寄ってくるところだった。彼女は星那の隣に素早くしゃがみ込むと、戸惑いながらも、その小さく震える背中を何度も優しく擦ってくれた。
「えっと……だ、大丈夫、です……」
喉の奥からどうにか声を絞り出し、涙で歪む視界のなかで、必死に彼女の輪郭を捉えようとする。すると彼女は、昨日あの冷たい窓口の奥で、自分の受付を担当してくれた、あの優しい銀行員の女性だった。
「あぁ……すみません。あなた方に、ご迷惑をおかけするつもりはなくて……。ただ、僕は、融資を……っ」
これ以上、警察や銀行の大人たちに「融資を断るためのマイナス要素」を作られてはならないと、星那は無意識のうちに慌てて顔の涙を拭い、頭を下げて立ち上がろうとした。だが、衰弱しきった肉体にはもうそんな気力は残されておらず、盛大によろめいて床へと傾いでしまう。
「無理をしないでください!失礼ですが……神楽様、ここ最近、まともにお食事を取られていますか?」
「……」
「すぐ近くに小さな公園があります。どうにか、そこまで私と一緒に頑張って移動しましょう」
「……ありがとう、ございます……」
彼女の細い肩に必死に支えられ、なんとか立ち上がることだけはできた。しかし、星那にはもう自身の足を上へと引き上げる筋力など残っていなかったため、ただ地面を擦るようなすり足で、ゆっくりと、ゆっくりと時間をかけて移動した。
「ここで少しだけ待っていてくださいね!」
日当たりの良い公園のベンチに星那の身体をそっと横たえると、彼女は何事かを思いついたように、回れ右をして大急ぎでどこかへと走っていってしまった。
「待って……いかないで……っ」
星那は、視界の中でみるみる小さくなっていく彼女のその後ろ姿に向けて、縋るように細い手を伸ばした。
自分をこの暗闇に置き去りにして、眩しい明るい未来へと進んでいってしまったあのサーカス団員たちの時は、「みんなの邪魔をしたくない」と切ない理性が完璧に働いていたというのに。今の自分は、あまりの孤独と飢えの前に、その理性すら完全に消し飛んでいた。
けれど、星那が伸ばしたその手は虚空を掴むだけで、力なくベンチへと滑り落ちる。それと同時に、彼の視界は冷酷な暗転へと向かっていった。
――僕を、世界でただ一人きりに……しないで。
極限の絶望の中で零れ落ちた青年の哀しい本音は、誰の耳に届くこともなく、静かに五月の風の中に消えていった。
――数分後。
「……様!?お客様、大丈夫ですか、しっかりしてください!!」
身体を強く揺さぶられた強烈な衝撃によって、星那はかろうじて意識の底から這い上がった。
まだ酷く霞む視界の向こう、青白い顔で眉間に深いシワを寄せ、今にも泣き出しそうな形相で自分を覗き込んでいる一人の女性。彼女の顔には、はっきりと見覚えがあった。
「あぁ……昨日の、受付の……」
「よかった、生きてた……っ!あ、あの!この中から、今何か少しでも食べられそうなものはありますか?一応、ネットで急いで調べて買ってきたんですけど……」
星那の身体を優しく起こし、後ろから支えるようにしてベンチの隣に腰掛けた彼女は、提げていた大きなエコバッグの中身を、星那の膝の上へと次々に並べ始めた。
冷たいミネラルウォーター、経口補水液、スポーツドリンク。パウチに入った白粥、たまご豆腐、鮭のおにぎり、ミックスサンドイッチ。それから、たまごプリンにシュークリーム……。
ここ数日間のなかで初めて目にする、まともな人間のための栄養。
それらを目の前にした瞬間、朦朧とした意識のなかにあっても、星那の肉体に刻まれた純粋な『生存本能』だけは正確に機能し、彼の不甲斐ないお腹が、グウと盛大な音を立てて空腹を激しく訴えかけた。
「よかった……お腹、鳴りましたね。でも、最初は絶対に胃に優しい物から口にした方がいいですよ」
「……どうして」
「え?いや、確か医学的にも、胃が長いこと空っぽに近い状態のときは、急に固形物を食べると危ないって――」
「そうじゃなくて。……どうして、僕なんかにここまで親切にしてくれるんですか?」
星那には、彼女が自費でこれほどの買い出しをしてまで、自分を介抱してくれている明確な理由が全く分からなかった。
