04
とある高級マンションの一室。
広々としたL字型のソファの上で、一人の青年が小さく膝を抱え、ガタガタと激しく震えていた。
「茶谷さん、もう一度だけ確認させてください。……"あれ"は、本当についさっき、あなたの元へ直接届いたんですね?」
大和の隣で、陽菜が声音を極力優しく落として問いかける。問われた青年――茶谷輝愛は、大きな瞳に涙をいっぱいに浮かべながら、怯えた声を絞り出した。
「だから、何度もそうだって言ってるじゃん!もう……なんなの、一体。オレ、何か悪いことした?どうしてあんな、人間の足なんか、オレのところに……っ」
「お辛いのは重々承知しています。ですが、犯人がどうしてあなたを狙ったのか、その理由を突き止めるためにも、どうか今朝のことを詳しく話してください。……お願いします」
陽菜がそっと差し出したハンカチを震える手で受け取り、茶谷は何度も鼻を啜りながら、小さく、頼りなげに頷いた。
陽菜たち警察がこの茶谷の自宅へと急行したのは、今から一時間ほど前のことだ。本庁での緊迫した捜査会議の最中、通信指令室から飛び込んできたあの最悪の「一一〇番通報」の報告を受けて、直ちに現場へと突撃したのだ。
『ああああ、足が!人間の足がっ!箱に入って送られてきた……っ!』
通報してきた茶谷の声は酷くパニックを起こしており、まともな精神状態ではないことは一目瞭然だったという。
本来であれば、あの三木坂麗雅の『両手首遺棄事件』との関連性も含め、まずは最寄りの所轄の警察官を向かわせて悪質な悪戯でないかを確認する手順を踏む。しかし、今回は事態が事態だ。報告を受けた富津頭一課長は、一瞬の躊躇もなく即座に一課の捜査員たちへ直接の臨場を命じた。
『本会議は一度中断する。一課の全捜査員は、一刻も早く通報者の元へ向かえ』
そうして大和と陽菜は、火が付いたように他の班を出し抜き、この茶谷の自宅マンションへと真っ先に駆けつけたのだった。
「オ、オレだって、最初はおかしいと思ったんだ。だって、今朝はサンドイッチしか頼んでなかったし、いつもいるはずの招木田さんもいなかったから……」
茶谷は、自らの後ろで各方面へと慌ただしく連絡を入れているスーツ姿の男――自身のマネージャーである招木田を、怯えるようにそっと振り返った。
「でもまだ怒ってるから、荷物だけ置いて行ったんだと思って……」
「輝愛。私は仕事において、そんな幼稚な真似は絶対にしません」
「……はい、すみません」
通話を終えてスマホをポケットへと仕舞い込んだ招木田に冷徹に睨まれ、茶谷はソファの上でさらに身体を縮こまらせた。
「ええと……あの、先ほど仰った『サンドイッチ』というのは?」
「ツナと、たまごと……あと、サラダが入ったやつ」
「輝愛、刑事さんは別にサンドイッチの具材のディテールを知りたいわけではないでしょう。……まったく、刑事さん、すみません。状況は私が代わりに詳しく説明いたします」
「ええ、そうしていただけると非常に助かります」
すっかり顔を膝の間に埋めてしまった茶谷の隣へと腰掛け、招木田は、少し苦笑いを浮かべている陽菜に向かって静かに説明を始めた。
「ご存じないかと思いますが、輝愛は、少し前に地上波のオーディションを勝ち抜いてデビューしたばかりの、我が芸能事務所の大切な新人タレントなんです」
「いえ、存じ上げております。……あのサバイバルオーディション番組ですよね。かなりの注目を集めていましたから」
芸能事務所への所属とメジャーデビューの切符を賭け、全国から集まった若き志望者たちが熾烈な競争を繰り広げるオーディション番組。最終的な合格者は、厳しい事務所審査や音楽プロデューサーの評価だけでなく、視聴者による莫大な「一般人気投票」によって冷酷に決定される。
