第33話 十年後の宝箱
トトを鍛えはじめて、数日。町では、また別の噂が広まっていた。
今度は、甘い儲け話じゃない。もっと、地に足のついた——「安心」の噂だった。
「聞きましたか師匠! 商人ギルドの、新しい預かりのやつ!」
その日も、トトが目を輝かせて駆け寄ってきた。後ろから、シルクがちょこちょことついてくる。
「金貨を、ギルドの共済に預けとくだけで、十年後に、二割増しで返ってくるんすよ! 五百枚預けたら、六百枚! ダンジョンにも潜らず、何にもしないで、百枚増える! すげえ話でしょ!」
「いいっすか師匠、金貨五百枚が、六百枚っすよ! 六百枚!」
と、その途中。
隣で聞いていたシルクの耳が、ぴく、と立った。
それから、小さな指を、一本ずつ、折りはじめる。
「……肉串、一本、銅貨二枚」
……ん?
「……金貨、一枚で……肉串、五十本」
シルクの目が、だんだん、渦を巻きはじめた。
「……金貨、五百枚で…………きゅぅ〜」
ぱたり。
「し、シルクちゃん!?」
白目をむいて倒れかけたシルクを、俺は慌てて受け止めた。トトの熱弁が、途中で止まる。
……こいつの物差しは、いつだって肉串だ。
まあ、正しい。金貨一枚は、銀貨十枚。銅貨なら、百枚。俺たちの宿が、一泊、銀貨五枚。——金貨五百枚なんて、庶民が拝む額じゃない。目を回すのが、たぶん、いちばんまともな反応なんだ。
*
商人ギルドの共済。——ああ、あれか。俺も、聞いてはいた。
豊穣の泡がはじけて、みんなが博打みたいな儲け話に、こりごりしたころ。入れ替わるように、この話が、町に広まった。
あぶく銭ではなく、堅実に、こつこつ。危ない橋を渡らなくても、ただ預けておくだけで、ちゃんと増える。
——痛い目を見たばかりの人々にとって、"安心"という響きは、何よりの、ごちそうだった。
だから、評判は、すこぶるいい。
*
広場では、例のごとく、自慢好きの冒険者が、胸を張っていた。
「俺なんか、貯め込んでた五百枚、ぜんぶ預けたぜ! 十年後にゃ六百枚だ! 何もしねえで百枚増えるんだ、こんな旨い話、ねえだろ!」
「「すげえ!」」「堅実だなあ!」と、周りが囃し立てる。
「へへ。俺は、細けえことは知らねえけどよ。ギルドの人が『安心です』って言ってたからな。間違いねえ」
……その一言に、俺の胸の奥が、ちくりとした。
*
「なあ師匠! 俺も、預けようかな! 全部!」
トトが、拳を握って、意気込む。
「この間、師匠に教わったばっかっすもんね。うますぎる話は疑え、って。……でも、これは、うますぎる話じゃないっすよね? ちゃんとした、ギルドの、堅実なやつだし。むしろ、賢い選択、っすよね?」
こいつ、ちゃんと、前の教えを覚えてる。
だから、警戒した。……けど、今度の相手は、前とは、質が違う。
俺は、頭の中で、そろばんを弾いた。
五百、預けて、十年で、百、増える。——一年あたりに直せば、二割どころか、そのまた十分の一。年に、二分ほど。決して、大きくはない。けど、マイナスでもない。減りはしない。
……うん。これは、罠じゃない。あの聖導院の、うますぎる無償の施しとは、まったく違う。悪い話じゃ、ないんだ。
「(……ガク様。それは、地球でいう、固定金利の預け入れに近いものです)」
オルカの思念が、静かに補った。
「(利率そのものは、法外でも、詐欺でもありません。堅実で、まっとうな部類です。——ですが、ガク様。問題は、そこではありません)」
「利率じゃ、ない?」
「(ええ。いちばんの問題は——あの者たちが、自分が何を契約したのか、まるで理解していないことです)」
……ああ。
その言葉が、すとん、と、腑に落ちた。
あの、自慢好きの冒険者。「細けえことは知らねえ」「安心だって言われたから」。——中身を、一文字も、確かめちゃいない。
*
ふと見ると、シルクが、その冒険者のほうへ、ふんふん、と鼻を向けていた。
目回りからは、もう回復したらしい。
けれど、その鼻は、いつものように、きゅっとしわを寄せたりは、しなかった。
「……シルク。あいつから、"嫌な臭い"は、するか」
「……ううん」
シルクは、こてん、と首をかしげた。
「くさく、ない。……あぶない、におい。しない。……ふつうの、ひと」
……そうか。
あの聖導院の時とは、違う。ここには、腐った臭いも、仕組まれた罠も、ない。シルクの鼻が、はっきり、そう言っている。
——だからこそ、厄介なんだ。
悪いやつが、誰もいない。誰も、騙しちゃいない。それでも、危うい。
その危うさの正体は、外の誰かじゃなく、"理解しないまま、全部を委ねる"——その人自身の中に、ある。
(第34話へ続く)
====================
【用語辞書】第33話に出てきた「投資」の話
● 二割増しは、年二分
十年で二割。数字だけ見れば大きく響きますが、一年あたりに直せば二分ほどです。長い期間の合計で示された数字は、実際より大きく見えます。増える割合を比べるときは、必ず一年あたりに直してから並べる。これだけで、うますぎるかどうかの見当がつきます。
● 固定金利
あらかじめ決めた利率で、期間中はその率のまま運用される仕組みです。増える額が読めるので安心感がありますが、その安心の代わりに、途中で動かす自由を手放していることが多い。
● 「安心です」は、商品の説明ではない
安心というのは、聞いた人の気持ちの状態であって、契約の中身ではありません。中身の説明を求めた時に、気持ちの話が返ってくるなら、まだ何も説明されていないということです。
● 悪人がいなくても、危ういことはある
詐欺でも罠でもない、まっとうな商品でも、理解しないまま全部を委ねれば危うくなります。危険の在り処が売り手の側にあるとは限りません。相手を疑う話ではなく、自分が分かっているかどうかの話です。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の商品・制度を推奨・否定するものではなく、契約の詳細は必ずご自身で確認してください。




