第8話 過剰な備えと、小さな守り
少しずつ物語に光が見えてきます。
でも。
前世と違うところが、ひとつあった。
今度は隣に、この仕組みの"答え"を知っていそうな相棒がいる。
(……ガク様)
オルカの思念が、そっと触れてきた。いつもの淡々とした調子で。
(さきほど堪えた代償で、今ひとつ分だけ払えます。
渡したい"種"が、ひとつあるのでます)
「種?」
(はい。深くは手繰れません。
引けるのは、ほんの欠片——たったひとつの"種"だけ。
それでも、今はどうしても必要です)
……わけが、わからない。
けど、こいつが言うなら。
「ああ。やってくれ」
その瞬間、残り少ないマナが、つうっと、また少し抜けていった。
くらり、とめまいがする。——さっき堪えさせられた、あの代償だ。
ほんとうに、知ることにさえ、この世界は対価を求めるらしい。
——けど。
めまいの向こうで、オルカの思念が、はっきりと像を結んだ。
(ガク様は、さっきの灰鼠に、私を振るい続けました。
けれど、あの群れの"環境"は、複雑度★1。ただ弱気なだけの、単純な相場でした)
「……ああ」
(単純な相手に、万能の私を全力でぶつける。
それは、たとえるなら——たった一通の手紙を届けるのに、毎回、大砲を撃つようなもの。
届きはします。ですが、撃つたびの火薬代が、手紙の中身より、ずっと高くつく)
——過剰な備えは、費え。
鑑定の窓が、最後に告げた言葉がよみがえる。
あれはこういう意味だったのか。
(その、撃つたびに黙って出ていく火薬代。
それを、ガク様の世界では——コスト、と呼んだはずです)
コスト。
……ああ。覚えがある。
前世で、何冊か、投資の本をかじった。
そのどれもが、しつこいくらい書いていた。
手数料は、利益を静かに食う。
コストは、ほとんど唯一、確実にリターンを蝕む敵だ、と。
俺は、それを読み飛ばしていた。
派手な儲け話のほうが、ずっと面白かったから。
まさか、命がけの異世界で、その読み飛ばしのツケを払うことになるとは。
(★1の相手には、本来、小さく、安い"守り"を、一体、ちょっと出すだけで足ります。
それが、いちばん安く、確実に、収支を黒字にする手)
「小さく、安い、守り……お前みたいな、万能じゃなくて?」
(はい。私は複雑で、手のつけられない相手
——いくつもの脅威が絡み合う、★4や★5の嵐でこそ、真価を発揮します。
あの灰鼠に、私は過剰なのです)
……なるほど。
ようやく腑に落ちた。俺の相棒は、ハズレなんかじゃない。
ただ、使いどころを、俺が間違えていた。
雑魚に大砲を撃ち込んで、火薬代で自滅していたのは——俺の配分ミスだ。
(ですが、ガク様)
オルカの思念が、ひとつ付け加えた。
(その"小さな守り"を、ガク様はまだ持っていません。
私以外の精霊との縁を、まだ結んでいないのですから)
……そうだった。
俺の手駒は、オルカ、ただ一体。大砲しか持っていないのだ。
じゃあ、どうする。火薬代を抑えるには。
——答えは、ひとつしかなかった。
「……オルカ。次から、お前は殴るな」
「は?」
「俺が、自分でやる」
もう一度、浅い層に降りて、灰鼠の群れと向き合った。
オルカは振るわない。守るだけ。
俺は、震える手で、落ちていた折れ剣を拾い、自分の体に、ほんの少しだけマナを巡らせた。
肉体強化。ハンターたちが、当たり前にやっている、いちばん安い戦い方。
——怖い。
正直、怖かった。オルカの後ろで、踏ん反り返っていたのとは、わけが違う。
灰鼠が、牙を剥いて飛びかかってくる。
ひっ、と、情けない声が漏れた。
すかさず、オルカの腕が割り込んで、俺をかばう。
その隙に——俺は、めちゃくちゃに、剣を振り下ろした。
ぐしゃ、と手応え。
灰鼠が一匹、ほどけて、こつん、と、結晶になった。
……倒した。自分の手で。
