↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
社畜転生〜俺の鑑定スキル、全部チャートで表示されるんだが、ポートフォリオ召喚術で異世界無双します〜  作者: スローインベスター


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/96

第73話 器の底

 白い扉の向こうに、音はなかった。


 ただ、足の裏から、深い鼓動だけが、伝わってくる。


 ……一定だ、とアルベスは思った。


 速くも、遅くもならない。生きているものの音にしては、あまりに揃いすぎている。


 それでいて、機械の音でもなかった。


 院主が、扉を開いた。


 *


 燭台の光が、扉の内側から漏れて、院主の顔を照らした。


 白髪。整えられた髭。灰色の、澄んだ目。


 柔和だった。


 アルベスは、この人の顔を、何百回も見ている。会議の間で、廊下で、配給所の前で。


 なのに——今日まで、見ていなかった気がした。


 いつも、少し離れた場所にいた。段の上か、逆光の中か、机の向こうか。近づく用がなかったし、近づく作法でもなかった。


 いま、同じ扉の前に、同じ高さで立っている。


 ……この人は、こういう顔をしていたのか。


 温かい。責める顔ではない。長く人の話を聞いてきた者の、静かな顔だ。


 ただ、一つだけ。


 目の奥の温度が、変わらない。


 扉を開ける前も、開けたあとも。まったく同じだった。


 人の顔は、場所で少し変わる。会議の間の顔と、廊下の顔と、この扉の前の顔は、本来なら同じにならない。


 この人だけが、同じだった。


 ……この人は、どこにいても、同じ場所に立っているのだ。


 *


 中は、聖導院の白さとは、まるで違った。


 清潔な伽藍の奥にあるとは思えない、古い石。


 湿った空気。黒ずんだ壁。うっすらと、脈打つマナの光。


 表側が、白い器なら。


 ここは——器の、底だった。


 アルベスは、無意識に、帳面を抱きしめていた。


 ……なぜ抱えたのか、自分でもわからなかった。


 守るためか。守られるためか。


 この帳面には、この街の困窮者の名前が、ほとんど載っている。誰が何をいくつ受け取ったか、何日並ばなかったか。


 その全部が、いま、何の役にも立たない場所に来ている。


 *


「ここでは、帳面は、役に立ちません」


 院主は、静かに、言った。


「流れは、紙の上より先に——石の奥で、乱れます」


 アルベスは、答えなかった。


 言われたことは、正しい。ここには数える対象が何もない。


 それでも、抱えた手は、緩まなかった。


 *


 院主の背後には、聖導院に仕える上級召喚士たちが、十一人。


 アルベスと合わせて、十三人。


 あらかじめ、院主が招集した者たちだった。


 最深部へ至る近道は、すでに整備されている。それでも、強い魔物が、なお徘徊している区画だ。


 先を行く召喚士の一人が、闇の奥から躍り出た、爪の長い獣を、ゴーレムの一撃で、瞬く間に切り伏せた。


 露払いは、慣れた手つきだった。


 誰も、驚かない。


 ……この道は、彼らにとって、すでに通い慣れた道なのだ。


 アルベスは、それに気づいて、少しだけ息を止めた。


 整備されている。慣れている。招集されている。


 つまり、今日が初めてではない。


 自分だけが、今日、初めてここに来た。


 十一人。いずれも上級召喚士だ。名前も、階級も、彼が名簿に書いている。


 書いていながら、この者たちが何のためにここへ通っているのかを、彼は今日まで知らなかった。


 ……管理していたつもりの側が、いちばん知らされていなかった。


 その事実に、彼は、思ったより長く動揺した。


 *


「ここは街の底です」


 院主は、進みながら語った。


「井戸も、畑も、配給も、すべて——この下から立ち上る流れに支えられています」


 その言い方に、誇りはなかった。自慢でも、脅しでもない。


 単に、そうである、と言っただけだ。


 アルベスは、その平坦さのほうに、背筋を冷やした。


 誇っている人間は、まだ疑える。当たり前だと思っている人間は、疑いようがない。


 *


 院主の記憶が、遠い日へ、沈んでいく。


 まだ若く、凄腕の冒険者だった頃。


 あの大きな器を思いつく、少し前の記憶——ある一つの狩りの光景が、鮮明に、甦ってくる。


 *


 同じ隊にいた、一人の仲間。


 腕は立つが、いつも人一倍、報酬に貪欲だった。


 悪い男ではなかった。飯は奢るし、新入りにも道を教える。


 ただ、分け前の話になると、目つきが変わった。


 その日も、彼は、仲間の制止を振り切り、格上の魔物へ、単身で挑みかかっていった。


 自分が仕留めれば、取り分が変わる。それだけの理由だった。


「待て、無茶だ!」


 *


 戦いは、荒れた。


 仲間の焦り、苛立ち、そして——負けたくない、という強欲な執着。


 それらが入り混じった、剥き出しの感情が、彼の体から、


 黒い靄のように、薄く滲み出ているのが見えた。


 *


 その靄は、若き院主の目の前で、ゆっくりと、地の底——最深部の方角へと、


 吸い込まれるように流れていった。


 *


「……今の、何だ」


 仲間が魔物を倒し、興奮気味に戻ってくる間も、


 彼の目は、地の底へと消えていった、あの澱みの行方に、釘付けのままだった。


 倒したぞ、と、肩を叩かれた。


 ……この男の中から出たものが、いま、地面の下へ落ちていった。


 そう言ったところで、誰も信じない。自分でも、まだ、信じていなかった。


(第74話へ続く)


====================

 【用語辞書】第73話に出てきた「投資」の話


 この回のテーマは、見えている場所と、見えていない場所の関係です。


 ● 表と裏は、同じ仕組みの両側


 白い伽藍と、湿った石の底。二つは別の場所ではなく、同じ器の、表と底です。うまく回っている仕組みには、たいてい、表からは見えない部分があります。見えないから悪い、という話ではありません。ただ、表だけを見て全体を評価すると、支えている構造を見落とします。


 ● 自分だけが知らなかった、という発見


 整備された道。慣れた手つき。招集された十一人。アルベスが気づいたのは、事実そのものより、自分がその外にいた、ということでした。情報の非対称——同じ組織にいても、知っている人と知らされていない人がいる。誰かに任せて判断する時は、自分が全部を見られる立場にいるのかどうかを、先に確かめておくと役に立ちます。


 ● 数えられない場所では、帳面は役に立たない


 測る道具は、測れる対象があって初めて働きます。数字がない場所で数字を求めても、答えは出ません。それでも人は、慣れた道具を手放せません。アルベスが帳面を抱えたのは、役に立つと思ったからではなく、それしか持っていなかったからです。


 ※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の団体・制度を批判する意図はありません。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。