第47話 水路係
翌朝、俺は、シルクに頼んだ。
「シルク。昨日のじいさんの匂い、追えるか」
シルクは、少し、迷うような顔をした。
「……おえる。……でも、ガク。あのひと……たぶん。……おわれるの、なれてる」
追われるのに、慣れている。
——その一言だけで、十分だった。
あの、ただの好々爺には見えない気配は、俺の気のせいじゃ、なかったらしい。
……追われるのに慣れるには、追われた回数が、要る。
昨日、あの背中に向けた窓の、いちばん下の行を思い出す。
聖導院との、深い因縁。⚠。
あれは、過去の話として灯っていたんじゃない。たぶん、今も続いている話として、灯っていた。
「ありがたいじいさんなんだから、普通に会いに行けばいいんじゃないっすか?」
トトが、あっけらかんと言う。
「(ガク様)」オルカの思念が、静かに割り込んだ。
「(昨夜の鑑定では、気になる兆しが、点灯していました。……あの方に近づくことには、それだけの意味があります)」
*
シルクの鼻が、俺たちを、町はずれの、古い水路の跡へと導いた。
石組みの水路は、ほとんど、涸れかけていた。
その、ひび割れた石の隙間を、あの爺さんが、しゃがみこんで、丁寧に詰め直している。
「じいさん、何してるんすか?」
「水はのう」、手を止めずに、答えた。
「流れ道を、放っておくと、すぐ詰まる。詰まれば、下流が、干上がる。人も、マナも、同じじゃ」
……詰まれば、下流が干上がる。
その言い方に、俺は、ひとつ、思い当たるものがあった。
あの廃坑で、足場を崩してくる魔物と当たった時のことだ。あの窓には「商い」が、ほとんど絞れていた。売り買いが細って、誰も動けなくなる。
あの時は、俺の手駒が、ほとんど全部、✕になった。強い弱いの話じゃない。流れが止まると、強い札から順に、身動きが取れなくなる。
水が減って困るのは、いちばん下流にいる者だ。
……そういえば、この爺さんの精霊も、流し続けるほうの水だった。
こつ、こつ、と、石を置く音が、静かに響いた。
「……わしは、ロウエン。昔は、聖導院で、水路係を、しておった」
名を、聞いた。
昨日の窓が、???で埋めていた欄が、ようやく、ひとつだけ埋まった。
「水路係? 召喚士じゃ、ないんすか」
「ふぉっふぉ。救いも、水路も、似たようなものじゃ。流れを見て、詰まりを取り、干上がったところへ、少しずつ、回す」
*
石を、ひとつ、また、ひとつと組み直しながら、ロウエンは、ぽつり、ぽつりと、語りはじめた。
「昔の聖導院はのう。本当に、人を救う場所じゃった」
この世界は、放っておいても、マナがすべての人を、薄く満たす。
休めば、少しずつ、誰でも回復する。それが、この世界の、当たり前の巡りだ。
——けれど、その自然な巡りだけじゃ、足りない者が、いる。
病人。怪我人。子ども。年寄り。貧しい者。
「だから、余裕のある者から、少しずつ預かって、足りぬ者へ、回しておった。……昔の聖導院は、でかい器ではなかったよ。小さな桶を、みんなで回す場所じゃった」
その言葉に、俺は、うなずいた。
それは、ただの、善意だ。悪いところなんて、どこにもない。
……いや。
善意だけの話じゃ、ないかもしれない。
余裕のある者から、少しずつ。足りない者へ、少しずつ。
——それ、うちのオルカと、同じ形だ。
広く、薄く。誰か一人に賭けず、全員から少しずつ集めて、全員に少しずつ回す。どこか一箇所が沈んでも、全体は倒れない。
地味で、退屈で、誰の手柄にもならない。そのかわり、いちばん、切れにくい。
昔の聖導院は、そういう形をしていたらしい。
だとすると。
この爺さんが「水路係」だったというのは、比喩でも、謙遜でもない。
流れを見て、詰まりを取り、干上がったところへ回す。——それは、この形を回している者の、いちばん大事な仕事だ。
誰が救われたかを数える仕事じゃない。水が、ちゃんと端まで届いているかを、見にいく仕事だ。
「じゃが」
ロウエンの手が、ふと、止まった。
「新しい院主が、来てから。変わった」
「もっと、多くを、救うためには、もっと、大きな器が、要る。——そう、言われてな」
(第48話へ続く)
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【用語辞書】第47話に出てきた「投資」の話
● 小さな桶を、みんなで回す
余裕のある人から少しずつ預かり、足りない人へ少しずつ回す。この形は、保険や共済の考え方そのものです。誰か一人が全額を背負うのではなく、全員が少しずつ負担することで、誰か一人に起きた不運を全体で薄める。派手ではありませんが、切れにくい仕組みです。
● 流れが詰まると、下流が干上がる
お金は、貯め込むだけでは働きません。使われ、貸され、投じられて、はじめて誰かの仕事や収入になります。どこかで流れが止まると、その先にいる人たちのところへ、何も届かなくなる。水路の比喩は、そのまま、お金の循環の話として読めます。
● 「もっと大きな器が要る」は、正しいのか
規模を大きくすると、一人あたりの費用は下がり、届く範囲は広がります。これ自体は間違いではありません。ただし、大きくなった仕組みには、それを維持するための費用と手続きが必ず生まれます。規模を追うときは、増える利点と、増える維持費の両方を数えないと、判断を誤ります。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の団体・制度を批判する意図はありません。




