第3話 女神の手違い、あるいは『カブ』という能力
テンプレ展開ですが、多少他の作品とは異なるテイストにしています。
お読みいただければ幸いです。
白かった。
上も下もない。
地平も天井もない。
ただ、乳白色の光だけが、どこまでも均一に満ちている。
立っているのか、浮いているのかも、判然としない。
足の裏に床の感触はないのに、倒れもしない。
不思議と、怖くはなかった。
むしろ、静かだった。電話も鳴らない。
チャットの通知も飛んでこない。
客先からのエラーログも、田所さんのため息も、ここには届かない。
三十年ぶりに、本当に何もしなくていい場所に来た。そんな気がした。
ああ、これが、死んだあとの世界か。
思ったよりも、悪くないな。
『——目覚めましたね』
声がした。
死ぬ間際に聞いた、あの声だ。
人の声ではない。空間そのものが震えて言葉になったような、深くて、広い響き。
ただし、抑揚は、ほとんどない。感情の乗らない、平坦な声。
その声は、特定の方角から聞こえてくるわけではなかった。
光のすべてが、同時に語りかけてくる。
「あなたは……誰、ですか」
俺は、自分の声がやけにはっきり響くことに、少し戸惑った。
『名はありません。あるいは、無数にあります。
この世界を巡らせる仕組みそのもの、とでも思ってください。
人の世では、女神、と呼ばれることもあります』
「……女神さま」
『便宜上、それで構いません』
女神、と名乗ったその存在は、声の調子を、変えなかった。
やわらげも、しなかった。
ただ、事実を読み上げるように、続ける。
『鈴木学。あなたの死は、本来の寿命を大きく残したものでした。
不慮の事故。準備のない、唐突な終わり。理不尽な終わりでした』
その、感情の欠片もない一言に、俺は不覚にも、胸の奥が熱くなった。
……おかしな話だ。抑揚のない、機械みたいな声なのに。
それでも、俺の死を「理不尽だった」と言ってくれたのは、思えば、この声が、初めてだった。
職場では、何が起きても、まず俺が悪いことになっていた。
トラブルも、若手の退職も、ミスも、全部。
もっとも——理不尽なのは、事故だけじゃ、なかったけれど。
死ぬより前に、俺の暮らしは、もう終わっていた。
なけなしの全財産を、たった一社に注ぎ込んで。
その一社が、粉飾で、音を立てて崩れて。何もかも、紙くずになった後の、抜け殻みたいな毎日。
事故は、そのおまけみたいなものだった。
「……いえ。俺は、たいした人間じゃ、ないので」
『記録にあります。あなたは自己評価を、極端に低く見積もる傾向がある』
女神は、俺の卑下を、慰めもせず、責めもせず、ただデータとして読み上げた。
『その傾向の是非は、本題ではありません。今は、より差し迫った事案があります』
「事案……?」
『あなたが死んだことで生じた、余剰エネルギーです』
女神の言葉が、いっそう、事務的な手触りになった。
定型のアナウンスを、そのまま流しているような。
『余命を残しての不慮の死亡により、余剰エネルギーの暴走が懸念されます』
「余剰、エネルギー」
『本来あなたが、これから三十年かけて燃やすはずだった、生命のエネルギー。
それが、行き場をなくして、ここにあります。
膨大な量です。放置すれば暴走し、複数の世界を傷つけかねません』
俺は、なんだか申し訳ない気持ちになった。
死んでまで、誰かに迷惑をかけているらしい。
我ながら、徹底している。
『そこで、退避先を用意しました』
白い光の一部が、ゆらりと揺れた。
そこに、薄ぼんやりと、別の景色が浮かび上がる。
赤茶けた、荒涼とした大地。地平の彼方まで、ひび割れた土と、枯れた岩ばかり。
ところどころに、不自然なほど整然とした石の建物が、点々と灯りをともしている。
『エネルギーの枯渇した世界です』
女神は、淡々と続けた。
『かつて、人は上位存在を利用して、争いを繰り返しました。
多くの存在は、それに見切りをつけ、エネルギーを引き上げて、他の世界へ去った。
——私は、最後まで残った、一柱です。
残ったエネルギーと、私自身を削って、この世界に、ひとつの仕組みを与えました。
それでもなお、エネルギーは足りていない。
あなたの余剰は、この世界にとって、恵みとなります』
歓迎されている。
そう、はっきりとわかった。
厄介者として処理されるのではなく、貴重なものとして、求められている。
抑揚のない声のはずなのに、その事実だけは、まっすぐ伝わってきた。
俺という存在が、まるごと必要とされるのは——たぶん、生まれて初めてだった。
『補足します』
女神の声が、ふと、付け足すように言った。
『あなたをこの場へ導いたのは、私ではありません』
「……え?」
『別の存在が、あなたの魂を、私のもとへ送りました。
理由は、通知されていません。——ですが、結果として、あなたは私の世界の恵みです。
ゆえに、歓迎します』
誰かが、俺を、ここへ。理由は、わからない。
けれど、女神はそれ以上、語る気はないようだった。
『ただ、ひとつ、支障があります』
「……支障」
『転送先の世界は、エネルギーの価値が、あまりに低い。
ゆえに、単純な転生では、あなたの余剰は、消費されません』
「は、はあ」
よくわからないが、要するに、ただ生まれ変わるだけでは、
俺のエネルギーは多すぎて溢れてしまう、ということらしい。
『そこで、あなたには、エネルギーを能動的に使う"力"を授けます。
核とするのは——あなた自身が、最も強く執着しているもの』
女神の声が、何かを探るように、間を置いた。
ちょうどその時。
俺は、まったく別のことを考えていた。
——いや、待てよ。あの一社に、全部、突っ込んだのが間違いだったんだ。
分けておけば。せめて、あの半導体の本命のほうにも、いくらか。
いや、配当利回りで選ぶなら、あっちの——
『……検出。この者が最も強く保持している概念を、核として抽出します』
「え?」
『——カブを保持する能力を、付与しました』
「……は?」
『カブ。……エラー。該当する概念が、存在しません』
平坦だった女神の声が、初めて、処理に詰まった。
「あ、あの、カブっていうのは」
『カブ。再解析します。……この者にとってカブとは、"状況に対して対抗するための手段"。
そう認識されています。——状況に、対抗するための、手段。受理します』
違う。いや、違わない、のか?
