第16話 潮目、定まらず
投稿できました。読んでいただけたら幸いです。
異世界に来て、七日目。俺の懐は、ずっしりと重かった。
昨日の、ホムラの無双。あの降り注ぐ結晶の雨で、俺はそれまでの何日分もの稼ぎを、まとめて手にしていた。まともな宿のやわらかいベッド。腹いっぱいの飯。財布の重み。
……正直に言う。俺は、浮かれていた。
窓辺に肉の串を三本置いて宿を出る。今朝も皿の上には何も残っていなかった。あの痩せた獣人の子が、夜のうちに持っていったのだ。……それも、もう当たり前の朝の景色になった。
足取りも軽く、俺はダンジョンへ向かった。足元では、顕現を解いたはずのホムラが、縁の向こうからうずうずと急かしてくる。
「なあ相棒。今日はどこまで行くんだ? 昨日みてえな追い風、また来ねえかな。なんなら、もっと深くまで潜ろうぜ! 俺がぜんぶ燃やしてやるからよ!」
「ああ。……今日は、ちょっと深く行ってみるか」
昨日のあの快感が、まだ体に残っていた。追い風に乗って薙ぎ払う、あの爽快感。あれをもう一度。深く潜れば、もっといい追い風が吹いているかもしれない。もっと大きく稼げるかもしれない。
「(……ガク様)」
オルカの思念が、やんわりと釘を刺してきた。
「(気分がよいのは結構です。ですが、深い層は浅い層とは相場の複雑さがまるで違います。昨日のような、素直な追い風ばかりとは限りません。どうか、お気をつけて)」
「わかってるって。——だいじょうぶだ」
……このとき、俺はろくに聞いていなかった。勝ちに酔った頭は、都合のいい話しか耳に入れない。それも前世で、嫌というほど味わったはずの過ちだったのに。
*
下層の、さらに奥。
昨日ホムラと縁を結んだあの檻の一帯を通り過ぎ、もっと深くへ潜る。岩肌がしっとりと濡れはじめ、やがて、ひらけた空間に出た。
……地底湖だった。
いや、湖と呼ぶには奇妙すぎた。水面がゆっくりと脈打つように、満ちては引き、引いては満ちている。まるで巨大な潮の干満だ。その水面から立ちのぼるマナの光が、満ちる時には明るく温かく、引く時には暗く冷たく、めまぐるしく表情を変えていた。
その湖の中心に、ぬらりと巨大な影が、とぐろを巻いていた。
蛇とも鯨ともつかない、ぬめる体。長い胴が、湖の干満に合わせてゆっくりと波打っている。こちらを値踏みするような、底知れない気配があった。
俺はごくりと唾を飲み、鑑定を向けた。
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▼ 鑑定 潮目の主/単体
複雑度 ★★★☆☆
【満ち潮】 [順風・強気]
荒れ(VIX 10.0) ●緑
商い(出来高 3.0倍) ●緑
底の深さ(なし) ●緑
凶兆 ●緑
【変わり目】 [???]
