第4話 万能の相棒、オルカ
安直な名前しか付けられなくて、すみません。
これから物語を一緒に歩む相棒です。
赤茶けた大地が、地平の果てまで広がっていた。
ひび割れた土。風に削られた岩。
空は高く、薄い青で、雲はほとんどない。
太陽の光は強いのに、どこか痩せて見える。
緑は、見渡すかぎり、どこにもなかった。
まさに、荒野だった。
俺は、ゆっくりと、自分の手を見た。
……若い。
しわのない、張りのある手の甲。
節くれだっていない指。
三十年の疲労が、染みのように沈着していたはずの手が、
若い頃の——体力に満ちていた頃の手に戻っている。
立ち上がる。膝が、軽い。腰が、痛まない。
長年の友人だった肩こりも、目の奥の重さも、すべて消えていた。
一歩、踏み出すだけで、体が前に進みたがる。
エネルギーが、内側から、満ちている。
……こんな体、もう一生取り戻せないと思っていたのにな。
ちょっとだけ、笑ってしまった。
泣くより、そのほうが、俺には似合っている気がした。
状況を、整理しよう。
俺は死んだ。女神に会った。エネルギー枯渇世界とやらに送られた。
能力を授かった。
"鑑定"と、"召喚士の素質"と、それから——なにか、とんでもなく勘違いされた、"カブ"とかいう力。
そして、サポート役。
「……呼べ、って言われても、どうやるんだ」
つぶやいた瞬間、体の奥で、何かが、こんこん、と脈打つのを感じた。
エネルギー、この世界でマナって呼ばれているものだろうか。
俺は、半信半疑のまま、そのあたたかい感覚に意識を向け、心の中で、念じてみた。
——来て、くれ。俺の、サポート役。
応えるように、足元の地面に、淡い光の紋様が走った。
幾何学的な、見たこともない文様。
それが、ぐるりと円を描き、内側から、ゆっくりと、何かがせり上がってくる。
光が、人の形になっていく。
——女性の、形だった。
すらりとした、しなやかな体つき。
淡く発光する、なめらかな素材でできた肢体。
けれど。
その顔には、目も、鼻も、口も、なかった。
つるりとした、のっぺらぼう。
「……あ」
俺は、思わず、目をそらした。
いや、これは、俺のせいだ。
たぶん。女性を、まともに、正面から見られない。
職場でも、女性社員と話すときは、いつも視線が泳いだ。
だから、無意識に、こいつの顔を——"見なくて済む形"に、してしまったのかもしれない。
我ながら、情けない。
……いや、まあ、おいおい慣れよう。
こいつとは、長い付き合いになりそうだ。
「——お呼びにより、参りました」
のっぺらぼうの、どこから声が出ているのか。
それでも、その声は、澄んでいた。真面目で、端的で、けれど、抑揚のない声。
事務連絡でも読み上げるような、淡々とした声だった。
「私は、あなたの願いに応じて顕現した、補助のための存在です。
万能を旨とし、あらゆる役割をこなします。以後、よろしくお願いします」
「あ、ど、どうも。鈴木、いや、ガクと言います。……えっと」
とっさに自分の学生時代からのあだ名を言ってしまった。
名前といえば、こいつにも名前が必要だ。
呼ぶのに不便だし。
万能。何でもできる。投資の、優等生。
全世界に分散できる、万能の一本。
あのニュースで、何度も聞いた、あの名前。
略して、みんなが、あだ名みたいに呼んでいた、あの——。
「……オルカ」
口をついて、出ていた。
「オルカ、って、呼んでもいいか。
その、なんでもできるって聞いて、頼もしいなって思ったものの名前から、とったんだけど」
のっぺらぼうの顔が、こちらを向いた。表情はない。
「——オルカ。承りました。良い響きです、ガク様」
その時。
俺の頭の中に、直接、もう一つの声が、流れ込んできた。
声、というより、思考そのものが、そっと触れてくるような感覚。
「(……ずいぶん、奥手な人。けれど、悪い人ではなさそうです)」
「え」
俺は、ぎょっとして、オルカを見た。
「今、なんか、頭の中に」
「失礼しました」オルカの声は、淡々としていた。
「私とガク様の間には、思念の経路が結ばれています。
