第6話 文無しの『凄腕召喚士』
やっと主人公たちのベースとなる街にたどり着きました。
ここでどんな物語を紡ぐか、楽しんでください。
日が傾きはじめた頃、ようやく、街が見えてきた。
高い、石づくりの城壁。その上に、いくつもの塔。城壁の内側からは、淡い、青白い光が、ほうっと立ちのぼっている。マナの、光だ。荒野の真ん中に、そこだけ、別世界みたいに、文明が灯っている。
城壁の門には、関所が設けられていた。槍を持った門番が二人、行き交う荷馬車を、のんびりと検めている。どうやら、街と街を結ぶ、交易路の検問も兼ねているらしい。
俺は、ごくり、と唾を飲んだ。
——身分証も、何もない。怪しまれて、追い返されたら、どうしよう。
「(ご安心を)」オルカが、隣で、小声で言った。「(この世界には、根の腐った者が、ほとんどいません。精霊は、穏やかな心しか好まないからです。悪意は、生きづらい。——堂々としていてください)」
「お、おう」
順番が来た。門番が、俺と、隣のオルカを、じろりと見た。
そして——その目が、すっと、見開かれた。
「……あんた、召喚士か」
「あ、はい。そう、です」
「しかも、そのゴーレム……ずっと、出しっぱなしなのか? 戦闘用の、人型を?」
門番は、信じられないものを見るような顔で、オルカを、まじまじと見つめた。
「人型の戦闘ゴーレムなんざ、よっぽどの腕がなきゃ、一刻も維持できねえ。それを、常時、連れ歩いてるってのか。……こりゃ、とんでもねえ召喚士さまだ。どこぞの、名のあるお方で?」
とんでもねえ召喚士さま。
名のある、お方。
——いやいやいや。違う。俺は、ただ、燃費の悪い相棒のせいで、さっき荒野で死にかけた、すっからかんの新人だ。とんでもないどころか、とんでもなく、しょぼい。
そう言おうとして、けれど、言葉が、出なかった。門番の目が、あんまりにも、キラキラしていたから。
「で、では、通っても」
「あ、ああ、もちろんで! どうぞ、どうぞ! ……あ、こちら、入街の記帳でして。お名前を、ここに」
門番が、羊皮紙と、羽ペンを、差し出してきた。
——記帳。文字。
あれ、俺はこの世界の文字が、一文字も読めない。しまった、書けるわけがない。
じわり、と、背中に汗がにじむ。どうする。どう、ごまかす。
「——失礼」
すっと、オルカが、前に出た。
「我が主は、遠方の出。流儀により、名は自らの口でしか名乗りません。記帳は、従者の私が代行します。よろしいですか」
「お、おお。そういう、流儀で。は、はい、結構です」
門番は、すっかり恐れ入った様子で、何度も頷いた。オルカは、羽ペンを取り、よどみなく、何かを書きつけた。流れるような、美しい筆跡だった。
……助かった。
心の底から、そう思った。こいつがいなかったら、俺は、街に入る前に、化けの皮が、剥がれていた。
(……礼には、及びません)
「……読むなって。けど、ありがとう」
門をくぐると、そこは、別世界だった。
石畳の通りに、人が、あふれている。荷を担いだ商人。駆け回る子ども。露店からは、香ばしい、肉を焼くにおい。道の脇では、淡く光る、小さな人形のようなもの——あれも、精霊の宿ったゴーレムだろうか——が、せっせと水路の水を汲み上げ、街路樹に注いでいる。畑のほうでは、もっと大きな、無骨なゴーレムが、整然と、土を耕していた。
すべてが、マナで、回っている。
活気があった。前世の、あの灰色のオフィスとは、何もかもが、違った。
——いいな。ここで、暮らせたら。
そう思った、次の瞬間。
俺の腹が、ぐう、と、盛大に鳴った。
……そういえば、何も、食べていない。死ぬ前から、たぶん、何も。猛烈な、空腹だった。
目の前の露店から、焼けた肉の、たまらないにおいが、流れてくる。
「すみません、これ、ひとつ」
「あいよ、銅貨二枚ね」
銅貨、二枚。
俺は、自分の体を、ぺたぺたと探った。ポケットなんて、気の利いたものは、ついていない。当然のように、何も、ない。
——金が、ない。
一枚も。この世界の、貨幣を、俺は、一枚たりとも、持っていなかった。
「あ……えっと、その」
「なんだい、兄ちゃん。冷やかしかい」
露店の主人の、じろりとした目。
