第34話 順番を、逆にするな
「トト。——預ける前に、いくつか、聞かせてくれ」
俺は、意気込む弟子に、向き直った。
「その金貨は、預けたら、十年間、引き出せない。そうだな?」
「え? ……あ、そう、みたいっす。十年、預けっぱなしで、二割増し」
「じゃあ、聞くぞ。——お前、その十年の間に、大怪我をして、動けなくなったら、どうする」
「え……」
「飯代も、薬代も要る。けど、金貨は、ギルドの中で、眠ったままだ。引き出せない」
「……あ」
「武器が折れて、買い替えなきゃ、次の狩りに行けない。そういう時は?」
「……えっと」
「急に、故郷の家族が、助けを求めてきたら。——今すぐ、金貨が要る、って時が、この先十年、一度もない、って言い切れるか?」
トトの、意気込んだ顔が、みるみる、青ざめていった。
「……考えて、なかったっす。ぜんぜん」
「だろうな」
俺は、苦笑した。責める気は、なかった。前世の俺だって、同じだったから。
「な、トト。俺は、その預けが、悪い話だとは、言ってない。減りはしないし、堅実だ。——けどな。"全部"預けるのは、違う」
「全部は、違う……」
「そうだ。手元に、一枚も残さず、ぜんぶ、十年、動かせない場所に、縛りつける。それは、堅実なんじゃない。ただ、無防備なだけだ。——いつ何が起きても、すぐに動かせる金を、いくらか、手元に残しておく。その上で、当分使う当てのないぶんだけを、預ける。そういう、順番だ」
いつでも動かせる余力を、手元に。
——それは、この間、俺自身が、休みながら学んだことでもあった。手元に弾を残す。全部は、張らない。
「……なるほど。師匠、俺、また、あぶなかったっす。『安心』って言葉に、ふらっと、全部、持ってかれるとこでした」
トトは、頭をかいて、それから、おそるおそる聞いてきた。
「……じゃあ師匠、俺、いくらまでなら、預けていいんすかね」
「そいつは、お前にしか決められん」
俺は言った。
「まず、当分——そうだな、少なくとも一年やそこらは、絶対に手をつけない、と言い切れる金が、いくらあるか数えてみろ。飯代も、宿代も、武器の替えも、万一の薬代も、ぜんぶ別によけたうえで、だ。そうやって最後に残った、"当分ぜったい使わない金"。——それだけが、十年でも縛っていい金だ」
「……ぜんぶ、よけてから、最後に残ったぶんだけ」
「そうだ。順番を、逆にするな。先に全部預けて、残りで暮らそうとするから、いざって時に、詰む」
「気づけたなら、上等だ」
*
……もっとも。
俺は、ちらりと、広場で胸を張る、あの自慢好きの冒険者を見た。
……あいつにも、同じことを、言ってやるべきなんだろうか。「全部はやめとけ」「せめて中身を確かめろ」と。
——いや。無駄だ、と、すぐにわかった。
あいつの目には、もう、"六百枚"の宝箱しか、映っていない。
豊穣の泡の時と、同じだ。熱に浮かされた人間に水を差したところで、妬み野郎と鼻で笑われて終わる。
救えるのは、聞く耳を持つ、目の前の一人だけ。
……それでいい。俺にできるのは、そこまでだ。せめて、その一人には、ちゃんと、届けばいい。
*
俺は、なんとなく、あの自慢好きの冒険者のほうを、もう一度、見た。
そして、"見る"。——俺だけの、窓。
いつもの、敵の天気でも、精霊の中身でもない。ただの、通りすがりの男。
それでも、その窓は、こいつが今、何を"買おうとしているのか"を、静かに、映し出した。
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▼ 鑑定結果
名称:??? / 安心を求める者
─── 判断のカルテ ───
理解度 ……… ★☆☆☆☆
熱量 ………… ★★★★★ ⚠
使えるお金 … 拘束・十年(手元に残らず)⚠
気になる兆し … 中身より"安心"を、買っている
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見立て:契約を、選んでいない。
勧められた"安心"を、買おうとしている。
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……見出しが、違う。
相場環境でも、銘柄カルテでもない。判断のカルテ、と出ている。そんな見出しは、はじめてだ。
しかも、飾りがない。色も、レーダーも、噛み合わせの印もない。ただ、事実だけが、四行、並んでいる。
★の意味も、違った。
敵に向けた時、★は危ない相の数だった。ここでは、五つのうちいくつ、という目盛りだ。理解度が、五つのうち一つ。熱量が、五つ全部。
……同じ印で、別のことを測ってくるのか。
窓は、相手が変われば、測り方まで変える。俺が今まで見てきたのは、この力の、ほんの一部だったらしい。
……ああ。これだ。
こいつは、契約を、選んでいない。中身を、比べても、確かめてもいない。ただ、「安心です」と言われた、その一言を——"安心"という響きそのものを、金貨と引き換えに、買おうとしているだけだ。
思い出す。前世でも、そうだった。会社でも、銀行でも、証券会社でも。「安心ですよ」「みなさん、やってます」——その言葉だけで、判を押した人ほど、契約書を、一行も、読んでいなかった。
そして、いざという時に、初めて気づくのだ。自分が、何に、縛られていたのかを。
(第35話へ続く)
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【用語辞書】第34話に出てきた「投資」の話
● 流動性と、拘束期間
すぐ使えるかどうかを、流動性といいます。十年引き出せない商品は、その間ずっとお金が縛られている状態です。病気、事故、買い替え、家族の緊急。急にお金が要る場面は、必ず来ます。
● 生活防衛資金を、先によける
順番が肝心です。まず、当分絶対に使わないと言い切れる額を計算し、それだけを縛る。先に全部預けて残りで暮らそうとすると、いざという時に身動きが取れなくなります。良い商品でも、順番を逆にすると危険になります。
● 良い商品にも、一部だけ
全財産を、ひとつの場所とひとつの期間に縛りつけるのは、それ自体がひとつに賭けることです。分散は、資産の種類だけでなく、いつまで動かせないかという時間の配分にも効きます。
● 熱に浮かされた人には、届かない
説得できる相手と、できない相手がいます。すでに結果だけを見ている人に水を差しても、妬みと受け取られて終わる。届く範囲は限られていて、それを認めることは諦めとは違います。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の商品・制度を推奨・否定するものではなく、契約の詳細は必ずご自身で確認してください。