荒れ(VIX 11.5) ●緑
商い(出来高 1.2倍) ●青
底の深さ(−6%・方向不明) ●青
凶兆(⚠判別不能) ●赤
【引き潮】 [危機・弱気]
荒れ(VIX 13.0) ●緑
商い(出来高 0.5倍) ●青
底の深さ(−18%・進行中) ●赤
凶兆 ●赤
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見立て:潮目、定まらず。一手では喰われる。
攻めと守り、両の備えを。
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……ステータスの顔が、三つある。
これまでの敵は、そうじゃなかった。黒犬も灰鼠も翔け兎も、ステータスはひとつきりだった。ひとつの天気が、ずっと続くだけの相手だった。
こいつは違う。ひとつの体に、満ち潮と、引き潮と、そのあいだの変わり目。三つのステータスの顔が並んで表示されている。
そして、複雑度が★★★。
……なあ、オルカ。ひとつ聞いていいか。
「(どうぞ)」
「この星の数って、何で決まるんだ? 昨日の翔け兎は★ひとつだった。こいつは★みっつだ。何が、二つぶん重いんだ?」
「(……よくぞ気づかれました)」
オルカの思念が、少しだけ嬉しそうに揺れた。
「(数えてごらんなさい。赤く灯っている欄を)」
言われて、俺は目を走らせた。
満ち潮——赤は、ない。変わり目——凶兆に、ひとつ。引き潮——底の深さと、凶兆に、二つ。
……三つ。
「(星の数は、赤い相の数です。強さでも、大きさでもない。この相手が、いくつの危ない顔を持っているか——それだけを数えた印です)」
……なるほどな。
★は、敵の強さじゃない。読み違えられる場所の数だ。
そう腑に落ちた瞬間、俺は少しだけ、賢くなった気になった。
——けれど。
俺の目は、その理屈より先に、別のものを捉えていた。潮が満ちはじめて、湖面が明るく温かく輝きだす。あの、昨日の追い風と同じ光。そして満ち潮に乗って、湖面にきらきらと、無数の結晶の粒が浮かびあがってくる。
窓の隅で、見慣れた印が灯った。
▼ 噛み合わせ 【満ち潮】
ホムラ ………… ◎
ダイチ ………… ✕
オルカ ………… ✕
……◎だ。
昨日と同じ。ホムラの出番だと、窓が言っている。
……宝の山だ。
昨日の翔け兎の比じゃない。これだけの結晶をまとめて刈り取れたら、いったいどれだけの稼ぎになる?
「相棒! 見ろよあれ! 追い風だ、でっけえ追い風だぜ!」
「……ああ。——ホムラ! 行くぞ!」
見立ての警告は、頭の隅に追いやられていた。昨日と同じだ。追い風が吹いている。なら攻めの一手、ホムラを解き放てばいい。火力で薙ぎ払って、根こそぎ刈り取る。
俺はホムラ、ただ一体を、満ち潮の中へ放った。
——三つ並んでいた窓の中の顔、残りの二つを、俺は一度も読み返さなかった。
*
「っしゃあああ! 待ってましたあ!」
ホムラがぼうっと燃えあがり、巨大な火の獣となって湖面を駆けた。満ち潮の追い風に乗って、燃える爪で結晶の群れをまとめて薙ぎ払う。ぱあん、ぱぱぱぱぱん! 降り注ぐ青白い雨。
「うおお、すげえ! いける、いけるぜ相棒! このまま——」
いける。その言葉に、俺の胸も躍った。もっと。もっと奥まで。あの潮の中心、主のいる場所まで攻めこめば——
「ホムラ! もっと深く、主を直接狙え!」
「おうよ! ガンガン燃やしてやらあ!」
ホムラが湖の中心へ、深く突っ込んでいく。
——その瞬間だった。
ぐらり、と湖面の光が消えた。
(第17話へ続く)
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【用語辞書】第16話に出てきた「投資」の話
● 複合相場=ひとつの天気で読めない相場
これまでの敵は「弱気だけ」「強気だけ」の単純な相手でした。潮目の主は、強気と弱気が交互に入れ替わる複合相場。同じひとつの対象が、局面によってまったく違う顔を見せます。現実の相場も同じで、去年うまくいった手が今年は通じない、ということが普通に起こります。
● 「星の数=赤い欄の数」=危険度は、強さではない
複雑度の★は、敵の強さではなく「読み違えられる場所がいくつあるか」を数えた印です。投資でも、危ないのは値動きの大きさそのものではなく、自分が把握できていない要因の数。よく分からない要素が三つある商品は、よく分かる要素が一つの商品より危ない、ということです。
● VIX(荒れ)
市場がこの先どれだけ荒れそうかを示す指標で、「恐怖指数」とも呼ばれます。数値が低いほど、投資家が落ち着いている状態。ここで押さえておきたいのは、荒れが低い=安全とは限らないという点です。潮目の主は、引き潮でも荒れは低いまま。それでも、この後で大変なことが起きます。
● 窓に出ていたのに、読まなかった
主人公は三つの顔を全部見せられたうえで、都合のいい一つだけを見て飛び込みます。情報が足りなかったのではなく、読まなかった。相場で損をする時、たいていの人は「知らなかった」のではなく「見たけれど、見たいところだけ見た」のです。
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