第31話 同じ轍
「師匠! 弟子にしてください!」
朝、宿を出たとたん、俺は、若い男に、行く手をふさがれた。
赤茶けた髪。薄汚れてはいるが、この前より、ずいぶん血色がいい。あの日、俺の部屋で水を飲んで、貨幣の袋を突き返して帰っていった、被害者代表。
「……トト」
「はい!」
「飯が足りなくなったら来い、って言ったよな」
「言われました」トトは、けろりと頷いた。「……足りてます。日雇いで、荷運びやって。少ないっすけど、自分で食えてます」
「じゃあ、なんで来た」
「借りに来たんじゃないっす」
トトは、勢いよく頭を下げた。
「あんたみたいに、賢く立ち回れるようになりたいんです。あの日、みんなが浮かれて宝を拾ってる中で、あんただけが『逃げろ』って叫んでた。……最初は、頭のおかしい妬み野郎かと思いましたよ。でも、あんたの言う通りになった。あんただけが、あの罠を見抜いてた」
「なんでもします! 弟子にしてください、師匠!」
……師匠。まいったな。俺は、そんな、立派なもんじゃない。
「あの時、教えないって言ったのは、お前がまだ腹を立ててたからだ。……今は?」
「まだ腹は立ってます」トトは、正直に言った。「でも、腹立ててる相手が、変わりました。……あの層に、じゃなくて。何も見ないで飛び込んだ、俺に」
……ああ。
「俺は、賢いわけじゃない。ただ、しくじりを、山ほどやらかしてきただけだ。——お前に教えられるとしたら、その、しくじりの避け方くらいだぞ」
「それが、知りたいんです!」
まっすぐな目だった。調子がよくて、ちょっと抜けてて、けど、素直で、憎めない。
……ああ、こいつ。
欲に目がくらんで、甘い話に飛びついて、痛い目を見る。その顔に、なんだか覚えがあった。前世の、若い頃の——俺そのものだ。
……ほうっておけないな。やっぱり。
「……わかった。ついてこい、トト。ただし、飯は自分で稼げよ」
「うっす! ありがとうございます、師匠!」
トトは、ぱっと顔を輝かせて、犬みたいに俺の後ろについてきた。……調子がよくて、押しが強くて、けど裏がない。こういう若いのが、いちばん危なっかしくて、いちばんほうっておけない。
*
浅い層で、俺はさっそく、トトに"教え直し"を始めた。
灰鼠の群れが湧く。トトは、いきなり腰の剣を抜いて突っ込もうとした。
「待て。——焦るな。まず、よく見ろ」
「見る? 師匠、そんなの見なくても、こんな雑魚——」
「いいから」
俺は灰鼠の群れをじっと見据えた。——鑑定。
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▼ 鑑定 灰鼠/群れ:多数
[凪・軟調] 複雑度 ★☆☆☆☆
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荒れ(VIX 11.0) ●緑
商い(出来高 平均の1.8倍) ●緑
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見立て:環境は単純。小さく一手で足りる。
過剰な備えは、費え = コスト
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赤は、ひとつもない。★は、ひとつきり。ごく単純な相手だ。
もちろん、この窓はトトには見えない。
オルカ以外の誰にも、見えない。ダイチにも、ホムラにも、シルクにも、目の前で剣を抜きかけているこいつにも。俺がこうして見据えている先には、こいつらの目には、ただの灰色の鼠しか映っていない。
だから俺は、"見て取った"ことを、俺の言葉に置き換えて、こいつに伝えてやる。
「あの群れは、大人しい。じり貧の、弱気な連中だ。焦って、こっちの全力をぶつける相手じゃない」
「なんで、そんなことまでわかるんすか……!?」
「よく見てるだけだ」
俺は、内心で苦笑した。——鑑定のことは、言わない。うまく説明できるものでもないし、下手に"妙な力"だと知られたら、ろくなことにならない。そういうのは、そっと、しまっておくに限る。理由は自分でもうまく言えないが、昔からそういう勘だけは、働くのだ。
「いいか、トト。仮に、こんな雑魚に、うちで一番強いオルカを全力でぶつけたらどうなると思う?」
「そりゃ、一撃っすよ! 楽勝!」
……一番強い、か。
言ってから、心の中で、そっと言い直した。正確には、違う。オルカは、いちばん尖ってもいなければ、いちばん打たれ強くもない。ただ——いちばん、高い。
「倒せる。けど、その一撃を撃つのに食うマナ——"火薬代"のほうが、拾える結晶より高くつく。差し引き、赤字だ」
トトが、きょとん、とした。
