第10話 揺るがない地面
仲間を得ての最初の戦闘です。
新しい仲間は思った通りの働きができるでしょうか。
もう一度、浅い層に降りた。
例の、灰鼠の巣くう一帯。
岩陰から、濁った黄色い目がわらわらと這い出してくる。
窓を出すまでもない、地合い軟調の複雑度★1。
昼間さんざん大砲をぶっ放して、
すっからかんになった、あの相手だ。
でも今日は、違う。
「ダイチ。——頼む」
掌から土くれを、そっと地面に置く。
念じると、ほんのひとつまみのマナが抜けていった。
さっきオルカを一振りするのに食った量の、何十分の一。
本当に、ごくわずかだ。
その、わずかなマナを吸って、土くれがむくりとふくれあがった。
俺の腰くらいまで。
丸い、岩のような体。
短い手足。苔と、芽。
無骨で地味で、強そうにはぜんぜん見えない。
灰鼠が、いっせいに飛びかかってきた。
『……どっせい』
ダイチが、のっそりと前に出た。
ずん、と地面を踏みしめる。
灰鼠の牙がその丸い体にぼすぼすと突き立つ。
けれど——ダイチはびくともしなかった。
牙は固い土の表面にこつん、こつんとはじかれ、まるで効いている様子がない。
「すごい……」
オルカみたいに一撃で薙ぎ払う派手さはない。
火力はたしかに低い。
ダイチはただどっしりと立って、灰鼠の群れをまるごと受け止めている。
何匹に噛みつかれても、揺るがない。
揺るがないまま、じわり、じわりと、丸い体で押し返していく。
その後ろで、俺は落ちていた折れ剣を拾い、自分の体にほんの少しだけマナを巡らせた。
肉体強化。
いちばん安い戦い方。
ダイチが受け止めて動きの止まった灰鼠を、横からひと突き。
ぐしゃ、と手応え。
灰鼠が一匹ほどけて、こつん、と結晶になった。
怖くなかった。
昨日ひとりで向き合ったときは膝が笑い、牙があと少しで喉に刺さるところだった。
でも今は、前に揺るがない地面がある。
ダイチが踏ん張ってくれているあいだに、俺は落ち着いて、一匹ずつ確実に仕留めていけばいい。
倒して、拾って。倒して、拾って。
ずだ袋がふくらんでいく。
そしてマナの減りは、ほんのわずか。
ダイチの維持にひとつまみ、肉体強化にひとつまみ。
拾った結晶のほうが、はるかに大きい。
差し引き——プラスだ。
昨日ひとりで出した、情けないくらいの黒字。
あれが、ずっと楽に、ずっと安全に続けられる。
自分を削らなくても、ダイチが前で揺るがず踏ん張ってくれるから。
俺は結晶をひとつ握りしめた。
芯が、ほのかに脈打っている。
……これだ。これが、欲しかったんだ。
いくつめかの群れを片づけて、岩に腰を下ろし、ひと息ついたとき。
オルカの思念が、いつもより少ししっかりと像を結んだ。
さっきの戦いでダイチが稼いでくれたぶん、マナに余裕が戻ったのだろう。
(ガク様。ひとつ分だけ"種"を渡せます。
さきほどの戦いの、答え合わせを)
「ああ。頼む」
つうっと、また少しマナが抜けて、くらりとめまいがする。
知ることにすら対価を求める、この世界のいつものやり方だ。
めまいの向こうで、オルカの声がはっきりと響いた。
(昼間、ガク様は、あの灰鼠に、私という大砲をぶつけて、火薬代で自滅しました。
あの環境は、地合い軟調。弱気の、緩い下げ基調。
沈んだ相場では、勢いよく攻めるものは空を切るか、削られるばかり。
私のような万能の大砲も、過剰でした)
「ああ」
(けれど、ダイチは違った。
下げ基調の中でこそ、あの"守り"は噛み合う。
打たれても揺るがず、じわりと押し返し、安く確実に収支を黒字にする。
——今日はじめて、環境に"噛み合った"一体を選んだのです)
噛み合った、一体。
……そうか。昨日は合わない大砲を無理やりぶつけて、火薬代で溶けた。
今日は合った守りを、ひとつちょこんと出した。
たったそれだけの違いで、赤が、黒になった。
「でも、オルカ」
俺は、ふと引っかかったことを口にした。
「ダイチは、なんで悪い地合いで、そんなに揺るがないんだ?