マナの減りはわずか。肉体強化の、ほんの少しだけ。
拾った結晶のほうが、ずっと大きい。
差し引き——プラスだ。
ほんの、ちょっぴり。情けないくらい、ちょっぴり。
だけど、初めて収支が赤じゃなかった。
俺は、青白い結晶を握りしめた。冷たくて、芯が、ほのかに脈打っている。
半日かけて、大砲をぶっ放して稼いだ銅貨八枚より、
このたった一個のほうが、ずっと、温かい気がした。
(……お見事です、ガク様)
「うるさい。……けど、ありがとな」
ただ。
息は上がっていた。膝も笑っている。
自分の体で戦うのは、安いけれど、危ない。
さっき、オルカが守ってくれなかったら、
今ごろ、俺の喉に牙が刺さっていた。
一日中、これを続けるのは無理だ。
安く、丈夫に、俺の代わりに前で踏ん張ってくれる、何か。
大砲じゃない、小さな盾みたいな、相棒が要る。
はあ、と息を吐いて、俺は薄暗い横穴の奥に目をやった。
そこはハンターたちが見向きもしない行き止まりだった。
"使えない"とされた精霊の消えかけた残り火が、いくつも力なく転がっている。
誰にも縁を結ばれず、ただ、薄れていくだけの光の燃えさし。
さっき、入り口で、足蹴にされた、あの守りの精霊も。
きっと、こういう場所に流れ着くのだろう。
派手じゃない、というだけで。
銭にならない、というだけで。
誰の目にも、留まらないまま。
——なんだか、見ていられなかった。
その、いちばん奥。
ひときわ小さな、ひとつの光が——まだ消えずに、ぽつ、と灯っていた。
丸っこい、土くれのような影。
体に、苔と、小さな芽を、一本。無骨で、地味で、派手さなんて、かけらもない。
誰も振り返らない。誰も欲しがらない。
でも。
その、小さな燃えさしは、じっと、こちらを——俺を見ているような気がした。
胸の奥が、ちりっと、引っかかった。
昨日、路地裏で目が合った、あの痩せた獣人の子と同じだ。
見くびられて、打ち捨てられて、それでも必死で、消えずにいる、何か。
……ほうっておけない。
俺は、ふらつく足で、その光に、一歩近づいた。
「……お前」
【用語解説】本話に出てきた「投資」の話
この回のキーワードは、地味なのに、投資でいちばん大事とも言われるコストです。
● コスト(=手数料)は、静かに、確実にリターンを削る
主人公は、雑魚(★1の単純な相場)に、万能で高コストの相棒オルカを全力でぶつけ続け、稼ぎ以上のマナ(=火薬代)を垂れ流していました。これは投資でいう手数料負けそのものです。
値上がりするかどうかは、誰にも読めません。でも、手数料は、勝っても負けても、必ず出ていく。だからプロほど「唯一、確実にコントロールできるのはコストだ」と考え、低コストを重視します。信託報酬(投資信託の運用手数料)の0.1%の差が、何十年もの複利で、驚くほど大きな差になる——というのは、投資本が“しつこいくらい”書いている定番の教えです。
● オーバースペック(過剰)=“適材適所”という考え方
鑑定窓の「過剰な備えは、費え」は、これを指しています。単純な相手に、高価で万能な道具を使うのは、オーバースペック。一通の手紙を届けるのに毎回大砲を撃つようなもので、届きはしても、火薬代で赤字になります。
逆に、★4・★5のような“複雑で危険な相場”でこそ、万能な備えは真価を発揮します。「強い道具=いつでも得」ではなく、相手(相場環境)に見合ったものを、見合った分だけ使う——この適材適所が、コストを抑えて着実に黒字を積む、地味だけど王道の考え方です。
● “安い守り”への伏線
主人公が次に探すのは、「安く・丈夫に・前で踏ん張ってくれる」精霊。投資でいえば、値動きが穏やかで、悪い相場に強いディフェンシブ(守りの資産)にあたります。次話で、その“守り”との出会いが描かれます。