とんでもねえ召喚士さま、と崇められた、わずか数分後。俺は、たかが肉の串一本、買えずに、立ち尽くしていた。
(……マナは資産、貨幣は流動性。資産はあれど、手元の流動性が、ゼロですね)
「だから、読むなって……うう、その通りだけど」
マナだけは、あるらしい。けど、それは、すぐには使えない。ダンジョンに潜って、回収して、納めて、はじめて、貨幣になる。——明日を、生きるためには、まず、稼がなきゃいけない。
結局、やることは、変わらない。世界が変わっても、俺は、働かなきゃ、メシも食えないらしい。
……まあ、そこは、慣れたものだけどな。
苦笑いして、露店に背を向けた、その時だった。
通りの、薄暗い路地裏。
崩れた木箱の陰で、何か、小さな影が、動いた。
——子ども、だろうか。いや、違う。獣の、耳。痩せ細った、小さな手が、地面に落ちた、誰かの食べ残しのパンの欠片を、素早く、拾い上げた。みすぼらしい、ぼさぼさの毛並み。骨と皮ばかりの、小さな体。
その影は、欠片を、大事そうに口に運びながら、ふと、視線を上げ——俺と、目が、合った。
怯えた、けれど、妙に、鋭い目だった。
次の瞬間、影は、はじかれたように身を翻し、路地の奥へと、音もなく、消えていった。
……今の、は。
なぜか、その小さな後ろ姿が、胸の奥に、ちりっと、引っかかった。空腹で、みすぼらしくて、それでも、必死で、生きている。——なんだか、ほうっておけない気が、した。
「オルカ。今の、見たか」
「……はい。獣人の、子のようでした。けれど、ガク様」
オルカが、静かに、続けた。
「今は、ご自分のことを。寝る場所も、明日のパンも、まだ、ないのですから」
……違いない。
俺は、空腹をなだめながら、薄暮の街を見上げた。街の、ちょうど真ん中。ひときわ高く、青白いマナの光を噴き上げる、巨大な縦穴の縁が、見えた。
あれが、ダンジョン。この世界の、工場で、職場で——たぶん、俺の、新しい戦場。
「……明日から、だな」
空きっ腹を抱えて、俺は、ひとつ、息を吐いた。それでも、不思議と、足取りまでは、重くなかった。
異世界に来て、初日。所持金、ゼロ。称号、なぜか『とんでもねえ召喚士さま』。
——前途は、多難だ。
だが、まあ。多難なのは、生きてる証拠だ。
いかがだったでしょうか。下記は投資の勉強のための用語解説です。
読み飛ばしてもかまいませんが、作品がより面白くなると思いますので、
読んでいただけると幸いです。
【用語解説】本話に出てきた「投資」の話
主人公の“鑑定”は、敵の強さではなく、敵がまとう「相場の天気」を映します。ここでは、その元ネタをやさしく解説します。
● 相場環境=鑑定窓の読み方
株の世界では、個別の会社の良し悪しとは別に、市場全体の“空気”があります。鑑定窓の各項目は、その空気を表しています。
地合い(じあい):市場全体の雰囲気。買いたい人が多く上がりやすい空気を「強気」、売りたい人が多く下がりやすい空気を「弱気」「軟調」と言います。黒犬は「軟調(弱気)」=じり下げの空気をまとった、おとなしい相手でした。
変動性(へんどうせい/ボラティリティ):値動きの激しさ。低いほど穏やか、高いほど乱高下します。
複雑度:いくつの要因が絡んでいるか。★1は「条件ひとつだけの単純な相場」。だから見立ては「一手で足りる」——本来、大砲は要らない相手でした。
● 収支とコスト=“倒しても減る”のなぜ
戦って得た結晶(=稼ぎ)より、オルカを出し続けるマナ(=コスト)のほうが大きいと、差し引きはマイナスになります。これは投資でいう「手数料負け」に近い状態。どんなに“万能で強い”道具でも、維持コストが高すぎると、稼ぎがまるごとコストに消えて、手元に何も残りません。「強い=得」ではない、という最初の落とし穴です(この“万能=高コスト”は、次話以降で本格的に学びます)。
● 流動性=「資産」と「今すぐ使えるお金」は別物
オルカの言う通り、主人公はマナ(=資産)を持っていても、肉の串一本すら買えませんでした。売って現金化するまで、資産は“食べられない”からです。「資産はたくさんあるのに、手元の現金がなくて詰む」——これを流動性(の不足)と言います。黒字倒産や、生活防衛資金の話にもつながる、地味だけど超重要な感覚です。




