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社畜転生〜俺の鑑定スキル、全部チャートで表示されるんだが、ポートフォリオ召喚術で異世界無双します〜  作者: スローインベスター


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第79話 同じことです

「街を守るためです」


 最初、院主はそう言っていた。


 *


 アルベスは、その言葉を、何年も聞いてきた。


 会議の間で。廊下で。名簿の前で。


 最初に聞いた時、彼は、それを美しいと思った。


 自分もそちら側で働きたい、と思って、この職を選んだ。


 選んだことを、いまも後悔してはいない。


 *


「聖導院がなければ、街は守れません」


 いつしか、主語が変わっていた。


 *


 ……変わった日が、あったはずだ。


 アルベスは、そう思った。だが、思い出せなかった。


 毎日、少しずつ言葉が動いていくのを、彼は聞いていた。聞いていて、書き留めなかった。


 言葉の変化を書く欄は、帳面にない。


 配った量の欄はある。並んだ人数の欄もある。


 言い方が変わった、という欄は、どこにもなかった。


 ……欄がないものは、記録されない。


 記録されないものは、無かったことになる。


 あの若い職員が、名簿の空欄の前で困っていたのと、同じことだ。


 困った側と、困らなかった側の違いだけが、そこにあった。


 *


「私が流れを見なければ、誰も、正しく歩けません」


 街から、聖導院へ。


 聖導院から——私へ。


 *


 三段だ、とアルベスは思った。


 一段目から二段目までは、何年もかかった。


 二段目から三段目までは、いまの一息だった。


 *


「人は、選べると思った時ほど誤ります」


 院主は続けた。


「小さな財布で、街は養えません。小さな笑顔では、井戸は満ちません」


 *


 ……小さな財布。小さな笑顔。


 アルベスは、その二つの言い方に、心臓を掴まれた。


 どちらも、彼が報告した言葉だ。


 用途別の小さな財布に分けている——そう読み上げたのは、自分だった。


 列に並ばず、子どものそばにいた者は笑っていました——あれは、若い職員の言葉だった。


 院主は、それを覚えていた。覚えていて、いま、否定の材料として並べている。


 ……聞いていなかったわけでは、なかったのだ。


 聞いたうえで、そう言っている。


 *


「……だから、戻すのです。大きな器へ。私の見える場所へ」


 *


 私の見える場所へ。


 ——その一言に、アルベスの体がこわばった。


 *


 救うため、とは言わなかった。


 届けるため、でもない。


 見える場所へ、と言った。


 ……見えなければ、何が困るのか。


 配れないから、ではない。配給は、名簿さえあれば届く。


 見えないと困るのは、届ける側ではなく——見ている側だ。


 *


「院主」


 アルベスが、初めて、明確に問うた。


 声は、震えていた。震えたまま、途中で止めなかった。


「これは、救済でしょうか。それとも——聖導院を守るための、処置でしょうか」


 *


 院主は、一瞬、沈黙した。


 *


「同じことです」


 *


 その答えが、何よりも怖かった。


 *


 怒鳴られたなら、まだよかった。


 言い訳をされたなら、そこに嘘があると分かった。


 この人は、どちらもしなかった。


 救済と、組織の保存が、同じものだと——本当に、そう思っている。


 そう思っている人間には、間違いを指摘する場所がない。


 二つが別だと感じている者にしか、ずれは見えない。


 *


 ……いつからだろう、と彼は思った。


 自分が、二つを別のものとして感じられたのは。


 名簿に「配給不要」と書けなかった、あの若い職員の顔が浮かんだ。


 あの時、自分は、制度は例外で壊れます、と答えた。


 正しい答えだった。


 正しくて、そこで終わっていた。


 *


 アルベスは、抱えていた帳面を、静かに閉じた。


 そこに書くべき言葉が、もう見つからなかった。


 *


 書ける言葉なら、いくらでもあった。


 院主、深部の測定紋に乱れ。精霊四体、使役から離脱。指示に対する応答なし。


 どれも事実だ。どれも、書けば記録になる。


 記録になれば、いつか誰かが読む。読んで、対処する。


 ……そういう仕組みを、自分は信じてきた。


 だが、その仕組みの一番上に立っているのが、この人だ。


 書いた紙は、この人のところへ行く。


 *


 閉じた帳面は、思ったより軽かった。


 開いていた時のほうが、重かった。


 ……書き足す場所がある、というのは、重いことだったのか。


 それとも、書けば済む、と思えていたぶんが、軽かったのか。


 どちらなのか、彼には、まだ判じられなかった。


 *


 院主は、白い糸をたぐり続けている。


 アルベスは、その背中を見ていた。


 止める言葉を、彼は持っていない。数えられないものを、この人は受け取らないからだ。


 それでも、閉じた。


 書かない、という一手だけが、いま、自分の手の中にあった。


 *


 その静けさの中で、何かが、確かに変わりはじめていた。


(第80話へ続く)


====================

 【用語辞書】第79話に出てきた「投資」の話


 この回のテーマは、目的のすり替わりが完成する瞬間です。


 ● 自己保存バイアス=守るべき対象のすり替わり


 組織や制度を作った人ほど、これを守ることが正しい、という信念から離れられなくなります。当初は街のためだった目的が、いつしか聖導院のためになり、さらには自分の正しさを守るためへとすり替わっていく——この段階的な変化は、現実の組織でも、個人の投資判断でも、しばしば見られます。三段目までの距離は、一段目から二段目までより、ずっと短いのが特徴です。


 ● リスクの塗り固め=表面を整えるほど、崩壊は深くなる


 問題を隠すのではなく先送りにし、体裁を整え続けることを、リスクの塗り固めと呼びます。表面が美しく整っているほど、内部の歪みは見えにくくなります。しかし、塗り重ねた厚みの分だけ、崩れる時の落差は大きくなります。


 ● 二つを同じものだと思っている人には、指摘が届かない


 救済と、組織の保存。この二つを別のものとして感じている人にしか、ずれは見えません。同じだと思っている人には、指摘する場所がありません。これは、議論では動かせない種類の食い違いです。数字を出しても、論点が噛み合いません。こういう時は、説得ではなく、自分の側の行動を変えるほうが早いことがあります。


 ● 記録は、届く先を選べない


 書けば記録になり、いつか誰かが読む——その仕組みが働くのは、読む側が独立している場合だけです。報告の宛先が、問題そのものの当事者である時、記録は届きません。内部の点検が機能する条件は、点検する側が点検される側から独立していること。この一点にかかっています。


 ※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の団体・制度を批判する意図はありません。


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