火力は低いんだろ。なのに踏ん張れる理由が、わからない」
(——いい問いです)
オルカの思念が、続いた。
(ダイチが体現するのは、土。畑。麦。人の暮らしの、いちばん下の土台です。
……考えてみてください、ガク様。人はどんなに世が荒れても——飢饉でも、戦でも、災いの年でも
——パンを食い、土を耕すのを、やめますか?)
「……いや。やめないな。むしろ、そういう時こそ」
(ええ。暮らしの土台への"求め"は、悪い地合いでも決して消えない。
だから、それを支えるものは、相場がどれだけ沈もうと崩れにくい。
派手な実りはなくとも、揺るがない理由は、そこにあります)
暮らしの土台。求めが、消えない。
俺は、ぼんやりとそれを反芻した。
(ガク様の世界では、これを——ディフェンシブ、と呼んだはずです。
守りの相。生活に欠かせぬもの、皆の暮らしを支えるもの。
にぎやかな宴の日々には、地味で退屈で見向きもされない。
けれど世が荒れたとき、最後まで倒れずに残るもの)
ディフェンシブ。
……ああ。やっぱり覚えがある。
前世で、いちばん地味で、いちばん読み飛ばした、あの章だ。
派手な儲け話のページは何度も読み返したのに、
「守り」だの「負けないことがいちばん確実に積み上がる」だのと書かれた退屈なくだりは、
いつも斜めに流していた。
まさか命がけの異世界に来て、
その読み飛ばしの答えを、
土くれに教わることになるとは。
(派手に勝とうとするより、悪いときに大きく崩れない。
負けないことが、いちばん地味で、いちばん確実に富を積み上げる。
……ガク様の世界の賢い人たちが、口を揃えて言い残したことです。
ただ、面白みがないので——たいてい、読み飛ばされる)
「……うるさい。今、俺がまさにそれを後悔してるとこだ」
苦笑いして、俺は隣にのっそりとたたずむ土くれを見た。
ダイチ。地味で、無骨で、火力は低くて。
誰にも欲しがられず、行き止まりで消えかけていた、ちっぽけな守り。
けれどこいつは確かに、揺るがず踏ん張って、俺にはじめてのまともな黒字をもたらしてくれた。
鑑定は、こいつを"本物の割安"だと言った。
誰も欲しがらないから安いだけで、中身はちゃんと健全なのだ、と。
……なんだか、こいつ。俺に、似ている気がした。
地味で、堅実で、誰にも振り返られなかった、前世の俺。
それでも消えずに踏ん張っていた。
あのころの俺の"揺るがなさ"にも、誰も気づかなかっただけで、
案外、ちゃんと値打ちがあったのかもしれない。
……いや、それはまだ、わからないけど。
でも、せめてこいつの値打ちだけは、
俺がちゃんと見ていてやろう。
世界中の誰が見向きしなくても。
『……ガク』
ダイチが、ぽつりと呼んだ。
『……おれ、やくに、たった、か』
「ああ。立った。めちゃくちゃ、立ったよ」
俺が頭の苔を指でそっと撫でてやると、
ダイチは、くすぐったそうにぷるると震えた。
帰り際、ダイチの体が、すうっと輪郭をほどいた。
「あ——お、おい?」
慌てる俺に、オルカが告げた。
(ご案じなく。顕現を解いただけです。
呼び出した体は、役目を終えれば一度消える。けれど、結ばれた縁は消えません。
呼べば、また同じダイチが応えます)
ほどけていく光の中で、ダイチの土を踏むような声が、ぽつりと残った。
『……また、な。……ガク』
……ああ。また、な。
マナを食う体を、ずっと出しっぱなしにしておく必要はない。
要るときだけ呼んで、守ってもらい、済んだら引っこんで休んでもらう。
オルカみたいに常に出しっぱなしでマナを吸われ続けるのとは、わけが違う。
——これが、本来の精霊の使い方なんだ。
必要なぶんだけ、必要なときだけ。
買い取り所のカウンターに、今日の結晶をすべて空けた。
じゃらじゃら、と青白いそれが量りに乗る。
昨日の、倍以上の量だった。
「銅貨、十八枚」
係の男が、無造作に硬貨を滑らせてくる。
十八枚。昨日の八枚を、ちゃんと上回った。
しかも今日は、命を削っていない。
膝も笑っていないし、マナもほとんど減らずに残っている。
働いた分が、ちゃんと報われた。差し引いて、たしかに黒字。
……はじめてだ。この世界に来て、はじめて、ほんの少しだけ、明日が怖くなくなった。
俺はふらつかない足で、いつもの露店へ向かった。
焼けた肉の、たまらないにおい。
「すみません、これ——」
一本、と言いかけて。
