第5話 初めての戦闘と、燃費の悪い相棒
初めての戦闘回です。主人公の思っているようにことは進むでしょうか。
歩きはじめて、二時間。
荒野は、どこまでも荒野だった。ひび割れた赤土を、乾いた風が舐めていく。日差しは強いのに、汗をかいても、すぐに乾く。喉は渇くが、不思議と、足は止まらない。若返ったこの体は、いくら歩いても、芯から疲れることがなかった。
隣を、オルカが滑るように歩いている。
いや、歩いている、というのは正確ではない。彼女の足は、地面に着いているようで、着いていない。発光する裾が、土の上を、わずかに浮きながら流れていく。
「なあ、オルカ」
「はい」
「いろいろ、教えてくれないか。俺、この世界のこと、何ひとつ知らないんだ。お金のこととか、街のこととか」
「承知しました」
オルカは、よどみなく語りはじめた。
この世界は、エネルギー——マナが、慢性的に足りていないこと。マナは、特別な場所からしか湧かないこと。その場所を、人は「ダンジョン」と呼び、ダンジョンのあるところに、街ができること。街の暮らしは、明かりも、水も、畑も、すべてダンジョンから得たマナで支えられていること。
「人々は、ダンジョンに潜り、奥に渦巻くマナを回収して、街の管理者に納めます。その対価として、貨幣を受け取る。——その貨幣で、宿を借り、パンを買う。マナそのものは、暮らしの土台。貨幣は、暮らしの潤滑油、と考えてください」
「なるほど。マナを稼いで、それを売って、お金にする、と」
「おおむね、その通りです」
社畜時代に培った理解力が、こんなところで役に立つとは。要するに、ダンジョンが工場で、マナが製品で、それを納品して、給料をもらう。やってることは、前世とそう変わらない。
——あれ。なんだか、急に、気が重くなってきたぞ。
(……前世を思い出して、表情が曇りましたね)
「うるさい。心読むな」
オルカの声は出ていない。あの、頭に直接触れてくる思念のほうだ。彼女は、しれっと「失礼しました」とだけ返してきた。本当に、心の中まで筒抜けらしい。
その時だった。
行く手の岩陰から、何かが、ぬるりと這い出してきた。
犬、のような形をしている。だが、毛はなく、肌は黒く濡れたように光り、目だけが、濁った黄色に燃えている。低く、ぐるるる、と唸りながら、こちらへ、じり、じりと近づいてくる。一匹ではない。三匹。
「モンスターです」オルカが、半歩、前に出た。「荒野に巣食う、低位の魔物。下がってください」
「い、いや、待て。俺も、戦える、はずだ」
召喚士。鑑定。カブ。——せっかく女神にもらった力だ。ここで使わなくて、どうする。
俺は、女神に言われたことを思い出しながら、一番手前の魔物に、意識を、ぐっと、向けた。
鑑定。
その瞬間。
俺の視界の右下に、半透明の、四角い"窓"が、ぴょこんと現れた。
俺だけに見える、表示。さっそく、女神の言った通りだ。心が躍る。これで、こいつの弱点でも、ステータスでも、なんでも見えるはず——。
窓に並んだ文字を、俺は、読んだ。
▼ 鑑定結果
名称:黒犬 / 群れ:3
─── 相場環境 ───
地合い ……… 軟調(弱気)
変動性 ……… 低
主導要因 …… 単一
複雑度 ……… ★☆☆☆☆
─────────────
見立て:環境は単純。一手で足りる。
「…………は?」
なんだ、これ。
地合い。変動性。複雑度。——見覚えのある言葉が、並んでいる。いや、見覚えが、ありすぎる。どれも、前世で、毎晩、証券アプリのニュース欄で、いやというほど目にした、"相場"を語るときの言葉だ。
なんで。なんで、魔物のステータスが、まるごと、市場の天気予報みたいになってるんだ。
「地合いって……お前、相場かよ! 犬だろ! なんで犬に、弱気だの強気だのが、あるんだ!」
混乱している間にも、黒犬は、地を蹴った。
「ガク様!」
ぐん、と俺の前に、オルカの体が割り込んだ。
淡く光る彼女の腕が、しなやかに薙ぎ払われる。たった一振りだった。先頭の黒犬は、紙くずのように吹き飛び、岩肌に叩きつけられ——ぐしゃりと潰れた、その瞬間。
黒く濁っていた体が、ほどけるように、淡い光へと変わった。澱んでいた何かが、すうっと澄んでいく。まるで、わだかまっていたものが、浄化されたみたいに。