自分は彼女の銀行に何億円もの大金を預けているような太客でもなければ、長年贔屓にしてくれているお得意様でもない。昨日、融資の相談に行ってあっさりと断られただけの、ただの貧乏な客だ。ましてや、彼女の友人でも親族でもない、ただの通りすがりの赤の他人。これほど親切にするメリットも、彼女側の合理的な動機も、どこをどう探しても微塵も見当たらなかったからだ。
「……ファンだから、です。って言っても、実は本番の舞台はまだ、数回しか直接観たことはないんですけれど……。で、でも!本当に楽しくて、素敵で、一瞬で心が救われて、大好きになったんです。――あなた方の『神楽サーカス団』が!」
「あぁ……。足を運んでくださった、『お客様』でしたか。……ご来場いただき、本当にありがとうございました」
「と、とんでもございません!こちらこそ、人生で一番素晴らしい最高の時間を、ありがとうございました。……って、お礼はいいですから、それより早く何かお腹に入れてください!」
今にも消え入りそうな儚い微笑を浮かべた星那の手のひらへ、彼女は半ば強引に経口補水液のボトルを押し付けた。
星那が「こんな施しを受ける理由がない」と弱々しく首を左右に振っても、彼女は「ここで私の目の前で倒れられた方が、よっぽど寝覚めが悪くて困ります!」と頑なに引く気配を見せなかった。
「……ありがとうございます。いただいたものの代金は、後日絶対に、何が何でもお支払いしますから」
彼女のプロの観客としての烈しい熱量に根負けし、星那は経口補水液のキャップを開け、一口、喉へと流し込んだ。
――あぁ……本当に、美味しいな。
渇ききった喉を滑らかに通り抜け、砂漠のように干からびていた全身の細胞へと、あたたかい栄養がみるみる染み渡っていくのを感じ、星那は心底ほっと安堵の息を吐き出した。
水分が身体に行き渡ったことで自然と生きるための食欲が呼び戻され、星那は遠慮がちに、隣に並べられていたたまご豆腐へとそっと手を伸ばした。
「ふふ……よかった。それじゃあ、私もお付き合いしますね」
彼女は嬉しそうに優しく微笑むと、自らのビジネスバッグのなかから、手作りらしきお弁当箱を取り出した。
「あ、あの。先ほど仰っていたお金のことなんですけれど……。もしよろしければ代金は、神楽様の持っている『情報』と交換、という形でも構いませんか?」
「情報、ですか?構いませんけれど……残念ながら、僕のような世間知らずのパフォーマーが、あなたにとって有益な情報なんて、何一つとして持っているとは思えませんよ」
ゆっくりとプラスチックスプーンを口元へと運び、自分が今まさに『生きている』という確かな実感を噛み締めながら、星那は隣で小さなお弁当をパクパクと綺麗に食べ進めている彼女の横顔をそっと盗み見た。
黒い髪を後ろできちんと一本に結い、清潔感のあるシワ一つない制服に身を包んだ、いかにも真面目そうな銀行員の彼女。そんなエリートの彼女が、わざわざ自腹でこれほどの食糧を買い与えてまで、自分から引き出したいと切望している『情報』とは、一体何なのだろう。
ただその見当は、今の星那には全くつかなかった。
物心ついた頃からサーカステントのなかだけの狭い世界で暮らし、一般社会のルールも、大人の言う本音と建前の醜い区別すらまともにできない世間知らずの自分が、価値を持つ情報をすでに握りしめているなどと思えない。
「いいえ。その『お客様』にしか絶対に分からない、きわめて重要なトップシークレットのことですよ。――あの、神楽サーカスの今度の新しい公演は、いつ頃を予定しているんですか?」
「……え?」
「ここだけの話、うちの支店ってすごく保守的で……。早めに有給休暇の申請を出しておかないと、上司からすごく嫌な顔をされるんです。だから、もし大体の時期が決まっているならこっそり教えてくれませんか?もちろん他言無用、公式発表があるまで誰にも言いませんから!」
胸の前で両手を合わせて必死にお願いしてくる彼女の姿。そこには打算など微塵もなく、純粋に心の底から次の公演を待ち望んでくれている熱意だけが溢れていた。
