第43話 凸凹の食卓
その時、部屋の扉が、遠慮がちに、叩かれた。
顔を出したのは、シルクの一族の、若い獣人だった。
この頃、彼らは、シルクの口利きで、あちこちの隊の"斥候"として、少しずつ、雇われはじめている。
あれだけ「食うだけの役立たず」と蔑まれていた鼻と耳が、今は、りっぱな稼ぎになっていた。
「……ガクさん。いくつか、耳寄りな話を、持ってきたよ」
彼は、ここ数日、あちこちのダンジョンで拾ってきた、地合いの変わり目や、掘り出し物の噂を、こまごまと教えてくれた。
俺の鑑定が"戦域の天気"を映すなら、彼らの鼻と耳は、その手前の、"町のざわめき"を拾ってくる。
……これは、大きい。ひとつの隊が、たった一人で駆け回って集める情報とは、量が、桁違いだ。
「助かる。……お前たちの一族が、方々に散って、それぞれ拾った話を、こうして持ち寄ってくれたら。——それこそ、どんな腕利きの召喚士にも、真似できない、"目"になる」
若い獣人は、照れくさそうに、はにかんだ。シルクが、誇らしげに、その隣で、ぴょこんと耳を立てる。
見過ごされてきた者たちが、手を取り合う。
ひとりひとりは、小さくても、束になれば、誰も持っていない力になる。
……なんだか、俺の手駒の話と、そっくりだな、と思った。
いや——手駒よりも、オルカに近い。
ひとつひとつは、たいして鋭くない。誰の鼻も、俺の鑑定にはかなわない。それでも、広く、薄く、そこら中に散らばって、全部を束ねると、誰も持っていない一枚になる。
どこか一人が空振っても、他の誰かが拾ってくる。だから、倒れない。
……オルカが、ずっと俺の隣でやっていたのは、これだったのか。
*
「……ただ、ガクさん。ひとつ、気味の悪い話も、あるんだ」
帰り際、若い獣人が、声を落とした。
「うちの一族が、あちこちで、同じことを、嗅ぎつけてる。——聖導院に"救われた"連中が、日に日に、生気を、失っていくんだ。飯も食って、寝てもいるのに、まるで、何かに、少しずつ、吸い取られてるみたいに。……もう、噂じゃ、済まない数だよ」
……また、それか。
シルクの鼻が嗅いだ、甘い匂いの底の腐敗。
「理由は、まだ、誰にもわからない」と首を振った、レイラの、長年の勘。
仲間から聞いた、弱っていく人々の噂。
そして、あの、塗り固められて読めなかった、指導者のカルテ。
——ばらばらだった小さな違和感が、この夜、一本の線に、繋がっていく気がした。
どれも、単体では、何の証拠にもならない。
鼻が利くだけの子ども。腕利きの、勘。噂話。読めなかった窓が、一枚。
……そのどれもが、ばらばらの場所で、ばらばらの人間の口から、同じ方角を指している。
ひとつなら、気のせいで済んだ。四つ揃うと、気のせいでは済まなくなる。
悪いやつが、いる。慈悲の顔をして、大勢の人から、じわじわと、何かを吸い上げている、"何か"が。
まだ、その正体も、からくりも、俺には掴めない。けど、確かに、そこに、ある。
「……教えてくれて、ありがとう。——気をつけて、探ってくれ。ただし、深入りは、するな。危ないと思ったら、すぐ、退け」
「わかった。……あんたは、俺たちを、道具みたいに使わないもんな。だから、みんな、あんたのために、動くんだよ」
*
その夜。みんなが寝静まったあと、俺は、窓辺で、ひとり、月を見ていた。
手駒は、揃ってきた。仲間も、増えた。学んだことも、この身に、しっかり、刻まれた。
——うますぎる話は疑う。悪くない話でも、理解せず全部は預けない。攻めと守りを混ぜて、ひとつに賭けない。焦って動かず、底を待つ。
そして、この間、ひとつ増えた。
——出せば、こっちが負ける札が、ある。持っていても、出さない。
全部、身銭を切って、覚えたことだ。
どれも、覚えた時は、痛かった。
凸凹の、寄せ集めの、俺の家族。地味で、弱くて、見過ごされてきた者ばかり。
……だからこそ、俺は、放っておけない。
慈悲の顔をして、見過ごされた弱い者たちを、食い物にする——もし、聖導院が、本当にそういう連中なら。
それは、俺が、いちばん、許せないことだ。
「……そろそろ、だな」
棚卸しは、済んだ。備えは、整った。
あとは、あの白い伽藍の、塗り固められた笑顔の底に、何が眠っているのか。
——この目で、確かめに行く番だ。
ただ、その前に。
オルカの言っていた、最後の"手薄な役目"。地道に、こつこつと、みんなを潤してくれる、縁の下の尽くし手。
……そういう一体が、もし、加わってくれたら。俺は、もっと、安心して、あの伽藍に、踏み込めるだろう。
なぜだか、そんな相棒とは、案外、近いうちに、出会えそうな気がした。
——今までも、そうだったように。見過ごされて、うずくまっている、どこかの片隅で。
(第44話へ続く)
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【用語辞書】第43話に出てきた「投資」の話
● 広く、薄く、束ねる
ひとつひとつは平凡でも、数を集めて束ねると、どれか一つが外れても全体は倒れません。個別に鋭いものを一点で持つのとは、まったく別の強さです。この回で獣人たちが情報を持ち寄る形は、まさにこれで、主人公が常に連れている相棒の性質とも重なっています。
● 一つの証拠と、四つの証拠
どれも単体では決め手にならない話が、ばらばらの相手の口から同じ方角を指しはじめたら、それは偶然ではないかもしれません。ただし、この段階でも「そう見える」以上のことは言えません。集まった違和感は、調べる理由にはなりますが、結論ではありません。
● 出さない、という判断
持っている手を全部使う必要はありません。局面によっては、切ったこと自体が状況を悪くする手があります。良い手を選ぶことと同じくらい、打ってはいけない手を打たないことが、成績を決めます。
● 買う理由が「許せない」でよいのか
主人公はこの回で、損得ではなく、感情で動く方向を決めています。人が大きな決断をするときは、たいていそうです。ただし投資に置き換えるなら、感情は動機として持ちつつ、判断そのものは数字と条件で行う——この二つを分けておくことが、身を守ります。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の銘柄・商品の売買を勧めるものではありません。




