第53話 白い封書
支洞の救助から、一夜。宿の空気は、いつもより、少し明るかった。
「いやー、昨日の俺、けっこう役に立ってましたよね、師匠!」
トトが、朝から、得意げに、胸を張る。
「調子に乗んな。最後に焼いたのは、俺だろ」
ホムラが、横から、茶々を入れる。
『……みなで、やった』
ダイチが、ぼそりと、間に入った。
「あの一滴、ほんとに小さいのに……なんか、効くんすよね」
トトは、シズクのことを、しみじみと、口にした。この間までは、あんなに、軽く見ていたくせに。
「……わたしたちも」
シルクが、こくり、と頷く。
「……あさ、いつもより、げんき」
……小さいものは、続くと効く。
あの支洞で見た、三枚目の窓を思い出す。差し引き、わずかに、改善。
あの一行が、翌朝の食卓に、ちゃんと出ていた。
それを、俺自身も、ようやく、肌でわかりはじめていた。
……ただ。
あの一滴を落としていたのは、あの爺さんだ。
窓が最後に灯した一行が、まだ喉の奥に引っかかっている。配る者が枯れれば、雫もまた、止まる。
今朝の食卓が明るいのは、誰かが、その分を、静かに減らしているからかもしれない。
……せめて、それを忘れないでいよう、と思った。
*
朝食の途中、宿の女将が白い封書を運んできた。
上質な紙。清潔な白。ほのかに香が焚きしめてある。
シルクがその匂いを、ひくり、と嗅いだ。
「……いい、におい。……でも、した。……すこし、にがい」
……三度目だ。
一度目は、甘い匂いの底で。二度目は、あの配給所で。
そして今度は、俺の朝食の卓の上で、同じ言葉が出た。
封蝋には聖導院の印。俺の胸の奥に嫌な予感が走った。
「聖導院? 昨日の救助の、お礼っすかね?」
トトが能天気に封を開ける。
中の文面は丁寧だった。
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ガク殿ならびに、同行の皆様へ。
先日の支洞における救助活動について、
貴殿らの善意と尽力に聖導院として敬意を表します。
——一方で、怪我人、困窮者、救済対象者への施療・配給・保護は、
町全体の秩序と公平性を保つため、
聖導院の管理手順に基づいて行われる必要があります。
今後、救済対象者への直接的な施療、配給、保護活動については、
事前に聖導院へ届出のうえ、正規の救済手続きに沿って実施されますよう、
お願い申し上げます
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「……助けたのに、なんで注意されるんすか!」
トトが声を荒げる。
「(文面上は、感謝と協力要請です)」
オルカの思念が、静かに告げた。
「(ですが、実質は——活動の制限です)」
……会社の"お願い"って、だいたい命令なんだよな。
俺は、内心、苦笑した。前世で嫌というほど味わった手触りだ。
鑑定を向けようか、と一瞬思って——やめた。
あの施し札には、窓が出た。あれは、契約だったからだ。
これは、ただの紙だ。測るまでもない。書いてあるとおりのことが、書いてある。
……ただし、書いていないことのほうが、多い。
*
「来たか」
ロウエンが封書を一瞥して言った。
「思ったより早かったのう」
「じいさん、慣れてるんすか」
「昔は、わしも似たような文を書いておったからの」
……水路係が。
流れを見て、詰まりを取り、干上がったところへ回す。その仕事の中には、こういう文を書くことも、入っていたわけだ。
ロウエンはその文面を頭から否定はしなかった。
石組みの水路を、コンコン、と杖の先で叩きながら続ける。
「この文そのものは間違っておらん。救いに秩序は要る。誰にどれだけ届いたか。記録も要る。でなければ、本当に弱った者が取りこぼされる」
トトは、まだ納得できない、という顔だった。
俺も、少し黙った。
……聖導院の言い分には、一理、ある。
この言葉を、俺は、ここのところ、何度も使っている。
あの配給所でも、そう思った。頭から否定できる相手なら、どれだけ楽か。
それがわかるだけに、素直に腹を立てることもできなかった。
あの施し札で、助かった人々のことを思い出す。
もし聖導院がなければ。昨日の怪我人も、別の誰かも、今日の飯に困っていた。
聖導院は必要だ。安全網は要る。それを否定したら、ただの綺麗事になる。
でも——今日の粥をもらうために、明日も、明後日も、その列に並ぶしかない。
そこから抜ける道がない。
それはやっぱりおかしい。
この矛盾するふたつの気持ちをどう畳んでいいのか。
俺は、まだ、答えを持っていなかった。
(第54話へ続く)
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【用語辞書】第53話に出てきた「投資」の話
● 丁寧な言葉と、実質
文面は感謝と協力のお願いでも、実際に起きることは活動の制限でした。契約や通知は、書かれている言葉の調子ではなく、それに従うと自分の行動がどう変わるかで読みます。「お願い」の形をした条件は、断ったときに何が起きるかを見れば、正体が分かります。
● 秩序と記録は、本当に必要
この回で老人は、通知の中身そのものは否定しませんでした。誰に何がどれだけ届いたかを記録しなければ、本当に困っている人が取りこぼされる。管理はそれ自体が悪ではありません。批判すべき点があるとしたら、管理していることではなく、管理の目的がすり替わったときです。
● 一理ある相手と、どう向き合うか
完全に間違っている相手なら、否定すれば済みます。難しいのは、部分的に正しい相手です。この場合、丸ごと否定するのでも、丸ごと受け入れるのでもなく、「どこまで賛成で、どこから反対か」の線を自分で引くしかありません。投資でも、もっともらしい話ほど、この線引きが要ります。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の団体・制度を批判する意図はありません。




