第30話 最後の砦
俺の手のひらの上で、金色の塊が、ずしり、と立ち上がった。
——そして、膨れた。
みるみる嵩を増して、俺の手を離れ、地面を踏み、ダイチと肩を並べるほどの、金属の巨躯になる。速くはない。派手でもない。ただ、重い。重いものが、重いまま、大きくなっていく。
その体を中心に、静かな、揺るがぬ力の輪が、ゆっくりと広がっていく。派手な光でも、熱でもない。ただ「変わらない」という、それだけの力が、崩れゆくすべてに、錨を下ろしていく。
崩れかけていたダイチの足元が、その輪の中で、ぴたりと固まった。掻き乱されていたホムラの焔が、落ち着きを取り戻す。途切れかけていたオルカの思念が、すうっと、澄んでいく。
窓の印が、いっせいに、書き換わった。
▼ 噛み合わせ 【崩し喰らい】
コガネ ………… ◎◎
ダイチ ………… ✕ → △
ホムラ ………… ✕ → △
オルカ ………… ✕ → △
……戻った。
✕が、三枚とも、△に戻っている。
俺は、崩れかけた足場の上で、その並びを、まじまじと見た。
豊穣の層の時も、似たことをした。あの時は、ダイチが道をこじ開けて、オルカが風を殺して、そうやって力ずくで、ホムラの一撃ぶんの隙間をこじ開けた。骨の折れる、無理やりな手だった。
今度は、違う。
誰も、何も、こじ開けていない。ただ、動かないものが、ひとつ、そこに在る。それだけで、三枚が立ち直った。
……こんな効き方が、あるのか。
黄金は、攻めない。守りもしない。ただ、揺るがない。その"変わらなさ"が、崩れゆくすべての、支点になった。周りが総崩れになるほど、この一体の"動じなさ"だけが、際立って、頼もしい。
「——今だ! ダイチ、天井を支えろ! ホムラ、あの黒い霧の源を、焼き払え!」
黄金という錨があるから、ダイチは、もう一度踏ん張れた。ホムラは、迷わず燃え上がれた。黒い霧の噴き出す奥を、ホムラの焔が、まっすぐ貫く。ぎゃおっ、と、暗がりで何かが、断末魔を上げた。
自らは脆い。——見立ての、後半の一行は、本当だった。立てさえすれば、一撃で終わる相手だったのだ。
問題は、その一撃を撃てる状態を、誰も作れなかったことだった。
やがて、黒い霧は晴れ、洞窟の揺れも、収まった。
……助かった。この、"最後の砦"のおかげで。
金属の巨躯が、ゆっくりと嵩を落として、また手のひらほどの塊に戻る。膨れる時も、縮む時も、こいつは同じ速さだった。慌てない。急がない。
俺は、肩で息をしながら、その小さな金色を、掌に乗せた。
「……名前を、つけさせてくれ」
鈍く、けれど深く光る、その黄金。何があっても、目減りせず、変わらずに在り続ける、揺るぎない光。
「コガネ。——黄金の、コガネだ。地味だって、みんなに見過ごされてきたお前が、いちばん大事な時に、俺たちを守ってくれた」
「……コガネ、か」黄金は、噛みしめるように、頷いた。「悪くない。……久しく、名で呼ばれることも、なかったのでな」
*
廃坑を出ると、外はもう、夕暮れだった。
入り口の岩に、朝の老冒険者が、まだ腰かけていた。俺たちが出てくるのを、待っていたらしい。
そして、俺の足元をのっそりとついてくる、手のひらほどの金色を見て——目を丸くした。
「……立って、歩いてやがる」
「歩きますよ。呼べば、来ます」
「呼んだのか。何十年、誰が呼んでも、うんともすんとも言わなかったあれを」
「呼び方の問題じゃ、なかったと思います」
俺は、コガネを見上げた。
「出す場所が、違ったんです。晴れた日に傘を差しても、何も起きない。……こいつは、そういう力なんで」
老冒険者は、しばらく黙っていた。それから、しわだらけの顔を、くしゃりと崩した。
「……ハズレ、じゃなかったか」
「半分は、当たってましたよ。平気な日には、ほんとに、何もしません」
「へっ。慰めが下手だな、兄ちゃん」
老冒険者は笑って、それから、ぽつりと付け足した。
「……置いてったやつらは、みんな、晴れた日に呼んだんだろうな」
「(……ガク様。これで、手駒が、また一枚、厚くなりました)」オルカが言った。「(攻めのホムラ、守りのダイチ、待機の余力、コアの私。そして——世界が総崩れになる時の、最後の砦、コガネ。分散は、また一段、深くなりました)」
……待機の、余力。
俺は、その一語に、足を止めた。
「オルカ。お前、今、手駒を数えるのに、それを入れたな」
「(入れました)」
「精霊じゃないぞ。使わずに置いてある金と、休んだ日の余りだけだ。……それ、駒に数えていいのか」
「(数えます)」
オルカの答えは、迷いがなかった。
「(今日、私が深く検索できたのは、その余力があったからです。コガネ様に辿り着けたのも、それがあったからです。……使わなかったものが、今日、一枚の札を連れてきました。これを駒と呼ばずに、何と呼びましょう)」
……ああ。
あの夜、胸の奥で身じろぎした、凪いだ気配。まだ形になっていない、と、こいつは言った。
形はなくても、もう、数には入っている。
最後の、砦。
……なあ。もし、あの豊穣の層みたいな崩壊が、もっと大きく、もっと巧妙に、仕組まれたとしたら。世界のすべてを、いっぺんに沈めるような、そんな大嵐が、もし、誰かの手で、起こされたとしたら。
その時、こいつが——コガネが、きっと、俺たちの、最後の支えになる。
……なぜだか、そんな予感が、した。あの、白い伽藍の、塗り固められた笑顔を、思い出しながら。
「行くか。——みんな、うちに帰ろう」
『……うむ』
「へっ、腹減ったぜ!」
「……ごはん!」
「……ふむ。賑やかな、住処よな」
冴えない金塊は、もう、冴えない金塊じゃなかった。
(第31話へ続く)
【用語辞書】第30話に出てきた「投資」の話
● 無相関の資産が、支点になる
周りと足並みをそろえない資産をひとつ混ぜておくと、全部が同時に落ちる局面でも、その一枚だけが動きません。動かないものがあると、そこを支点にして、他の資産の値も落ち着きます。守るために何かをするのではなく、変わらないことが、そのまま効く。これが低相関資産の役割です。
● 立てなければ、勝てる相手にも勝てない
この相手は、一撃入れば終わる程度の強さでした。難しかったのは倒し方ではなく、立ち方です。相場でも、判断が正しくても、その判断を実行できる状態になければ意味がありません。生き残っていることが、あらゆる戦略の前提になります。
● 使わなかったお金は、何もしていないわけではない
休んだ日に残した余力が、今日の一枚を連れてきました。現金は利益を生みませんが、動ける状態を保ちます。持ち駒を数えるとき、投資している分だけを数えて、待機資金を勘定から外すのは、正確ではありません。
● 分散は、一段ずつ深くなる
ひとつに賭けない、が第一段。攻めと守りを混ぜる、が第二段。そして、皆と一緒に落ちないものを混ぜる、が第三段です。それぞれ、前の段では防げなかった崩れ方に対応しています。一度覚えた分散が、次の局面でも足りるとは限りません。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の銘柄・商品の売買を勧めるものではありません。