その超過酷な国民的番組で見事に合格枠を勝ち取った、この輝愛を含めた九人の少年たちは、現在『新人ボーイズグループ』として華々しく活動をスタートさせたばかりだった。先日行われた大々的なデビューイベントでは、会場となった大型ショッピングモールに前代未聞の入場規制がかかるほどの大成功を収めたと、エンタメニュースでも連日大々的に報道されていたのを陽菜も記憶している。
「彼らはまだ若く、業界的には右も左も分からない新人ですが、デビューした以上は立派なプロの芸能人です。そのため、熱狂的なファンによるストーカー被害や毒物の混入といったリスクを避けるため、出前や宅配などのデリバリーに関しては、すべて私――マネージャーである『招木田』の名義で注文し、まずは私が一括して一階のフロントで受け取る決まりになっています。その後、中身の安全を私が直接確認した上で、彼らの部屋へと届ける防衛策を徹底していました」
そう語る招木田の、少し困ったように眉を下げた表情には、新人への呆れというよりも、担当タレントが五体満足で無事だったことに対する、心底からの安堵の念が滲み出ていた。
「なるほど。招木田さんのマネジメントとしての徹底したセキュリティ管理はよく分かりました。……ですが、今回はそのルールを破って、茶谷さんご自身が直接、ドアを開けてあの荷物を受け取ってしまったのですね?」
「ち、違うんだ!オレ、頭はバカだけど、招木田さんと交わした『絶対にデリバリーは直接受け取らない』っていう約束だけは、絶対に守ってる!本当だよ、嘘じゃない!信じてよ、招木田さん……っ!?」
ガバッと勢いよく顔を跳ね上げた茶谷は、必死な形相で招木田のスーツの腕を掴み、激しく揺さぶった。
「分かっていますから、少し落ち着いてください。先ほども言いましたが、輝愛は届けに来たのが私だと本気で勘違いしてしまったんだと思います」
自らの腕を必死に掴んでくる茶谷の手を優しく握り直し、招木田は陽菜に向けてきっぱりと告げた。その視線には微塵の揺らぎもなく、担当タレントの言葉を心の底から信じ切っているようだった。
――招木田さんの気持ちは、よく分かるけれど……。
彼らが過酷なデビューに向けて血の滲むような努力を重ねる姿を、誰よりも一番近くで見守ってきた招木田だからこそ、彼がその努力を自ら棒に振るような嘘を吐くはずがないと信用しているのだろう。
陽菜だって、せっかく夢に向かって歩み始めた若者を心から応援したかった。しかし、今の自分は一課の刑事だ。仕事に私情や同情を挟むわけにはいかない。
「失礼ですが、このマンションのインターホンは最新のカメラ付きです。いくら慌てていたとはいえ、毎日顔を合わせている担当マネージャーと、赤の他人を見間違えるとは考えにくいです。茶谷さん、本当のことを話してください」
「だから、招木田さんとの約束は破ってないってば!……た、ただ、破ってはいないけど……」
「輝愛、もしかして画面の顔をちゃんと確認しないで解錠したんですか!?あれほど不審な周囲の人間には警戒しろと言い聞かせたのに!?」
「違う、見たよ!画面は見たんだ!でもっ、帽子を深く被ってて『輝愛、荷物です』って、招木田さんの声に聞こえたから……ごめんなさい……っ」
ぽろぽろと大粒の涙をこぼして謝罪した茶谷は、すがるように招木田の細い腕に自らの頭をうずめた。
「……いえ、私こそキツく責め立てるような言い方をしてすみません。ですが、どうか今後はもう少しだけ慎重に行動してください。今の輝愛に何かあったら、悲しむ人が世界中にたくさんいるんですからね」
「うん、気をつける……」
「約束ですよ。――刑事さん、申し訳ございませんが、輝愛を少し寝室で休ませてあげてもいいでしょうか?代わりに私が、彼から聞いていたことや話せる限りのことをすべてお話ししますので」
