第90話 また歩けるようにすることだ
全員の役割が、噛み合っていく。
ナギが底を告げ、ダイチが足場を固定し、コガネが吸収を受け流す支点となり、
トトがシズクを落とし続け、シルクが本体への糸を示し、アルベスが鎖を止める。
レイラのライガが外殻を割り、ホムラが裂け目を焼き固定し、オルカが蓄積マナを流し込んでいく。
……一つずつ、思い返した。
底を告げるのは、動きたい時に動かないでいられる者にしかできない。
足場は、勝ちに一度も関わらない仕事だ。だが、これが無いと、他の全部が使えない。
支点は、攻めない者にしか務まらない。攻めれば吸われるからだ。
雫は、効いた分が小さすぎて、効いていないように見える。
糸を示すのは、名簿に載らなかった者たちだ。
鎖を止められるのは、その鎖を作る側にいた人間だけだ。
外殻を割るのは、いちばん場所を選ぶ一枚。裂け目を固定するのは、以前なら全部を焼いていた炎。
そして、ずっと持ち出しだと思っていたものが、最後に流し込まれる。
……どれ一つ、代わりがきかない。
どれ一つ、それ単体では勝てない。
この二つが同時に成り立っている状態を、たぶん、噛み合っている、と言うんだと思う。
強い一枚を集めても、こうはならない。
弱いところが違う者を、弱いところが重ならないように並べて、はじめてこうなる。
……窓は、まだ黙っている。
誰が効いて、誰が効かないか。いつもなら、勝手に出てきたあの一覧が、ここまで一度も出ていない。
だから、これは、俺が組んだものだ。
順番も、役割も、俺が決めた。
正しいかどうかを、確かめる手段はない。
……確かめられないまま、決めるしかない場面があるということを、この窓は、最後に教えてきたのかもしれない。
精霊が六体と、レイラの札が一体。それに、シルクと、トトと、あの記録の人。
それに小さな種族たちがいる。板に一行だけ書き足していった、名前も知らない連中がいる。ロウエンさんがいる。
誰か一人で勝つんじゃない、と俺は言った。
言ったより、ずっと多かった。
……この場にいない者まで、数に入っている。
板に匂いの濃さを書いた誰かは、いま、ここにいない。書いたことも忘れているだろう。
それでも、その一行がなければ、シルクは糸の先を見つけられなかった。
噛み合わせというのは、その場にいる者だけで作るものじゃないらしい。
……溜めることが、こいつを呼んだ。
人を名簿に囲い込んで、離さないでおくことが、この化け物を作った。
いま、それを崩しているのも、溜めてきたものだ。
俺のそばで、毎日ちょっとずつ積み上がっていたもの。
同じ「溜める」なのに、片方は化け物になって、片方は薬になる。
……違いは、たぶん、離せるかどうかだ。
俺は、院主へ、手を伸ばした。
……手だ。
この人の手は、檻になった。差し出す形から、囲う形へ、指の向きが変わった。
だから、こっちは、開いたまま出す。
掴まない。掴ませもしない。ただ、届く距離に置く。
「あんたが救った人は、確かにいる」
……これは、本当のことだ。
嘘で慰めるつもりはない。あの列に並んでいた人たちの中には、あれがなければ死んでいた者が、確かにいた。
それを無かったことにするのは、こいつのやり方だ。
「でも——その記録を守るために、今いる人の足を縛るな」
……記録だ。
あんたが守ろうとしているのは、街じゃない、と俺は言った。あんた自身の、救ってきたという記録だ、と。
あれは、指摘だった。
これは、頼みだ。
……頼むしかない。
名簿を焼くことはできる。もう、実際に一部は破棄された。
だが、また作る人がいる限り、また作られる。
止められるのは、作る人だけだ。
「救済は、縛ることじゃない」
「また歩けるようにすることだ」
……言ってから、気づいた。
この言葉は、俺のじゃない。
施しとは、相手を自分の前に座らせ続けることではない。いつか、わしの前から歩いて、去れるようにすることじゃ。
串焼き屋の隅で、あの人が言ったことだ。
俺はあの時、ふうん、と思っただけだった。
いい話だな、くらいの受け取り方をした。
それが、こんな場所で、自分の口から出てきた。
……渡ったんだ。
あの人が言った通りだ。教えたことが、また別の誰かへ渡っているなら、それで施しは、まだ流れている。
いま、流れた。
俺は、それを、この街でいちばん大きな器を作った人に、返している。
……順番が、おかしい気もした。
俺は、この人に何も渡されていない。渡されたのは、水路を直していた老人からだ。
それでも、いま届けるべき相手は、この人だった。
受け取った相手と、渡す相手が、違っていていい。
たぶん、そういうものだ。
(第91話へ続く)
====================
【用語辞書】第90話に出てきた「投資」の話
この回のテーマは、噛み合わせを、自分で組むことです。
● 教えてくれる表が無い時に、何を頼るか
どれが正解かを示してくれるものが、いつまでもあるとは限りません。指標が使えなくなった局面では、何が効くかではなく、何が先かという順番で考えるしかありません。確かめられないまま決める場面があることは、判断を続ける以上、避けられません。
● 助けられた事実を、否定しない
仕組みの問題を指摘することと、その仕組みで助かった人がいた事実を否定することは、別のことです。片方を主張するために、もう片方を無かったことにすると、議論はかみ合わなくなります。良かった部分を認めたうえで、どこから先が問題なのかを言うほうが、届きます。
● 過去の記録を守るために、今の判断を歪めない
これまでの実績を守ろうとすると、今とるべき判断が曲がります。過去の成功が大きいほど、この歪みは強くなります。守るべきは記録ではなく、いまここにいる人や、これから先の結果のほうです。
● 渡されたものは、渡した先で働く
誰かから受け取った考え方は、受け取った時点では、たいてい実感を伴いません。それが自分の言葉として出てくるのは、ずっとあとの、必要になった場面です。教えることの効果は、教えた本人には見えないところで現れます。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の団体・制度を批判する意図はありません。




