03
三木坂麗雅の行方不明者届が正式に提出された、その翌日。午前八時。
警視庁本庁舎内の『身元不明女性一部遺体遺棄事件捜査本部』。
パチリと会議室の照明が落とされ、正面の大型スクリーンに無残な証拠写真と複雑に入り組んだ相関図が浮かび上がった。
「――会議を始める」
一課長の富津頭が、手元の分厚い資料に目を落としたまま低い声を響かせる。声を荒らげたわけではない。しかし、その一言で室内の空気は一瞬にして刃物のように引き締まり、居並ぶ捜査員たちの表情が強張った。
「〇月✕日、一般の宅配便を装った何者かが村井琴の自宅へ、切断された『両手首』を配達。これにより事件が発覚した。その後の指紋およびDNA鑑定により、被害者は株式会社白亜の社長、三木坂麗雅(三十五)と断定。死因は失血死。死亡後に切断されたと見られるが、胴体や頭部など、他の部位は未だ発見に至っていない」
富津頭は淡々とページをめくり、レーザーポインターでスクリーンの一点を指し示す。
「被害者の足取りは、出張前日の夜二十時、本社社長室で元取引先の銀行員・長須賀と別れて以降、不明。ただし、翌朝の午前七時、被害者の自宅マンションの地下駐車場に、本人の車両が戻る姿が防犯カメラに捉えられている。運転席の人物は帽子によって顔が完全に遮蔽されており、現在、本庁で解析と特定を急がせている。……以上だ。異論、または補足のある者は?」
富津頭の鋭い問いかけに、捜査員たちは重苦しい無言で応えた。
黙って首を横に振る陽菜。その隣に座る大和もまた、苦渋を極限まで滲ませた表情で、手元の資料を穴が開くほどに睨みつけていた。
「次。犯人のプロファイル、および遺留品について」
「鑑識課、報告いたします」
促されて起立した鑑識官が、スクリーンの画像を切り替えた。
「送られてきた両手首の切断面は、非常に滑らかです。骨を巧みに避け、関節の隙間を完璧に見極めて外している。この手際から見て、犯人は医療従事者、あるいは解剖や肉体の解体に関する専門知識が豊富にある者と推測されます。また、両手首は細胞破壊のない『急速凍結』――おそらく液体窒素などで凍結されていました。特殊な寒剤を日常的に扱える、あるいは相応の量を保管・入手できる環境にある者が容疑者として浮上します」
スクリーンに大写しになったのは、まるで真っ白な陶器のように凍りついた『両手首』の静止画だった。その血の一滴すら滲んでいない非現実的な美しさが、かえってこの事件の底知れぬ異様さを物語っている。
「なお、両手首が入れられていた発泡スチロールの箱、梱包用テープ、送り状、そして遺体自体からも犯人の指紋や不審なDNA型は一切検出されませんでした。被害者の自宅、車両、本社社長室からも、犯人に繋がる痕跡は……現状、皆無です。次に周辺の防犯カメラですが、受取人である村井琴のマンション周辺に不審人物の映り込みはありません。また、当該マンションに設置されていたカメラはすべてただのダミーであったため、配達員の足取りは追跡不可能です」
鑑識の淡々とした報告が途切れると、部屋の空気はさらに一段、奈落の底へと向かうように重く沈み込んだ。
「次。犯行の動機、および背景について」
「捜査一班、報告します」
最前列にいた主任の刑事が、静寂を破るように鋭い声を上げた。
「被害者を殺害後、わざわざ『手』だけを切り落として送りつけるという異常な猟奇性から見て、犯人が被害者に対して激しい怨恨を抱いていた可能性は極めて高い。同時に、それを送りつけられた受取人に対しても同様です。目的は受取人の精神的な破壊、あるいは何らかの脅迫。――つまり、双方に対する強烈な怨恨、あるいは悪質な嫌がらせ目的の線を本線として、捜査を拡大しています」
「二班です。被害者は巨大企業『白亜』の女社長ゆえ、ライバル企業は数え切れません。社内でもパワハラ紛いの言動があったとの証言を得ています。ただし、現在リストアップしている怨恨の可能性のある競合他社幹部、および社内人間に関しては、全員が被害者の失踪推定時刻における鉄壁のアリバイを証明しています」
「三班です。遺体の受取人である村井琴ですが、銀行の窓口係に過ぎず、前科・トラブルともに皆無のきわめてクリーンな人物です。女社長との接点も、村井が社長のSNSアカウントを一方的にフォローしていたという一点のみ。直接の面識ややり取りは過去に一切確認できません。共通の知人もおらず、なぜ彼女が選ばれたのか、現状のデータでは結びつきが全く見えません」
各班の報告が締めくくられると同時に、富津頭の隣に座っていた灰田管理官が、椅子を激しく鳴らして立ち上がった。
「つまり……何一つ分かっていない、ということだな?被害者の身元が割れたにもかかわらず、受取人との関係性も、なぜ彼女の元へ送られたのかという理由すら、何一つ!」
灰田は眉をぴくつかせ、不機嫌そのものの目で捜査員たちを鋭く睨みつける。