ふと、通りの薄暗い路地裏に、目がいった。
崩れた木箱の陰。痩せ細った小さな影が、こちらをじっとうかがっている。
獣の耳。ぼさぼさの毛並み。——昨日、目が合った、あの獣人の子だ。
俺と目が合うと、影は、びくっと身をすくめた。
……ああ。お前も、なんだな。
誰にも見向きされず、行き止まりで必死に消えずにいる。
ダイチと、前世の俺と、同じだ。
みすぼらしい、銭にならない、というだけで。
でも、俺には見える。
お前が、ちゃんとここで生きてることが。
「——すみません。これ、二本ください」
俺は、震えなくなった指で銅貨を四枚渡した。
一本は自分のため。
そしてもう一本を、そっと路地裏のほうへ、差し出すように掲げてみせた。
声をかければまた逃げてしまうだろうから、ただ見えるところに置いておくつもりで。
影は警戒したまま、動かない。
けれどその鋭い目だけが、焼けた肉の串を、食い入るように見つめていた。
……気長に、いこう。
その夜、軒先じゃない安宿の固いベッドの上で、俺は天井を見上げていた。
ダイチが来てくれた。はじめての、まともな黒字。
少しだけ貯まった貨幣。ようやく、前に進みはじめた気がする。
ただ——ひとつ、引っかかることがあった。
「なあ、オルカ。ダイチはすごい。
けど、あいつは守りだろ。沈んだ地合いで踏ん張るのが得意なんだよな。
——逆は、どうなんだ。もし相手が、勢いよく上がっていくような相場だったら」
(……鋭い質問です)
オルカの思念が、静かに続いた。
(ダイチは揺るがぬ守り。下げには滅法強い。
ですが、火力は低い。もし相場が勢いよく上を目指すとき
——攻めるべきときには、ダイチだけでは、その勢いに乗り遅れます。
守りを固めているうちに、実りを取り逃す。
良い波に乗るには、別の、攻めの相棒が要るのです)
攻めの、相棒。
今は、まだいない。
手駒は、燃費の悪い大砲のオルカと、揺るがない守りのダイチ。
たった二体。攻めの一手は、まだどこにもない。
いつか、勢いよく上がる相場に出くわしたら——そのとき俺は、どんな精霊を呼べばいいんだろう。
……まだ、答えはわからない。
わからないけど、不思議と、昨日までのような絶望はなかった。
一歩ずつでもわかることが増えて、
揺るがない地面が足元にできていけば、
きっとその先に、たどり着ける。
俺は、目を閉じた。
異世界に来て、三日目。
所持金、ようやくちょっぴりプラス。
相棒、二体。称号、相変わらず『とんでもねえ召喚士さま』。
——前途は、まだまだ多難だ。
でも、明日は、ほんの少しだけ楽しみだった。
【用語解説】本話に出てきた「投資」の話
この回で、鑑定に新しい表示——銘柄カルテ(味方や人の“中身”を映すステータス)が加わりました。中心テーマは、守りの資産=ディフェンシブです。
* ディフェンシブ(守りの資産)=悪い相場で崩れにくい理由
食品・日用品・電気・ガス・水道など、景気が悪くても人が使うのをやめないものを扱う事業のこと。オルカの言う通り、「暮らしの土台への“求め”(=需要)は、不況でも消えない」から、売上や株価が急には崩れにくい——これが守りの強さの正体です。派手な急成長はない代わりに、下げ相場で“負けにくい”。ダイチは、この性質をキャラにした精霊です。
* 割安と“本物の割安 vs 罠”
「割安」とは、中身(実力)のわりに、値段が安く放置されている状態のこと。ダイチのカルテは「割安なのに、体力は厚く、気になる兆しはなし」=中身が健全な“本物の割安(掘り出し物)”でした。ただし、投資でいちばん怖いのは、この逆——「安いのには、ちゃんと理由がある(=中身が壊れている)」割安です。これをバリュートラップ(割安の罠)と呼びます。今回ダイチの「気になる兆し」が“なし”だったのは、いずれ現れる“罠”との対比のための布石。今後、鑑定の「気になる兆し」欄は、物語の重要なシグナルになっていきます。
* 体力(財務)=自己資本/還元(尽くす度)=株主還元
カルテの項目を、現実の言葉に置き換えると——
体力(財務)=自己資本の厚み:借金が少なく、自前のお金で立っている会社は、不況でも倒れにくい“頑丈さ”があります。
還元(尽くす度)=株主還元:稼ぎを、配当や自社株買いというかたちで、支えてくれた人に還すこと。「黙って尽くす」ダイチは、地味でも誠実に報いるタイプ、というわけです。




