第80話 支える覚悟
その頃。
俺たちは、配給所で、異変を感じ取っていた。
並んでいた人々が、次々に、ふらついていく。
倒れるほどじゃない。ただ、足元が定まらない。列が、少しずつ、揺れる。
……並んでいる人たちだけだ。
通りかかった者は、なんともない。少し離れた場所で立ち話をしている者も、平気そうだった。
揺れているのは、札を持って、順番を待っている人間だけだった。
*
そして、見た。
人々の体から、薄く黒い澱みが立ちのぼり、
ダンジョンの方角へ、吸い込まれるように流れていくのを。
*
……見えた、というのが、正しいのかどうか。
鑑定を向けたわけじゃない。ただ、目の端で、そう見えた。
シルクも、同じ方を見ていた。この子には、匂いで見えている。
言われて初めて、俺の目にも形になった、というのが正しいのかもしれない。
見えるものが増えたんじゃない。見ようとする場所を、教えられただけだ。
*
「(ガク様。深部の流れが、さらに悪化しています)」
オルカの思念が、鋭く、走った。
「(自然な変動では、ありません。人為的な干渉が——制御不能域へ、入りました)」
*
……人為的な干渉。
あの窓と、同じ言葉だった。
供給圧力、人為的な偏り。あの一行を見た日から、何日も経っていない。
偏り、が、干渉になった。
制御不能域、という言い方も、はじめて聞いた。
こいつが、こういう強い言葉を使うのは、たいてい、もう手遅れに近い時だ。
*
「行くぞ」
俺は決めた。
「最深部で、何が起きているのか、確かめに行く」
*
聖導院に救われたはずの人々から、あの黒い澱みが出て、ダンジョンへ向かっていた。
……聖導院が、何かをしているのかもしれない。
*
まだ、確信はない。ただの、可能性だった。
配給の列が並ぶ場所で、それが起きた。ただそれだけのことかもしれない。人が集まるところなら、どこでも起きるのかもしれない。
確かめていない。
だから、まだ言わない。
……前世で、俺は、これを何度も間違えた。
筋の通る話を一つ思いつくと、それで説明した気になる。説明した気になると、それ以外を探さなくなる。
いちばん危ないのは、間違った推測じゃない。早すぎる正解のほうだ。
正しかった場合でも、早く決めた分だけ、確かめる手順が抜ける。
……院主を、倒す、とは、言わなかった。
ただ——確かめに行く。
何が起きてるのか、見に行く。これ以上、流れを、曲げさせない。
*
「……した。……におい、ある」
シルクが、鼻を、震わせた。
「……みち、わかる」
シルクが道案内をかって出た。その手に、使い込まれた記録板を携えて。
……あの板が、また、道を指している。
迷わないために書いた板が、探すための板になり、いまは、たどるための板になった。
どれも、書いた本人が想定していない使い方だ。
残しておくものは、たいてい、そういう働き方をする。
*
「あたしも行くよ」
レイラが、腕を組んで、現れた。
「下から鳴ってる嫌な雷鳴、放っとくと、街ごと割れる」
「レイラ殿の同行は、不確定要素を増やします」
オルカが、通常の声で、返す。
「でも、必要なんだろ」
俺は、口を挟んだ。
「……必要です」
オルカが、答えた。
「戦力としては」
「その言い方、気に入ってきたよ」
レイラが、笑う。
「評価の、歪みです」
……歪み、と言った。
こいつが自分の評価を歪みと呼ぶのを、俺は初めて聞いた。
数え方が変わったのを、こいつは、誤差として処理しようとしている。
*
「下流だけ見ておっても、もう直らん」
ロウエンが、静かに告げた。
「深部へ行く」
「その体で、深部はきついだろ」
俺は、止めようとした。
あの窓の一行が、頭にあった。深部耐性、低下。
まだ何も起きていないのに、備えの数字だけが先に落ちていた、あの一行だ。
「きついから」
ロウエンは、譲らなかった。
「若い者だけで、行かせるわけにはいかん」
……そう来るのは、わかっていた。
この人に、下がれとは言えない。前に一度、自分で線を引かせた。あれは、この人が引ける線だったからだ。
今度のは、引けない線だ。
この人が留守を守ったのは、下流の話だったからだ。水路を見ているうちは、下がっていられる。
源の話になった以上、この人は行く。
……止められる言葉があるとすれば、一つだけあった。あんたの窓に、深部耐性・低下、と書いてある。
言わなかった。
言えば、この人は納得する。納得したうえで、たぶん、それでも行く。そして、俺が窓を勝手に読んだことだけが、二人のあいだに残る。
*
「じいさん、俺も行きます!」
トトが勢いこむ。
「若いの」
ロウエンが、トトをじっと見た。
「足手まといになる覚悟は、あるか」
「足手まといになる覚悟って——何すか!」
「足手まといだと知ったうえで、逃げずに、支える覚悟じゃ」
トトは、一瞬、黙った。
それから、こぶしを握った。
「……行きます。前に出るだけじゃなくて。支える方も、やります。……たぶん!」
……たぶん、が付いた。
前のこいつなら、付けなかった。行けます、で終わっていた。
付くようになったのは、自分の力の見積もりが、少しだけ正確になったからだ。
足りないかもしれない、と思いながら手を挙げるほうが、足りると思って挙げるより、ずっと難しい。
(第81話へ続く)
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【用語辞書】第80話に出てきた「投資」の話
この回のテーマは、確信がないまま動く、ということです。
● 確証がなくても、確かめに行く
ガクは、聖導院の関与を断定していません。可能性として感じ取っただけです。ですが、確証が揃うまで待てば、たいてい手遅れになります。判断と断定は別のもので、断定しないまま動くことはできます。大事なのは、可能性の段階で、可能性として扱いながら動けるかどうかです。
● 強い言葉が出た時は、たいてい遅い
制御不能域、という言い方をオルカが使いました。慎重な相手が強い言葉を使いはじめた時、状況はすでに、その言葉が必要なところまで来ています。ふだん控えめな人の警告ほど、割り引かずに聞いたほうがよいのは、そのためです。
● 支える覚悟=前に出ることだけが貢献ではない
トトが得た支える覚悟は、常に前線に立つことだけが役割ではない、という気づきです。危険の高い場面では、攻める役割と支える役割の両方が要ります。これは、投資の組み合わせでも、仕事の分担でも、同じことです。
● 「たぶん」が付くのは、後退ではない
できます、と言い切れなくなるのは、力が落ちたからではなく、自分の見積もりが正確になったからです。足りないかもしれないと思いながら手を挙げるほうが、足りると思って挙げるより難しい。自信の目減りと、精度の向上は、外からは同じに見えます。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の団体・制度を批判する意図はありません。