世界から見捨てられたと思っていた自分を、ただ一人のファンとして全力で求めてくれるその姿に、星那の頑なだった心は大きく動かされ、目頭が烈しく熱くなっていく。
「あ、ありがとうございます……っ。でも、本当にごめんなさい。今度の公演はまだ、何もかもが……未定なんです」
「……そう、ですか」
彼女は寂しそうに視線を下げ、ゆっくりと箸を進めた。
昨日、融資の受付窓口を担当し、要件をすべて聞いていた彼女だ。星那がこの銀行にやってきた目的など、疾うに知っている。そして昨日、彼が絶望に染まった暗い表情で窓口を去っていったことから、融資担当者に直接結果を問い詰めずとも、星那がどんな仕打ちを受けたかは容易に想像がついているはずだった。
ゆえに「未定」だと言われても、彼女が驚くことはなかった。
「やはり、このお食事の代金は後日お返し――」
「クラウドファンディング。……とかは、まだやってみたりはしていませんか?」
「え?」
「銀行の大人が首を縦に振ってくれないなら、ネットを通じて、世界中の他の人たちに直接味方になってもらえばいいんです!」
ガバッと顔を上げた彼女は、力強い眼差しで真っ直ぐにこちらを見つめてきた。しかし、冷徹な現実に打ちのめされた星那の顔色が変わることはなかった。
――お願いなんて、これまでに何度も、色んな人にしているよ……。
ネットの仕組みに詳しいわけではなかったが、クラウドファンディングという手段で多額の資金を集められる方法があることくらい、星那も知識としては知っていた。どこかの地方の公立動物園が、その手法で財政難から建て直せたという明るいニュースを、昔テレビで観た記憶もある。
だがそれは、世間一般にある程度の知名度と、大衆を惹きつけるだけの話題性があるからこそ成立した奇跡だ。
『神楽サーカス団』は、世界三大サーカスに数えられるような有名な大劇団では決してない。それどころか、毎年定期的に決まった場所で天幕を開くことすら叶わない小劇団だ。地方の大型ショッピングモールの経営陣に必死に頭を下げ、駐車場の片隅を数ヶ月間だけ借り受けて臨時のテントを建設し、ひっそりと公演を打つ程度の、地方の弱小サーカス団に過ぎない。
そんな名もない弱小サーカスなど、あの融資担当者が冷酷に言い放ったように、世間からは「時代遅れで未来性のないコンテンツ」だと一蹴され、誰にも見向きもされないのが残酷な現実だ。
「あとは……どこかの資産家や、個人の投資家の方に直接お話をしてみたりは?」
「……僕たちのために、いろいろと親身にアドバイスをくださり、本当にありがとうございます。ですが、僕たちは見ての通りあまり有名なサーカスではないので、そんなパトロンになってくれるようなお知り合いはいなくて」
「でも、昔は!お父様の代の時は確か……。――いえ、なんでもありません」
口を滑らせかけたことに気づき、気まずそうに視線を泳がせる彼女。星那もそれ以上は追及せず、そっと視線を逸らした。――両親が健在で劇団を経営していた昔は、潤沢なスポンサーがついており、資金繰りに困るようなことは一度もなかった。という、取り戻せない過去の事実からは、どうしても逃れられなかった。
「本当に、ありがとうございます。こんな状況になって、最後にあなたのような、神楽サーカスを心から愛してくれる温かい人に出会えて……僕は本当によかった」
「そんな、もう終わりみたいな悲しいこと言わないでください。……あ、ひ、独り言!これは今から私が呟く、ただの独り言ですからね!うん、そう。だから、偶然隣の人に聞かれちゃっても仕方ないよね~」
「……は、はい?」
「いやあ、今は一体どうされているのかなあ。当行の顧客データに載っている、あの大金持ちの有名な社長さん。大の娯楽好きで、確か昔はどこかのサーカス団の大口スポンサーになって支援していたよなあ、って。ああ、私の高い独り言ですから気にしないでくださいね?」
空になったお弁当箱を手際よく片付けながら、真面目そうな銀行員の女性は、チラチラと隣に座る星那の顔色を盗み見るようにして、意図的な視線を送り続けていた。




