第27話 白い毛並み
シルクに連れられて向かったのは、町はずれの、貧しい者たちが身を寄せ合う一角だった。崩れかけた小屋の陰に、痩せた獣人が、数人。みんな、シルクと同じ、嗅ぎ分けの民だった。
俺を見て、彼らは、びくっと身構えた。人間に、いい思い出がないのだろう。警戒しきった目で、じり、と後ずさる。
けれど、シルクが、たどたどしく、何かを伝えると——彼らの目が、少しずつ、和らいでいった。
「……この人、わたしを、たすけて、くれた。……ごはん、くれて。やくにたつって、いって、くれた」
俺は、持ってきた食料を、彼らの前に、そっと置いた。
「……はじめまして。シルクの、仲間だって聞いて。よかったら、これ、みんなで」
彼らは、おずおずと、それを受け取った。ひとりの、いちばん幼い子が、我慢できずにパンにかじりつくと、年長の獣人が、そっと、その頭を撫でた。
——ああ。こいつらも、なんだ。
持たざる者どうし、わずかな食べ物を、分け合って、生きている。シルクが、もらった串を、自分より腹を空かせた仲間に分けていたように。この、貧しい一角には、あの豊穣の層で見た"われ先に"の貪欲さとは、正反対のものが、流れていた。
……こういうのを、大事にしたいな。ふと、そう思った。
それと。
朝、トトに突き返された貨幣の袋のことを、思い出していた。飯を配ること自体は、いい。今日倒れそうな相手に、明日を説いても仕方ない。
問題は、そのあとだ。
「なあ。お前たちの、その鼻や耳。あれは、立派な"仕事"になる。ダンジョンの偵察でも、町の荷運びの目利きでも。——もし、その気があるなら。俺が、稼ぎ口を、一緒に探す。役に立つってことを、この町に、わからせてやろう」
彼らは、顔を見合わせた。信じられない、というふうに。けれど、その目の奥に、小さな、けれど確かな、光が灯ったのが見えた。
「……あんた、変わってるな」年長の獣人が、ふっと、口元を緩めた。「おれたちを、道具みたいに使うんじゃなく、"役に立たせてやりたい"って言うのか。……そんな人間、はじめて、見たよ」
「変わってるのは、否定しない」俺は、苦笑した。「けど、俺も、ずっと"使えないやつ"扱いされてきたんでな。……見くびられる側の気持ちは、まあ、それなりに、わかるつもりだ」
*
その帰り際。年長の獣人が、ふと、声を潜めて、俺に言った。
「……あんた、いい人そうだから、言っとくよ。——聖導院の"施し"には、気をつけな」
「……ああ。今朝、似た話を聞いた」
「そうかい」獣人は、眉をひそめた。「あそこに"救われた"知り合いが、何人か、いるんだが。……みんな、なんだか、日に日に、元気を、なくしていくんだ。前は威勢のよかったやつが、うつろな顔で、ぼんやりしてる。飯も食ってる、寝てもいる。なのに、生気だけが、抜けていくみたいに。……気味が、悪くてな」
……救われた者が、元気を、なくしていく。
トトが言っていた。並ぶのが、うまくなってきた、と。明日の飯のことしか、考えなくなった、と。
二つの話が、同じ形をしていた。
あの、白い伽藍。塗り固められて読めなかった、指導者の鑑定。⚠マーク。そして、シルクの鼻が嗅ぎ取った、腐敗。
……つながるのか? それとも、ただの偶然か。
今は、まだ、わからない。けれど、その話は、小さな棘のように、俺の胸に、ちくりと刺さって残った。
「……教えてくれて、ありがとう。気をつけるよ」
*
宿に戻ると、シルクが、ぺたんと床に座り込んで、うとうとしていた。一日、はしゃいで、疲れたのだろう。
その毛並みは、相変わらず、ぼさぼさで、埃だらけだった。
「(……ガク様)」ふいに、オルカの思念が触れてきた。「(あの子、ずいぶん汚れています。このままでは、体に障る。——少し、私が、手を貸しましょう)」
オルカの淡い光が、眠るシルクを、ふわりと包んだ。温かい湯の魔法が、汚れを溶かし、絡まった毛を、丁寧にほどいていく。シルクは、気持ちよさそうに、されるがままだ。
やがて、光が、晴れて。
……俺は、目を、見張った。
そこにいたのは、埃まみれの、みすぼらしい子じゃなかった。つやつやと輝く、白い毛並み。絹みたいに、なめらかで。汚れに隠れていただけで、驚くほど、整った顔立ちの——きれいな、獣人の少女だった。
「……お前、こんな、綺麗な毛並みだったのか」
思わず、見とれた。あの路地裏で、残飯をあさっていた、あの子と、同じ子とは思えない。目を覚ましたシルクが、自分の白い毛を見て、それから俺の視線に気づいて、ぽっと、頬を赤らめる。
「(ガク様)」
と。
オルカの思念が、すっと、割って入った。いつもの、淡々とした調子で。
「(本日の収支の報告を。潮目の主の結晶の売却益、宿代、食費、シルクの仲間への施し。差し引き、なお黒字です。それと、明日以降の予定の確認を、お願いします)」
「え……あ、ああ。……そうだな。うん、報告、聞こうか」
