第15話 いけるうちに、もっと
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数日後。俺は浅い層のあの一帯で、じっと待っていた。
壁のマナがふいに濃く、明るくなる。下から温かい風が吹き上げる。——来た。あの金色の。
翔け兎が、きらきらと跳ねながら、わらわらと湧き出してくる。
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▼ 鑑定
翔け兎 / 群れ:多数
[順風・強気] 複雑度 ★☆☆☆☆
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荒れ(VIX 12.0) ●緑
商い(出来高 平均の3.2倍) ●緑
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見立て:素直な追い風。脅威は薄い。乗らねば、取り逃す。
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この前と、同じ窓。同じ見立て。
あの日の俺は、この窓を読めたのに、手札に一枚も答えを持っていなかった。ダイチを出しても跳ねる兎には追いつけず、ただおこぼれを三つ拾って、笑うしかなかった。
でも、今日は違う。
窓の隅に、これまで見たことのない印が灯っていた。
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▼ 噛み合わせ
ホムラ ……… ◎
ダイチ ……… ✕
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……◎。
初めて見る印だった。荒れは低い。商いは活況。凶兆はなし。局面は、順風。
こいつの出番だ、と窓が言っている。
「ホムラ! ——お前の出番だ!」
「っしゃあ! 待ってたぜ、それをよぉ!」
足元の焔がぼうっと燃えあがり、みるみるふくれて、俺の背丈をゆうに超える——見上げるほどの、巨大な火の獣になる。マナがごっそり抜けていく。さすが、コストは高い。けれど——
ホムラが地を蹴った。
速い。ダイチとは比べ物にならない。跳ねる兎の、その跳躍のてっぺんへ、ホムラはまっすぐ追いつき、追い越し、燃える爪でまとめて薙ぎ払った。
ぱあん、ぱぱぱぱぱん!
兎の群れがいっせいにはじけ、光に変わる。降り注ぐ結晶の雨。この前ハンターたちがひとりひとり必死で叩き落としていたあの宝が、ホムラのたった一薙ぎで、束になって地にこぼれ落ちる。
「うおおお、すげえ! あの兎を、まとめて……っ!?」
まわりのハンターたちが、ぽかんと口を開けて見上げていた。
ホムラは止まらない。追い風に乗りに乗って、跳ねる兎を追いかけ、薙ぎ払い、また結晶をぶちまける。明るく、速く、派手に。まるで燃え盛る流星みたいに。
「ひゃっはあ! こいつぁ最高だぜ! なあ相棒、もっと、もっといけるぜ!」
追い風のただ中で、ホムラは水を得た魚——いや、油を得た火だった。
俺は、結晶の雨の中で呆然と立ち尽くした。
……これが、追い風に乗る、ってことか。
拾っても拾っても追いつかないほどの結晶。この前、おこぼれ三つで笑うしかなかったあの一帯で、今、俺のずだ袋ははちきれそうにふくれている。
差し引き——大黒字。いや、黒字なんてものじゃない。今までのちまちました稼ぎが、ばからしくなるくらいの大漁だった。
「な……なんだ、あの召喚士」
「『焼き切れ』を……あの暴れ馬を、御してやがる……!」
ハンターたちのざわめきが伝わってくる。見掛け倒しの、かわいそうな格下。そう見られていたはずの俺が、今、誰も御せなかった炎を従えて、追い風のど真ん中で無双している。
……ふは。なんだか、笑いが込み上げてきた。
異世界に来て、はじめて、俺はちゃんと稼げた。胸を張れる勝ち方を、した。
*
追い風が、やがてやんだ。
翔け兎は消え、壁の光は淡さを取り戻す。ホムラがふうとひと回り小さくなって、俺の足元に戻ってきた。けれどその目は、まだらんらんと燃えている。
「なあ相棒! まだいけるぜ! もっと奥だ! 下層の、もっと深くまで行こうぜ! このままガンガン燃やしまくれば——」
「待て、ホムラ」
俺は、はちきれそうなずだ袋を抱え直しながら、首を振った。
「追い風は、もうやんだ。お前の出番は、ここまでだ」
「あぁ? なんでだよ! こんなに調子いいのに! いけるうちに、いっちまおうぜ!」
「……だめだ」
不思議と、その言葉はすっと出てきた。鑑定の窓が最後に告げた、あの一語が頭にこびりついていたからだ。——追い風で輝き、逆風で溶ける。諸刃。
「お前は強い。でも、お前の強さは追い風の時だけのものだ。もしこの先で流れが変わったら——逆風が吹いたら、お前はたぶん、誰よりも早く溶ける」
「……ちっ」
