第26話 被害者代表
「トトっていいます」
部屋に入れて、水を出してやると、男はそう名乗った。
「今、あの層で全部やられた連中が、五十人ばかり、町はずれの空き小屋に集まってて。……その、なんつうか。誰かが、話をしに行かなきゃならなくて」
「代表、ってことか」
「代表っていうか」トトは、決まり悪そうに頭をかいた。「いちばん若くて、いちばん腹が立ってて、いちばん動けたのが、俺だっただけっす。誰も選んでません。俺が勝手に、立っただけで」
……なんとなく、俺は、鑑定を向けた。
昨日、あの白い衣の男に向けたのと、同じように。
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▼ 鑑定結果
名称:??? / すべてを失った者
─── 銘柄カルテ ───
割安・割高 …… 投げ売られ、安い
体力(財務)…… ほぼ、空
還元(尽くす度)… なし(返せるものが、ない)
伸びしろ ……… 読み取れず(本人が、まだ決めていない)
気になる兆し …… なし
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見立て:からっぽ。
だが、塗り固められては、いない。
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……読める。
全部、すかすかだ。体力は空。返せるものもない。値札は、投げ売られたまま。
けれど、読める。
昨日のあの男は、何ひとつ読めなかった。分厚い漆喰で塗り固められて、⚠だけがちらりと灯っていた。こいつは、正反対だ。中身が何もないぶん、隅から隅まで、透けて見える。
……失うものが何もない人間は、隠すものも、何もないのか。
伸びしろの欄だけが、はっきりしない。読み取れず。本人が、まだ決めていない。
……そういう欄の書き方も、あるんだな。
*
「五十人。……その人たちは、今、どうしてる」
「聖導院の、配給の列っす」
トトは、吐き捨てるように言った。
「毎朝、広場に並ぶんです。粥と、パン。ちゃんとくれます。あったかいし、量も足りてる。文句なんか、言えない」
「……けど?」
「……列に、名前を書くんすよ」
トトが、指で、宙に何か書く仕草をした。
「白い帳面に、一人ずつ。どこの誰で、何を失って、今どこにいるか。全部。……それが、ないと、もらえない」
……名簿。
「べつに、いいんです。名前くらい。飯が食えるなら」
トトは、水の入った碗を、両手で握った。
「けど——三日目くらいから、みんな、並ぶのが、うまくなってきて」
「うまく?」
「早く行って、いい場所取って、係の人にちゃんと挨拶して。……そういうのが、上手いやつと、下手なやつが、出てきて。上手いやつは、ちょっと多くもらえたりして」
トトの声が、低くなった。
「昨日、気づいたんすよ。俺、明日の飯のことしか、考えてねえって。ダンジョンに戻ることも、稼ぎ方を変えることも、何ひとつ考えてなくて。ただ、明日どうやって、いい場所に並ぶかだけ、考えてて」
……ぞくりとした。
あそこは、飢えは、ちゃんと消してくれる。消してくれるから、そこから出る理由が、なくなる。
……豊穣の層と、同じだ。
あの層には、痛みがひとつもなかった。だから、誰も帰らなかった。
*
俺は、懐から貨幣の袋を取り出して、机の上に置いた。
潮目の主で稼いだ金だ。五十人の当座の宿代くらいには、なる。
「これ、持ってけ。とりあえず、列に並ばなくて済むぶんだけでも——」
「……いらねえ」
トトは、袋を見もしなかった。
「え」
「施しは、もう、うんざりなんすよ」
……。
俺は、自分の手を、見た。
差し出した貨幣。善意。無条件。……あの白い衣の連中が、広場でやっていることと、形が、まったく同じだった。
……ああ。
俺は、いい気になっていた。勝ち逃げ組の余裕で、金を配って、いいことをした気になろうとしていた。
それは、こいつらを、もう一枚の名簿に、載せるだけだ。
「……悪い。今のは、なしだ」
俺は、袋を引っ込めた。トトが、少しだけ、意外そうな顔をした。
「じゃあ、お前は、俺に何を頼みに来たんだ」
トトは、しばらく黙っていた。それから、まっすぐに顔を上げた。
「……どうやったら、見抜けるんすか」
「あ?」
「あんた、あの日、一人だけ気づいてた。俺たち全員が浮かれてる中で、あんただけが。……あれ、どうやったんすか。何を見たら、ああなるんすか」
まっすぐな目だった。調子がよくて、ちょっと抜けてて、けど、素直で、憎めない。
……ああ、こいつ。
欲に目がくらんで、甘い話に飛びついて、痛い目を見る。その顔に、なんだか覚えがあった。前世の、若い頃の——俺そのものだ。
「……今日は、教えない」
「なんでっすか!」
「お前、まだ腹が立ってるだろ。怒ってるやつは、覚えが早いけど、忘れるのも早い。——それに、俺だって、そんな立派なもんじゃない。しくじりの避け方を、しくじった数だけ知ってるだけだ」
俺は、立ち上がった。
「今日は、名前を覚えた。それでいい。——飯が本当に足りなくなったら、来い。それは施しじゃなく、貸しにしてやる」
トトは、ぽかんとして、それから、なぜか、ちょっと笑った。
「……貸し。……いいっすね、それ」
トトが帰ったあと、俺は、机の上に置いたままの貨幣の袋を、しばらく眺めていた。
あいつの窓の、伸びしろの欄。読み取れず。本人が、まだ決めていない。
……決めるのは、あいつだ。俺じゃない。
*
「……ガク。あのね」
その日の昼、シルクが、めずらしく、自分から俺の袖を引いた。
「……あわせたい、ひとが、いる。……なかま」
(第27話へ続く)
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【用語辞書】第26話に出てきた「投資」の話
● 施しと、貸しは、違う
同じお金を渡しても、無条件に与えるのと、返す前提で貸すのとでは、受け取る側の立場がまるで変わります。前者は関係が上下に固まり、後者は対等なままです。人を助けるつもりの行為が、その人の自立の芽を摘むことがある——援助の世界で長く議論されてきた問題です。
● 依存は、痛みがない場所で育つ
配給に並ぶこと自体は悪ではありません。危ないのは、並ぶのが上手になっていくことです。明日どう並ぶかを考える時間が増えるほど、そこから出る方法を考える時間が減る。豊穣の層で誰も帰らなかったのと、同じ構造です。
● 何も持たない相手は、読みやすい
トトの中身がすかすかなのに読み取れて、白い衣の男が何ひとつ読み取れなかった。開示の量は、資産の量と関係ありません。隠すものがある側が、隠します。財務諸表が薄くて分かりやすい会社と、分厚いのに実態がつかめない会社の違いも、これに近いものがあります。
● 「まだ決めていない」という状態
伸びしろが読み取れないのは、可能性がないからではなく、本人が決めていないからです。将来の見通しが立たないものを、無価値とみなすのは早い。ただし、決めるのは本人であって、外から決めてやることはできません。




