第54話 帳面の中の足
その日の午後。配給所の近くを通りかかった時、俺は一人の男に声をかけられた。
整った身なりの若い男だった。白い衣を寸分の乱れもなく纏っている。
手には革張りの帳面。歩き方までどこか几帳面だった。
「ガク殿でしたね」
「管理官のアルベスと申します。先日の救助については——感謝しております。あなた方がいなければ、被害は広がっていたでしょう」
まず認める。丁寧な物腰だった。悪意は薄い。むしろ礼儀正しすぎるくらいだ。
「ですが」アルベスは続けた。
「救済は、個人の善意だけで、続くものではありません。記録し、分類し、継続的に配分する必要があります」
「でも、助かったんすよ!」トトが割って入る。
「一時的には。ですが——一時の救助と継続した救済は違うのです」
……そこも、一理、ある。
一発で終わらせる力と、細く長く続ける力は、別のものだ。それは、昨日、あの支洞で嫌というほど教わったばかりだった。
だから、この人の言っていることは、わかる。
……ただ。
あの支洞で、続ける力を出していたのは、名簿でも手続きでもなかった。
ぽたり、ぽたりと、一人の爺さんが、黙って落としていた雫だ。
続けるために、必ず帳面が要る、というわけじゃない。
「貧しい者に過度な期待を抱かせるのは酷です」アルベスは静かに続けた。
「自力で立てる者ばかりではありません。彼らには——安定した保護が必要です」
自力で立てる者ばかりではない。それは事実だ。
けれど——だから管理する。だから期待させない。
そこへ、話が繋がっていくのは、何か違う気がした。
俺は、すぐには強く言い返さなかった。ただ心の中に静かに一本の線が引かれた。
*
俺は、なんとなく、アルベスに鑑定を向けた。
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▼ 鑑定結果
名称:アルベス / 聖導院・管理官
─── 銘柄カルテ ───
信用 ……… 高い
実務能力 …… 高い
還元意識 …… 中
管理志向 …… 極めて高い
柔軟性 ……… 低い ⚠
気になる兆し … 数字の奥を見ない ⚠
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見立て:悪意は薄い。
だが、人を救う帳面で、
人の足を測っている。
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……欄が、まるごと入れ替わっている。
これまで、人に向けた窓は、必ず同じ並びで始まっていた。割安・割高。体力。還元。伸びしろ。
あの白い階段の上の人も、あの爺さんも、そうだった。
この男には、それが、ひとつも無い。
代わりに並んでいるのは、信用。実務能力。管理志向。柔軟性。
……役所の、人事の紙みたいだ。
いちばん上の欄が消えていることに、俺は、しばらく引っかかっていた。
割安・割高。
あの欄は、いつも、こう書かれていた。誰も欲しがらず、安い。見向きされず、安い。遊んでいると笑われる。見捨てられ、安い。
俺が拾ってきた札も、あの爺さんも、みんな、その一行から始まっていた。
この男には、その入口が、無い。
安いも、高いも、書かれていない。
……そうか。
安く見られたことのない人間は、そもそも、別の帳面で測られるんだ。
*
還元意識、中。
……この欄も、見た。
あの雫と、あの爺さん。どちらも、極めて手厚い、だった。
白い伽藍そのものは、多い、だった。
この男は、中。
同じ言葉の並びの中で、少しずつ、温度が下がっていく。
配る量でも、配る手つきでもなく——配ろうという気持ちの目盛りが、ここまで落ちてきた。
管理志向、極めて高い。
……この欄は、他の誰にも無かった。この男を、この男たらしめている、たった一行だ。
そして、⚠がふたつ。
柔軟性、低い。数字の奥を見ない。
あの白い伽藍そのものを鑑定した時、⚠はふたつだった。組織まるごとで、ふたつ。
この男、一人で、同じ数がついている。
*
いちばん下の、見立て。
悪意は薄い。
……窓が、悪意という言葉を、初めて使った。
しかも、無い、と言っている。
俺の鑑定は、これまで一度も、誰かを悪人だと告げたことがない。塗り固めがある、とは書く。読めない、とも書く。
けれど、悪いやつだ、とは、書かない。
だから、たぶん、そういう欄じゃないんだろう。
——悪意は薄い。だが、人を救う帳面で、人の足を測っている。
……悪人じゃない。ただ、こいつは人を帳面の中でしか見ていない。
(第55話へ続く)
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【用語辞書】第54話に出てきた「投資」の話
● 測る物差しが、相手によって変わる
同じ人を評価するのでも、その人が何をしている人かによって、見る項目は変わります。会社を選ぶときと、個人にお金を貸すときでは、確かめるべき点がまったく違う。物差しがひとつしかないと、測れない相手が出てきます。逆に、渡された評価表を見るときは、「何が項目に入っていて、何が入っていないか」まで見るのが正しい読み方です。
● 項目に無いことのほうが、重い
この回の評価には、他の人にはあった「安いか高いか」という欄がありません。項目が無いということは、その観点で見られていない、ということです。決算書でも報告書でも、書かれていない項目こそが、その組織が何を気にしていないかを教えてくれます。
● 数字の奥を見ない
数字は便利です。並べれば比べられるし、記録に残ります。ですが、数字は現実の一部を切り取ったものにすぎません。数字だけで判断していると、切り落とされたほうに何が起きているかが、見えなくなります。管理が得意な人ほど、この落とし穴に近い場所にいます。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の団体・制度を批判する意図はありません。




