第57話 自分たちで持つ
俺たちは、シルクの一族の集落へ向かった。
最近、若い獣人たちは斥候仕事で、少しずつ報酬を得ている。
ただ、その報酬はすぐ消えていた。
ずっと腹が減っていた。子どもに食べさせたい。傷んだ服を直したい。古い借りを返したい。
……理由は、どれも自然だった。
……責める気には、なれない。
腹が減っている人間に「未来のために残せ」と言うのは簡単だ。
でも、腹が鳴っている時の未来なんて、たぶん、明日の朝より遠くには見えない。
……前世の俺も、給料が入った日は、財布が軽くなるのが早かった。
あれは、金が無かったからじゃない。ずっと足りていない感じが続いていて、入った瞬間に、その穴を埋めにいっていたからだ。
足りていない人間は、残せない。
残せないから、ずっと足りない。
——この輪の中にいる限り、意志の話をしても、どうにもならない。
「少し、残せないか」
俺がそう提案すると、集落の者たちは警戒した。
「残すって……誰に預ける?」
「聖導院の札みたいに、名前を書くのか?」
「商人ギルドの箱に入れるのか?」
……商人ギルドの箱。
いつだったか、広場で、そこに全財産を突っ込んだと自慢していた男がいた。
あの時の窓には、はっきり書いてあった。拘束、十年。手元に残らず。
安心を買ったつもりで、動かせる自由を手放していた。
……気づいたことがある。
三つとも、預ける先の話だった。
俺か、聖導院か、商人ギルドか。誰の手に渡すかの三択で、この人たちは考えている。
自分で持つ、という選び方が、そもそも選択肢に入っていない。
……無理もない。持ったことがないんだから。
「預けない」俺ははっきり言った。
「俺にも、聖導院にも、商人ギルドにも預けない。まずは——自分たちで持つ」
*
先だっての夜、俺は「財布を分ける」とだけ言った。
あの時は、言葉だけだった。今日は、物を持ってきた。
俺は小さな財布を、四つ用意した。
「一つ目は、今日の飯の財布。これは使っていい。むしろ削りすぎるな。今日食べる分を削りすぎると、明日働けない」
「二つ目は……転んだ時の財布。急に怪我をした時、道具が壊れた時のための蓄え」
「三つ目は、次の仕事のための財布。靴を直す、紐を買う、雨具を買う——そういう時のためだ」
「四つ目は……まだ、まかない財布。今日はまだ、まく日じゃない。畑も、道具も、守る人も、まだ整ってない。だから、まく日のための銅貨を一枚だけ残しておく」
「……四つも、要るのか」
年かさの一人が、正直な顔で言った。
「稼ぎが、四つに分かれるほど無い」
「分かれるほど無いから、分ける」
俺は答えた。
「多い人は、まとめて置いておいても、なんとかなる。少ない人ほど、どこへ消えたかが、わからなくなる」
その人は、少し黙って、それから、ゆっくり頷いた。
*
「師匠。これ、トウシってやつじゃなくて、ただの財布分けじゃないっすか」
トトが拍子抜けした声を出す。
「そうだ。まだ、トウシじゃない。畑にまく前の、種分けだ」
「地味っすね」
「派手なことをする前に、地味なことができないと、だいたい失敗する」
……本当に、そのとおりなのだ。
攻めの札を持っていても、出せない場所があった。守りの札を持っていても、削られる場所があった。
どの札を切るかより先に、切れる状態でいられるかどうかが、いつも効いていた。
この四つの財布は、その"状態"のほうを作る話だ。
あの爺さんの言い方を借りるなら——十の力で一度だけ押す前に、一の力を十度、置いておく。
置いておいた十度分が、いざという時に、押せるかどうかを決める。
「俺は、派手な方が好きだけどな!」ホムラが混ぜっ返す。
「知ってる。だから、お前をいつも待たせてる」
「……ちぇっ」
軽い笑いが起きて、集落の空気が、少しだけ緩んだ。
……この緩み方が、大事なんだと思う。
残す、という話は、たいてい説教くさくなる。説教で残せるようになった人間を、俺は前世で一人も見たことがない。
笑って、真似できる形にして、明日また同じことをやってもらう。
……たぶん、それしか、ない。
(第58話へ続く)
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【用語辞書】第57話に出てきた「投資」の話
● 預け先を決める前に、自分で持つ
どこかに預ければ、たしかに管理は楽になります。ですが、預けた先の条件に従うことにもなります。まず手元で持ってみて、自分がどれだけ残せるのかを知る。預け先を選ぶのは、そのあとの話です。
● 拘束されるお金と、動かせるお金
長く引き出せない預け先は、そのぶん高い見返りを示してきます。ですが、途中で必要になったときに動かせないなら、それは条件が良いのではなく、自由と引き換えにしているということです。
● 地味な準備が、選べる状態を作る
良い手を持っていても、体調や生活が崩れていれば打てません。何を選ぶかより先に、選べる状態でいられるかどうかが効きます。地味な段取りは、成果ではなく、成果を出せる条件のほうを整えています。
● 少ないほど、分けたほうがいい
余裕のある人は、まとめて置いておいても、なんとかなります。少ない人ほど、どこへ消えたのかが分からなくなり、気づいた時には残っていません。金額が小さいから分ける意味がない、ではなく、小さいからこそ、分けて見えるようにしておく価値があります。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の商品・制度の利用を勧めるものではありません。