声に出さずとも、意思を交わせます。——映像も」
「い、今のも、それで?」
「……さて。何のことでしょう」
しれっと、している。
たぶん、聞こえてしまったのだ。
向こうの本音が、こっちに。
そして、たぶん——こっちの考えも、全部、向こうに、筒抜けなのだ。
俺は、頭を抱えたくなった。
心の中の独り言まで、聞かれてしまうのか。
よりによって、女性の姿をした、この相棒に。
……まあ、いい。顔もまともに見られないくらいだ。
心の中くらい、知られたって、今さらだろう。たぶん。
「……これから、よろしくな。オルカ」
「はい。力を尽くします、ガク様」
万能だと、自分で言っていたくせに、ずいぶん控えめな返事だ。
淡々としていて、どこか冷たくも聞こえる。……けれど、不思議と、嫌な感じは、しなかった。
俺は、改めて、荒野を見渡した。
遠く、地平のきわに——ひときわ大きな、石づくりの影が、陽炎の向こうに、揺れている。
整然と積み上げられた、壁。塔。
あれが、たぶん、人の住む場所だ。
女神が見せてくれた、あの灯りの一つ。
「オルカ。あそこまで、行けると思うか」
「はい。あの方角に最も近い都市があります。
半日も歩けば着きます。——道中、お守りいたします」
半日。なら行ける。この若い体なら。
俺は、一歩を踏み出した。
乾いた風が、頬を撫でていく。
背中に背負っていたはずの、会社も、含み損も、田所さんのため息も、
ここには、何もない。
ただ、まっさらな荒野と、のっぺらぼうの相棒と、
わけのわからない"カブ"とかいう力だけが、俺の、新しい持ち物だった。
——悪くない。
正直、まだ、何ひとつわかっちゃいない。
けれど、なぜか、その時の俺は、ずいぶん久しぶりに、前を向いて歩いていた。
【用語解説】本話に出てきた「投資」の話
物語の中で、投資用語がところどころで触れていますが、ここでは元ネタの投資用語を、やさしく解説します。読み飛ばしてもお話は追えますが、知ると主人公の“カブ”がもっと面白くなります。
● 全世界株式インデックス(=相棒「オルカ」の名前の由来)
主人公が「万能な一本」として思い浮かべたのが、これ。世界中の株式に、まとめて少しずつ投資する“詰め合わせパック”のような金融商品です。愛称のひとつが「オルカン」(=オール・カントリー=全世界)。特定の一社に賭けるのではなく、世界中の会社に分散するので、どこか一社・一国がコケても、全体では倒れにくい——それが最大の長所です。相棒オルカが「全天候型・万能」なのは、この“世界まるごと分散”をキャラにしたものです。
● 分散と、一点集中
卵をひとつのカゴに全部盛ると、そのカゴを落とした瞬間に全滅します。複数のカゴに分けておけば、ひとつ落としても他は無事——これが分散の考え方。逆に、ひとつの対象に全財産を賭けるのが一点集中で、当たれば大きいですが、外れると再起不能になります。主人公が財産を失ったのは、この一点集中が理由。物語全体を通して学んでいく、いちばん大事なテーマです。
● 含み損
買った株が、買値より下がっている状態のこと。ただし「まだ売っていない」ので、損は“帳簿の上だけ”で確定していません。売って初めて、損が現実になります。「塩漬け」(下がった株を売れずに持ち続けること)とセットで、投資初心者が最初にぶつかる壁です。
● 配当利回り(はいとうりまわり)
会社が株主に配る“お礼のお金”(配当)が、株価に対して年何%にあたるかを示す数字。「株価が下がっているとき、配当利回りで銘柄を選ぶ」というのは、値上がり益ではなく“定期的にもらえる分”を重視する考え方です。ただし、業績が悪化すれば配当は減る・なくなることもあり、利回りの高さだけで選ぶのは危険、というのが定番の注意点です。
● 半導体株
スマホやパソコン、AIの“頭脳”を作る産業。景気やブームの波が非常に大きく、良いときは急騰し、悪いときは急落しやすい代表格です(この“波の大きさ”は、今後の物語で重要な場面で登場します)。