ほどけた光は、宙でくるりと凝り——こつん、と乾いた音を立てて、地面に落ちた。
親指の先ほどの、淡く青白い、水晶のかけら。それが、ころりと、赤土の上を転がった。
残った二匹が、ひるんで、後ずさる。オルカは、構えもせず、ただ静かに、彼らの前に立っている。それだけで、二匹の黒犬は、尻尾を巻いて、岩陰へと逃げ去っていった。
……強い。
めちゃくちゃ、強いじゃないか。
「お見事、と言いたいところですが」オルカが、こちらを振り返る。「ガク様。顔色が」
「え?」
言われて、初めて、気づいた。
ふらり、と、体が傾ぐ。膝に、力が入らない。さっきまで、いくら歩いても疲れなかった体が、急に、空っぽになったみたいに、重い。
「マナが、急速に減っています」オルカが、端的に告げた。「——ガク様。その、足元の結晶を、拾ってください」
「これ?」
俺は、震える指で、青白い水晶のかけらを拾い上げた。ひんやりとしているのに、芯のほうが、ほのかに、脈打っている。
「倒した魔物は浄化され、マナの結晶として残ります。持ち帰り、街で買い取ってもらう。——それが、糧を得るということです。ですが、今はそれどころではありません。その結晶からマナを吸ってください。でないと、立っていることも、ままなりません」
言われるまま、俺は、結晶を握りこんだ。念じると、芯の脈動が、すうっと、手のひらから腕へ、体の奥へと、流れ込んでくる。
……ああ。少し、楽になった。膝の震えが、止まる。
でも。
それ、だけだった。
さっきまでの——荒野をいくら歩いても疲れなかった、あの満ちあふれる活力は、戻ってこない。結晶を吸い尽くしても、俺の体は、半分、空っぽのままだった。
つまり、そういうことだ。
オルカを出して、振るって、魔物を一匹倒して、結晶にして、それを吸い戻して——それでもなお、足りない。
収支は、マイナス。
倒しても、減る。せっかくの稼ぎは、その場で自分の燃料に消えて、売り物にすら、ならない。
「申し訳ありません」オルカが、淡々と告げた。「……私は燃費の悪い体のようです」
——出しっぱなしが、いけないのか。
ふと、そんな考えが、頭の隅をよぎった。
オルカは、こうして、ずっと、ここにいる。荒野を歩く間も、こうして突っ立っている今も——その間ずっと、俺のマナを、こんこんと、吸い続けている。戦いなんて、ほんの一振りで終わったのに。だとすれば、消耗の大半は、戦ったことよりも、こうして出しっぱなしにしていること、そのものなんじゃないか。
戦う時だけ、必要な分だけ、呼べばいい。そういう、安い手は——ないのか。
「わたしは女神様より、常にガク様のそばでサポートするように作られております。戻ることができません。」
そうなのか、何か手段はないのか……いや。今は、考えがまとまらない。空腹と疲労で、頭が、うまく回らない。
その問いの答えに俺がたどり着くのは、もう少し、先の話だ。
燃費の、悪い体。
俺は、ぼんやりと、その言葉を反芻した。
——なるほど。こいつは、たしかに強い。強いけど、維持するだけで、俺のマナが、どんどん吸われていく。一回腕を振っただけで、俺はもう、立っているのもやっとだ。
……効率、悪いな。
女神が言っていた。「万能であるということは、それだけ、対価が大きい」と。「しばらく、その重さに苦しむかもしれません」と。
これか。
強いけど、燃費が悪くて、いつも俺をすっからかんにする相棒。——なんて、ハズレを、引いてしまったんだ。
(……ハズレ、ですか)
「あ。いや、今のは」
(……いえ。事実ですので)
オルカの思念は、あくまで淡々としていた。感情の、揺れはない。
……けれど、なぜか、俺のほうが、いたたまれなくなった。
俺は、慌てて、口を開いた。
「ち、違う。ハズレなんて、思ってない。お前がいなかったら、俺、今ので死んでた。むしろ、命の恩人だ。ありがとな、オルカ」
オルカは、しばらく、黙っていた。のっぺらぼうの顔が、こちらを向いたまま、動かない。
(……いえ)
やがて、彼女は、思念で、ぽつりと返した。
(役に立てたなら、何よりです)
その声は、やっぱり、淡々としていた。冷たいくらいに。——けれど、不思議と、嫌な感じは、しなかった。
オルカにはいろいろ仕込んでいます。話が進めば徐々に明らかにしたいと思います。