「……えっ。倒したのに、損するんすか?」
「する。強けりゃいいってもんじゃない。相手に見合った、安上がりな戦い方で足りるなら、それがいちばん手元に残る」
俺は、ダイチを呼んだ。地味な土くれが、のっそりと前に踏ん張る。トトが「うわ、地味っすね」と正直な感想を漏らす。
「地味だろ。けど、こいつは安い。この程度の相手なら、こいつに前を任せて、お前は後ろから、こつこつ仕留める。——それで、ちゃんと儲けが残る」
トトは、半信半疑で、ダイチの後ろから、灰鼠を突いた。倒して、結晶を拾う。マナはほとんど減らない。差し引き、プラス。
「……ほんとだ! 減らねえ! すげえ、師匠!」
「派手なやつが、いつも正しいわけじゃない。相手をよく見て、見合った戦い方を選ぶ。——それだけだ」
窓の隅で、地味な土くれの欄に、◎が灯っていた。
……それも、俺にしか見えない。
*
少し奥へ進むと、今度は、灰鼠に混じって、素早い翔け兎が跳ねる一帯に出た。さっきとは群れの気配が違う。
「見てろ、トト。相手が変われば、こっちの戦い方も変える」
窓を見る。跳ねる金色のほうに、ダイチの欄は✕が灯っている。盾では、あの跳躍に追いつけない。
けれど、足元にはさっきと同じ灰鼠が湧いていて、そっちにはダイチの◎が灯ったままだ。
……なるほど。二種類、混じってるのか。
片方だけ見て手を決めると、もう片方に足をすくわれる。
俺は、ダイチを前に残したまま、ホムラを解き放った。ダイチが地を固め、その上を、ホムラが駆けて、跳ねる兎を焼き払う。踏ん張る力と、駆ける力。二つを噛み合わせる。
「……両方、いっぺんに使うんすか」
「ああ。この場所には、二種類いる。地べたを這うのと、跳ねるのと。片方に効く手は、もう片方には効かない」
俺は、燃える軌跡を目で追いながら、続けた。
「守ってばかりじゃ、勢いのある相手を取り逃す。攻めてばかりじゃ、流れが変わった時に足をすくわれる。だから、性質の違うやつを混ぜて連れておく。ひとつの戦い方に、全部を賭けない」
「ひとつに、全部を賭けない……」トトが、噛みしめるように繰り返した。
「そうだ。俺も、昔、それができずに、たったひとつに全部を賭けて——何もかも失ったことがある。……だから、お前には、同じ轍を踏ませたくないんだ」
トトは、何も言わずに、こくりと頷いた。
*
その日の夕方。買い取り所のそばで、トトが、興奮した様子で駆け戻ってきた。
「師匠! 師匠! すげえ話、聞きましたよ! 東側の浅い層に、新しい"湧き場"ができたって! なんでも、宝石みたいに立派な結晶が、ざっくざく拾えるらしくて! もう、みんな、われ先にって殺到してて——今ならまだ間に合うって! 行きましょう、今すぐ!」
……ああ。
俺は、思わず天を仰いだ。
半日だ。半日前に、こいつは「ひとつに全部を賭けない」と噛みしめていた。
「……トト。それ誰から聞いた」
「酒場の、みんなっす! もう、町中がその話で持ちきりで! 乗り遅れたら損だって——」
「町中が、持ちきり。みんなが、われ先に。乗り遅れるな。……なあトト。その台詞、つい何日か前に、どこかで聞かなかったか?」
トトの勢いが、ぴたりと止まった。
「……あ」
(第32話へ続く)
【用語辞書】第31話に出てきた「投資」の話
● 手数料負け
勝っているのに手元が減る、という現象があります。利益より、売買にかかった費用のほうが大きい状態です。小さな利益を狙って何度も取引すると、たいていこうなります。倒したのに損をする、というトトの疑問は、そのまま手数料負けの説明になっています。
● 強い道具が、いつも正しいわけではない
高性能な手法や商品ほど、維持費や取引コストが高くつきます。単純な局面には、単純で安い手が最も残ります。「一番強い」と「一番高い」を取り違えないことが、長く続けるための条件です。
● 見て取ったことを、自分の言葉に置き換える
分析の結果を、そのまま数字で渡しても人は動きません。読み取った内容を、相手に届く言葉に訳す作業が要ります。そしてこの訳す作業は、訳す側の理解も深めます。
● 適材適所=種類の違うものを混ぜる
同じ場所に、性質の違う相手が混じっていることがあります。跳ねるものと、這うもの。片方に効く手は、もう片方には効きません。同じ性質のものをいくつ持っても分散にはならず、効く場面がずれているものを混ぜて、はじめて意味が出ます。
● 学んだ直後が、いちばん危ない
半日前に「ひとつに全部を賭けない」と頷いた人が、その日の夕方には「今すぐ行きましょう」と言う。理屈として理解することと、熱に浮かされた時に思い出せることは、まったく別の能力です。