俺は、なぜか、はっと我に返って、シルクから視線を外した。
……なんだ、今の。オルカのやつ、やけに、間の悪い……いや、いつも通り、事務的なだけ、か。
「(……ええ。いつも通りです)」
妙に、素っ気なく、オルカは言った。……気のせいだろうか。その淡々とした声が、ほんの少しだけ、つんと、尖って聞こえたのは。
*
その夜。俺は、ベッドに寝転がって、天井を見上げていた。
……結局、今日は、一銭も稼がなかった。ダンジョンにも潜らず、トトの話を聞いて、シルクの仲間に飯を配って、ただ、それだけの一日。
前世の俺なら、「無駄な一日を過ごした」と、自分を責めていた。稼がない日は、負けた日だと。
でも、今日は、不思議と、そう思わなかった。
「なあ、オルカ。……今日みたいな、何も稼がない日って。やっぱり、無駄、なのかな」
「(いいえ)」オルカの答えは、即座だった。「(むしろ、逆です。皆が我先にと動き、次の稼ぎへ飛びつく時に、あえて動かず、力を溜めて、機会を待つ。——手元に、いつでも動ける"余力"を残しておく。それは、立派な、ひとつの構えです)」
動かない、という構え。
「(ガク様の世界では、それを——現金、待機、と呼びます。全部を張らず、弾を手元に残しておく。そうすれば、いざ本当の好機が来た時に、動けます。それに、次の嵐が来た時にも、その余力が、あなたを守る。……"何もしない"ことにも、力は、あるのです)」
いざ本当の好機が来た時に、動ける。
……あ。
俺は、がばりと身を起こした。
「オルカ。あの緑だ」
「(……ええ)」
あの日、赤が五つ並んだ窓の真ん中で、ぽつんと灯っていた、掘り出しの緑。作中でいちばん買い得な瞬間。誰にも掴めなかった、朗報。
あれを掴む手が、俺にはない、と思っていた。
違う。手そのものは、たぶん、この世にちゃんとある。俺が、まだ持っていないだけだ。
「守りでも、攻めでもない。——動かずに、待つ。それが、三つ目の構えってことか」
「(そういう札が、あるとすれば)」オルカは、少しだけ、間を置いた。「(それは、ガク様がこれまで手にした、どれとも似ていないものになるでしょう)」
……ああ。それは、たぶん、俺が前世で、いちばん持っていなかったものだ。焦って、常に全力で張って、休むことを知らなくて。手元に、何も残さなかったから、あの一撃で、全部を失った。
休むも、待つも、相場のうち。手元に弾を残すのも、立派な一手。
その考えが、すとん、と胸に落ちた時。俺の中で、何か、静かで、凪いだような気配が、ほんの少しだけ、身じろぎした気がした。派手でも、熱くもない。ただ、静かに、満ちて、待っている。——そういう、新しい何かの、芽生えだった。
……こいつが何なのかは、まだ、わからない。けど、悪いものじゃない気がした。
俺は、目を閉じた。
異世界に来て、十日あまり。手駒は、コアのオルカ、守りのダイチ、攻めのホムラ。仲間に、白い毛の斥候シルクと、その一族。町はずれの小屋には、貸しをひとつ作りそこねた、若いのが一人。懐には、使わずに残した、余力。
——次に、本当の嵐が来た時。今度こそ、俺は、備えていたい。
そのために、明日からは、ゆっくりと、新しい"力"を、探しに行こう。
(第28話へ続く)
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【用語辞書】第27話に出てきた「投資」の話
● 現金・待機
あえて投資せず、現金のまま手元に置いておくのも、れっきとした戦略です。英語では、いつでも撃てるよう乾いた状態で蓄えた火薬になぞらえ、ドライパウダーと呼びます。主人公が稼いだ大金をすぐ次に突っ込まなかったのが、これにあたります。
● なぜ暴落のあとほど、現金が強いのか
みんなが熱狂して高値で買っている時、現金は「乗り遅れ」「遊んでいるお金」に見えます。でも、泡がはじけて皆が投げ売る底では、その現金こそが、安く買い向かえる唯一の弾になります。前話で誰も掴めなかった緑の値札を掴めるのは、その時まで撃たずに我慢していた人だけです。
● 生活防衛資金と「全部を張らない」
手元の現金は、次の好機のためだけでなく、次の嵐から自分を守る盾でもあります。生活に必要なお金まで投資に回すと、暴落時に狼狽して、いちばん悪い底値で投げ売る羽目になります。全部を張らず、余力を残す——主人公が前世で全財産を一点集中させて破滅した、その反省の裏返しです。
● 助けるより、稼げるようにする
食料を配るのと、稼ぎ口を一緒に探すのとでは、届くものが違います。前者はその日を越えさせ、後者は次の日から自分で越えられるようにする。どちらも要りますが、後者がないと、渡し続けなければ終わりません。
※本作は投資の学びを物語仕立てで描くフィクションです。特定の銘柄・商品の売買を勧めるものではありません。