怯えて自分の腕にしがみついている茶谷の背中を、何度も静かに擦ってあげる招木田。その表情は酷く暗く、マネージャーである彼自身も、精神的な限界を迎えているのは明らかだった。
それでも自分自身の疲労より、タレントのケアを最優先にしてしまうのは、彼に染みついたプロとしての職業病かもしれない。
「分かりました。ただ、最後に一つだけ教えてください。茶谷さん、先ほど『玄関を開けたとき、招木田さんもいなかった』と仰っていましたが、ドアを開けた瞬間は具体的にどんな状況だったんですか?」
「どんなって……誰もいなくて。ただ床の上に、荷物が……冷凍商品を注文したときによく届く、あの白い発泡スチロールの箱が、ぽつんと置かれていただけだよ」
少しだけ顔を上げた茶谷は、伏目がちな視線をキッチンの奥へと向けた。
そこには今、数名の鑑識官と捜査員たちが深刻な顔で言葉を交わしているだけだが、ほんの数分前までは、人間の『足』が詰められたあの呪わしい発泡スチロールの箱が、静かに白い冷気を漏らしながら、そこに鎮座していたのだ。
――やっぱり、ここでも配達員の姿はなかったんだ。
村井琴の事件と完全に一致する手口に、陽菜の背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。
「やはり、そこにはもう配達員の姿はなかったのですね……。よく分かりました。茶谷さん、今はひとまずお部屋でゆっくり休んでください。体調が回復しましたら、また改めてお話を聞かせてくださいね」
「ありがとうございます。さあ輝愛、お言葉に甘えて少し休みなさい」
「で、でも、今日のレッスンは?夕方からの仕事だって入ってたよね……?」
「心配しないでください。すべて私の方で調整済みです。だいたい、そんなボロボロの状態で現場に行っても集中できず、他のメンバーやスタッフの方々に多大なご迷惑をかけるだけです。今は何も考えずに、ゆっくり眠りなさい」
招木田の流れるような説得に言いくるめられた茶谷は、力なく小さく頷いた。
ただ、奥の寝室へ行くことだけは頑なに拒み、リビングのソファで横になって休むことだけは譲らなかった。そのため、陽菜たちは彼を刺激しないよう静かに場所を移動し、薄暗い廊下で招木田から詳しい話を聴取することになった。
「ご協力ありがとうございます。さっそくですが、茶谷さんを個人的に激しく恨んでいる人物や、最近色濃いトラブルになっていた方に心当たりはありますか?」
「……この業界で、誰からも恨まれていない人間なんていませんよ。誰もが生き残るために、文字通り死に物狂いですから」
「そうですね、不躾な聞き方をして失礼いたしました。では、質問を変えます。芸能界における、茶谷さんの客観的な評判はいかがですか?」
「……極めて良い方です。輝愛はどこまでも純粋で真っ直ぐ、それこそ子犬のように人懐っこいたちです。だからなのでしょう、業界の『上の方々』には、滅法好かれることが多いです」
「上の方々、ですか。……あの、お話しできる範囲で構いませんので、もう少しだけ具体的に教えていただけますか?」
陽菜の鋭い一歩に、招木田は一瞬だけハッとした表情を浮かべた後、すぐに逃げるように視線を逸らして固く口をつぐんだ。
「ここでの会話は、決して外部に漏らすことはありません。これは芸能人のスキャンダルではなく、猟奇殺人事件の捜査です。事件解決のためにも、どうかご協力をお願いします」
「……分かりました。ですが、絶対にオフレコでお願いしますよ」
低く重い前置きをしてから、招木田は周囲を警戒するようにさらに声を一段落として語り始めた。