株は、たしかに、俺にとって、過酷な現実に対抗するための、たった一つの手段だった。
沈みゆく船から降りるための、救命ボートだった。
……もっとも、そのボートに、全財産で穴を開けて沈んだのが、俺なのだが。
女神は、その必死な執着を、そっくりそのまま、能力として読み取ってしまったらしい。
『カブを核とした能力体系を構築します。
以後、あなたが"カブ"を運用するたび、余剰エネルギーは適切に消費されます』
「ちょ、ちょっと待ってください、それ、たぶん何か、大きな勘違いが——」
『さらに。あなたの記録には、"検索"という行為への、強い依存が見られます』
うっ。痛いところを。
『カブの検索機能を付与します。……エラー。
カブの実体が不明なため、検索先を設定できません』
「いや、検索先なんて、ネットで調べれば——」
なかば反射的に、俺はそう口走っていた。
社畜の習性だ。わからないことは、とりあえず検索する。
『——受理しました』
女神の声が、ぴくりと反応した。
『検索先を、地球のインターネット情報とリンクします』
「……は?」
『あなたが今、最も強く思い描いた情報源。
"カブ"に関わる情報を取得できる場所。
すなわち、あなたの世界の、投資に関する情報網。
そこへの限定的な接続経路を、確保しました』
「いや、待って、待ってください。今、地球のインターネットって言いました?
そんな、とんでもないことを、書類の不備を直すみたいな軽さで——」
『問題ありません』
女神は、しれっと言い切った。
『あなたが望み、あなたが指し示した。ゆえに、繋ぎました。ただし——』
ふっと、光の濃度が、少しだけ下がった。女神の"力"が、何かを消費したように。
『その接続も、あなたに授ける力のすべても、この世界では"エネルギー"を対価とします。
人の世では、それを「マナ」と呼ぶ。無尽蔵ではありません。
使えば、減る。それだけは、記憶しておくように』
マナ。対価。減る。
——なんだか、急に、生々しい話になってきた。
さっきまで歓迎されていたはずなのに、
いつのまにか、利用規約の説明を聞かされている気分だ。
『最後に、いくつかの加護を』
女神の声は、最後まで、平坦だった。
『ひとつ。あなたが新しい世界で困らないように"鑑定"の力を授けます。
物の名、ものの理を見通す目。
ただし、これはあなただけに見えるもの。他の誰にも、見えません』
『ひとつ。あなたは私の祝福を受けて、かの世界へ降ります。
ゆえに、かの世界の精霊は、あなたに好意的でしょう。
精霊と深く心を通わせる者——召喚士。あなたには、その素質があります』
『もうひとつ。私の加護により、精霊を呼ぶ対価を、軽くしておきます。
同じ一柱を呼ぶのに、他の者より、少ないマナで済むように』
召喚士。精霊。鑑定。
ファンタジーだ。完全に、ゲームか、ラノベの世界だ。
あの安アパートで、すり切れた現実から逃げるみたいに読んでいた、
あの世界に、俺は本当に行くらしい。
『——ところで、鈴木学』
女神の声が、次の事項へ移った。
『初めての世界は、勝手が違います。
サポート役を、一体つけます。
どのような者を、希望しますか』
「サポート役、ですか」
俺は、考えた。
——右も左もわからない世界で、いきなり一人は、きつい。
だったら、できるだけ、頼れる相手がいい。なんでもできる、万能な、そういう——。
ふと、いつだったか、証券アプリのニュースで見た言葉が、頭をよぎった。
"全世界に分散できる、万能の一本"。
"これ一本で、世界中をまるごとカバー"。
"投資の優等生"。
……ああいうの、いいな。なんでもできて、何があっても、隣にいてくれる。
そういう、万能な存在が。
『——希望を、受理しました』
『万能。何でもできる存在。……承知しました。
ただし、ひとつ、通知します。
万能であるということは、それだけ、対価が大きいということ。
あなたは、しばらく、その重さに苦しむ可能性があります』
「重さ……?」
『呼べばいずれ、わかります』
その言葉の意味を、俺が問い返すより先に。
白い光が、ゆっくりと、形を変えはじめた。
乳白色の静けさが、ほどけていく。
代わりに、乾いた風のにおいが、鼻先をかすめた。
土の、埃の、灼けた岩の、においだ。
『新しい世界の出会いが、あなたへの幸となりますように』
女神の声が、遠ざかる。最後の一言だけ、ほんの少しだけ、平坦さの奥に、何かが滲んだ気がした。
『——ようこそ。私の、欠けた世界へ』
そして。
俺は、目を開けた。
女神とのすれ違いコントはいかがでしたでしょうか。
楽しんでいただけたら幸いです。




