第2話 優良銘柄
第2話目になります。
生々しい表現になりますが、少しだけ作者の体験を入れたのですが、AIが誇張してくれました。
当稿に出てくる名称は架空のものであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
その朝、世界がひっくり返るのを、
俺は通勤途中に聞いているポッドキャストの経済ニュースで聞いた。
その日のトピックスを最初に告げるアナウンサー。
『テクノエルピス 子会社で大規模な架空取引 粉飾決算の疑いで調査』
最初、アナウンサーの言っている意味が頭に入ってこなかった。
自転車を止め、巻き戻して何度も聴き返した。
粉飾。架空取引。俺の救命ボートの名前を、アナウンサーは連呼していた。
市場が開くと同時に、緑色だった数字は、見たこともない速さで赤に染まっていった。
ストップ安。売りたくても売れない。買い手がいない。
価格だけが、奈落へ向かって滑り落ちていく。
昼休み、トイレの個室で、俺はスマホを握りしめていた。
含み益は、とっくに含み損に変わっていた。
給料の数年分の利益は、月給の数ヶ月分の損失になり、まだ止まらない。
なぜ。
いや——本当は、わかっていた。
あの会社の伸び方は、どう考えても異常だった。
業界全体が踊り場にいるのに、そこだけが一直線に伸びていた。
子会社の決算をちゃんと読んでいれば。
連結のからくりを少しでも疑っていれば。
あの不自然な売上の積み上がりに、おかしいと思えたはずなのに。
俺は、見たいものだけを見ていた。
救命ボートが欲しくて、それが本当に浮くかどうかを、確かめようともしなかった。
(宮田さんは、青ざめた顔で戻ってきた鈴木を見て、何かを察した。
——声、かけたほうがいいのかな。でも、何て?
結局、その日、誰も学に声をかけられなかった。)
最悪は、重なるようにできている。
午後、客先のラインで装置が止まった。
一次対応は本来、田所さんの担当客だ。
だが田所さんは「俺、これから歯医者なんだよ」と、
誰も聞いていない予定を理由に、さっさと帰り支度を始めた。
「鈴木、お前ちょっと行ってくれよ。お前なら何とかできるだろ」
「……田所さんの、お客さんですよ」
「は? 今、俺に逆らったか?」
田所さんの声が裏返る。フロアの空気が、すっと固まる。
「人がいないから頼んでんだろ。それを、客がどうとか、担当がどうとか。
お前、そういうとこだぞ。だから森も辞めるんだ。お前の下にいたくないんだよ、みんな」
違う。そうじゃない。
言葉が喉まで出かかって、いつものように、引っ込んだ。
——もしかしたら、田所さんの言う通りなのかもしれない。
俺の何かが、みんなを追い詰めているのかもしれない。
「……すみません。行ってきます」
俺は鞄を掴んで、フロアを出た。
背中に、沢渡さんの「やれやれ」という声が刺さった。
客先の対応が終わったのは、夜の十時を回っていた。
原因は単純な設定ミスで、田所さんが事前に手順を守っていれば、起きなかったトラブルだった。
それでも俺は、客先に頭を下げ続けた。
自分が間違えたわけでもないことに対して、何度も。
帰り道。
最終バスは、とうに行ってしまっている。
俺は、いつものように自転車にまたがった。
頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。
含み損の赤い数字。
田所さんの裏返った声。「お前の下にいたくないんだよ」。
子会社の決算。連結のからくり。あの売上の不自然な伸び。
——もっと、ちゃんと、銘柄を確認すればよかった。
そんなことを、まだ考えている。
こんな時まで。我ながら、救いようがない。
車道の端を、ふらふらと漕ぐ。
街灯がまばらな、古い県道。
すぐ横を、大型トラックが追い越していく。
少し、幅が寄っている。気づいてはいた。
いつもの俺なら、すっと距離を取れた。
でも、その夜の俺は、ほんの一拍、判断が遅れた。
前輪が、車道に落ちていたゴミの塊に乗り上げた。
ハンドルが、ぐらりと跳ねる。
体勢を立て直そうとした俺の自転車は、寄ってきたトラックの巨大な影の中へ——
衝撃は、なかった。
あったのかもしれないが、覚えていない。
気づくと、俺は、何もない場所に浮いていた。
痛みもない。寒くもない。ただ、意識だけが、薄く広がっていく。
ああ、死んだのか。
そう思っても、不思議と慌てなかった。
むしろ、少しだけ、ほっとしている自分がいた。
これでもう、明日の会議に出なくていい。
田所さんのため息を聞かなくていい。
でも。
薄れていく意識の中で、俺はまだ、性懲りもなく考えていた。
——あの含み損、どうなるんだろう。
いや、それより、あの時、テクノエルピスじゃなくて、別の銘柄を選んでいれば。
あっちなら、今頃……。
我ながら、本当に、どうしようもない。
その時だった。
どこからともなく、声がした。
人の声ではない。
もっと大きくて、もっと静かで、世界そのものが囁いているような、奇妙な響き。
『——余命を残しての不慮の死亡を確認。余剰エネルギーの暴走が懸念されます』
……は?
『退避先として、エネルギー枯渇世界への転送を行います』
てんそう。転送。
……転職、かあ。
それも、悪くないな。
なんて、ぼんやり思った俺の意識を、その声は——容赦なく、すくい上げていった。
これからは異世界編になります。
次回もよろしくお願いいたします。