「輝愛は少し前から、仕事先で仲良くなったプロデューサーに、自分の知人を紹介していたんです。本人としては、自分と同じように夢に向かって頑張っている大切な知人を、単に応援してあげたいという純粋な善意から出た行動でした。そんな無垢な輝愛の頼みならと、快く話を聞いてくださる方が大半でしたが……。彼の純粋な思いに賛同した人々が自発的に動いていたのだと知らない一部の人間にとっては、デビューしたばかりの新人が我が物顔で事務所の威光を使い、好き勝手に人脈を振り回しているように映ったのでしょう。先日、一部の古参スタッフから『調子に乗っている』と、強い批判の声が上がっているのを教えていただきました」
タレントの世間知らずな子供っぽさに呆れたように自嘲の笑みを浮かべる招木田だったが、胸の前で固く組まれた彼の両腕には、血管が浮き出るほどの強い力が籠められていた。
――やっぱり、すべての人間に好かれるなんて、この世界じゃ不可能なんだ。
お調子者で、少し生意気な高校生。
それが世間のイメージするタレント・茶谷輝愛だ。事実、十八歳で高校を卒業したばかりの彼は、未だに抜けない学生特有のノリを随所に滲ませている。しかしそれと同時に、抜群に明るい性格と、相手の懐にするりと入り込む異常なほどのコミュニケーション能力を持ち合わせていた。
だからこそ、老若男女の壁を越えて誰とでも一瞬で仲良くなることができ、彼の笑顔を見ているだけで不思議と元気が貰えると爆発的な人気を誇っているのだ。
――そして、だからこそ、凄まじく嫉まれる。
「まあ、オーディションで合格枠を勝ち取る前から、彼らのことをネットや陰口で悪く言う人間は一定数いましたけれどね」
「ですが、そんな業界内での反感を買いかねない危うい行動を、敏腕の招木田さんが黙って許可していたとは到底思えないのですが?」
「事と次第によりますよ。ですが、今回の一件はすべて輝愛が私に無断で行った独断の暴挙でした。ですから、すべての事実を把握した昨日、私は彼を厳重に注意しました」
「なるほど。……先ほど茶谷さんが怯えながら口にしていた『招木田さんがまだ怒っているから』というのは、そういう意味だったのですね」
招木田は肯定するように小さく頷いたが、その両目は一切笑っておらず、胸の内に秘められた怒りのボルテージは完全には静まり切っていないように見えた。
ゆえに茶谷は、バカな真似をして激怒させてしまった自分に、招木田が今はまだ顔を合わせたくないのだと思い込んでしまったのだろう。
「非常に言いづらい部分だとは存じますが、現在、茶谷さんのその行動を最も激しく嫉み、敵視している人物の名前を具体的に教えていただけますか?」
「……分かりました。後ほど関係者のリストをピックアップし、書面でお伝えいたします。ですが、これ以上の無用な関係悪化だけは絶対に避けたいので、その――」
「――あああああああああああッ!!」
突如として、薄暗い廊下の静寂を切り裂き、閉ざされたリビングの奥から凄まじい絶叫が響き渡った。
陽菜と招木田はギョッと全身を硬直させ、弾かれたようにリビングへと繋がる重いドアへと一斉に視線を走らせた。
「――輝愛!?」
陽菜たちよりも一瞬早く我に返った招木田が、弾かれたようにリビングへ飛び込んでいった。
彼の後に続き、陽菜と大和も慌てて室内に戻る。そこには、ソファの上で自らの頭を狂ったように抱え込み、激しい絶叫を上げている茶谷輝愛の姿があった。
「違う、違う違う違う!オレはそんなつもりじゃなかったんだ、違う、違うんだ、オレはただ、ただ――!」
「輝愛!落ち着いて私の目を見なさい!」
頭を激しく左右に振り乱す茶谷の両肩を力任せに押さえ、招木田は必死に視線を合わせようと試みる。しかし、極限のパニック状態に陥った茶谷の馬鹿力は凄まじく、敏腕マネージャーの細い身体ではなかなか押さえ込むことができない。
「茶谷さん!?落ち着いてください、一体何があったんですか――」
すかさず駆け付けようとした陽菜だったが、足元で何か固いプラスチックを踏みつけ、その足を止めた。
――これは、茶谷さんのスマホ……?
