第29話 ★ふたつ
ずずん、と、洞窟全体が、揺れた。
「な——っ!?」
俺が黄金に触れたのが、引き金だったのか。崩れかけていた坑木が、いっせいに軋み、天井の岩が、ばらばらと落ちてくる。それだけじゃない。奥の暗がりから、黒い霧のような"何か"が、噴き出してきた。
鑑定の窓が、警告を打った。
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▼ 鑑定 崩し喰らい/戦域の主
[危機・崩落] 複雑度 ★★☆☆☆
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荒れ(VIX 34.0・崩落連鎖) ●赤 ⚠
底の深さ(−25%/進行中) ●青
凶兆(足場崩壊の連鎖) ●赤
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見立て:立ち続ける者を嫌う。
足場を崩すが、自らは脆い。
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……★、ふたつ?
崩れてくる岩を避けながら、俺は、窓を二度見した。
翔け兎が★ひとつ。潮目の主が★みっつ。捕食する豊穣が★よっつ。あの化け物どもと比べたら、こいつは下から数えたほうが早い。
しかも、見立てにこう書いてある。自らは脆い、と。
……いけるだろ。
「ダイチ! ホムラ!」
俺は、反射的に、二体を呼んだ。ダイチが前に踏ん張り、ホムラが燃え上がる。——けど。
『ぬ……っ、あ、あしもとが……!』
ダイチの足元の岩盤が、黒い霧に侵され、ぐずぐずと崩れていく。踏ん張るべき"大地"そのものが、崩れていく。あの、揺るがなかったダイチが、体勢を崩す。
「相棒、火が……っ! 息が、できねえ!」
ホムラの焔も、崩落の粉塵と、噴き出す黒い霧に巻かれて、ぼぼぼ、と勢いを失っていく。空気そのものが、燃える力を、奪っていく。
「(ガク様、私も……この霧、思念の経路を、乱してくる……!)」
オルカの声さえ、途切れ、乱れた。
窓の隅で、印が、書き換わっていた。
▼ 噛み合わせ 【崩し喰らい】
ダイチ ………… ✕
ホムラ ………… ✕
オルカ ………… ✕
……全部。
三枚とも、✕だ。
こんな盤面は、はじめてだった。どの局面でも、必ずどれか一枚には、◎か、せめて△が灯っていた。攻めが駄目なら守りが、守りが駄目ならコアが。そうやって、誰かが必ず、立てていた。
誰も、立てていない。
「なんでだ! ★ふたつだぞ!」
俺は、崩れる足場の上で、思わず叫んでいた。
「あの兎より一つ多いだけだろ! なんで手駒が全滅するんだよ!」
「(……ガク様)」
オルカの声は、途切れ途切れだった。
「(この戦域には、窓に出ていない相が、あります)」
「——また、それか!」
「(ええ。……ですが、今度は、前とは違います)」
乱れる思念の向こうで、オルカが、はっきりと言った。
「(あの層は、危ない相が、良い顔をして並んでいました。ここは——そもそも、並んでいないのです)」
……並んで、いない。
「(この戦域では、取引そのものが、成立していません。売り買いが止まっている。……止まった場では、守りの札さえ、換金できない。だから、みな沈むのです)」
窓に、その欄はない。ひとつも。
★の数え方は、覚えた。読めない相があることも、覚えた。——けど、今度のは、そのどちらでもなかった。
窓にすら、出なかったのだ。いちばん大事な一行が。
……くそ。
落ちてくる岩。崩れる足場。乱れる思念。俺は、なすすべもなく——。
……分散は、間違いじゃなかった。攻めと守りとコアを揃えたのは、正しかった。なのに、それでも、足りない。世界そのものが底から抜ける、こういう"本物の総崩れ"の前では、性質の違う三体すら、手を取り合うように、いっしょくたに沈んでいく。
こんな崩れ方が、あるのか。——分散を、覚えたつもりだった俺の、その一歩、奥。
……いや。
ひとつ、だけ。
俺の手のひらの下で。金色の塊だけが、微動だに、していなかった。
崩れる洞窟の中で。噴きすさぶ黒い霧の中で。周りのすべてが道連れに沈む中で。この、冴えない金塊だけが、我関せず、ただ、変わらずに、在り続けている。落ちてくる岩が、その金色にぶつかって、こつん、と、むなしく弾かれた。
「——お前だ」
俺は、崩れる足場を蹴って、落ちてくる岩の下に身を投げ出し、その小さな金色を、両手で包むように掴んだ。
「頼む! お前の、その"揺るがなさ"を、貸してくれ! みんなを——助けたいんだ!」
金色の塊が、ゆっくりと、目を開けた。
深い、金の瞳だった。何千年も、流行り廃りを、ただ黙って見送ってきたような。落ち着き払った、古い、古い光。
「……ほう」
低く、重い、ゆったりとした声だった。
「わしを、"使えぬ"と、皆、置いていった。……お主は、違うのか」
「違う。お前は、使えないんじゃない。——出番が、"ここ"なんだ。みんなが崩れる、こういう時のための、力なんだ」
金の瞳が、ふ、と、和らいだ。
「……よかろう。久方ぶりに、働くとするか」
(第30話へ続く)
【用語辞書】第29話に出てきた「投資」の話
● 危険度の高さと、資産が全滅するかどうかは、別
この相手の複雑度は★2。これまで戦ってきた中では下のほうです。それなのに手駒が全滅しました。危険度は「読み違えられる場所の数」を測る指標であって、「自分の持ち物がどれだけ壊れるか」を測る指標ではありません。小さな事件が、たまたま自分の弱点を正面から突くことがあります。
● 流動性(取引の成立)
値段がついていても、買い手がいなければ売れません。売れないものは、いくら価値があっても、いざという時に現金に換えられない。危機のとき、まず消えるのはこの「売り買いが成立する状態」で、これが失われると、守りの資産すら役に立たなくなります。値動きの大きさより、こちらのほうが致命的です。
● 相関が1に近づく
ふだんは別々に動く資産が、深刻な危機では足並みを揃えて落ちます。攻めも守りも土台も、いっせいに下がる。分散して持っていたのに全部やられた、という話は、たいていこれです。分散は、平時から中程度の下落までは効きますが、本物の総崩れには効きません。
● いちばん大事な数字が、資料に載っていないことがある
読めない、のではなく、そもそも項目がない。決算資料でも、開示義務のない数字ほど効くことがあります。表に出ている項目を全部読んでも足りない場面がある——これが、分析でいちばん怖いところです。




