第45話 ぽたり、ぽたりと
やがて、老人が、隅で、ぐったりと座り込んでいた、幼い獣人の子に、目を留めた。
空腹と、マナ不足で、すっかり弱っている様子だった。
「……よし、よし」
老人が、その子に、杖を、そっと向ける。
「シズク」
杖の先に、小さな光が、灯った。
派手な輝きじゃない。大きな翼も、まばゆい奇跡も、何もない。
ただ、そこに——水滴のような、淡い、小さな精霊が、ぽたり、と、現れた。
輪郭が、はっきりしている。
どんな形にもなれそうだった、あの泉の水面とは、まるで違う。こいつは、最初から最後まで、雫の形をしている。
精霊は、ゆっくりと、その子の頭上で、ぽたり、ぽたりと、淡いマナの雫を、落としていった。
子どもの顔色が、ほんの少し、良くなる。
……けれど、完全に、回復したわけじゃない。
「え、それだけっすか?」
トトが、拍子抜けした声を出す。
こつん。また、杖が飛んだ。
「それだけ、が、大事な時も、あるんじゃよ」
*
俺は、その、小さな水の精霊に、鑑定を向けた。
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▼ 鑑定結果
名称:(縁なき雫) / 尽くしの型
─── 持ち高 ───
属性 ………… インカム
火力 ………… なし
防御 ………… 低
コスト ……… 低
─── 銘柄カルテ ───
割安・割高 …… 地味で、見向きされず
体力(財務)…… 厚い
還元(尽くす度)… 極めて手厚い
伸びしろ ……… 小さい
気になる兆し …… 一度には、間に合わない
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見立て:一度に救う力は、ない。
だが、長く寄り添うほど、
渇いた者を、生き延びさせる。
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……縁なき、か。
あの泉で見たのと、同じ書き方だ。まだ俺のものじゃない札には、こういう名前がつく。
あの時は、名前が無かったから、俺が贈った。
こいつには、もう、ある。呼ぶ人が、ちゃんといる。
……派手さは、ひとつもない。
攻めるでも、守るでも、崩れぬ砦になるでも、底で買い向かうでも、ない。ただ、ぽたり、ぽたりと、少しずつ、還す。それだけの、精霊。
この間、宿でカルテを並べた夜のことを、思い出した。
あの時、俺は「還元」の欄を、順番に見ていった。ダイチは、手厚い。ホムラは、なし。コガネも、なし。ナギに至っては、欄そのものが立たない。
この雫は、そのどれよりも上だ。
極めて手厚い。——四体を並べて、いちばん上に来る値が、ここにあった。
しかも、コストが、低い。
うちで、いちばん安いのはダイチだが、こいつは、そのすぐ次だ。
……なるほど、と思った。
安いから、毎日、出せる。毎日出せるから、毎日、配れる。手厚さの正体は、気前の良さじゃない。安さだ。
ホムラのカルテを、頭の中に並べてみる。十欄。赤が五つ。
この雫は、赤がひとつしかない。火力なし、の一行だけだ。
……いちばん安全で、いちばん何もできない札。それが、こいつだった。
そして、いちばん下の欄。
一度には、間に合わない。
……ここが、いい。
「なし」じゃない。できないことが、はっきり書いてある。
俺の窓は、いつも正直だ。火力なしと書かれた札は、どこまでいっても火力なしのままだった。この雫も、同じだろう。急ぎの場面では、たぶん、間に合わない。
できないことを隠さない札は、信用できる。
——できないことを書いていない相手のほうが、よっぽど、こわい。
*
「(……ガク様)」
オルカの思念が、そっと触れた。
「(この間、私が申し上げた、"手薄な役目"。——あれに、近いものかもしれません)」
日々、こつこつと、稼ぎ続ける役目。……ああ、たしかに。
ふと、気づいたことがある。
この雫は、攻める構えも、守る構えも、取らない。ナギと、同じだ。
うちの手駒で、戦う構えを持たないやつは、ナギひとりだった。二体目が、目の前にいる。
しかも——同じ水なのに、時間の使い方が、正反対だった。
ナギは、溜める。何もせずに、じっと溜めて、底の一瞬に、全部を解き放つ。
こいつは、溜めない。待たずに、絶えず、少しずつ、流し続ける。
同じ「地味な水」が、まるきり逆向きに、地味だった。
でも、俺は、それ以上、深く考えるのを、やめた。
この爺さんと、この精霊は、まだ、俺の手駒として、見るべきものじゃない。
まずは——一人の召喚士の、生き方として。
*
「でも、じいさん」
トトが、なおも、首をひねる。
「これ、戦いじゃ、役に立たなくないっすか? 敵、倒せないし」
「ふぉっふぉ」老人は、目を細めて、笑った。
「若いのは、すぐ、勝ち負けで、測りたがる」
こつん。三度目の、杖。
「戦いに、勝っても。明日、動けねば、負けじゃ。倒れず、続ける。続けられる者が、最後に、いちばん、遠くへ行く」
トトの、意気込んだ顔が、ふと、静かになった。
……刺さったな、こいつに。
すぐ飛びつく、すぐ全部を賭けたがる、こいつには。
(第46話へ続く)
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【用語辞書】第45話に出てきた「投資」の話
● 高配当・インカム=一撃ではなく、継続の力
配当とは、会社が稼いだ利益の一部を、支えてくれた人へ、少しずつ還す仕組みです。大きく育てて後で刈り取るのがグロースの考え方だとすれば、インカムは毎回、少しずつ受け取り続ける力。一度に救わず、ぽたりぽたりと支え続ける姿が、まさにこれです。
● 溜めるお金と、流れ続けるお金
同じ「地味な持ち方」でも、方向が正反対のものがあります。使わずに取っておいて、暴落の底で一度に投じる持ち方と、毎回少しずつ受け取り続ける持ち方。どちらも派手ではありませんが、前者は待つことが仕事で、後者は待たないことが仕事です。混同すると、どちらの良さも消えます。
● できないことが書いてある
この回の鑑定は「一度には、間に合わない」と、はっきり弱点を表示しました。金融商品の説明書でいえば、リスクや制限が具体的に書かれている状態です。良いことしか書いていない説明書のほうが、実は危ない。何ができないかを先に確かめるのが、選ぶときの順番です。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の銘柄・商品の売買を勧めるものではありません。