ホムラは不満げに鼻を鳴らした。けれど、それ以上は食い下がってこなかった。
窓の隅を見た。さっきまで◎だった印が、いつのまにか消えている。
「(ご立派です、ガク様)」
オルカの思念が、続いた。
「(攻めの精霊の、いちばん恐ろしい罠は、そこです。良い波があまりに心地よくて、波が過ぎてもなお、つい乗り続けてしまう。そうして流れが変わった瞬間に、すべてを失う。"いけるうちに、もっと"——その囁きこそ、攻めの最大の毒です)」
いけるうちに、もっと。
……ぞくり、とした。
前世の俺だ。儲かっている時ほど、欲が出た。「まだ上がる」「もっといける」。そうやって深追いして、最後に、化けの皮の剥がれたあの銘柄に、すべてを呑まれて死んだ。
追い風は気持ちいい。気持ちいいから、危ない。
「(守りのダイチ、攻めのホムラ。——どちらも、片方だけでは足りません)」
オルカの思念が、静かに続いた。
「(追い風にはホムラで攻める。けれど、いつか追い風は必ずやみます。やんで逆風に変わった時、ホムラだけでは溶ける。その時、揺るがず踏ん張れるのはダイチです。攻めと守り、両方を噛み合わせて、はじめてどんな流れにも生き残れる。その先に、本当の強さがあります)」
攻めと、守りを、噛み合わせる。
……まだ、その「噛み合わせ方」がどういうものか、俺にはわからない。でも今日、ようやく二つ目の駒が揃った。揺るがぬダイチと、燃え盛るホムラ。正反対の二体。この二つをいつか、ちゃんと組み合わせられたなら——俺はもっと、強くなれる気がした。
*
その夜、まともな宿のやわらかいベッドの上で、俺はずっしり重い貨幣の袋を握りしめていた。今日の大漁。何日分もの稼ぎだ。
窓辺には、肉の串を——今日は奮発して三本、置いた。明日の朝にはまた消えているだろう。あの、痩せた獣人の子のぶんだ。
ホムラは、燃え尽きないよう顕現を解いて休ませた。ダイチも縁の中で静かに眠っている。オルカだけが、いつものように淡く光って、俺のかたわらにいる。
……ああ、そうだ。
明日からは、またダイチだ。
今日の大漁は、追い風があったから成り立った。追い風のない日にホムラを出せば、燃料代で赤字になる。いちばん強い札が、いちばん出番が少ない。
妙な話だ。強い駒を手に入れたのに、明日からの俺の毎日は、昨日までと大して変わらない。
……いや。ひとつだけ、変わった。
俺は今、「その日が来るまで、出さずに待てる」という札を、一枚持っている。
「なあ、オルカ」
「はい」
「……あの追い風さ。あんなに調子よかったのに、なんで急にやんだんだ?」
「(……いい問いです)」
オルカの思念が、続いた。
「(追い風は、永遠には続きません。良すぎる相場には、必ず終わりが来る。むしろ、皆が浮かれて夢中になっている時ほど……その終わりは、近いものです)」
皆が浮かれている時ほど、終わりは近い。
……なんだか、不穏な言葉だった。けれど今日の俺は勝ちに酔っていて、その言葉の本当の重さに気づくには、まだ少し早かった。
俺は貨幣の袋を枕元に置いて、目を閉じた。
異世界に来て、六日目。手駒は三体。守りのダイチ、攻めのホムラ、そして全天候のオルカ。所持金、はじめてずっしり。称号、相変わらず『とんでもねえ召喚士さま』——だが今日ばかりは、ちょっとだけ、その名に近づけた気がした。
追い風は、気持ちいい。でも追い風は待ってくれないし、いつまでも吹いてはくれない。
その本当の意味を俺が思い知るのは、もう少しだけ、先の話だ。
(第16話へ続く)
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【用語辞書】第15話に出てきた「投資」の話
● 「◎」が灯る条件=環境が味方している時だけ
ホムラに◎が点いたのは、順風/荒れが低い/凶兆なし/商いが活況の四つが同時に揃った時だけでした。攻めの資産が輝くには、本人の実力だけでなく相場環境が味方していることが要ります。同じ札でも、環境が変われば✕になる——強さは、絶対値ではなく相性です。
● “いけるうちに、もっと”=いちばん危ない囁き
上げ相場は気持ちよく、つい「まだ上がる」と深追いしがち。でも相場は必ず反転し、その瞬間に、攻め一辺倒の資産は大きく崩れます。主人公が前世で財産を失ったのも、この深追いでした。
● 出さずに待てる、ということ
大漁のあと、ガクは明日からまたダイチに戻ります。勝てる局面でだけ張り、それ以外は張らない——これは我慢ではなく、コスト構造から導かれる合理的な結論です。プロの投資家が「何もしない日」を大量に持っているのと同じ理屈。
● 「皆が浮かれている時ほど、終わりは近い」
強気相場の終盤ほど、参加者は楽観的になり、値段は実体から離れていきます。次の大きな山への、伏線です。
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