絨毯の上に転がっていたのは、小さな星のストラップがついたスマートフォンだった。画面はまだバックライトが点灯して動画が再生されたままになっており、微かに軽快な音楽が流れ続けている。
「本当にそんなつもりじゃなかったんだ!本当だよ、信じて!?オレ、そんな、こんなことになるなんて思ってなくて――っ」
「茶谷輝愛!!しっかりしなさい!」
「あ……招木田さん。どうしよう、どうしよう……っ。オレ、オレのせいかも……。オレが余計なことを言っちゃったから……っ」
招木田の烈しい一喝で辛うじて理性を引き戻した茶谷は、そのまま彼の胸へと縋り付くようにして、堰を切ったように激しい涙を流し始めた。
「落ち着いてください。大丈夫、私はいつでも輝愛の味方です。だから、私にも分かるように順を追って話してください。できますね?」
「うん……あの、あの『足』。たぶん、きっと……木谷選手の、足なんだよ……っ」
「木谷選手?……それって、少し前に現役を引退した、元プロサッカー選手の木谷漣選手のことですか?」
「う、うん。一瞬……箱を開けたとき、見えたんだ。ほ、ほ、星が……っ。左足のところに、黒い星がっ」
「――もう十分です。輝愛、それ以上は今は話さなくていい。今度は呼吸に集中しましょう。ゆっくり吸って……、大きく吐き出して」
過呼吸寸前になった輝愛の背中を何度も優しく摩りながら、招木田は自ら手本を示すように深呼吸を促した。
「大和さん、すぐに鑑識に――」
「ああ、俺から直接入れる。――もしもし、俺だ、大和だ。今そっちに向かってる例の足に関して早急に確認してほしい特徴がある……」
すでにスマホを取り出して耳に当てていた大和は、陽菜と短く視線を交わし、それ以上の緊迫した声を遮断するように静かに廊下へと出て行った。
「連絡お願いします。私たちは――っ」
残された陽菜は、事件の核心となる『星』が意味する情報の確認を急ごうとした。しかし、身体全体を激しく波打たせて過呼吸と闘っている十八歳の少年の姿を前に、これ以上事務的に声を掛けられるほど、陽菜の心は冷酷になりきれなかった。
自身の甘さを自責するように視線を落とした陽菜の視界の片隅に、先ほど踏みかけた茶谷のスマホの画面が再び映り込んだ。
『元プロサッカー選手・木谷漣氏、全面監修――』
液晶に躍るその文字を認識した瞬間、陽菜は吸い寄せられるようにスマホを拾い上げ、再生されている動画広告を食い入るように見つめた。
内容は、マルチに使える足首サポーターのプロモーション映像だった。開発に関わった木谷漣本人がモデルとして登場し、実際にサポーターを装着しながら機能を熱心に説明している。
――あ……星だ。
カメラが木谷の強靭な足元を大きくアップで映し出したその瞬間、サポーターの隙間、彼の『左足首』の直上に、くっきりと刻まれた黒い星のマークが覗いた。
陽菜は即座に自分の警察用スマホを取り出すと、検索窓に『木谷漣 タトゥー』と打ち込んだ。
ヒットしたいくつかのネット記事を素早くスクロールしていく。――木谷は数年前、海外のトップチームへと移籍した直後、更なる自身の才能開花の祈願を込めて、左足首に星のタトゥーを彫り込んだというファン向けのコラムが見つかった。
表示された過去のプレイ中の高解像度画像をいくつか確認する。間違いない。茶谷輝愛のスマホに揺れている、あの小さな『星のストラップ』は、憧れの木谷選手と全く同じデザインだった。
――あとは、現場の現物が一致するかどうか……。
最後のピースが嵌まるのを待ち侘びながら、陽菜が静かに廊下の方へと視線を向けると、ちょうどタイミングを合わせたように大和が重い足取りでリビングへと戻ってきた。
「あったぞ。送られてきた足の左足首だ。木谷漣のタトゥーと、位置も形状も完全に一致する"ホシ"が残されてやがった」
「そうなると、あの箱の中身は……」
「ああ。現在、本庁の別班が木谷の自宅や関係者に緊急の確認へ走ってるが、まず本人のもので間違いねえだろうな」
