第46話 古い水路
その時。集落の入り口に、白い衣の男が、一人、姿を現した。
聖導院の使いだった。
柔和な、けれど、どこか、冷たい笑みを浮かべて、老人に、近づいてくる。
「……また、勝手な施しを、なさっているのですか」
「勝手では、ないぞ」老人は、にこにこと、答えた。
「わしの手元に残った分を、わしの足で、運んでおるだけじゃ」
「今は、すべての救済を、聖導院が一元管理する方針です。個人の施しは——混乱を、招きます」
その一言に、俺の背筋が、ひやりとした。
救う、という言葉の裏で、こいつらが本当に望んでいるのは——救いそのものを、独り占めすることなのか。
誰が、誰を助けるかまで、全部、こいつらが決めたいのか。
……いや。
断言は、できない。混乱を防ぎたいだけかもしれない。人手も物も限られているなら、まとめて配るほうが、たしかに、無駄は少ない。
それでも。
この爺さんの荷車が、誰の邪魔をしているのか、俺には、どうしても、わからなかった。
「じいさん、聖導院の人と、知り合いなんすか?」トトが、驚いた顔で聞く。
「元、ですよ」使いが、代わりに、答えた。
「今はもう、院の方針に従えなかった、古い人です」
「古いのは、否定せんよ」老人は、笑ったまま、言った。
「だがのう。古い水路にも——まだ、流れる水は、あるのじゃ」
使いは、それ以上は何も言わず、一礼して、踵を返した。
去り際、その目が、一瞬だけ、老人へ、鋭く尖ったのを、俺は、見逃さなかった。
*
使いが去った、その直後だった。
集落の子どもが一人、急に、ぐらりと倒れた。空腹と、マナ不足だ。
「師匠! オルカで、一気に治せないんすか!」トトが、慌てて叫ぶ。
「(可能です)」オルカの思念は、淡々としていた。
「(ただし、消費が大きい。今の症状には——過剰です)」
……過剰。
その言葉に、覚えがあった。
まだ何もわかっていなかった頃、俺は、たかが鼠の群れに、いちばん高い札を切ったことがある。倒せはした。そして、丸ごと赤字になった。
効くことと、見合うことは、別なんだと、あの時、初めて知った。
老人が、すでに、動いていた。
シズクを呼び、その子の上に、静かに、掲げる。ぽたり、ぽたりと、雫が落ちる。
すぐには、治らない。
けれど、荒かった呼吸が、少しずつ、落ち着いていく。青白かった顔に、わずかに、色が戻る。やがて、子どもは、安らかに、眠りに落ちた。
「一度に、満たせば」老人が、静かに言った。
「弱った器は、割れる。少しずつでよい。明日まで、もてばよい。明日も落とせば——また、一日もつ」
……そうか。
これは、勝つための力じゃない。続けるための、力なんだ。
ナギは、溜めたものを、一度に、叩きつけた。あれで正解だった。
この雫は、それを、絶対にやらない。やったら、受け取る側が、壊れるからだ。
——一度に出すのが正解の相手と、一度に出したら壊れる相手がいる。
*
帰り際。俺は、老人に礼を言った。
「あの子を、助けてくれて。ありがとうございました」
老人は、俺を、じっと見た。値踏みするような、けれど、優しい目だった。
「おぬし、いろんな力を連れておるな。攻める火。踏ん張る土。残る金。待つ水。……だが」
老人の目が、ふっと、細まった。
「潤す雫は——まだ、ないな」
「……見えるんですか?」
思わず、聞いた。俺の鑑定みたいな、特別な力でもあるのかと。
「ふぉっふぉ。年寄りは」老人は、笑って、荷車を、ぎし、と押し出した。
「長く、見とるだけじゃよ」
その一言だけで、十分だった。
この爺さんは、俺と違う。鑑定なんて力はなくとも、長い年月、人と精霊を見つめ続けてきた、その経験そのものが、目になっている。
*
「また来てね、じいちゃん」
集落の子どもたちが、遠ざかる荷車に、手を振った。
「ふぉっふぉ。次までに、よく食い、よく寝ておけ。元気でおるのも、立派な、仕事じゃぞ」
老人は、そう言い残して、きしむ荷車の音とともに、夕暮れの道の向こうへ、消えていった。
「……ほんとに、ありがたいじいさんっすね」
トトが、ぼそりと、呟いた。
俺は、頷いた。
けれど——去っていく、その小さな背中を見つめながら、鑑定の窓が、もう一度だけ、静かに、揺れた。
====================
▼ 鑑定結果
名称:??? / 元・聖導院召喚士
─── 銘柄カルテ ───
割安・割高 …… 見捨てられ、安い
体力(財務)…… 老いてなお厚い
還元(尽くす度)… 極めて手厚い
伸びしろ ……… 小さい
気になる兆し …… 聖導院との深い因縁 ⚠
────────────────
見立て:施しでは、ない。
明日へつなぐ、古い水路。
====================
……見捨てられ、安い。
誰も欲しがらず、安い。見向きされず、安い。遊んでいると笑われる。
俺が拾ってきた札は、みんな、この欄から始まっていた。
今、目の前で、同じ入口が、人に向かって開いている。
そして、その下。
還元、極めて手厚い。伸びしろ、小さい。
……さっき、あの雫の窓で、一字一句、同じ行を読んだばかりだった。
持ち主と精霊が、同じ欄に、同じ値で並んでいる。
——似た者どうしが、組んでいるんじゃない。たぶん、逆だ。この爺さんが、そういう生き方をしてきたから、そういう精霊が、隣に残ったのだ。
いちばん下の、⚠。
聖導院との、深い因縁。
ありがたいじいさん。みんなは、そう呼んでいた。
けれど、俺には、その背中が、ただの善人には、見えなかった。
古い水路は、まだ、流れている。
そして、その水路の先は——白い伽藍の奥へ、細く、暗く、繋がっている気がした。
(第47話へ続く)
【用語辞書】第46話に出てきた「投資」の話
● 一度に満たせば、器が割れる=継続性
インカムの価値は、続くことにあります。一度に大きく戻すより、毎回少しずつ長く戻し続けるほうが、受け取る側の負担も少なく、安定して支えになります。老人の「一度に満たせば、弱った器は割れる」は、まさにこの性質を語っています。
● 効くことと、見合うこと
効果のある手が、いつも正しい手とは限りません。小さな問題に大きな費用をかければ、直っても収支は赤字です。逆に、大きな問題を安い手で済ませようとすると、取り返しがつかなくなる。かける手間と費用が、問題の大きさに見合っているか——これを外すと、勝っているのに減っていく、という状態になります。
● 一元管理と、依存
配る仕組みを一か所にまとめると、無駄は減ります。同時に、受け取る側の選択肢も減ります。窓口が一つしかないとき、その窓口の条件は、断りにくいものになります。効率と依存は、しばしば同じ方向に進みます。
● 手厚すぎる還元は、続かないことがある
この回で、人物の評価に「還元、極めて手厚い/伸びしろ、小さい」という並びが出ました。配る力が強く、自分が大きくなる余地は小さい。配当でいえば、利益のほとんどを配ってしまっている状態にあたります。今は立派に見えても、支える側の体力が減れば、いつか配れなくなる。手厚さそのものが、注意すべき兆しになることがあります。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の銘柄・商品の売買を勧めるものではありません。