その高圧的な物言いに、各班の捜査員たちは一斉に苦渋の表情で顔を背けた。悔しさに歯噛みしながらも、誰も反論の言葉を持ち合わせていないのが現実だった。
重苦しく静まり返る会議室――。
その硬直した沈黙を容赦なく破ったのは、大和だった。
「だから、地道に足で捜査を続けてるんすよ」
周囲の捜査員たちが、一斉に小さく息を呑むのが分かった。
大和は椅子の背もたれにどっかりと身体を預けたまま、灰田を真っ向から睨み返す。
「人を殺してその両手を送りつけるような、脳ミソの腐ったサイコパスの動機や目的が、そう簡単に教科書通りに分かるわけねえからな」
「っ……!!そ、それは、そうかもしれないが……」
灰田は言葉に詰まり、悔しそうに大和から視線を逸らした。
彼だって、捜査員たちが村井と三木坂の自宅マンションを中心に、管理人や同じ階の住人、周辺住民への徹底的なローラー聞き込みを不眠不休で続けていることを知っている。それだけでなく、二人の同僚から過去の知人に至るまで徹底的に人間関係の網を精査していることも、被害者の車から降りてきた不審人物の逃走経路を割り出すために、周辺に設置されたあらゆる防犯カメラの映像を解析していることも、すべてを把握しているからだ。
それでも、警察の総力を挙げた捜査が、あまりに完璧なプロの壁の前に完全に足止めを食らっているという苛立ちの事実を、認められずにいるだけなのだ。
大和だって、本当はここで大声を上げて叫びたい。
――被害者は殺されて両手を切断されてんだぞ。おまけにそれを突然送り付けられて、恐怖で今も震えてる一般人がいる。なのに……なのに……俺たちの目の前にあるのは犯人の巧妙さを裏付ける証拠だけで、肝心の被害者二人の繋がりはどこにもねえって……クソが!!
ただ、感情を声に出したところで現状が一歩も変わるわけではない。だから、冷徹なふりをして腹の底に押し込んでいるだけだ。
大和の放った眼光に頭が冷やされたらしく、灰田はバツが悪そうにそっと腰を下ろした。
室内を再び張り詰めた静寂が満たす。すると、満を持したように今度は富津頭が静かに立ち上がった。
「たとえどんな状況に陥ろうと、我々警察だけは決して足を止めてはならない。もう一度、すべてのデータを一から徹底的に洗い直す。各班の主任は、今すぐ私の元へ集合しろ」
「はい!」
一課長の厳命を受け、最前列から数人のベテラン刑事が富津頭の元へと足早に駆け寄った。
「大和さん……行かないんですか?」
パイプ椅子に深く腰掛け、ぼんやりと天井の一点を見上げていた大和の横顔に、陽菜が不安を隠せない様子で問いかけた。
「別に俺は班の主任じゃねえからな。それに俺は頭をこねくり回すより、この身体を動かしてナンボの古いタイプの刑事なんだよ。だから、このお偉いさんの会議が終わったら、すぐにでも――」
「会議中に失礼します!」
大和の言葉をかき消すように、会議室の頑丈なドアの向こうから、切羽詰まった高い声が突如として響き渡った。
張り詰めていた捜査員たちの視線が、一斉にその発生源である入り口へと集中する。すぐさま、いら立ちを爆発させた灰田管理官がドアを激しく開け放ち、乱入者を怒鳴りつけた。
「お前!この会議には一課長も出席されている重要会議だと分かって突入してきているのか!」
「は、はい!もちろん重々理解しております。ですが、上の者から『今すぐ一課長に直接報告してこい』と強い指示を受けましたので、参りました!」
ドアの先に立っていたのは、一人の若い女性警察官だった。理不尽に八つ当たりされた彼女の右手は、何かを壊さんばかりに白くなるほど強く握りしめられている。
その必死な姿は、あの日の陽菜の乱入劇と酷似していた。
――いや、酷似しているのは彼女の姿だけではない。
――まさかッ!
頭のなかのパズルが狂気的な速度で繋がり、最悪の予感に全身の毛穴が逆立った瞬間、大和はすでに弾かれたように全力で駆け出していた。椅子が派手な音を立てて転がる。
「おい!また新たな行方不明者か!今度はどこのどいつが消えやがった!」
「あ、いえ、すみません!私は直接の担当ではないので、その詳細までは――」
「じゃあ何が起きたんだ!何かが起きたから、ここへ殴り込んできたんだろ!」
「そ、そうです!ええと、だから、その……私は――」
今にも掴みかからんばかりの勢いで急接近してきた一課のベテラン刑事の気迫に、女性警察官は完全に気圧され、声をガタガタと震わせながら決定的で凄惨なその事実を報告した。
「通信指令室から緊急の無線が入りました!……あ、足が!また、人間の『足』が箱に詰められて送られてきたと……今、一般の方から通報が入りました!」
その最悪の報告は、奈落の底にあった会議室の空気をさらに凍りつかせ、捜査員たちの顔を一瞬にして絶望の闇へと突き落とした。