陽菜の肩越しに、リビングの奥で招木田の胸に顔を埋めている少年の姿を見つめ、大和はひどく不機嫌そうに頭をガシガシと掻きむしった。
「これ以上の詳細な聴取は……今の状態じゃ無理か」
「はい、すみません……。詳しい経緯までは、まだ聞き出せていません」
「気にするな。これだけの修羅場だ、少し頭を冷やさせろ。話を聞くのは、落ち着いてからでも遅くはねえよ」
「――はい」
それから陽菜と大和は、鑑識官たちの作業の邪魔にならないよう部屋の隅へ移動し、現状の整理と本部への状況報告書の作成に追われた。時間にすれば、およそ三十分。
張り詰めていた精神的疲労が限界のピークに達したのだろう。茶谷は、まるでプツリと電池が切れたかのように、招木田の高級スーツの裾を子供のようにぎゅっと握りしめたまま、リビングのソファの上で深い眠りへと落ちていった。
「招木田さんも相当お疲れかと思いますが……少し、お話をよろしいですか?」
「構いません。私も、刑事さんたちには包み隠さずお話ししたいと思っていましたので……」
安らかな寝息を立て始めた茶谷の肩を、一定の規則正しいリズムで優しく叩き続けている招木田。その横顔は、数時間前と比べて酷くやつれ、ずいぶんと老け込んでしまったように見えた。
「早速で大変心苦しいのですが、先ほど茶谷さんが『オレのせいだ』とあれほど激しく取り乱してしまった理由に、何か心当たりはございますか?」
「……輝愛は中学校まで本気でサッカー部に所属していて、元プロサッカー選手の木谷漣選手の大ファンだったんです。それは彼が現役を引退してからも決して変わることはありませんでした。普段からよく木谷選手のことを口にしては、そのプレイスタイルの凄さを力説していましたし……『オレも、あんな風にブレない強靭な足がほしい』と、よく周囲にこぼしていました」
「それで……あの箱が送られてきたのは、自分の発言のせいだと?」
「はい。当然ですが、輝愛はあんな生々しい実物が欲しかったわけではありません。ただ純粋に、激しいダンスでも自分の身体の軸をしっかり支えられるようになりたいと思っていただけです……」
茶谷の肩から自由になっている方の手を強く握り締め、招木田は陽菜たちから逃げるように視線を斜め下へと逸らした。
茶谷が目標とするダンススキルの向上のために、人知れずどれほど過酷なトレーニングを重ねてきたか。それを誰よりも知っている招木田だからこそ、少年の無垢な夢をこんな最悪の形で蹂躙してきた犯人の存在が、どうしても許せないのだろう。
「分かりました。招木田さん、その茶谷さんの『木谷選手への憧れの言葉』を、彼は一体『誰』に向けて発信していたのか。あなたの分かる範囲で構いませんので、教えていただけますか?」
「はい。グループの他のメンバーや、周辺のスタッフたちからも話を拾えば、大方は把握できると思います。先ほどお約束した、輝愛を敵視している関係者のリストと一緒に、すべて整理してお伝えさせていただきます」
「よろしくお願いいたします。……それから、このスマートフォンですが。あちらの床に落ちていました」
陽菜は、先ほどからずっと大切に預かっていたスマホを招木田の元へと手渡した。
招木田は受け取ったスマホの本体ではなく、その端でゆらゆらと揺れている『星のストラップ』を、何かを愛おしむようにぼんやりと眺め、静かに口を開いた。
「……間違いなく、輝愛の私物です。『これ、木谷選手とお揃いのデザインなんだ!本物のタトゥーを入れるのは怖くて無理だけど、これを持っていればオレの才能も開花するかな?』って……。デビューが決まった日、本当に嬉しそうにこのストラップを私に見せてくれましたから。間違いありません」
それを聞いた陽菜の胸の奥に、熱く烈しい刑事としての執念が脈打った。
「……私たちが、必ず事件を解決してみせます。一刻も早く、犯人を引きずり出します」
「――お願いします。どうか、輝愛を……あの子を助けてあげてください」
力なく、祈るように深く頭を下げた招木田。
その瞬間、彼の前髪の隙間から、ぽたぽたと静かに零れ落ちた大粒の涙の痕跡を、陽菜は見逃さなかった。




